11:旅は道連れ、縁は永く






 もしや自分は押しに弱いのだろうか。
 空は目の前で携帯の画面と睨めっこをしている男を前に、ふとそう思う。今に思えば、サッカー部の見学に行ったのも、今日の観戦も、そしてこの予想外の事態も、周りに押されて折れた結果だ。勢いのある流れに逆らう方が体力も時間も消耗する、という考えが空にはある。ゆえに適度なところで流れに身を任せるようにしているが、それがこんな展開を招くとは思わなかった。

「つまり、わしらはライナーには乗れんっちゅうことじゃな」
「そうなりますね。今からでは車でもない限り不可能です」
「ぬぅ……」

 空は自分の携帯を操作して、拡大した画面を男に見せる。表示されているのは周辺の地図だ。男が大きな身体を屈めて、空の携帯を覗き込んだ。

「間に合う可能性があるとすれば、試合会場の近くまで別のバスで直接向かうしかありません」

 そう言うと、おっ、と男が眉を上げる。しかし空は自分で言ってから、整理されていく思考に眉を顰めた。

「ああけど、どのスタジアムで試合が始まるのかは行ってみないとわからないんでした」
「なんじゃと!?」
「……ロシアンルーレットスタジアムの仕組みをご存知ないのですか?」
「ロシ……?今年のホーリーロードはロシアで開催されるんか!?」
「いえ違いますけど」

 ロシアンルーレットスタジアム。今年のホーリーロード全国大会で導入されたシステムで、5つのスタジアムが円環状に並び、その中心に決勝戦が行われるアマノミカドスタジアムが構えている。それぞれのスタジアムには選手たちを翻弄するギミックが施されており、どのスタジアムで試合を行われるかは選手たちも当日ホーリーライナーで運ばれるまでわからないようになっている。
 空は男に簡単にそう説明すると、男は一度困惑したように視線をさまよわせたが、「ロシアじゃなくてよかったぜよ!」腕を組んだ。前向きでなによりだ。

「じゃあ今日の雷門と白恋の試合はどのスタジアムで行われるか始めるまでわからんのか」
「そう……ですね……」

 空は曖昧に頷いてみせた。けれど今日の試合がどこで行われるのか、空はすでに知っている。けどそれをこの男に話すのは躊躇われた。知っている理由を聞かれても厄介だからだ。
 空は顎に手を添える。どちらにしよ試合開始時間には間に合わない。その旨を伝えると、男は強い瞳で「いや」と頭を振った。

「開始には間に合わんでも、どうしても駆けつけたいんじゃ」

 低い声は今までのような勢いに任せたものではなく、誠実で真摯だった。事情もなにも知らないが、その声から感じ取れる熱量に、空はその誠実さが報われることを願ってしまった。自分で自分にため息を吐いて、携帯の画面を確認する。

「では取り敢えずスタジアム方向に向かいましょう。試合の情報がわかるまでここにいても仕方ありませんし」
「おお!」

 空の言葉に男は破顔して大きく頷いた。荷物を持ち直し、揚々と長い足で一歩を踏み出す。踏み出して、空を振り返った。

「どうやって行くぜよ!?」
「……」

 空は再びため息を吐いた。今度は男に向けて。



◇◇◇



 バスの際後部座席で揺られながら、空は窓の外の景色が流れていく様を眺めていた。
 妙なことになったな、というのが現状の素直な感想だ。この現状の根源とも言える隣に座る男を、空はちらりと盗み見る。
 試合を観戦しに行きたい、ということは雷門か白恋の関係者、あるいはどちらかの熱烈なファンか……?まあ、今やサッカーに於ける地位は高いからな。雷門も白恋も名門だ。こういう人間のひとりやふたり、いてもおかしくはない。
 そんなことを考えていると、視線に気付いたのか、不意に男が空の方に顔を向けた。思わず空は視線を逸らす。

「そういえば、まだお互い名前も知らんかったのう。わしは錦龍馬じゃ」

 男はにかりと白い歯を見せて笑った。今だけの出会いに名乗る必要があるだろうかという考えが頭をよぎったが、今だけとは言え互いに呼び名がないのも不便だろうと考え直す。

「舞風空と言います」
「良い名じゃ、改めてよろしく頼むぜよ。舞風」

 そう言うと、錦はまっすぐに空を見て右手を差し出してきた。握手を求められているとわかり、空はその手と錦の顔を何度か交互に見て、そっと右手を差し出した。空よりもずっの大きく逞しい手が、しっかりと空の手を握る。
 改めて見ると、錦はなにかスポーツをしているのではと思わせる身体のつくりをしていた。年齢は空より少し上くらいだろうか。気になったが、それを聞いたところでなんの意味もなく、空は黙ってバスが目的地まで着くのを待った。
 バスを降りると、ちょうど試合開始の時間になっていた。携帯で試合状況を確認すると、やはり今日の雷門と白恋の試合はスノーランドスタジアムで行われているらしい。

「試合会場が特定されました」
「おお!」
「やはりライナーの運行は終わってますね……ここからだと歩きになりますが……」

 携帯を操作しながら話を続けていると、ふと返事がなくなったことに顔を上げる。すると錦の姿が見えなかった。先ほどまですぐ隣にいたはずなのに。空は訝しげに眉を顰めて辺りを見回す。すると背後から「おーい!」と聞き覚えのある声がした。
 表情をそのままに振り向くと、空は眉は寄せたまま目を見開いた。錦はなぜか鮮やかなオレンジ色の自転車を押してきている。

「どうじゃ!これなら歩くよりずっと早く着けるぜよ!」
「……どうしたんですか、それ」
「そこの商店のオヤジさんに頼み込んで貸して貰うたんじゃ!担保に手荷物を預けてきてな!」

 わっはっは、と大きく笑う錦が指差した方を見ると、確かにそこには個人経営と思われる商店があって、ふくよかな店主が錦に向かって「兄ちゃん頑張ってこいよー!」とエールを送っている。
 この短時間でなにをどうすればこんなことができるのか。空は真面目に呆気に取られた。錦は豪快に笑い、自転車に跨がる。

「なにはともあれ……これなら試合に間に合うでしょう。ではお気をつけて」
「ん!?」

 空は小さく頭を下げて、錦を見送ろうとする。ここからなら線路沿いに走ればスタジアムに辿り着くだろう。しかし錦は目を向いて空を凝視した。なぜ出発しないのかと空は首を傾げる。

「なーにを言うとるぜよ!おまんも一緒に行くんぜよ!」
「は?」
「おまんも試合に行くつもりじゃったんじゃろう!ここまで一緒に来たんだから最後まで一緒に行くに決まっとろう!ほれ、後ろに乗るぜよ!」

 錦の言葉に、空はポカンと薄く口を開いた。錦はいたって真面目な表情だ。

「……自転車の二人乗りは道路交通法に触れます」
「そんなことはわしだって知っとるぜよ!」

 念のために空が進言すると、錦はそれでもと食い下がった。
 考える。自転車に乗るか否か。いや、本来なら考えるまでもなく断るべきだ。彼だけ間に合えばいい。私は別に。間に合わなくたって、試合に行けなくたって。
 問題なんてひとつもないはずなのに。


『もし、よかったら観に来て欲しいんだ!』

『俺も来て欲しいな』


 こんなときに限って脳裏に過ぎるのは天馬と神童の言葉だった。そしてそれを合図にしたように、思い出すのはほんの数十分の見学。普段遠くから眺めていた練習風景。青と黄色のユニフォームが記憶の中で何度もちらつく。
 白恋に対抗するためのタクティクスは完成したのか、今日のスタジアムに彼らは順応できるのか、余計な思考が浮かんでは掻き消す。けれど胸に広がる無機質な熱だけは消えない。
 それでも空が躊躇っていると、錦が強く言った。

「おまんはあいつらの勇姿をその目で見たくないんか!」

 練習姿ならいくらでも見てきた。遠くから。試合で戦う姿なんて、そんなの。

「……安全運転でお願いします」
「任せとくぜよ!」

 空は荷台に横乗りして、錦に一言告げる。その背中から、錦が得意げに笑うのがわかった。錦がペダルを漕ぐと、グンと景色が後ろに流れる。後ろからは商店の店主が吹いた口笛の音が聞こえた。



◇◇◇



「そこ左です」
「よっしゃあ!」

 空は携帯で地図を検索しながらなるべく人通りが少なく、かつスタジアムまでの最短距離のルートを導き出して錦に指示を出していた。
 二人乗りだと言うのに、錦は軽快にペダルを漕いでいく。この調子なら後半戦には間に合うかもしれない。風になびく髪を押さえながら、空は錦の背中越しに前を見た。下り坂の向こうにスノーランドスタジアムが見える。

「見えてきましたね、あれが今日のスタジアムです」
「おお!よっし舞風!しっかり捕まっておれよ!」
「え?」

 錦の声が明るくなり、彼は一層強くペダルを漕ぐ。すると下り坂も相俟って、速度が急加速した。ジェットコースターに乗ったときのように内臓が浮く感覚。空は咄嗟に錦の服を掴んだ。

「ちょっ……と飛ばし過ぎでは……!?わ、ぁ」
「わはは!ブレーキが効かんぜよ!」
「は!?」

 笑ってる場合じゃないだろ。錦の言葉に耳を疑いながら空は振り落とされないように踏ん張る。アスファルトのわずかなへこみや盛り上がりがダイレクトに伝わってきて、時折荷台から体が浮きそうになった。

「舞風!もっとしっかり捕まらんと危ないぜよ!」
「前を見てくださいよ……!」

 錦が肩越しに振り返るので、思わず空は言い返した。道が広く他に人の姿も見えないからいいが、下り坂は長い。

「腕を回せ!落っこちるぜよ!」
「だから前を……!」

 前を向けと、言葉にはならなかった。アスファルトのわずかなへこみの上を通ったのか、ガクンと一際大きく自転車が揺れて、空は反射的に錦の脇腹あたりの服を掴む。服を掴んだ左手を、錦が上から包んで自身の腹の前に持っていく。

「ほれ!左手も回せ!」
「っ〜〜……!」

 もう言い返すのも面倒になって、空は左手も錦の腹に回して、両手の指を絡ませ合う。
 後ろからしがみつく姿勢になるとようやく錦は空の手を離して満足気に頷いて笑った。シャツ越しに伝わる体温が予想よりも熱くて空は一瞬、自転車の速度のことを忘れる。
 坂を下り切ると、スタジアムはもう目前だった。
 ブレーキが効かないのにどうやって止まるつもりかと、ハラハラしながら空は錦を見る。錦は焦ることもないままタイヤが地面を回る音に負けない声量で空に言った。

「止まるぜよ!振り落とされんようにな!」
「は!?」

 言うが早いか、錦はすぐさまハンドルを勢いよく横に切った。タイヤが砂利と砂埃を巻き上げて、焦げるような匂いがする。車体が悲鳴のような甲高い音を上げて、空は思い切り錦の背中にしがみついた。
 自転車でドリフトするやつがいるか……!?
 進行方向に対して車体を垂直に向けながら、さらには車体を傾けて足でブレーキをかける。最後にギィッ、と歪な音を立てて、自転車は止まった。

「わはは!上手くいってよかったぜよ!」
「とても笑い事では……」

 豪快に笑う錦に呆れながら、空は回していた手を離して自転車から降りる。手には嫌な汗をかいていた。それをパーカーの裾で拭いながら見上げる先には目的地のスノーランドスタジアムが聳えていた。

「ようやく着いたのぉ!」
「はい、今頃ハーフタイムでしょうか。後半戦には間に合うと……」
「舞風!」

 錦は自転車を停めると、力強く空の名前を呼んだ。顔を向けると、錦は正面から空と向き合って、がシリとその両手で空の手を掴んだ。

「ここまで来られたんはおまんのおかげじゃ!まっこと、感謝するぜよ!」

 錦はまっすぐに空を見ていた。その目は真剣で、彼には、この試合に自分では測りきれない思いがあるのだろうと悟る。
 空は一度目を伏せ、それから瞬きの後に錦と視線を絡ませた。

「いえ、お力になれてなによりです。私も……あなたのおかげでここまで来られました。ありがとうございます」

 空の言葉に、錦は意外そうに目を瞬かせた後に、なにも言わずにただ笑った。それからハタと、なにかに気付いたように空を見る。

「そうじゃ、ひとつ聞いておきたいことがあった」
「はい?」
「おまん、今日の試合はどっちの応援に来たんじゃ?雷門か?白恋か?」

 質問に空はきょとりと首を小さく傾げた。
 どちらの応援、別にどちらかを贔屓にしているわけではないが、ここに来ることになった経緯を考えればこう答えるのが妥当なのだろう。

「一応……雷門?」

 首を捻りながら言うと、錦はパッと表情を輝かせた。そのまま両手で握った空の手をブンブンと上下に振りながら声を上げて笑った。

「わっはは!そうか!雷門か!そりゃーよかったぜよ!」
「はあ……」

 なにが良いのか。錦も雷門の応援に来たということだろうか。錦はひとしきり笑った後、満足したのか静かに息を吐いて、「よし」と小さく呟いてから空の手を離した。

「そんじゃ、わしは行くぜよ!」
「はい、自転車返すの忘れないでくださいね」
「おお!任せとくぜよ!」

 錦はぐっと拳を握って力こぶを見せるように腕を上げた。最後にもう一度、空と目を合わせる。

「舞風!またどっかでな!」
「……ええ、また」

 大きく手を振りながら駆けていく錦の背中を見送って、空も同じように言葉を返した。もう会わないだろうなと思ったのは事実で、けどもしもどこかですれ違うことがあったら、きっと彼は今日見せたのと同じ笑顔を見せてくれるのだろうなと思った。


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