薄い理性





 何故向かい合っているのか。
 深い眠りから目覚めたエストレアの疑問はまずそこに集まった。

 目覚めたばかりの少女の説教に正しい反応が出来ない程疲れていたのは間違いないが、それでも自分が少女を抱き締めて寝るという選択をするとはよっぽどの事態だ。それでも後ろからだったはずが、何故か目を開けてみれば少女はこちらを向いている。
 これがどういうことなのか、まだ鈍い動きをする頭で考える。まず一つの可能性である寝返りは考えられない。何故なら少女の腕を一本下敷きにしているからだ。つまり少女は自分が寝ている間に自らこちらを向いて自分を抱き締めて落ちた、ということになる。

 エストレアは頭を抱えた。起きて早々にとんでもないことばかり仕出かす。ただでさえひどく疲れていたのも災いして、眠る前に少女が言った「私の中、エスでいっぱいなんだ……」が正常に処理出来なくてまともに食らってしまった後だった。
 雄とは馬鹿な生き物だと思う。これではどこかの単細胞と大差がない。

「ショコラ」

 名前を呼んで丸い頬をつついても起きる気配がない。しつこい程につついてみても、ゆるんだ口許から「えす……」と舌も回っていないのに名前を呼ばれて驚いただけに終わる。少女はふにゃりと間抜けに笑ったかと思えばまだすやすやと眠っている。
 これに対するエストレアの選択は、諦める、だった。少女にとってこれは長い二度寝になるが、巻き込んでしまったのは責任はこちらにある。

 起きた直後は焦ったものの、落ち着いてくれば徐々に安心感に包まれた。少女は生きている。また無意識に殺してしまわなくて良かった。
 こうして間近で少女を観察することは滅多にない。少女があまり近づいてこないのと、触ろうとすれば逃げるのが原因で。傍には寄ってくるのに触らせない。エストレアは最近、この少女がとんでもない女なのではないかと気付き始めていた。

 頭の形に沿って髪を撫でて、丸い頬を辿って小さな唇をなぞって。思えばいつからここに興味を抱くようになったのか。
 どこに触れても少女は小さい。身体自体が小柄な作りだ。本人は自身をちんちくりんだと思っているし、言葉の意味としては間違っていない。小さいのは別に良いと思うのだが、少女は炎龍の雌にいつも羨望の眼差しを向けていた。
 どうも雌龍を見ると自分が残念なものに見えるらしい。誰に言うでもなく自虐が止まらない姿も見てきた。どちらかと言えば少女が残念なのは中身の方だと思うのだが、本人にそれを言うと「エスは容赦ない!」と泣きそうな顔をされた。残念が悪いとは誰も言っていない。

 相変わらず少女のいう『好き』は難解だった。龍族で言うところの『欲しい』『食べたい』に一番近い感情と言われているが、どう考えても乖離が有り過ぎるように見える。
 本当に近い意味ならばどうして逃げるのか、触れる度に反応が違うのか。その辺りは説明してくれそうにないので理解に進歩が見られない。
 そもそも人型にとっての『欲しい』はどの辺りに該当するのか。一度この瞳を欲しがられたことがあるが、何かが違う気はした。
 少女の言う『好き』はどう解釈しても龍族のそれに及ばない。
 自分は少女にそこまで求められていない。
 導き出した結論を脳内で反芻すると胸の辺りが締め付けられるように痛いのは、息苦しく感じるのはなんなのか。

 渦巻く何かを感じているのがしんどい。本当は分かっているからこそ感じるのをやめた。
 無理矢理に振り払って少女の髪を撫でる。自分よりも少し高い体温は氷龍族には本来暑すぎて不快なはずなのに、少女の体温を嫌だと思ったことはない。
 もう少しだけ大人しく眠っている少女を触っていたい。本当は起きている少女にもっと触れたい。

 薄くなった理性に罅が入り始めていた時、少女がぎゅっと抱き着いてきて首元に顔を埋めて擦り寄ってきた。隙間なく押し付けられる柔らかな肢体に思考が飛ぶ。
 どこまでも無防備な少女の頬を摘まんで無理矢理起こして、逃げるようにしてベッドから抜け出した。

 早く立ち去らなければと急いで、一度少女の方を振り返ると途轍もなく寂しそうに見上げてきていた。
 そんな顔をされても困る。
 今まで何度も理性を繋ぎ止めてこられたのは『分からない』ままにしておいたからで、今はもう違う。
 もう、そんな優しい体温じゃ足りなくなっている。



 2017/05/27
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