絶対の崩壊を




「おいショコラ、回収しに来たぜ。部屋までお届けコースだ。料金は後払いにしてやらないことも……聞いちゃいねぇか」

 墓場のある丘の近く、潤いのある土地と渇いた土地の境目にショコラは居た。
 自分にしか水属性が無いからってご苦労なこった。
 毎日毎日こうしてぶっ倒れるまで頑張ってんのにな、作業としてはほとんど進んでないんだから可哀想にもなる。

 アイツが出ていくのは大体このくらいの時間だったと思いながら、早めに回収しに来てみた。
 なんたっていつも回収しているアイツ――エストレアはおべんきょーの真っ最中でな、手が離せなさそうだから仲の良い奴には優しい俺が来てやったというわけだ。
 勿論それは建前で、回収してみたかったのが本音だ。アイツ、いつも片手で持ってやがるからな。その辺どうなってんのか気になってた。

「普通、こんななるまでやらねぇもんだぞ」

 抱き起こして手や顔に着いた土を払いながら浄化してやる。
 コイツ、朝まで目を覚まさないから。別に風呂に入れてやってもいいけど、んなことして食わねぇわけがないし。
 ってことはエストレアもやってんのは浄化だ。動物には我慢なんて無理無理。

「っ! なんだこれ……」

 持ち上げてみて驚くしかなかった。
 いくらコイツがちんちくりんで細っこいからって、これじゃ本当にガキの体重だ。まじで片手で充分だな。
 色んな持ち方に変えて遊んでみたが、片手で担ぐか腕に座らせるのが一番持ちやすい。物と違って人型だからな。

 散々遊んだし、大して意味の無い重量挙げも楽しんだし、帰るか。
 そう思った矢先、腕の中のショコラが俺の服の胸元をギュッと握って擦り寄ってきた。肌の柔らかさが遠慮なく伝わってくる。

 …………。ダメだな。部屋には返さねぇ。今日は俺の部屋に来い。
 頬を撫でて顎に指を掛けた時、言い知れぬ冷気が辺りを包み込んだ。
 おっと、噂のお兄さんの登場だ。あんだけ集中しておべんきょーしてたってのによ、時間通りに迎えに来やがった。

「ちと遅かったな。今日は俺が持って帰る」
「信用ならない」
「まあ、コイツの部屋に届けるとは言ってないからな」

 おお、怖い怖い。その魔力、研ぎ澄まされ過ぎていつでも俺のこと殺せるんじゃねぇの?
 まだこれで冗談の領域だろ。ギリギリ生かされてるような状況で、ショコラはまたしてもくっついてくる。期待に応えてやりたくなる程可愛いが、今は命が懸かっている。

「……こうして煽られるからな。こんなのお前も一度や二度じゃないだろ。よく食わないでいられるよな」
「触ったら逃げられる」
「ああそう、お前が紳士的なんじゃなくて、コイツが間一髪で自衛してんのか。……でも逃がしてんのはお前だな」

 雄なら当たり前だが、雌なんて本気で組み敷けば力で負けるわけがない。
 それをしないのはエストレアがわざわざ逃がしているからに他ならないってことだ。

「そうだな。だけど、本気で嫌がるまでは逃がさない」

 底冷えするような無表情が崩れて、何となく苦い顔をする。

「お前がどう遊んでるのか、そっちも恐ろしいけどな、本気で嫌がられるってなんだよ。『いっぱい好き』とか言われてるお前でそれって……」

 まだ続けようかと思ったが、次第に機嫌が悪くなるエストレアを見ていると口が勝手に止まった。
 あんまり怒らせるとやばい。

「そいつは龍族じゃなくてもよく分からないと思う。近付いて煽ってくる癖に、全力で逃げる」
「最悪だな」

 俺ら龍族はショコラが思うよりは動物に近い。八割ともなると薄っぺらい心しか持たない。
 人型の女は恐ろしいな。まだ最初から殴り飛ばしてくる龍族の雌の方がマシか。人型の男でもつらいだろ。

「お前も苦労してんだな。さすがに食っちまえばいいのに。いつか今みたいに掠め取られんぞ」
「別に、食べようとは思ってない。煽られたらその気になりそうなだけ」

 コイツ、ショコラが起きてたら泣かせるようなことサラッと言うよな。
 その気がないとか、ほとんど興味の対象から外れてんじゃねぇか。

「元々食いたくはないとか……俺も龍族だから見境は無い方だが、お前はかなり酷い奴だな」
「食いたくないとか言ってない。ただ、食べようとしてない」

 は? 今のでかなり理解が遠退いた。食いたいか興味ないか。その二択から逸れるキモチってやつを抱いてるってことか?

 考えている内に、エストレアはちゃっかり俺からショコラを奪って抱えていた。
 いつでも俺を殺せるように棘を持っていた魔力が、一瞬にして暖かく凪いでいく。
 まさか、触れる時まで調整してるのか? 龍族の習性の一つ、大事にしようとして殺しかけるのを実行しないように。

「そっか、律儀にショコラから受け入れられるの待ってんだな」
「そんな時は来ない」
「もうなんか考えるのがしんどいぞ。お前ややこしいな。人型みたいだ」
「予測して事実を言ってるだけだけど」

 まあそりゃ、手持ちの属性以外への魔力の上乗せまで勉強してるくらい頭が良いのは知ってるけどな。
 んな高度な魔法を平然と弱点属性で何度か成功してるのも知ってるけどな。
 悪巧み程度にしか働いてない俺の頭には、それの理解までの道程が遠いんだよ。

「……エストレア、お前、絶対食えない女の事、大事にしてんのか」

 動物的に、有り得ないことを聞いた。
 雄の本能を捨てるようなことだ。並大抵の覚悟で出来るとは思えない。俺だったら絶対無理。
 ただでさえ可愛いと思う女を自分のものに出来ないとか、僅かにしかない心でも悲鳴を上げる程苦しいはすだ。

「殺したくないとは思ってる。後は分からない」

 顔に掛かる髪を除けて耳に掛けてやる。その動作から到底感じたことのないものがあるのを感じ取った。それが何かは分からんが。

「付け入る隙無しか。分からないことよく出来るな」
「分からない事の中にしか答えはない」
「俺には難しいんだわ。お前の言ってること」

 昔、化石ジジイが言ってたか、『愛しい』って言葉の意味に近い気がしてるけど、教えてやらない。
 ショコラを抱えて満足したのか、一切の恐ろしさを拭い去って城に向かっていくエストレア。

 俺はとても良い事を思い付いた。さっさとリプカに教えてやんねぇとな。
 どうやってエストレアを陥れるか。分かったってな。
 それから、予測されている絶対を崩してやるために。


 2016/3/16
 第五章後半。ショコラの知らない話。


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