本命の意味
「エス! 集合!」
宿屋にて休憩中のことだった。数日前、私はまた素晴らしいイベントの話を聞いてしまったのだ。それから何度もティエラ御指導の元練習し、やっとエスが納得出来るレベルのものを作れるようになった。この為だけにキッチンがある宿を借りたのだから!
それを渡す為にエスに呼び掛けると、真顔で私を一瞥して次の瞬間には走って逃げようとする。逃がすもんですか。
「つっ、捕まえた!!」
「っくそ、足速すぎだろ」
瞬く間に追い付いて服を掴んだ。私は多分人型のエスより足が速い。それだけが取り柄だ。私がちんちくりんだからと気を抜いた長身なエスが悪い。
大人の男女で廊下をドタバタしたせいで宿屋の奥さんに怒られてしまった。逃がさないようにエスの服を掴んだまま深々と頭を下げる。
「どうして逃げるの?」
「なんか、前にも似た流れがあった気がした」
それは前のクリスマスというイベントの時の話だろうか。確かにそうだ。なんたって今回は、
「ユビテルに素晴らしいイベントを教えてもらったの。人間界の東洋って国では今日は女性から男性に日頃の愛を伝える為にチョコを贈る日らしいよ!」
「またか。まじで無駄知識ばっかり……」
みるみる内に真顔はげんなりとしたものに変わる。エスはユビテルの教えてくれるイベントがあまりお気に召さないようだ。どれもこれも楽しいのにな。
「だからエスにチョコ渡そうと思って!」
「お前さ、あいつの話ちゃんと聞けよ。覚えてるなら理解しろよ。日頃の愛を伝えるとか何とか言ってただろ」
「え? 日頃の愛でしょ? エスに渡すのっておかしい?」
あれ、エスはなんとも言えない形容しがたい表情をしている。
日頃の愛なら当たり前に皆にある。フルミネにもプロミネにも、フェゴさんにも渡したけど皆喜んでくれた。前二人には変なことされそうになったから逃げてきた。プロミネには舌打ちされた。
「教えてくれたユビテルには一番にあげたんだ」
「……は?」
今日のエスは珍しくお顔が忙しいな。次には何故か冷たい顔で怒っている。
「でもユビテルだけチョコは受け取ってくれなくて、和菓子の方が好きなんだって。やっぱりおじいさんかおばあさんみたいな感覚なんだろうな」
「せめて性別くらい汲んでやれ」
おお! 確かに! そうだよね。おじいさんだよね。じゃなくて、年齢的には全然お兄さんなんだけど。
「だからちょっと、私の部屋までご同行を願いします」
「おい、引っ張んな」
私としたことが早く呼びに行きたくてうっかり持ってくるのを忘れてしまったのだ。
有無を謂わさずエスを連行する。離せば逃げられるというのは前回のクリスマスで学習したのだった。だから怒られようとも離さない。
不機嫌なエスを連れて何とか部屋までやってきた。部屋に入った瞬間から漂う甘い香り、ただでさえ鼻の利く龍族、にーちゃんならどこ産のカカオ豆か分かるかもしれない! と私にチョコの原料選びから手伝ってくれたティエラにはとても感謝してる。龍族の嗅覚は恐るべしだから。勿論、作ったチョコはティエラにもあげた。
「甘いのと苦いのどっちが好きだった?」
「はあ、どっちでもいい」
「そう言うと思って二種類作ったんだ。ちなみにその溜め息まで予想済みだよ」
綺麗な青い箱に白いレースを敷いてラッピングしたトリュフ。ティエラ先生監督の間違いなく美味しいチョコだ。
中を見せながら顔を見上げるととてもどうでも良さそう。……まあ、うん、フルミネやプロミネみたいに、まじで!? くれるの!? さすが俺の嫁! みたいな反応は期待してないけれど、やっぱりエスは一筋縄では行かないな。
「ティエラが教えてくれたからきっと美味しいよ」
「なんで手作り」
「え? 本命っていう一番あげたい人には手作りするんだってユビテルが言ってた」
「…………普通、それ渡す相手に言わない内容だろ」
エスは難しい顔をして何やら呟いていた。せめて真顔に戻ってくれたらリセットされたんだなって思えるのに、それどころか怒りのゲージが上がっていくように見える。
「エスに一番感謝してるから、一番あげたいよ」
「言葉の意味を教えるしかないか。やっぱりな、お前馬鹿だもんな」
「うわあ、今日も容赦ない……」
もうこうなったら無理矢理にでも口に突っ込むしかない。
味が悪くないと分かってもらえば、受け取ってもらえるかもしれない。何回もユビテルにしたからきっと上手く出来るはず。
「何」
「えっと、ちゃんと美味しいよ。あーん」
ダメだ。これはめちゃくちゃ恥ずかしい。のほほんとした雰囲気のユビテルにするのと、怒っているお兄さんにするのでは全然違う。多分、普通は怒ってる人にはしないことなんだろうけど。
口許に持っていっても口を開いてくれそうにない。代わりに私の手首はエスに掴まれてしまう。これ以上手を伸ばすことは出来なくなってしまった。
「……なあ、あいつ和菓子とかいうのが良いって言ったんだよな」
「? そうだけど」
「アレにもソレにも渡してきたなら、あいつには何やったんだよ」
「え、えっと、和菓子は取り寄せられないから、じゃあ此処にあるのを食べさせて、って話になって……」
「へえ、だから動きが慣れてんのか」
おお、さすがエス、名探偵だ。さっきまでの行動と話の内容で、先日ユビテルにした行為まで導き出すとは、探偵事務所が開ける。
「一回二回じゃねえな」
「うん、お皿に乗ってたのは四つだか、ら――んむ」
私の手からトリュフを取り上げたエスは私の口にそれを押し付け、強制的にくわえさせてきた。
「……それを上回ること、しないとダメだな」
「!?」
どうしてこんなことになってしまったの?
向けられる青い視線が捕食するようで何だか怖くて、ゆっくりと後ろに下がると直ぐ近くのテーブルにぶつかる。
ジリジリと追い詰めてくるエスは、私を挟むようにテーブルに手を着いて余裕な真顔で私を見下ろす。
「それ、貰うから落とすなよ」
「っ」
逃げようがない。
文句の付け所のない綺麗な顔、それを近付けられるだけで世の女の子がどれだけドキドキするか、人ではないエスにはきっとわからないのだろう。私も世の女の子に例外なく含まれるんだよ?
全身が脈打つように心臓が大袈裟に動く。ばくばくと、エスに聞こえてしまうかもしれないくらい大きく。
くわえさせられた小さなトリュフ、そんなに要らないと言われたらショックだからと、どうしてこんなに小さいサイズで作ってしまったのだろう。
少しでも距離を取ろうと足掻く私の努力は背中に回される片腕によって打ち砕かれてしまう。どうやっても逃げられない。
伏し目がちにされると髪と同じ色の睫毛が煌めいて、あんまり綺麗で息が止まりそうになる。
「っ」
唇が触れる。
そう思わせて器用に小さなトリュフだけをくわえたエスは、真顔なのにしてやったりという風に見える。
び……びっくりした。龍族からすればキスには意味がなくて、例え触れてしまっても大きな問題じゃないのかもしれないけど、此方はただの人型だ。感情を知識で詰め込んでいるくらいならその辺りまで是非覚えていてほしい。
「美味いけど」
「え、あ、う、うん、それは、良かった」
平然と味の感想まで言われてしまうのだから、私一人だけが恥ずかしい。
終わったのなら離れてくれればいいのに、まだ片手は着いたまま、腕は回されたまま、俯いて顔の距離だけでも取らないとどうにかなってしまいそうだ。
「お前、心臓うるさい。手から伝わってくるんだけど」
「! エスのせいでしょ!」
「で、あと何回する?」
「…………え」
聞き間違いだろうか。目の前のこの綺麗なお兄さんはとんでもない事を聞いてきた気がする。
しかもその目線は青い箱の中に向けられている。……中のトリュフの数は……
「ユビテルには慣れるまでやったんだろ。じゃあ俺とも慣れるまでやるよな」
「あはは、冗談……」
「冗談じゃない。何も分かってない馬鹿に教えてやってるんだよ」
こんなこと何度しても慣れるわけがない。いくらエスが器用とは言え、万が一にも唇が触れようものなら死んでしまうかもしれない。無理だ。心臓が破裂する。こんな危うい事をあるだけされたらたまったものじゃない。
「やっ、やだ、無理、こんなの慣れない、死んじゃう……」
エスの腕と視線から逃れようと、目を閉じて胸を押す。びくともしなくても押し返す。
「……お前ってさ、いつになったら自覚すんの」
無理矢理唇に押し込まれそうになってる甘い香りはトリュフだろう。
仕方なくくわえようとしたら、誤って口の中に入り込んでしまって私は目を開く。甘い。蒼い瞳と視線が絡む。
「それ、取りに行かないだけ優しいと思うんだけど」
「っ、エス、意地悪過ぎる……」
「俺を本命って言いながら、それレベルのことを他でやってるお前が悪い」
そう言えば、本命って言葉の由来はなんなんだろう。一番あげたい人としか聞いてなかった。
エスはそれを分かってるから怒ってるのかな。ほんと、怒らせると怖い。怒られるとか、痛いことをされるとかじゃなくて、範疇に収まらない事をしてくる。……それも、本心では嫌じゃない事を。
二つチョコの減った青い箱を手に、漸くエスは私から離れてくれた。
「知ってるけど、人型がそれ、恥ずかしい事くらい」
「え!」
確信犯だなんて更にひどい。
さっさと出て行こうとするエスの背中を追う。私ばっかり恥ずかしい思いをして、何か言わないと負けっぱなしな気がしたのだ。
「ら、来月は私がお返し貰う側だから! 今日のはそういうイベント!」
「ふーん」
気のない返事をして、振り返り様に少しだけ笑った。
「なら、次はお前が取りにこいよ」
意識させるように自分の唇をなぞって見せる。見たことがないくらい悪い顔だった。
2016/02/05
HAPPY VALENTINE
第四章以降。パラレル。
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