離島戦記

 第1章 隔離された島

Zero「出発点」
*前しおり次#

「せいっ、だあああっ!!」
 槍が振り上げられ、ぴたりと止められた。汗を大量に流して、呼吸を整える少年の槍の先は動かない。
 灰色の髪の少年は小高い丘の上で肩を落とすと、そのまま力を抜いて後ろに倒れ込んだ。
 ふわふわとした雲が、穏やかに流れていく。
 タトス・ヴィン・ブローアンは、ほっと一息ついて口を笑みで結んだ。
「よおし……練習終わり!」
 今日も三百回振られた、鉄芯入りの長棒を肩に担いで立ち上がる。木が少ない丘でやるのは、槍の練習の邪魔となる木がない場所を選んだ結果だった。
 ただそこも、少し下れば不思議と木が元気に育成している。別段珍しくもない景色だとタトスが感じるのも、この世界に魔法の力が存在しているからだった。
 シアルドラント。精霊と、|魔法素《マナ》。そして神々が今もなお存在する世界が、このタトスが生まれ育った世界だ。今ではたった一つの島国と、その周辺の海を残して消失した世界は、小さな箱舟の中に人を乗せて生き長らえている。
 箱舟の周りは、海すらも消え失せた奈落の滝。ガイアフォールが取り囲むこのゲイル・ヴェレイジス国の本土、中央の島センディアムのミシフ村は穏やかで、タトスは眼下に広がる故郷を見下ろしてぐっと伸びをした。
 今日は猪狩りを言いつかっていない。街道方面へと目を向けても、王都方面の南も、北の細い街道にも、人の姿はない。これではいつも手伝っている宿屋も暇なはず。
 集会所で行う保存食の仕込みも人手が足りそうだ。そこらの野山に遊びに行ってもお咎めはないだろう。
 丘を駆け下りるべく荷物を纏めて、タトスはシャツの裾で顔の汗を拭くと、はっとした。
 草を踏む音がかすかにした。慎重な、多少重みのある音だ。
 もし猪やウサギなら今日は肉鍋だ。それは確定だ。だがもし違っていたら――
 盗賊だとしたら、まずい。
 辺りを見回すと、また草の音がした。背後の、背の高い草と木々が生い茂るほうからだ。村はこの丘を三方から囲んでいるから、根城にされたら大変だ。
 棒を軽く握り、いつでも出てきた相手を突けるよう構えた。じりじりと近づき、自らの影が木立と交わりそうになった時、人影を見つけて棒を振り上げる。
「だああああああ!!」
「きゃああああああ!」
「えっ!? うわ――いったあっ!!」
 ぎょっとしたタトスは慌てて棒を横に振った。
 そのまま手を木にぶつけていた。
 下草の上で尻餅を突いた少女が、手を前に突き出したまま呆然とタトスを見上げていた。
 丸っこい癖の黒髪と、丸っこいやや大きな焦げ茶の目。幼い顔立ちのおとなしそうな少女は、城の術師風の制服で腰を抜かしている。
 盗賊でも猪でもなかったようだ。万が一にも当てずに済んだとほっとしたいが、手の痛みに呻いた。タトスは痺れた手を振りながら少女に振り返る。
「し、城の人……? いったいどうしてこんな場所に……いったあ……」
「ご、ごめんなさい、怪しい者じゃないんです!!」
「いや見ればわかるよ!?」
 城の人間を怪しいなどと誰が言うだろうか。タトスの父親も城勤めで、母親は首都生まれなのに。
 タトスは頬を掻きながら、棒を地面に置いて少女に目を向けた。十六のタトスとそう歳は変わらないのではないだろうか。城勤めというにはまだ若い気がするけれど、術者特有の装束に目を丸くした。
「もしかして、君……あ、ごめん。名前聞いてもいい? 僕、タトスって言うんだ」
「は、はい。リヴィン・オリジェンです……先ほどはごめんなさい。ブローアン様から、タトスさんがこちらにいらっしゃると伺っていたものですから……後ろからなんて失礼なことになっちゃって、驚かせちゃいましたよね」
 ブローアン、様?
 固まるタトスは、丘の周囲を縁取る森の下方を見るように、焦げ茶色の目を細めた。
 練習とは違う汗が噴き出す。愛用のレザージャケットもなんだか色がくすんだ気がする。
「……もしかして、父さんと一緒に来たの?」
「え? はい。それが……?」
「母さんは一緒じゃない!? 今日か明日病院から帰ってくるって聞いてたんだけど!」
「ご一緒です。あの、どうかされたんですか?」
「嘘だあああっ、また父さんに修行つけられるううううううううっ!」
 頭を抱えるタトスにとって、最悪の知らせだ。初対面の少女の前だろうが、彼女が目を瞬こうが、頭の上に猪が三頭乗せられたような気の滅入りが重くて仕方ない。
 父を尊敬はする。城の兵士として宮廷魔術師の守護役まで昇り詰めた人だ。こんな田舎から出世街道を躍進し続けた父は、タトスにとって誇りなのだ。
 だが、あくまで父への尊敬はそこまでである。
 出稼ぎの親をもつのだから、帰ってくれば家族の幸せな一時が待っている……なんて、そんなわけは全くない。
 父が帰って来る度、タトスは同じ年頃の狩人が泡を吹く量の、三倍の稽古を笑顔で言い渡されるのだ。これが普通だと言われ、タトスは憧れの父の言うことを信じた。
 そうして稽古を一心不乱にこなしたものの、城に遊びに行った途端父の同僚から哀れみの目を向けられた。
「タトス……俺たち、その半分もやってないぞ」
「うそお!?」
 真実は残酷だった。父の言葉を八年信じて鍛え続けた、自分のバカさ加減に打ちひしがれた。
 それが三年前のことである。
 その後父が稽古を緩めてくれるわけもない。年を重ねるごとに父の指導が厳しくなっていく。
 ついには父と入れ替わるように、幼馴染みのもとに逃げ出す日も両手を越えていた。
 だが、首都で療養していた母も一緒なら、家にいなければ。長旅で疲れた体を鞭打たせるわけにはいかないのだ。
 もちろんそんなこと、このリヴィンという少女は知る由もないだろう。今だって状況を読めていない様子であわあわとしている。申し訳ないが、タトスもげっそりとした顔を向ける気力しかない。
 やがて少女は、思い出したように人差し指を立てている。
「あっ、あの! 今日修行はされないと思いますっ」
「え、本当!? やった、父さんの酷いんだ、ないならよかった!」
 途端に笑顔になるタトスに、リヴィンはきょとんと目を丸くする。やがておかしそうに笑っていた。
「タトスさんってまっすぐな方なんですね」
「え? ありがとう」
「ふふっ」
 タトスはぽかんとしたまま頬を掻き、槍代わりの棒を拾い直した。
 歳が近そうな子から、なんだか、母みたいな顔で笑われた。


「お帰り、父さん、母さん。城の遣いの人が来てるなんて聞いてなかったよ、僕」
 母が久しぶりに会えたからか、笑顔で抱き締めてくれて、タトスははにかむ。また痩せていて、なんだか心配に事欠かない。反対にさすが現役兵士らしい、四十過ぎても逞しい体つきの父に小さな文句を溢した。同じ灰色の髪をもつ父は、息子の小言も気にとめず、大様に頷いていた。
 相変わらず、サプライズが多い人だ。せめて一言言ってくれれば、タトスだって猪か熊を狩って出迎えられたのに。
「そりゃあそうだ。お前さんを迎えに来たんだからな」
「――え?」
 思考が止まった。抱き締めてくれていた母が部屋を見渡し、タトスの額を指で弾いた。
「また散らかしてっ。片づけだけはお願いねって言ったじゃない」
「え……あ、ごめん……じゃなくて!」
「まあそういうことだ。国直々の調査隊に配属されたんだ、頑張れよ。明日には発てるように準備しておけ」
「じゃなくて! 待って、待ってよ父さん! 話が急すぎてわかんないよ!?」
 だから。
 家の状況に落胆した母に目を配った父の、言い聞かせるような気配に、タトスは顔が引きつった。片づけを手伝うリヴィンと、手伝ってもらっている母の会話がほのぼのとしている。
 あの中に混ざりたかった。父を見ていると到底できそうにない願いだろう。
「|東の島《ジルフィスト》と|南の島《ノムルス》の間、ここから見て南東に謎の島が出現したんだ。その調査隊の護衛にお前を推薦した」
「だ、だから――それ僕じゃ危ないんじゃない? 僕はだって、|視《み》えないだろ!」
「お前はその代わり、戦士としての技量が高いほうだ。親バカじゃないぞ」
「父さんがそう言って僕何回も騙されたからね!? 稽古とか稽古とか稽古とか!」
「もう陛下に話は通してるんだ、男ならシャキッと諦めろ」
「この鬼!!」
「はっはっは、どんな手柄立てて帰ってくるかなー」
 拳を固めて震わせそうになるタトス。リヴィンが目を丸くして見てくるから、居心地が悪い。
 彼女は、霊的存在を認知できる人だ。でなければ魔法を操ることなどできないのだから。
「タトスさん、視えないんですか……? ブローアン様は視えていらっしゃると伺ったのですが」
「ああ、俺はまあまあだな。魔法を操る力はないがね。珍しいんだろう? 魔法を操る力がなくても、霊を視ることができる人ばかりだからな」
「……僕だって、その……視えるときは視えるよ。けど……」
「たまに視えなくなる。むしろ、視えない時のほうが多いだけだな」
 だけという響きが、嫌味に聞こえた。
 自ら生成する魔法の力、魔力もない。世界に漂う魔法の力の素、|魔法素《マナ》も感じられないし、扱えない。魔法が使われたとしても、火や水のように実体化していなければ視ることすらも叶わない。
 そんな人間は、このミシフでタトスだけなのだ。
 外の世界ではそういう人のほうが多いらしいも、この村は多くの人が戦士や狩人として育ち、第六勘に恵まれてもいる。たまにしか霊的存在も、魔法が現実に具現化した力も見ることができないタトスは、いい笑い者だった。
 未だ不服を顔に描き続けると、タトスの父ヴィネクトは溜息をついたではないか。
「タトス」
 また、似合わない父親然とした面構えでお小言だ。
「いいか、ものは経験だ。視えない、感じづらいお前だからわかる違いもあるんじゃないか? もしかしたらこの旅でいろんな精霊の力に触れて、魔力感知だってできるようになるかもしれんぞ」
 口の端が揺れていながらよく言う。
 冷めた目で、タトスはヴィネクトの姿勢をちらりと眺めた。
 剣を扱う結果左に傾いていたはずの腰でも、槍の構えに慣れた前傾姿勢でもない。
 剣を鞘ごと、早々にテーブルに置いてさえいる。帰ってきたばかりだろう父が、鎧をさっさと脱ぐなんておかしい。
 兵士は常に臨戦を心得ろ。それが父の口癖なのだから、どれだけ頭の出来が悪い息子でももう気づける。
「父さん、腰痛悪化させたから帰ってきたんでしょ。僕が代わりに行くのもそのせいじゃ……」
「何言ってるんだ、それで療養を言い訳にお母さんといちゃこらしたいだなんて、父親をそんな目で疑うんじゃない!」
「もう父さんなんて大っ嫌い!!」
 母の涙をこぼしてまで笑う声が、村中に久しぶりに響き渡ったという。


 朝陽が、いつも練習で駆け上がっていた丘を照らし始めた。
 街道へと延びる村の入口は丘の西側に面していた。毎日登っていた丘を振り返って、タトスはやや肩を落とす。
 けれど足が歩みを決めた時には、その肩も持ち直していた。
 背中にバックパック、手には長槍。部分鎧は使い古しで、新調されたのは繋ぎのベルトや緩衝剤代わりの革ぐらい。隣を見やれば召喚術を得意とするリヴィンの姿で、苦笑いを溢すことは、彼女のおかげで我慢できた。
「これからよろしくね、リヴィン」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 はにかんだ笑顔のかわいらしさに、タトスの若干残っていた緊張が砕けた。それも、昨日の父からの言葉を思い出して笑顔が強張る。

 お前、実はあのリヴィンって子、気に入ってるだろ

 ……なんだろう。変な意味じゃないのに、|邪《よこしま》な扱いを受けている気がする。
「僕、やっぱり騙されやすいのかな」
「そ、そんなことないです、絶対、きっと! ……た、多分!」
「フォ、フォローありがとう……」
 必死に言葉を探されて、むしろ心が折れそうになったタトスである。
 南にあるゲイル国首都、グラッディアまでは、あと四日ほどだろう。


ルビ対応・加筆修正 2020/04/11


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