交わした言葉




 ペトラが初めてエストレアに会ったのは九つに上がる頃。一時休戦として両国で会合が頻繁に行われていた頃の事。

 それは酷く退屈であった。
 表向きには会合と大義名分を掲げているが、蓋を開けてみれば何て事のない食事会だ。
 煌びやかな照明、きっちりとテーブルクロスが引かれたその上には豪華な料理。物心がついた時から嫌という程教え込まれたマナーを幾らでも振るえる品数に辟易した。

 子どもであるペトラが大人の会話に入って行けるはずもなく、聞いても理解が出来るはずもなく、早々に抜け出して会場の隅のソファーまで逃げてきていた。出来る限り目立たない場所を選ぶのだ。

 年の近い子どもは他にも数人参加しているが、身分等を考えると簡単に声を掛けて行けそうにない。
 端くれだとしても自分が王族の血を継いでいる事を呪った。参加させられる度に、ペトラはこの会合が早く終わる事を望んでいた。

 この空気といい、正装をさせられているせいか疲れを感じるのが早く、ソファーに深く腰を預けて項垂れていると、突如会場内がざわめいた。

「……あれは噂に聞く王子か?」
「エストレア様が会合に呼ばれるのは初めてでは?」
「恐るべき魔力だ……」

 聞こえてくる雑多な言葉の数々を聞き流しながら重い頭を持ち上げるが、何せ人だかりのせいで何も確認出来ない。
 エストレアと言えば自分と同い年と聞く直系の王子だ。政治にまるで関係の無い子どもでもそのくらいはさすがに分かる。

 暫く会場は騒然となっていたが、次第に落ち着きを取り戻し、人々は思い思いに場所を移動していった。

「……俺がここに呼ばれた理由は?」

 凛と透き通った声が隅にいる自分の耳にも届く。
 国王である父親に臆せず質問をぶつける声が、とても同じ九つの子どもの物とは思えず、ペトラはもう一度エストレアの姿を探した。

「お前の意見も混ぜるのはどうかと思っただけだ」
「子どもの意見等誰が聞く。俺は無駄に喋るのが嫌いだ」
「はっは、生意気に育ったな、お前は」

 中央のテーブルの前で、氷龍族特有の青い髪をした国王にがしがしと頭を撫でられているエストレア。
 数百年前の前国王と同じとされている鮮やかな水色の髪、深い蒼の瞳、撫でられるのを迷惑がり、不機嫌に顔をしかめたとしても損なわれることのない、恐ろしい程の美貌はその幼さで完成されつつある。
 瞳と同じ蒼い詰め襟をここまで着こなす子どもは、何人もの王族を目の当たりにしてきたペトラでも見た事がなかった。

 国王の手から逃れたエストレアは中央のテーブルから直ぐ様離れ、ペトラと同じ事を考えたのか隅に向かって歩き出した。当然、ペトラの姿を見つける。
 上等な蒼玉の如く深い蒼が真っ直ぐに射抜いてきた。

「……帰りたい」

 地龍族の王族の見た目をしている自分は、エストレアに何か言われるかもしれないと身構えたが、その形の良い唇から紡がれたのは何と独り言であった。
 思わずペトラはポカンとしてしまった。独り言を呟いたエストレアは気にする事なく同じソファーに腰を下ろす。

「敵国の王族と一緒にいてもいいの?」
「何で。ちょうど良い場所に座って何が悪いの」

 冷たい色をした瞳が再度向けられる。
 ペトラなりに気を遣ったつもりだが、エストレアはその辺りはまるで気にしないようだ。珍しい水色の髪が照明の光を受けて動く度に輝く。

「それもそうだね」
「お前、女顔だと思えば声も高いな」

 空気が凍った。
 こんなに面と向かってハッキリ言ってくる龍族には会った事がない。
 敵国の第一王子だからと少しでも緊張していた自分が馬鹿らしくなる程、エストレアの言葉には遠慮がない。

「そういう君の顔も男らしくはないんじゃない?」
「お前よりはマシ」

 吹雪が吹き抜けるようなバッサリとした切り返し。それでも話し掛ければ返ってくる。少しエストレアに興味が湧いた。
 冷たい言葉なら言われ慣れている。特にダメージは無い。きついながら返ってくる事がペトラには久々の感覚だった。

「この先、雄に目を付けられないように気を付けなよ。氷龍族も雄の方が多いんでしょ?」
「誰も話し掛けてこないから大丈夫。自分の心配だけすれば」

 誰も話し掛けてこないから。それは自分にも重なる部分があった。
 王族という身分にあるだけでその辺の子どもとは違うものにされてしまう。
 ペトラは自分の冷めた具合にも子どもらしくないと感じていたが、目の前のエストレアはそれ以上に子どもらしさがない。少し話せばその怜悧さが窺える。
 自分が大人になった時にまだ争いが続いていたら、間違いなくエストレアと当たるのだ。九つでこれなのだから末恐ろしい話だ。

「早く終わらないかなー……」
「そうだな」
「会合も、戦争も……」
「…………」

 自分は敵国の王子に何を言っているのだろう。いくら興味が湧いて面白くなってきたからと言え、それを感じているのは自分だけなのだ。こんな事を言われてもエストレアは困るだけだ。


 会合は何の進展もなく終わったようだ。
 あの後、国王に呼び戻されて嫌々連れて行かれたエストレアは、周囲の大人がおののく勢いで意見を述べていた。
 同じ年の王族の子ども達では理解出来ない難しい話の中にも、まだ純粋さの面影を残しながらも怯む事なく入って行っていた。

 先程までは当たる事が恐ろしいと感じていたが、エストレアが彼方で即位した時には戦争が終わっているのではないか、そう思える程の迫力に、いつもなら耳を傾けない内容にも聞き入ってしまっていた。
 とても冷徹な氷龍族とは思えない、エストレアが並べていく平和的な話。理想論だとしてもどんなにいいだろうかとペトラは目を閉じた。
 まだ思い描く事は出来ないが、エストレアの言う平和な世界を少しだけでも感じてみたいと思ったのだ。


 嫌いだった会合がほんの少しだけそうではなくなった日だった。
 会場を出る為に一人廊下に歩を進めていると、ドタバタとした足音と共に三人の同年代の雄に囲まれた。いつもペトラを馬鹿にしている同じ地龍族だ。

「ペトラ、お前また意味もなく呼ばれてたんだって?」
「ただでさえ役立たずの六割。王族の恥だな!」
「どうせ一人だったんだろ? 何して時間潰してたんだよ」

 相手は貴族の子ども達だが、龍六割という王族では異例の魔力の低さから、何故か叩いてもいいもののように接されている。
 いつもの事だ。何も答えずにまた歩き始めると、三人に腕を掴まれて阻止されてしまう。
 早く帰りたい。もう正装でいるのは疲れた。

「邪魔」

 冷めきって止まった頭が動き出す。
 三人の貴族の子ども達が呻き声と共に壁に縫い止められている。
 綺麗で残虐な氷属性魔法によって。

「通路で三列になって遊ぶな。通れないだろ」
「エストレア……?」

 驚いて思わず名前を呼んでしまった。蒼い瞳がチラリとペトラを一瞥する。

「お前! この事を俺らが親に言い付けたら!」
「勝手にすれば。その時は俺も子どもらしく言い付ける」
「!!」

 三人の顔が恐怖に歪む。
 エストレアの親は他の誰でもない氷龍族の頭だ。そんな直系の王族に目を付けられたら命は無い。

「そこのお前」
「え?」

 未だに状況を把握出来ていないままに立ち尽くしていたら、エストレアから切り出してくる。

「そいつらどうするか任せる」
「あ……」

 助けてくれたのだろうか?
 子どもとは思えない強い背中と、今にも泣き出しそうな貴族の子ども達を交互に見比べる。

 カチカチに半身を凍らされ、綺麗に貼り付けられた三人を地属性魔法で救い出すと、三人共何も言わずに走り去ってしまった。
 それから、ペトラは誰かに馬鹿にされる事は無くなった。


 たまに会合でエストレアを見掛けるが、如何にも難しそうな本を呼んでいたり、不機嫌にも話し合いに参加していたりとなかなか接触する機会がなかった。
 だが、自分は忘れないだろう。
 あれだけ敵国だから、国を荒らしたからと嫌っていた氷龍族のイメージを覆す程の出来事。
 気紛れにも助けてくれたあの背中に、今でも感謝している事を。


 2016/03/02
 五章13節。ペトラが見ていたエストレア。



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