09:曖昧な約束







 昼休みの教室は一際賑やかだ。教室を出て昼食を取る人もいるのに、机が全て埋まるはずの授業前後とは明らかに空気が変わる。全体の彩度が上がり、教室に満ちる声は軽やかに弾む。

「疲れた〜!今日の小テスト俺ダメだ〜」
「浜野くんいつもダメじゃないですか」

 机の上に両腕を放り出し、伏せる浜野に速水が向かいから呆れたように言葉をかけた。ガタガタと椅子を近付けて、二人の机を囲むように倉間が座る。

「試合があるんだから補習になんて引っかかるなよ」
「うえ〜、わかってるけどさあ〜。ちゅーか倉間は?大丈夫なわけ?」
「……まあ、補習にはならねえよ」

 スイ、と髪に隠れていない方の片目を泳がして答える。安心できるほどの自信はないが、なんとかできる範囲だと表情で読み取った浜野は一度上げた顔をまたパタリと机に落とした。

「いざとなったら神童に助けを求めよう……」
「そう言えば神童くんたち遅いですね。今日は一緒にお昼食べるって言ってたのに」

 速水が項垂れる浜野のつむじを探しながら言うと、上から涼やかな声が降ってきた。

「神童なら遅れてくるぞ」
「霧野」

 バリ、と音を立てて焼きそばパンの袋を開けながら倉間が呼ぶ。霧野は「よ」と片手を上げて笑った。空いている椅子を適当に近くから借りて、倉間の横に居場所を落ち着ける。

「あ〜、霧野〜、俺もうダメだ〜」
「なんだ、また小テストダメだったのか」
「またって言うなよ〜」

 のそりと上体を起こした浜野はため息をつきながら昼ごはんを用意する。その落ち込みように霧野は苦笑いをして、自身の弁当を広げ出した。

「神童どうしたって?」
「ああ、ちょっと呼び出されてる」

 霧野が言うと、倉間と速水はまたいつもの告白タイムかと半ば呆れたような顔を見せた。倉間は黙ってパックの牛乳を吸い上げて速水はメガネを押し上げる。

「これだからモテる男は参っちゃうね〜、あ!速水!その唐揚げ一個ちょうだい!」
「嫌ですよ。なんでいつも俺のおかず狙ってくるんですか?」

 唐揚げの攻防戦をよそに、霧野は弁当のミートボールをつつく。苦笑いを含みながら「そういうんじゃないと思うぞ」と言った。

「なんで?」
「呼び出したの舞風なんだよ」

 霧野が口にした言葉に、三人はそれぞれきょとんと動きを止めた。霧野は三人に見つめられながら、弁当を食べ進める。教室の騒がしさが一瞬遠くなった。

「舞風さん、ってあの?」
「天馬がサッカー部に誘ってる女子でしょ確か」

 浜野は横目で速水の動きが止まっていることを確認すると「隙あり!」と素早く唐揚げを奪った。速水が叫ぶときには、唐揚げは浜野の口の中に放られていた。

「なんだ、ついに天馬たちの迷惑行為に苦情が出たか?」
「う〜ん、そういう感じでもなさそうだったけどなあ……」

 倉間が口角を上げながら言えば、霧野は首を傾げて、宙に目をやる。そういう感じではなかったとは言うものの、舞風空がどんな人間なのかもわかっていないのではっきりと大丈夫とは言いづらい。霧野が思案しているうちに、浜野が「ちゅーかさー」と言葉を放った。

「ほんとに入部すると思う?あの子」

 ポン、と放り投げられた言葉に、霧野はその大きな目をパチリと瞬かせる。動きに合わせて長い睫毛が揺れた。最初に回答をしたのは倉間だった。鼻で吐き捨てるように笑い、牛乳を吸い上げるストローから口を離す。

「無理だろ。天馬たちがなんであいつに拘ってんのか知らねーけど。つーか俺は嫌だね」
「う〜ん、本人はあんまり乗り気じゃないらしいですし……難しいんじゃないですか?」

 速水も眉を下げて続いた。二人の意見には霧野も概ね同意だ。事実として舞風は勧誘を拒んでいるようだったし、嫌がる相手を唆して入部させるのも違うと思う。もちろん、天馬たちがそんなことをするとは思っていないが。
 そんな風に考えている霧野たちの虚を衝いたのはやはり浜野だった。

「でもさあ、天馬が諦めるかね?」

 その一言は三人の死角から飛び出してきたキラーパスで、呆気にもとれる表情で、三人は浜野を見た。霧野の箸の隙間からポトリと、卵焼きが弁当箱の中に戻っていく。
 霧野には天馬が諦める姿の想像がつかない。それがサッカーに関することなら尚更。諦めたりしない彼だからこそ、今自分たちは信じる道を進めているのだから、確かに浜野の言う通りだった。
 そう考えると舞風空は厄介な人物の相手をしているんだなと、霧野は少し同情した。


◇◇◇


 窓枠いっぱいの空は、瑞々しく鮮やかな青をしていて、こぼれ落ちてきそうだった。白い雲は薄青の影をつけて、緩やかに風に流れている。そんな窓いっぱいの青を背に、舞風空は小さく頭を下げて言った。

「お昼休み中にすみません」

 窓に映る青よりも多めに水を含んだような、透けるような髪色の毛先が揺れるのを見て、神童はぎこちなく笑みを浮かべる。

「ああ、いや、気にしないでくれ」

 神童がなるべく柔らかく言うと、空は何かを探るような目で一瞥したあとで「ありがとうございます」と返した。
 昼休みが始まってすぐに、空は神童を訪ねて二年の教室にまでやってきた。呼ばれてるよ、とクラスメイトに声をかけられたときはまさか空だと思わずにうっかり思考を停止してしまうほどだった。

「昨日はありがとうございました」
 廊下で向かい合った空は、表情を変えぬままそう言った。
「宝城先生から聞きました、昨日、先輩が助けてくださったと」
「え、あ、いや、助けたなんて大袈裟なことじゃない」

 空は目を伏せ、お礼を重ねるでも、神童の言葉を否定するでもなく、黙って言葉を受け止めた。空からすれば助けられたこと自体が不本意だったのかもしれないと、昨日のやりとりを思い出した。

「体調はもう大丈夫なのか?」
「おかげさまで」

 向かい合って話をしているのにあまり目が合わないなと、目の前の空を見ながら思う。年上と話すことに緊張したり、会話が苦手なタイプには見えない。自分に自信がないと人と目を合わせづらいというのを以前に聞いたことがあったけど、そんな風にも見えない。勝手なイメージだけでそう決めるのは良くない気もしたが、そうでなければ例のストレスに関わることなのだろうかと結びつけてしまえる。そしてふと心配になった。

「舞風、えっと……うちの一年が……えーと、その」
「松風たちのことですか?」
「ああ。その、舞風に声をかけてると思うけど……迷惑じゃないか?」

 言葉を選びつつ尋ねれば、空はわずかに表情を変えた。伏せていた目を丸く開いて神童を見上げている。碧い瞳は深い底で光を反射させているようだった。
 ジッと見上げてくる瞳に耐えきれず、神童はそっと視線を外した。そして間を繋ぐように言葉を続ける。

「その……負担になってたりとか……」
「……宝城先生に何か聞きました?」

 眉間に薄くしわを作りながら空が言う。神童は言葉に詰まった。その反応を肯定と捉えたのか、ため息をつきながら目を伏せる。長い睫毛がよく見えた。

「宝城先生は親の関係で古い知り合いなんです。なにを言われたのか……いえ、大方私の体質のことだとは思いますが」
「うっ……いやあの、すまない……」

 言い逃れをするのも不誠実だと思い素直に謝れば、空は鼻から息を吐いた。仕方ないな、と言うような、あるいは呆れたような吐息だった。

「いえ、先輩が悪いわけではないので」

 表情からも声色からも感情が読みづらい相手だなと思った。怒ってはいないと思う。けれど空の事情を天馬にも伝えてしまったということを白状するべきか悩んで、視線を泳がせた。

「松風たちに話されたことも不問にします」

 バレてる!と固まる神童に、空は「松風たちの様子がおかしかったのでカマをかけただけです」と続けるので、神童はぐうの音も出せずに何度目かの謝罪を口にした。恐らく天馬から一年に話が広がったのだろう。信助や空野も積極的に空を勧誘しているらしかったので、話が広がるのはわかっていたが。

「先輩に助けていただいたことは変わらないので」

 空にそう言われて、神童は視線を空へ戻した。碧い瞳と視線がかち合う。

「松風たちが原因で私の体調が優れないかもしれないという心配なら無用です。あれは私の問題であって彼らに関係はないので」

 続く言葉に変わらず熱はない。けれどこちらを気遣うような細やかさがある。

「鬱陶し……少々対応に困ってますが負担にはなってないません。お気になさらず」

 前半の言葉に含まれた意味を考えるよりも、それを踏まえて気にしなくていいという予想しなかった答えに、神童は意外だと目を丸めた。てっきり、もっと不満であったり不快を訴えられると思っていた。
 他人から受けるストレスというのは、きっと大小様々に、誰にだってあることだと思う。彼女はその容量が少し繊細なのか、かかる負荷が少し大きいのかもしれない。自分の心持ちだけで簡単に変えられるような部分じゃない。今までだってきっと彼女なりに向き合ってきた。それでも周りではなく自分の問題だと言ってしまうのはまぎれもない強さだ。

「そう言って貰えると助かるよ。また見学に来てくれるのか?」
「ああ……いえ、今度の試合の観戦に誘われています」
「白恋中との?」

 予想外の答えに、神童は琥珀色の目を瞬かせた。天馬が見学ではなく、試合に誘った意図はわからないが、神童の中でむずりと好奇心が芽生える。
 もし彼女が観に来てくれたら。この碧い瞳に俺たちはどう写るのだろうか。
 そんなどうしようもない興味の芽が出て、根を張っていく。気がついたら言葉がこぼれ出ていた。

「俺も来て欲しいな」

 ポツリ、不意に落ちた言葉に、誰よりも自分が驚いた。しまった、と思ったときにはもう言葉は音となって紡がれたあとで、取り返しようがない。舞風も不思議そうに神童を見ている。視線が居た堪れなくて、左右に目を泳がせた。

「はあ……まあ、都合が合えば……?」
「あ、ああ、是非」

 声色からとれる戸惑いに、神童も戸惑ったまま返す。
 自分で口走った言葉の意味を考えて、本当になんであんなことを言ったのだろうと思う。流れで、つい、うっかり。どれも当て嵌まるようで、どれも当て嵌まらないような気がした。

「じゃあ、私はこれで。お昼休みに失礼しました」
「ああ、うん。気にしないでくれ」

 空は会釈すると、さっさと背を向けて歩き出した。そこに名残惜しさだとか、後ろ髪引かれるような気持ちはないのだろう。ただ神童は、空が角を曲がって見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていた。


◇◇◇


「お、神童来た」

 隣のクラスに行くと、浜野がひらりと片手を挙げて笑みを見せた。神童も微笑み返して、霧野の隣に椅子を持ってくる。

「悪い、待たせたか?」
「先に食べてたから大丈夫だよ」

 霧野の言葉に、それならよかったと座りながら弁当の包みを開ける。

「舞風に呼び出されたんだって?」

 席について早々に、倉間が神童を見ながら訪ねた。神童は努めて平静を保ちながら「ああ」と答えた。途端に四方から視線を向けられて、神童は身体を固くした。

「なんか言われた?」
「嫌味か苦情か?」
「なんでその二択なんだ?……いや、次の試合に誘った」

 弁当箱のふたを開けながら答えると、「はあ?」と倉間が素っ頓狂な声を上げた。見開かれた片目が、何を言っているんだと訴えている。他の三人も驚き動きを止めて、神童を見た。

「なんでそんなことになってんだよ?」

 半ば呆れたような目で倉間が問う。その質問には神童も困ってしまった。神童自身、なぜ空を試合に誘ったのかはっきりとした理由がわかっていないのだ。

「いや、なんか流れで……」
「どんな流れだよ」

 神童が首を傾げながら答えると、倉間は眉間にしわを寄せて不可解そうに顔を顰める。霧野が苦く笑いながら「まあまあ」と場をおさめて、エメラルドグリーンの目を神童へ向けた。

「来てくれるといいな」

 笑ってそう言う親友に、神童は救われるような気持ちになって眉を下げて口元を緩める。そうして「ああ」と頷いた。


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