10:それもある種の運命だとして






 ホーリーロード全国大会二戦目、雷門中対白恋中、試合当日。サッカー部専用のキャラバンで移動する天馬たちは落ち着かない様子で席についていた。

「ギリギリ完成したわね、必殺タクティクス!」

 天馬の後ろの席から顔を出して、葵が声をかける。出発時間ギリギリまで雷門中のグラウンドで練習と調整を重ね、葵の言う通り本当にギリギリで、対白恋中の必殺タクティクスが形となったのだ。

「うん!これで絶対障壁なんか怖くない!」

 天馬は葵の言葉に力強く頷き、拳を握る。今日の試合に勝つための鍵を手に入れたことに、天馬の瞳に自信が宿る。隣に座る信助も笑顔で頷いた。

「はじめての試合……ドキドキします!」

 逆隣、バスの折り畳み式の予備席に座る輝は胸に手を当て、まだ見ぬスタジアムとこれから始まる試合に思いを巡らせ、緊張と興奮に目を輝かせた。
 輝を見て、天馬も初めて公式戦に出場したときのことを思い出す。あの時はまだ先輩たちとも上手くいかなくて、不安ばかりだったけど……
 天馬は車内を見渡す。今はここにいる全員が同じ気持ちで同じ場所に向かっている。それが嬉しくて、天馬は握る拳の力を強めた。

「あ、そうだ。名前つけなくていいのかな?必殺タクティクスの」
「確かに」

 不意に信助に問われて天馬も確かにと目を瞬かせた。せっかく完成したタクティクスの名前がないのは寂しい気がする。

「狩屋!なんかないの?」

 天馬は身を乗り出して、斜め前に座る狩屋に声をかけた。狩屋が小さく「ゲ」と漏らす。

「また俺かよ!」
「うん」

 背もたれ越しに振り返る狩屋は眉を寄せてあからさまに嫌そうな顔をしたが、律儀に「う〜ん」と言って頭を悩ませている。なんだかんだ面倒見がいいのだ。
 狩屋はフッと視線を上に上げて、「ドリブルで駆け上がるわけだから……」と辿るように言葉を繋いでいく。そしてひとつの答えが出たようで、天馬も耳を澄ませた。

「ら、ランランランニング……とか?」

 狩屋の言葉の直後、車内が静まり返る。どこからかパッパーという間の抜けたクラクションの音が聞こえてきた。

「「だっさあ〜〜!」」

 いくつかの声がピタリと重なり、車内に響いた。ついで笑い声がそこかしこで聞こえ出す。天馬も腹を抱えて涙を浮かべながら笑う。それはもう呼吸が上手くできないほどに。

「ないない!それはない!」
「素晴らしくダサいですね!」

 葵と輝が天馬と同じく腹を抱えて、信助は身体が小さいのをいいことに座席で笑い転げている。水鳥や茜、聞こえていた浜野たちも堪えきれずに笑っていた。当の狩屋は頬を赤らめ、拗ねたように顔を顰める。

「じゃあ他にどんなのがいいんだよっ」

 狩屋の言葉に、天馬は確かにと、笑いを止めた。取り敢えず狩屋のランランランニングは却下するとして、他の名前かと思案する。輝も難しい顔をして、ピッと立てた人差し指を額に当てた。

「両サイドから駆け上がる疾風…!ダブルウイングとかどうですか!?」

 人差し指を額から離し、パッと明るい声で言う。ダブルウイング、と天馬も小さく繰り返した。不意に、自分たちがフィールドを駆け上がる姿が浮かんで見えた。

「それいい!」
「うん!絶対それ!」

 葵と信助も大きく頷いて、輝は照れ臭そうに笑い、狩屋は窓の外へと顔を背けた。
 天馬はもう一度、ダブルウイングという言葉を口に馴染ませるように唱えた。強そうで、かっこいいなと月並みの感想しか出なかったけれど、輝がこの言葉を言ったときに、駆け上がる自分たちの姿が見えた気がした。
 車窓から見える空は狭くて、でも澄んだ青をしていた。いい天気だな、試合日和だ。と気持ちが明るくなるような青だった。ふと、試合に誘った空のことを思い出す。来てくれるかな、どうかな、来てくれたらいいなあ。もし来てくれたら、俺凄い頑張れる気がするんだよな。いや、舞風さんがいなくても頑張るんだけど、それは当たり前なんだけど。
 もし、来てくれたら、舞風さんの目に俺たちはどう映るんだろうな。
 そんなことを思う天馬を乗せたキャラバンは、ホーリーライナーの発着点、ロシアンルーレットスタジアムまで着実に彼らを運んでいく。


◇◇◇


 ホーリロード全国大会予選の試合会場は、大きな一つの施設の中に、円環を成すように全部で五つある。
 ロシアンルーレットスタジアム。会場となるフィールドには、それぞれ特殊な仕掛けが施されており、選手たちを翻弄し、観客を盛り上げる。特殊な仕掛けが発動することでチームの戦術を大きく変える。
 雷門中が一回戦で月山国光と戦った会場はサイクロンスタジアム。仕掛けが起動すると突如フィールドにいくつもの竜巻が発生するという厄介な仕掛けだった。フィールドの仕掛けは当日試合が始まるまでわからない。少なくとも雷門中は。

「今日のスタジアムにもなにか仕掛けがあるのよね」

 不意に葵が眉を顰めて言った言葉に、天馬も静かに頷く。

「白恋中はやっぱり知ってるのかな仕掛けのこと」
「フィフスセクターの配下にあるならその可能性が高い」

 信助、剣城がそう話し、天馬は吹雪の方を見た。天馬よりも大きな背中は、どこか張り詰めているようで、普段の穏やかな笑みを今日はまだ見ていない。
 吹雪士郎は、白恋中サッカー部の監督だった。
 過去形なのはフィフスセクター策略により監督を解任させられたからだ。十年前のFFIで日本代表選手にも選出されており、円堂や鬼道と共に世界の舞台で戦った一流選手。彼は母校である白恋中で選手たちの指導に励んでいた。そんな彼がいる白恋中が二回戦の相手だと知ったとき、天馬たちはもしかしたら白恋中もフィフスセクターの支配に疑問を抱いているかもしれない、自由な試合ができるかもしれないと期待した。その期待は、吹雪が雷門に訪れたことですぐに破れた。吹雪はフィフスセクターに支配された白恋中サッカー部に自由を取り戻すために、雷門に助けを求めに来たのだ。
 ホーリーライナーの駅のホームは、選手の移動に使用する時間と観客が使用できる時間がわけられている。この時間には当然各校の選手や監督などの関係者しかおらず、ホームは静かだった。その静かな空間に、いくつもの足音が重なって聞こえて来る。音は向かいのホームからだと気付いて顔を上げると、白恋中の選手たちが立っていた。互いの姿を認識するとみな揃って口を閉じる。目を逸らすこともせずに立ち並ぶ。
 相対する、かつての教え子たちを前に吹雪は微かに眉を寄せた。そして一人の選手を目に留めると、寄せた眉尻を下げ小さく「雪村」とその少年の名前を呼んだ。
 ホーリーライナーは普通の電車や新幹線と違い、両側の扉から乗り込むことが可能だ。車内の中央にはめ込まれたガラス板により半分に分断されているため、各校の選手たちは移動中はお互いガラス越しに向かい合うことになる。
 この時間がなかなかに気まずい。相手はみな自信に溢れたような表情でまっすぐにこちらを見てくる。目を逸らすこともできず、僅かな身じろぎすらしづらい。天馬はこの時間にまだ慣れない。けれど勝ち進んでいかなければこの時間はもう来ない。
 スタジアムに着く前から空気は張り詰めて、自分たちがどれだけ過酷な道を進んでいるのかを改めて実感させられる。
 負ければそこで終わる。いつまでもスタジアムに着かなければいいなとすら思うときがある。この緊張感と焦燥感の混じり合った感情をなんと呼ぶのか、いつかわかる日が来るのだろうか。


◇◇◇


 フィールドに続く扉が重い音を立てて開いた隙間から、ぶわりと冷気が流れ出した。扉が開いていくにつれ、冷気は雷門と白恋の選手が並ぶ廊下に立ち込めていく。

「寒い」
「エアコンの設定間違ってません?」
「そういうレベルじゃねーよ、コレ」

 マネージャーたちがそれぞれ身を縮め、腕をさすりながら冷気の漏れるフィールドの方を見た。天馬も試合前の緊張した身体の動きを奪うような寒さに唇を引き結ぶ。そして完全に開いた扉の向こう、今日のフィールドを見て、天馬は目を疑い、思わず声を上げる。

「ええ!?なんだココ!」

 天馬の声につられるように、輝が後ろから顔を出し、信助がぴょこぴょこと飛び跳ねてフィールドを見ようとする。
 スタジアムの内壁は澄んだ青い輝きを放っていた。フィールドを中心とした見える範囲のほとんどが凍っている。
 その様子に、雷門の一同は唖然とする。今になって外から見たスタジアムの外観の意味が理解できた。

「凍ってるド……」
「これが今日のフィールド……!」

 困惑する雷門とは裏腹に、白恋のキャプテンだけが満足そうに口角を持ち上げた。
 今回試合会場となるスノーランドスタジアムはフィールド一面が氷を張っていて、歩くことですら滑らないようにと意識を使う。試合前のウォーミングアップの簡単なパスですら上手く蹴られない。ボールを蹴ることを意識しすぎると、蹴った勢いでそのまま転んでしまうし、パスに出されたボールを受け止めるのも簡単じゃない。足場が違うだけでこんなにもプレイが制限されるなんて、と天馬は眉を下げた。
 対照的に、白恋の選手たちは凍ったフィールドなどものともせずに駆けている。

「さすがは北国の強豪だな……」

 白恋中は北海道の名門校だ。寒さにも慣れているだろうし、凍った地面での走り方なんかも熟知しているのだろう。ウォーミングアップからでも、彼らの機敏な動きがわかる。
 このフィールドじゃ満足にドリブルもできないかもしれないと天馬は地面を見つめた。寒さも相俟ってか、心の隙間につけいるように不安が巣食っていくのを頭を振って払う。開いた天井から見上げた青空に、キャラバンに運ばれていたときの気持ちを思い出す。
 どんな場所でだって、俺ができる精一杯を出すだけだ。
 

 

◇◇◇



 天気は快晴。晴れ渡る青があまりにも清々しくて、いっそ憎らしくもあった。まるでこちらを嘲笑うような爽やかさで、空はグッと睨むように目を細めて頭上に広がる青を見上げる。
 雷門中と白恋中の試合当日になっても、空はまだ観戦に行くかどうか決めかねていた。取り敢えず、身支度をして家を出た。取り敢えず、近くまでは行こうと電車に乗った。電車に揺られながら、いっそ脱線でもしないかと自分でも幼稚だなと思うことを考える。いっそ天気が悪ければそれを理由に外出せずに済ませることもできたかもしれない。しかし天気はよく、当然のように電車は正しく運行し、空を目的の駅まで運んでくれた。駅を出て、ここまで気分が乗らないのはなぜだろうと考える。
 松風に誘われて、なぜが神童先輩にも誘われて……別に、試合はテレビでも観れるのに。なんでわざわざ足を運んでまで会場に行かなきゃいけないのか。いや、違う。見学をできなかったから埋め合わせをすると私が言ったのだ。都合が合えば、と保険はかけたが。
 考えながら、いや違う、そうじゃなくてと心の中で頭を振る。
 なんでこんなに躊躇っているのだろう。見学に行くと決めたときだってここまでじゃなかった。なのに今は理由を探して、言い訳を探して、どうにかスタジアムに着かなければいいなと思っている。ただ胸が落ち着かなくて、ざわつくのだ。それを解消したくて、当日になってまで行きたくないと駄々をこねている。
 我ながら幼稚だと、呆れながら歩く。ここからバスに乗って、ホーリーライナーの停車駅まで向かう。携帯で時間を確認しながらバス停まで歩く。
 ふと、視線を遠くにやると駅のロータリーのすぐ先にある歩道橋の前で、一人の女性が立ち尽くしていた。歩道橋を見上げる女性の手にはベビーカーの押し手が握られている。その様子にピンときた。女性一人で、赤子の乗ったベビーカーを上げて歩道橋の階段を上るのは大変だろう。
 空はもう一度携帯で時間を確認する。バスが出るまであと十分。まあ戻って来れるだろうと考えて、携帯を上着のポケットに戻す。バス停から歩道橋の方へ方向転換をしたところで、真横を誰かが通り抜けていく。

「おおーい、そこのあんた、大丈夫じゃきに?」

 走りながら大きく手を振って、ベビーカーを押す女性に声をかける。広い背中に、袖の捲られた白いシャツから見える褐色の肌。長い黒髪が一つに言われ、動きに合わせて毛先が靡く。
 方言の強い男が女性に笑いかける。どうやらベビーカーを運ぶのを手伝う気らしい。先を越されたなと、ぼんやりその様子を眺める。
 赤子を女性が抱き上げて、男がベビーカーを持ち上げようとするが自分の持っているそこそこの量の荷物が嵩張って苦戦している。しばらく見ていた空は、階段を登れそうにない気配を察して、二人に近付いて行った。

「あの」
「ん?」
「よければ手伝いましょうか」

 そう声をかけると、男がパッと目を見開いて大きく笑った。

「おお!?手伝ってくれるんか!?ありがたいぜよ!」

 カラリと豪快に笑う男から荷物を受け取る。女性も赤子を抱き抱えたまま丁寧に頭を下げてくる。
 男の荷物を受け取ると、彼はベビーカーをひょいと軽く持ち上げた。そのまま軽快な足取りで階段を上がっていくので、空もそれに続く。歩道橋を渡り、ベビーカーをおろして赤子を乗せると、女性は丁寧に頭を下げた。なんとなく照れ臭くなって目線を下げると、赤子がじっと空の方を見ていた。目が合うと、ふくふくとした柔らかそうな頬をより丸くして、小さな唇を開いて笑う。その様子に空はむず痒い気持ちになった。
 去り際にまた頭を下げる女性と赤子に向けて大きく手を振る隣に立つ男に、空は荷物を返す。

「あの、これ」
「おお!すまん、助かったぜよ!」

 ……ぜよ?さっきもそうだが、変わった語尾だな、と空は首を傾げる。高知の出身か?ぜよなんて、坂本龍馬を取り上げる番組や本の中でしか聞いたことがない。
 男は空を見下ろし、精悍な笑みを向ける。

「あんたはこっちに用があったわけじゃなかったろうに、優しいのう」
「それは……あなたもでは?」
「わはは!ああいうのを見ると放っておけんタチでの!」

 もう一度歩道橋を上り、橋のちょうど真ん中あたりまで来ると、カラカラと上を向いて大きく笑っていた男は、ハタ、となにか気付いたように笑うのをやめて空に慌てて視線を落とした。

「そうだ、ひとつ教えて欲しいんじゃが……あんた、ホーリーライナーへの行き方は知っとうがじゃ?」
「ホーリーライナー?」
「今日のホーリーロード全国大会二回戦、雷門中と白恋中の試合会場に行きたいんぜよ!」
「それだったら……」

 名前があのバスに乗れば、と指差そうとしたときに、一際低いエンジン音が聞こえた。まさか、と思って慌てて橋からターミナルを見下ろすと、名前が乗ろうとしていたバスが、今まさに発車したところだった。

「なんじゃ?どうした?」
「……今出たバスに乗れば、ホーリーライナーまで行けるはずでした」
「なんじゃ、そうじゃったか!じゃあ次のバスで……」
「いえ、今のがライナー運行中に間に合う最後のバスです」

 空が冷静に告げると、男は笑顔をなくし、瞬きもせずに空と遠ざかっていくバスを交互に見る。それからゆっくりとバスを指差し、なにも言わず空の方を見てくるものだから、空も黙ってこくりと深く頷いた。
 沈黙が三秒、二人の間に流れる。男は突然ガバリと両手で頭を抱えながら天を仰いだ。

「ぬぁ〜〜!なんてこったぜよ!あれが最後のバス!?」
「そうですね」
「試合は!?間に合わんのか!?」
「そうですね」

 男のよく通る嘆きの言葉に、空はひとつひとつ律儀に頷いて返す。男とは対照的に、空は観戦に行かなくていい理由ができて少し安堵すらしていた。この男には悪いが、バスが行ってしまったものは仕方がない。そういう運命だったと前向きに受け入れよう。
 空は静かに息を吐き、今度はガクリと項垂れ、小さくなった男の後頭部に声をかける。

「残念でしたね」
「……いや、まだぜよ」
「は?いや、バスはもう……」

 男が顔を上げる。その目には闘志のような、絶えぬ炎のような光があった。その視線の鋭さに、一瞬気圧され、空は一歩男から距離を取る。それと同時に、男は曲げていた背中を伸ばし、グッと拳を握った。

「まだ諦めん!おまん、他の行き方は知らんか!?」
「は?」
「頼む!わしはこの辺りに詳しゅうないし……それに、ホーリーライナーの運行時間を知っちゅうってことは、おまんもスタジアムに行くつもりやか!?」
「ぐ……それは……」

 さらにもう一歩下がろうとする空の両肩に、男の逞しい手が乗る。ガシリと真正面から肩を掴まれ、布越しに感じる熱に逃げ道を失ったと悟る。男は空の肩を掴んだまま頭を勢いよく下げた。

「頼む!この通りぜよ!わしにはおまんの力が必要なんじゃ!」

 強く掴まれた肩と、男のあまりに必死な様子に、空は観念したように小さく頷いた。



 



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