結局ふたつ買った
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「ヌードカレンダー?」
聞き慣れない言葉に、なまえはコーヒーを入れる手を止めて首を傾げた。隣ではマキがコーヒーを飲めない隊員のためにココアを淹れる準備をしている。
そのマキが「そうですよ」とココアの粉が入った袋を、空気が入らないようにしながら閉じていく。それが終わるとなまえの方へ顔を向けていつもの魅力的な笑顔を見せた。
「特殊消防隊に親しんでもらうおうと始まった企画で、第一から第八まで、特殊消防隊に属する男性消防官の写真を撮って、それをカレンダーにするんです」
「勿論大事な部分は隠してますけどね」とマキは続けた。
そのカレンダーに向けた写真撮影がもうすぐらしく、なまえは「そんな催しがあるんですねえ」といつものように穏やかに微笑んだ。お湯をマグカップに注いでいく。コーヒーの香ばしい匂いが湯気と共に台所にふわりと広がった。
「特殊消防隊は第八までなので、第一から1月を担当して、うちは8月ですね」
「へえ、あれ、じゃあ9月から12月まではどうするんですか?」
コーヒーをマドラーでくるくると回す。火縄中隊長はブラックで、桜備大隊長は砂糖を一つにミルクを一匙。
「9月からは人気のある隊のベスト4が担当します。9月からベスト4、12月が一番人気のある隊ですね」
「へえ、じゃあ半分の隊は2種類の写真を撮るんですね」
「そうそう!」
トレイにマグカップを乗せていく。マキもココアを作り終えたようで、また別のトレイにココアの入ったマグカップを乗せていた。
確かに特殊消防隊はまだ数も少ないし、親しんでもらう機会は必要かもしれない。写真付きのカレンダーであれば、民間人にも顔を覚えてもらいやすくなるだろう。ヌードである必要性はわからないけども。いやでも、ヌードというカレンダーにはあまりない方向性の方が目を引いて、売れるのかもしれない。
マグカップの乗ったトレイを持って、マキと台所を出る。そう言えば、となまえは口を開いた。
「因みに第八は去年……」
「最下位です」
何位だったんですか、という言葉を待たずに、マキはにっこりと笑って答えた。なるほど最下位。
聞けば1位は第一だったらしい。これがなかなかの人気メンだとか。人気メンとは。
部屋に戻ると、シスターアイリスがいた。タマキはお手洗いに、とシスターが教えてくれて、マキはタマキの席に猫のイラストが入ったマグカップを置く。なまえも空席の桜備と火縄の席にコーヒーを置いてから、自分のカフェオレを持って席に着いた。
「男性陣がいませんね」
「みなさんなら隣の部屋でトレーニングを」
シスターが指先を揃えて手を向けた扉の向こうからは、何やら男性陣の気合いのはいった声や荒い息遣いが聞こえて来る。主に桜備の。
「カレンダーの撮影に向けて、鍛えているそうです」
「ああ、例の」
「始まったみたいですね」
シスターとマキが楽しそうにクスクスと笑う。「なまえもあとでチカラコブラを見せてもらった方がいいですよ」と声を弾ませながら言った。チカラコブラとはなんだろう、と首を傾げる。
「去年は最下位でしたからね、大隊長も中隊長も気合が入ってるんですよ」
「去年はお二人だけでしたけど、今年はシンラさん達もいますもんね。賑やかな写真になりそうです」
「へえ〜……」
そこでハタ、となまえは気付く。今シスターはなんと言っただろうか。今年はシンラ達もと言っただろうか。シンラ達も。
「えっ……と……それってシンラくん達もヌードに……?」
「はい、そうですね。ヴァルカンも」
「リヒト捜査官は『見せるような筋肉はないっス』って部屋に戻られました」
「だからリヒト捜査官以外は全員、ヌードカレンダーに出るはずですよ」とシスターが今日も天使の微笑みで教えてくれた。途端、なまえのカフェオレを持つ手がぶるぶると震えた。ビチャビチャとデスクの上に柔らかな茶色が飛び散る。幸い、なまえは事務仕事を終えていたので、デスクの上に濡れて困るようなものはなかった。
「わあ、なまえさん!?溢れてますよ!」
「は、反対です!」
「はい?」
なまえはマグカップをデスクに置いて、勢いよく立ち上がる。ガタンと椅子が揺れた。マキとシスターがなまえを見ると、その顔は血の気が引いて真っ青だ。
「ヌヌヌヌードカレンダー!?それって、それってもしかして、いやもしかしなくてもアーサーくんもヌードに……!?」
「それは勿論」
「ヌードカレンダーですから」
「反対です〜!!」
先程まで穏やかに微笑んでいたのとは同一人物とは思えないくらいに、なまえは取り乱していた。アワアワと口を開けたり閉じたりして、しまいには涙ぐんでいる。彼女は幼馴染みのことになると、普段のしっかり者から打って変わってちょっぴりポンコツになるのだ。マキとシスターはまあまあとなまえを宥める。
「ヌードだなんて破廉恥です!」
「本音は?」
「アーサーくんのヌードなんて公開されたら全国民がアーサーくんの魅力に気付いちゃいますよぉ……!」
うっ、うっ、となまえが項垂れるのを、シスターとマキはその背中を撫でながら、生暖かい見守るような目でニヨニヨと笑っている。
ああ、うちの新人はこんなにも可愛い。
「大丈夫ですよ。あのカレンダーを買う人の大体は第一や第七の人気メンを目当てにしてるんですから」
「うう、世界がアーサーくんの魅力に気づいてしまう……」
励ますマキの言葉はなまえまでは届かないようで、デスクに突っ伏している。そんななまえに、シスターは「これは去年のカレンダーです」と前回のヌードカレンダーを差し出した。なまえはそれを受け取って、ぱらりとめくる。
1月、2月、3月……とめくっていくと、どのページの男性消防官、勿論自分の上司である火縄と桜備も、自分の肉体を惜しみなくアピールして、男性の象徴である部分には滑らかそうな布が巻かれていた。その布さえも、演出の小道具のようだ。
そのカレンダーを見て、なまえは更に項垂れる。
なまえとアーサーは幼馴染みである。小学校や中学校なんかでは男女混合で体育の授業があったため、水泳の時間なんかにアーサーの上半身なんかは見慣れている。だがこのヌードカレンダーは話が違う。
だって水泳の時間なんかは、泳ぐために、必要だから脱いでるのであって、このカレンダーは肉体をアピールし、魅力を知ってもらうために、なんならカレンダーを買った人を魅了するために脱ぐのだ。このカレンダーを買った人は漏れなくアーサーの逞ましい裸体を拝むことになる。そうしたらただでさえ顔が良くてモテるアーサーの人気はうなぎ上りになること間違いなしではないか。勿論脱がなくたってアーサーはかっこいいとなまえは思っている。
訓練校時代も、アーサーはそれはモテた。金髪碧眼のまるで絵本の王子様のような容姿に、女性を「姫」と称して丁寧に扱う紳士さ。訓練生もそんなアーサーに好意を寄せる人はいたが、彼が自らを「騎士」「騎士王」と名乗り、会話をすることで露呈する彼のお馬鹿加減に興味を失う人がほとんどで、彼の本当の魅力に気付く人は少なく、どうにかこうにかなまえは今のポジションを追われることなく維持してきたのだ。
なまえは頭を抱えてウンウンと唸り出す。どうにか、どうにかアーサーがカレンダーに載るのを阻止できないか。頭を悩ませ、そしてひとつの妙案を思いつく。
もういっそ、私が脱げばいいのでは?
綺羅星の如く浮かび上がったその妙案の突飛さに、ポンコツ化したなまえは気付けない。
自分が代わりに脱ぐのでアーサーは辞退させてくださいと桜備に頼み込めばなんとかなるのでは?いや、もうこれしかない。これでなんとかするしかない。
「私が脱ぐしかない……!」
「はい?」
項垂れから一転、ガバリと顔を上げて呟いたなまえに、マキは首を傾げて聞き返した。なまえが零したカフェオレを拭いてくれていたシスターもきょとりとしてなまえを見る。
「大隊長に交渉してきます!」
「えっ、何を!?」
「私がアーサーくんの代わりに脱ぐので!アーサーくんの裸体を東京皇国中に発信するのは勘弁してくださいと!」
「ええぇえぇ!?」
マキは目を向いて声を上げる。シスターも丸い瞳を更に丸くさせ、口元を手で覆った。
「ちょ、ちょっと待ってください何言ってるんですか!?」
「止めないでくださいマキさん。もうこれしかないんです」
「いやいやいや!?落ち着いてください!!」
マキが説得する間にもなまえは意を決した表情でズンズンと隣の部屋へと向かっていく。「シスターも止めてください!」「ラートム……」「シスター!?」
マキとシスターのやり取りの間に、なまえはドアノブを掴んでいた。それを勢いのまま回して開ける。
「失礼します!大隊長━━……」
そこは異様な空間だった。異様、というよりかはただただむさ苦しい空間だった。男が5人、みんな何故か上半身裸になって上腕二頭筋を引き立てるように、力こぶを作り、手首をくるりと外に向けている。「これがチカラコブラだ!この感覚を忘れるな!」と桜備が熱く語る中で、シンラの目だけが死んでいる。後ろではシスターがチカラコブラを目にしておかしそうにクスクスと笑い出していた。
なまえは一瞬、目の前の光景に自分が何をしようとしていたのか忘れた。
「おお、なまえ!」
名前を呼ばれてハッとする。扉を開けたまま立ち尽くしているなまえに気付いたのはアーサーだった。
アーサーはなまえに気付くとパッと笑って、テクテクとなまえの元までやってくる。トレーニングをするのに邪魔だったのか、束ねられた前髪は玉ねぎを思い出させ、結ばれた毛先が、歩くたびにぴょこぴょこと揺れている。鍛えられた肉体と、その可愛らしいギャップに、心臓がギュウと締め付けられる。
「見ろ、俺はチカラコブラを会得したぞ。また騎士としての━━……どうした」
「ひ、は、え?」
目の前で、アーサーは先ほどのチカラコブラというポーズを見せてくれた。上腕二頭筋が盛り上がると同時に、胸筋も強く存在を主張してくる。腹筋はしっかり6つに割れていた。すぐ目の前に曝け出されたアーサーの肉体に、肌に、なまえは頭の奥で炎がボボボっと燃え上がる音を聞いた。そんななまえに気付いたのか、アーサーはポーズを取るのをやめ、ずい、と訝しげな表情で顔を近づけて来る。
「顔が赤い。熱でもあるのか?」
ブンブンと首を横に振る。何故だか言葉が上手く出てこない。近付いた距離に耐え切れず、一歩下がろうとするとそのままフラフラとバランスを崩した。「おい」と言ってアーサーが自分の手を取り、腕を腰に回して体を支える。
ドッ、と心臓が破裂したんじゃないかというくらに跳ねた。筋肉で筋張った腕が、今自分の腰に回されている。少しカサついた、自分よりも大きくて力強い手に、握られている。眼前にはアーサーの鮮やかな青い瞳がある。距離が近い。隣の部屋からうっすらと香るコーヒーの匂いが、かえってアーサーの匂いを際立たせる。これはなんの匂いだろう。汗か、シャンプーか、それともアーサー自身の香りが。
「危ないぞ、大丈夫か」
アーサーがそう言って首を傾げた瞬間に、ボンっと頭の奥で炎が弾ける音がした。いや、もしかしたら脳が沸騰したのかもしれない。それくらいの熱が確かに爆ぜた。
なまえは急に体の力が抜けて、一瞬気を失いかけた。急になまえの体重が自分に預けられ始めたことに、アーサーは「む?」と首を捻る。
「おい、なまえ、おい」
「きゃーっ!なまえ!しっかり!」
「なんだ、どうした」
「アーサーお前、何したんだよ!」
なまえは両手で顔を覆い「刺激が強い……顔がいい……」と震えながら呟いた。耳まで真っ赤に染まっている。それからゴニョゴニョとアーサーにしか聞こえないくらいの声量で自分の状況を伝えた。それを代わりにアーサーがさらりとみんなに聞こえるように言った。
「腰が抜けたらしい」
結局、アーサーはヌードカレンダーにノリノリで参加したし、第八特殊消防隊の人気投票は今年も最下位で幕を閉じた。第八が最下位であったことに、つまりはアーサーの魅力が大袈裟に知れることにはならなかったようで、なまえはひっそりと安堵した。因みにカレンダーは2つ買った。
(観賞用と保存用)