龍族の結婚適齢期





「ベルク様、国内が落ち着き始めて早々、縁談が来てますよ」

 約二十年ぶりの響きにベルクは耳を疑った。
 思わず傾いだ首を見ていたペトラは、「縁談ですよ。縁談。時機を見計らってか、挙って来ております」と手元の書類を何度か振ってみせる。

「……失念していたな」

 何十年と先陣を切って軍を動かしてきた身だ。今更に王族らしい事柄の一つを突き付けられて呆けることになるとは。

「だと思いましたが。ベルク様はもうすぐ適齢期ですから、今後五十年はそればかりですよ」
「さすがに私でも五十年先延ばしにはしない。……実感が湧かないだけだ」
「ベルク様はその辺り他人事ですからね。日々あれだけ見せつけられて、触発されないのが貴方らしいです」

 龍族の結婚適齢期は平均して二百歳前後。
 心や感情という、龍族には難解なものを己の中で噛み砕き、飲み下して『理解』の枠に落とし込めるのが百から百五十、加えて安定しているのを条件にするとその辺りになる。

 ベルクは既に『理解』してはいるが、周りを軍事に骨を埋めているような龍族の雄で構成してきたが為に、使用頻度が少なかった。
 少女が現れてからは五月蝿く面倒な面子に比重を占められることになり、存分に奮えている。

 今までにも子ども一頭で生き残ったペトラを従者として育ててみたりはしたが、ペトラは感情を秘める性格をしていた為にベルクは何もしてやれなかったと思っている。
 小さな頃から可愛いのは顔だけだったペトラを思い出して感傷に浸っていれば、当の本人は窓の外を見ながら「あれ? また雷龍族が喧嘩して暴れてる。一頭くらい殺しても平気ですかね?」等と許可を得ようとしてくる。
 過去に与えてきた仕事を完全に間違えたあの頃の自分が悔やまれる。

「金髪は後処理が面倒だ。殺りたいならまた亡国辺りに連れていってやる」
「賊の一掃ですね! 楽しみです!」

 ペトラが嬉しそうに可愛らしい笑顔を見せてくれたところで、渡された書類に目を通す。
 五十年は先延ばしにしないとは言ったが、今はそんな気分にはなれなかった。まだ何もかも終わったわけではなければ、始まりの位置にも立てていない。

 
 この世界を統治しているのは龍族だが、当然龍族以外の種族も国を構えている。基本的には属国という形で、わざわざ龍族を敵に回そうと考える愚か者は現状存在していない。
 王族の結婚は過去の例に倣って、属国から献上される姫君や、国内の貴族令嬢から選ぶ形になる。だが、今後は分からない。
 今までは龍族同士の関係の悪さから近付くこともしていなかったが、世界が安寧を得るとしたら、別種の龍族同士で子を成す未来も来るのかもしれない。

 平和な未来を考えたところで、増えに増えるであろう縁談の数を想像して頭を抱えた。
 現在、独身で適齢期の近い龍族はベルクのみ。雌は当分良いと思っていても、世間は待ってくれないだろう。

「なーんか、日々妖精さんを見てるとお姫様ってつまらない顔してますよね」

 書類を覗き込んでいたペトラが文句を言う。要するにいまいちだと言いたいのだろうが、分からないことはない。
 王族貴族の姫君なのだから、当然姿形は整っている。問題は表情だ。
 高度な教養を身に付けた雌は同じような顔しかしない。龍族であれば尚更表情は消え去る。残るのは申し訳程度の笑みを作った口元だけだ。

「小娘は見ているだけで面白いからな」
「ああいうのが龍族に足りない部分なんでしょうね」

 ベルクは頭の悪い者は嫌いだが、それ以上に面白味のない者も嫌いだ。
 その点、少女も続々とやってきては暴れる龍族の王族達も条件は満たしている。条件を『面白味のある雌』にすると縁談は無くなるだろうか。
 正直なところ、子孫繁栄はペトラや他の地龍達に任せて隠居してもいいぐらいに思っていた。この血はまた悲しみを生まないかを危惧していた。

「いずれはペトラ、貴様にこの座を渡す」
「はあ、……え? いやいや、無理です。嫌ですよ。さっさと結婚して子ども作ってください。その子にしましょう! 絶対強いですから!」

 弾かれたように距離を取って首と手を振るペトラ。
 魔力が六割でも、その感情を後回しに物事を推し量れる冷徹さは上に立つ者に必要な才能だが、この龍は謙遜が過ぎる。

「諦める方針に固めなくても、他を見ると結婚したくなりますよ。最速の二十代で結婚しそうな龍も身近にいらっしゃるでしょう?」
「結婚とは、両者の同意の元に結ばれるものだが」

 残念ながら、少女が同意する空気ではない。少女から逃げられているのを何度も目の当たりにしている。

「あれが拒否を許す雄に見えますか? 妖精さんは絶対逃げられません。賭けてもいいです」
「最近、小娘に覚悟を決めさせるような説教をしたことを後悔している。とんでもない雄だな、あれは」

 ペトラに全面的に同意だった。
 龍族は添い遂げると決める程に雌を気に入ることは珍しく、恋愛関係から結婚へと進む場合は、雌に途轍もない覚悟が必要だ。
 あの時は少女の方が惚れ込んでいるように見えていたが、早計だった。過去の自分の口を塞ぎにいけるのならそうしてやりたい。

 あれはよく出来た龍であるが為に、最速で感情を取り込んでしまった可能性が高い。
 おまけに、生い立ちに鑑みれば、恐ろしいまでの独占欲や渇望が眠っていたに違いない。
 今までは凪いだ愛情を与えるがままだった氷龍族の頂点に立つ男が、求めることを覚えたとなったら少女はもう生贄になってもらう他ない。

「小娘も不憫なものだな。世界に嫌われ、漸く他者と手を取り合えたかと思えばこのような種族に好かれるとは」

 異種族の者達がこの話を聞けば、さぞ少女を哀れに思うだろう。最強と呼ばれる龍族に愛されるなど、身の毛もよだつ話だ。
 だが、少女は他と少しずれている。

「案外幸せになるかもしれないですよ。妖精さん」

 同じことをペトラも思ったらしい。
 ベルクは書類を端に避け、世界に振り回された少女に幸せな未来が待っていることを願った。


 2017/08/13
 本編に出す機会のない設定のお話。




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