大好きだって言える





「最低十日。ここに縛り付けられて、監禁されるとしたら?」

 瞼を閉じたエスは何度も深呼吸を繰り返し、濃密で長い睫毛を震わせながら、出来る限りの冷静を装ってそれを口にする。
 感じたのは恐怖よりも、自分が選ばれない事への不満と、見たこともない知らない女の子達への嫉妬心だった。




「エス、まだ寝てる?」

 珍しく起きてくる気配の無いエスを迎えにきた。本当に珍しい事だ。いつもなら起こされるのは私の方で、エスは一番最初に起きているものだから。

 ベッドに腰掛けて覗き込む。けれど、顔まで布団を被っていてその表情は窺い知れない。
 いきなり捲るのもあれだと思い、寝癖の一つも付いていない水色の髪に触れた瞬間、その熱さに驚いて声を上げてしまった。

「っ、この熱、早く――」

 布団を捲った瞬間に言葉を失う。
 ほんのりと紅く色付いた目許を見れば睫毛が伏せられているものの、隙間から覗いている熱で潤んだ瞳が、あろうことか不思議な虹彩を放っていた。
 これは、発情期の瞳だ。しまったと思った時にはもう遅い、恐ろしい程の魅力に見とれてしまい、目を逸らすことが出来ない。
 女性で言うところの柳眉。そんな美しい眉をぎゅっと寄せて眉間に皺を刻んでいるのを見れば、いつもは微動だにしない真顔を崩さざるを得ない程苦しい状態にあるのは分かる。

 意を決して目を閉じて、掌に爪が食い込むまで握りしめて頭を振った。邪念を払って、エスの瞳を視界に入れないようにする。
 早く助けないと、早く熱を取らないと。そう思って対処用に魔法を混ぜていると、エスは私の手首を掴んで中断させて、ティエラを呼んでこい、と口にした。

「少しくらい頭使え。まず、自分の身を案じろよ。ここでお前が対処すれば、俺は雌のお前を逃がさない」

 吐息混じりで覇気が無い。それでも美声である事は変わりないけれど、エスのきつい言葉が威力をなくすなんて、かなり熱の侵食が進んでいるんじゃないだろうか。
 エスを助ける事だけを考えていた。その言葉の意味を辿れば、私が発情期の餌食になるという結論に行き着く。心臓が大きく跳ねた。

「それでも、今からティエラを呼びに行くより私が……」
「お前は何も分かってない。何も知らないから、簡単にそんな事が言える」
「じゃあ、今から知るよ。いいよ。獲物でも何でも」

 前向きな言葉をかければ、エスは見るからに苛立っている。
 いつもより言葉が辛辣で重いのは苦しいからだ。私が引き下がらない限りエスの苛立ちは増す。分かっているけど、でも、ティエラが熱を治したら、その後は……?

「最低十日。ここに縛り付けられて、監禁されるとしたら?」

 エスにしては言葉を選ばない物言いだった。
 心臓が嫌に音を立てる。さすがに、そうはっきりと告げられてかまととぶれる程私も無知じゃない。
 顔が熱くなってくる。何を、何から聞けばいいんだろう。

「えっと、最低十回、その、あの……」
「…………少ない」

 少ない!? 衝撃の一言だった。十回じゃ少ないって事は、一日一回に留まらないという事だ。ベルクの言う繋がれる気でというのはこの事だったのかもしれない。
 そんなに、それをするって事は、逃げたくもなるかもしれないって事で……多分、本来、一人で受け止めるようなものじゃないんだと悟った。
 だけど、エスの手が、唇が。他の、知らない女の子達に触れるの? ……私は、拒まれているのに。
 沸々と煮えてくるのは黒く醜い嫉妬心だった。

「ごめんなさい」

 氷龍族の熱を対処する魔法を纏って、エスの頭を抱え込んだ。
 火傷しそうな程に上がっていた熱を吸い取った時、一瞬で視界が変化を遂げていた。

「馬鹿だと思ってたけど、ここまで馬鹿だとは思わなかった」

 押さえ付けられた肩が痛い。何が起こったのか、一秒にも満たない時間で押し倒された私は、またまともにエスの瞳を見てしまった。
 見下ろしてくるオーロラのような虹彩が揺れる。なんて綺麗なんだろう。誰にも渡したくない。
 自分勝手な独占欲がエスを怒らせているのに、何の後悔もないから私は性格が悪いと思う。
 凶暴性の垣間見える瞳が真っ直ぐに見つめてくる。今感じているこの溢れ返りそうな優越感は、それに魅了されているからじゃない。

 まだ何処かのタイミングで私を逃がそうとしているエスに、こんな事を言うのは傲慢かもしれないけれど、いつもの調子じゃまだきっと押しが弱い。

「エスは、我慢するのが上手だね」

 虚を衝かれたような表情になるエスの頬に手を伸ばす。私にしては挑発的な言葉選びだった。
 今からの最低十日間が全く怖くないかと言われれば嘘になる。だけど、恐怖心に嫉妬心が勝ってしまったのだから仕方ない。私は強欲にもこの人を自分のものにしたいと思っているから。

「……別に上手くない」

 頬を撫でていた掌を取られて、指先に口付けられる。その仕草の艶やかさに息を飲んだ。

「今お前に言えるのは、もう嫌がって泣き叫んでも離さない。それだけ」

 真剣な眼差しに心臓が跳ねて、じきに甘い痛みに襲われる。暴れだす鼓動はその瞳の作用じゃない。オーロラじゃなくて、元の蒼色をしていても同じ反応だったはずだ。
 ちらりと牙が見える程度に口を開いたかと思えば、胸元のリボンをくわえてほどく。
 ブラウスのボタンを外すその速さと、ただそれだけの作業でも洗練された指の動きに驚いて、今更ながらに焦った言葉が口を突いて出る。

「あ、あの、私っ、胸あんまり大きくない……」
「は?」
「それと! くびれもくっきりじゃないから色気もない!」
「それは知ってる」

 聞き捨てならない。そりゃ、あれだけ何度も担がれて運ばれてたら、くびれの有無は分かってしまうのかもしれないけど……。私はエスの身体が細いのに引き締まってる事くらいしか知らないのに、ずるくないだろうか。
 それに、まだもう一つ重大な不安要素があった。

「私、何したらいいのか分からないし、エスの事、満足させてあげられるかどうか分から――っ」

 唐突に噛みつくようにして唇が塞がれて、割り入ってきた舌が戯れ程度に私の舌を浚い、すぐに引き抜かれて離れていく。
 ……キス、された。短かったけれど、一瞬で思考が飛んでしまった。
 遅れてやってきた羞恥に、みるみる顔に熱が溜まる。えっと、今から何するんだったかな。確か、キスなんかより、もっと、恥ずかしい事だったような。

「お前は何もしなくていい。ここにいて、俺の事だけ考えていたらそれでいい」

 耳障りの良い声が甘さを含んで鼓膜を揺らす。遅れて意味を理解した時、火が点けられたように身体が熱くなる。
 発情期だからなのに、習性なのに、独占欲を向けられているみたいで物凄く嬉しい。

「恥ずかしくて、逃げ出したくなったら……」
「すぐに捕まえる。捕らえた獲物を逃がすような真似しない」
「っ、お願いしたら、聞いてくれる?」
「場合による」

 布が取り去られる度に、剥き出しになる肌に触れるエスの温もりにいちいち反応する。息を詰める度に優しく撫でられて、何か問えば余計に恥ずかしくなるような言葉を返されて、頭から焼き尽くされてしまいそうになる。

「エス……っ、好き……」
「……今から『嫌い』になるかもな」

 首筋に牙が差し込まれて、激痛が次第に不思議な甘さに変わっていく。
 逃げ出さない、恥ずかしくない、嫌なんて言わない。それは嘘になるかもしれないけど、絶対『嫌い』にだけはならない。
 次に蒼い瞳のエスを見ても、大好きだって言える自信だけはある。


 2016/07/10
 30万打記念SS
 ショコラ視点。エストレア発情期。



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