08:君との距離に名前が欲しい






 ユニフォームから制服に着替え、天馬は神童とサッカー棟を出てすぐのところで向かい合っていた。
 夕空が迫っていて、西日に照らされた二人の影が長く伸びる。

「キャプテン、話ってなんですか?」

 少し離れたところで、信助と葵、それに狩屋と輝が様子を窺っていた。視線を感じながら天馬が尋ねると、神童は言いづらそうに目を逸らしてから、まっすぐに天馬を見た。

「……今日、見学予定だった舞風が途中で帰ったらしいな」
「あ、はい。体調が良くなかったみたいで……」

 天馬が答えると、神童に「練習に来る前に会ったよ」と返された。パチリと瞬きをして、天馬が言葉を紡ぐよりも先に神童が口を開いた。

「宝城先生に聞いたんだが」

 宝城というのは雷門中の養護教諭だ。天馬はまだ身体測定でしか関ったことがない。話が見えてこなくて、天馬は不安げに眉を寄せて首を傾げる。神童はなにが言いたいのだろう。
 夕陽に染められながら、天馬は固唾を飲んで神童の言葉を待った。

「舞風は――」


◇◇◇


 パタパタと駆け寄ってくる足音が幾重にも重なって近づいて来る。

「天馬ー」
「キャプテンなんだって?」

 信助と葵が尋ねるが、天馬はジッと足元を見つめたまま動かない。後から追いついた狩屋と輝もその様子を見て首を傾げる。

「天馬?」

 名前を呼んで、信助が天馬の顔を覗き込む。俯いた顔には影がかかり、青い目には動揺が滲んで見える。その様子を見て、信助も眉を下げた。「どうかしたの?」と問うと、天馬がギュッと拳を握るのがわかった。信助たちの戸惑う視線と、心配してくれる言葉に、天馬は何かを返さなくてはと思うのに、口を開けば堪えている何かが決壊してしまいそうだった。先ほど神童に言われた言葉がリフレインする。
 
『舞風は、対人的なストレスに弱いらしい』
『一概には言えないが』
『サッカー部への勧誘が、彼女にとって負担になっているかもしれない』

 思い出してしまうと、視界の端が滲んだ。
 天馬は記憶の中の空を思い出して、思い出すたび、そこに笑顔がないことを思い知る。自分ばかりが、彼女との距離を測り損ねていたのだと思うと、どうしようもない虚無感が襲ってきた。
 帰り道、ポツポツと神童にされた話を信助たちに伝えた。
信助も葵も、狩屋も輝も黙って天馬の話を聞いて、途中で驚いたり、悲しそうに表情を変えたりしたけれど、天馬の弱々しい声に、ただ黙って聞いていた。

「俺……俺、間違ってたのかな」

 橋の上で足を止める。川のせせらぎがいつもより遠く、けれど荒々しく聞こえた。自分の影の上に言葉を落とす。自分の形を黒く塗り潰した影が、お前は間違っていると返してきそうで怖かった。

「俺……舞風さんとサッカーがしたくて、部活に誘ったりしたけど……間違ってたのかな」

 みんなが天馬を心配そうに見ていた。天馬は神童からの話を聞いて、みんなに話すなかで、改めて自分の気持ちを整理する。整っていく気持ちの中で、一際強く思うものがある。それを言葉にしていいのか、そんな風に思うことすら許されるのか迷った。

「っ……あのっ」

 声を上げたのは輝だった。輝は鞄の肩紐をギュッと握りしめて、意を決したように顔を上げる。唇を噛んで、視線を彷徨わせて、それからどうにか言葉を手繰り寄せるように、短い単語を連ねていく。

「あの、僕、見てて、ずっと……」

 輝が途切れ途切れに紡ぐ言葉に、狩屋が眉を顰める。「どうしたんだよ?」と問うと、輝は顔を上げた。

「僕……入部する前、いつも離れたところからサッカー部の練習を見てて」

 そんな告白に、信助と葵が顔を見合わせる。夕陽が沈んでいく。空が橙色に輝いていた。天馬も眉を下げたまま、輝の言葉を聞く。

「毎日朝練だとか、放課後の練習だとか、遠くからバレないように見てて、あるとき気付いたんです。自分と同じように、遠くからサッカー部を見てる人のこと」
「それって……」

 信助が反応した。天馬もハッとして瞳を揺らす。輝は一度目を伏せて、また顔を上げた。丸い瞳に夕陽が差し込んで、色を変える。
 天馬も心当たりがあった。遠くから自分たちを見ている人物を、たった一人知っていた。

「舞風さんは遠くからみんなのことを見てました。一度だけ近くでその様子を見たことがあって、僕、そのとき――」

 そこで区切って、輝は少し困ったように眉を寄せた。当て嵌まる言葉が見つからないのか、首を捻り、どうにか見合う言葉を探す。そうして出てきた言葉に、天馬はどうしてか駆け出したくなった。

「――寂しそうだなって思ったんです」

 駆け出して、彼女に会いに行きたくなった。どこにいるかもわからないのに、なんて言えばいいのかもわからないのに、胸の中を全部ひっくり返して、それを全部伝えたくなった。

「僕が勝手にそう思ったから、本当はどうなのかわかりませんけど……」

 輝が思い返すのはあの日の理科室だ。迷う自分の背中を押してくれた空の言葉を思い出す。遠くから自分と同じようにサッカー部を眺める空を見ていたから、もしかしたら自分と同じように何かに悩んで迷っているのかもしれないと思った。
 自分にそれを払うだけの力も、説得力もないとわかる。ただ、今こうやって天馬たちと彼女のことを考えて悩むことが、巡り巡ってほんの少し、彼女の背中を押せないかと思った。あの日の自分がそうしてもらったように。

「俺……」

 輝の言葉を受けて、天馬が口を開いた。まだ表情に迷いがあったが、先ほどよりも声に芯があった。
 天馬は思い出す。空色の髪の隣人を。
 話しかけると、ちょっとめんどくさそうにするけど絶対に無視はしない。
 一方的に話していても相槌を打ってくれるし、たまに視線を送ってくれる。
 それだけで嬉しかった。確かに少しずつ距離が詰まっていると思っていた。けど自分は彼女のことをなにも知らないんだと気付いてしまった。
 気付いて、改めて強く思う。

「もっと知りたかったんだ。舞風さんのこと。もっと知って、仲良くなって、笑ったところが見たいなって思うようになったんだよ」

 強く思う。口にするのを躊躇った願望よりも欲に近いそれを言葉にする。
 自分は彼女のあの色のない表情が綻ぶところが見たいのだと気付いてしまった。

「サッカーもしたいよ。あんなプレー見たら、一緒にやってみたい……!最初はそれだけだったけど、今はそれ以上に……!」

 それ以上に、なんだろう。そこまで来て言葉に詰まる。何かを探すように視線をさまよわせる。答えは思わぬところから出てきた。

「友達になりたいのね、天馬」

 パッと、顔を上げる。葵が笑っていた。青い髪が揺れていた。葵はいつもの明るい笑顔で言葉を紡ぐ。

「舞風さんと、友達になりたいのよね」

 そうだと、心の深いところで強く思った。
 例えば、同じ教室で、いつもと同じように挨拶をして、その後に少しでも彼女の話を聞けたら。
 例えば彼女と目を合わせて会話が出来たら。
 そんなもしもが溜まっていく。
 そうだ、自分はまだただの隣人でしかないから、胸を張って友人だと言えるような関係になりたいんだ。
 未だ何も言えない天馬に、葵は笑顔を見せた。

「私も!舞風さんと友達になりたいの!」

 制服のスカートがはためいて、今まで何度も見てきたはずの葵の笑顔が、このときの天馬の目には風に揺れる花のように映った。

「うん……!」

 気付けば葵の言葉に強く頷いていて、胸の奥の支えが取れたように、酸素が体内を巡るのを感じる。
 そうだ自分は、彼女の友達になりたかった。口にしていいいのかすら迷った願望を、今肯定する。
 少し低い位置から「僕も!」と言ったのは信助だった。手を挙げながらぴょこぴょことジャンプする。

「僕も舞風さんと仲良くなって!友達になりたい!」
「ええ〜……なに、信助くんまで」
「僕もです!」
「ええ〜〜……」

 信助に輝が続く。狩屋はめんどくさそうに眉を寄せてへの字に口を曲げた。「俺はどっちでもいいんだけど……」と呟いてから肩を落としながらため息をついた。
 みんなが笑っている姿を見て、ああ、随分と呼吸がしづらかったんだなと気づいた。こういうとき、自分は一人じゃないんだなと思うし、こういうとき、みんながいてくれてよかったとも心から思う。
 遠くの宵空に星が二つ、瞬いているのが見えた。それを見上げて、天馬は空を想った。


◇◇◇


「おはようっ!」

 翌朝、朝練が終わって天馬が教室に走ると、空はいつものように本を読んで座っていた。天馬の隣の席で。その姿を見て、天馬は心から安堵したし、安堵したことでなにかが緩んだのか、なんだかもう溢れ出す感情が止まらなかった。教室の入り口で深呼吸を繰り返し、呼吸を整えてから空の席の前に立つ。そうしていつも通りに朝の挨拶をした。
 空はパチリと瞬きをして、驚いたのかいつもより開かれた目で天馬を見た。それから「……おはよう」と反応に困ったような挨拶を返された。天馬はそれに笑顔で頷いて自分の席に鞄を置く。

「昨日はすまなかった。途中で帰ってしまって」
「ううん!むしろ俺の方こそごめん。具合が悪かったんだよね?」

 空の謝罪に、天馬が間髪入れずに答える。空は少し申し訳なさそうに眉を下げた。珍しく困ったように視線をさまよわせた後に、目を伏せる。

「埋め合わせはする。今日の練習に見学に行けばいいか?」
「えっ!っと……!」

 空からの申し出に天馬はそわりとした。嬉しいのは間違いない。間違いないけど、もしも見学に来ることや、自分が今後サッカー部への勧誘を続けることが彼女への負担になるかもしれないと思うと肯けなかった。
 一度口を閉じて、視線をさまよわせる天馬に空が首を傾げる。じわりと握り込んだ手の内が湿って、天馬は空をもう一度見た。

「今週末、試合があるんだ。白恋中ってとことなんだけど」
「ああ……空野から聞いている」

 空の声は平坦で、それがどうしたと訴えてくる。天馬は握っていた手を開いたり閉じたりして、意を決して言葉を放つ。

「もし、良かったら観に来て欲しいんだ!」

 自然と強くなった声に、空は僅かに目を丸める。天馬は「えっと」と絶えず言葉を繋ぐ。間を生んでしまうと底に秘めたものか揺らいでしまいそうだった。

「無理なら仕方ないんだけど!練習も見に来て欲しいんだけど!でもあの、どうせなら次の試合、舞風さんにも観て欲しいんだ。応援して欲しいとは言わないから!」

 昨日、天馬は木枯らし荘の自室で考えて、考えて考えて考えた。空と友達になるにはどうしたらいいか。
 まず自分は彼女のことを知らなさすぎる。これは大きなウィークポイントである。けれど何を知りたいのかと聞かれたらこれ!と言えるものがない。だって知りたいことが多すぎるのだ。そして何から聞くのが妥当かもわからない。だからまず、自分を知ってもらおうと思った。一方的に自分ではなく、空自身から見て、感じた自分を増やして欲しいと思った。
 迫る全国大会第二試合はちょうどいい機会だ。試合で自分のプレーを見て、自分を知って欲しい。そこから空との繋がりが生まれたら、と想像する。
 空は呆気に取られたような、話の流れが読めないような、ポカンとした表情を浮かべて天馬を見ていた。見たことのない表情だと、心の内が落ち着かない。

「……まあ、都合が合えば……それで埋め合わせになるなら……?」
「ほんとに!?」
「都合があえば、だ。あまり期待されても困る」
「うん!うん!期待しない!」
「ほんとか……?」

 疑うように眉を潜めた空に、天馬は笑顔で頷いてみせる。鼻歌でも歌い出したくなる気分で、空の隣の自分の席に着いた。一限目の準備をしながら、気付けば校歌を口ずさんでいた。

「そうだ、松風」
「ん?」

 空が思い出したように天馬の方へ顔を向けた。天馬も空の方を向く。彼女はすでにいつもの淡々とした空気を纏っている。

「教えて欲しいことがあった」
「えっ!何々?」

 珍しい、と声が弾む。空に尋ねられることなど初めてで、天馬が身を乗り出すと、空は少し下がった。

「君のところのキャプテンのクラスを教えて欲しい」
「……神童キャプテン?」

 ぱちりぱちりと瞬きをして、首を傾げる。空の口から出たのは予想外の名前で、思わず黙ってしまう。「知らないならいい」と空が言い出すので慌てて神童のクラスを口にした。

「わかった、ありがとう」

 ありがとう、という言葉を彼女の口から聞くのも初めてで、嬉しさと戸惑いが入り混じる。神童キャプテンがどうかしたの?と続けようとしたところでチャイムが鳴った。



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