残響ユートピア09






「あらあらまあまあ。よく似合ってるわよ。奏」

 明るいグレーのブレザーに、ダークグリーンのスラックス。緩く締めた赤いネクタイとの組み合わせはどことなく品があるように見える。
 雄英高校ヒーロー科の制服に身を包んだ奏を見て、母は手を合わせて微笑んだ。奏は照れて目を逸らし、頬を掻く。

「ほらほら、写真撮りましょ。さあさあ」
「ええ……」
「はい撮りますよ。はい、チーズ」
「チーズ」

 半ばやけくそに、奏はへらりと笑ってピースを作って母へと向ける。奏の母は陽気な性格で、音波家は彼女がいてこそ回る。そしてそんな彼女は節目と思い出を大事にするタイプの人間だ。奏が今まで繰り返してきた入学、卒業を彼女はどれも大切に祝ってくれる。それは今回もそうらしい。カシャ、とシャッターの切れる音が聞こえてから、一度時計を見た。
 
「母さん、そろそろ」
「ねえねえ私も一緒に写りたいわ。どうしましょう。自撮り?自撮りすればいいの?」
「ええ〜……」
「あらあらなんですかその顔は。さあさ、撮りましょ撮りましょ」
「じゃあせめてセルフタイマーにしようよ……」
「ええ?あれは?奏あれは持ってないの?若い子がこう……携帯を棒に突き刺してるじゃない?」
「持ってないよ……」

 自撮り棒のことかな、とは想像がついたが、生憎奏はそんなものを持っていない。今後購入するつもりもない。そしてあれは別に突き刺してないと思う。スマホぶっ壊れるよ。
 母のスマホを操作して、セルフタイマーをセットする。わざわざ庭に出て桜の木の前で撮った写真は綺麗に撮れていた。時計を再度確認する。そろそろ出る時間だ。入学初日から遅刻はまずい。

「母さん、そろそろ行くよ」
「あらあら、もうそんな時間?早いわねえ。もっとゆっくり眺めたかったのに。奏の制服姿」
「これからいくらでも見れるでしょ」
「そうだけど、最初ってやっぱり大事じゃない?」

 玄関でそんな会話をしながら、奏は新しいローファーを履く。少しきつく感じるけれど、履き続けばそのうち足に馴染むだろうか。トンと爪先で床を蹴る。うん、問題なし。
 鞄を肩にかけている間も、母は一人で喋り続けている。

「出久くんも勝己くんも一緒でよかったわねえ。奏は二人のこと大好きだものね。でも他にもお友達作らなきゃ駄目よ?」
「んん」
「お父さんも今日は早く帰ってくるから、みんなでご飯食べましょ。あっ、ハンカチ大丈夫?ティッシュは?定期は?」
「大丈夫、全部持ってる」
「そう?」

 母はどこか心配そうな面持ちで奏を見て、それから、ふっと笑った。花びらが一枚、ひらりと落ちるように。

「似合ってるわ奏、本当に」

 笑っているのにどこか寂しそうな顔だった。きっと自分はこれから何度も母にこういう顔をさせるのだろうと、確信めいたものがあった。なぜだか妙な罪悪感が胸に巣食って、奏は目を泳がせる。もう一度母に名前を呼ばれて、そろりと目を合わせた。

「いってらっしゃい」

 その見送るための一言に、言葉以上のなにかを詰め込んで、それでも一言で終えた母の意思を汲む。だから奏も、色々なものを込めた。罪悪感と、感謝と、それから奏なりの覚悟を。

「いってきます」

 春が来て、蕾が開き桜が咲いた。晴天。今日から高校生活が始まる。


△▼△


 晴れた空に桜の花がよく映えた。朝はまだ肌寒い日もあるけれど、もう厚い冬着を着るほどではなく、身軽に登校できるのは嬉しかった。
 山を切り拓いてできた雄英の敷地に足を入れ、空に擬態した校舎の中へ入っていく。ガラス張りの廊下は光が入っていて明るかった。中学の廊下はいつもどことなく薄暗い雰囲気があったので、いいな、と率直な感想を抱く。
 どの教室の扉も規格外に大きい。体躯の大きい異形型個性への配慮だろうか。バリアフリーが行き届いている。
 目に映るものがみんな新しい。奏の感覚だけの話ではなく、技術的な意味でも。進学校と言われるだけある。
 雄英には四つの学科が存在する。奏の在籍するヒーロー科では、プロヒーローを輩出するためのカリキュラムを組まれており、必修科目とは別に、ヒーロー基礎学という実践的訓練時間が組み込まれている。
 ヒーロー科は学年に二クラスしかない。一般入試三十七人、推薦入学が四人。奏のクラスはA組。奏を含めて二十一名のクラスだ。
 さてさてA組A組と……と思いながら廊下を進んでいくと、見慣れた黄色いリュックが見えた。お、と思って歩きながら声をかける。

「出久」
「おあ!?……かなちゃん!」

 扉に手をかけた幼馴染を呼ぶと、彼はビクリと大きく体を跳ねさせて、勢いよく奏の方に顔を向けた。ひらりと片手を上げると、緑谷はふにゃりと表情を緩める。不安が安堵に溶かされていく表情に、奏はくすりと笑ってしまう。

「おはよう。同じクラスだね」
「おはよう!うんっ!よかったよかなちゃんと一緒で……」

 奏は緑谷に追いついて向かい合うと、まじまじと緑谷を上から下まで見た。奏の様子に緑谷はまた表情を強張らせたが、落ち着かない様子でそれを受け入れている。

「似合ってるよ、制服」
「うあっ……ありがとう……!その、かなちゃんも凄い似合ってるよ…!かっこいい……!」
「はは、ありがと。でもネクタイは練習が必要そうだね」
「う」

 緑谷は顔を赤く染めて、その恥ずかしさを隠すように腕で顔を覆う。奏と同じ制服に身を包んだ緑谷は、中学の学ランのときよりもずっと逞しく見えた。事実として彼の努力が目に見えてわかるようになってきたということだろう。奏はその嬉しさからも笑みを深くして、お世辞にも上手とは言えないネクタイの結び目を見てとうとう噴き出した。

「ふっ……」
「えっ、なに」
「いや……ふふ、なんかネクタイがじわじわきて……」
「そんなに変かな……!?」

 慌てる緑谷に、奏はごめん、大丈夫だよ。と肩を叩く。奏だってネクタイは模範的な着こなしよりもずっと緩く結んでいる。首元が締まるのは好きじゃないのだ。

「ふふ……はー、さて、そろそろ中に入ろうか」
「うん……!怖い人たちとクラス違うとありがたいな……」

 勝己のことだな、と奏は察した。奏はすでに爆豪のクラスを知っているが、それを言ってしまっていいものか悩む。まあもうどうしようもないことだし、扉を開ければ緑谷も嫌でも事実を受け入れるしかないのだ。
 緑谷が微かに震える手で扉に手をかける。大きさのわりにはスラリと開いた扉の隙間から、そっと中を窺う。

「机に足をかけるな!雄英の先輩方や机の製作者方に申し訳ないとおもわないか!?」
「思わねーよ!てめーどこ中だよ端役が!!」

 眼前で繰り広げられる光景に、奏は顔を顰め、緑谷は小さな声で「ツートップ」と体を震わせた。
 教室の窓際の列で言い争いをしているのは幼馴染と体格のよい男子生徒だ。あれ、あの人受験のときの……あれだ、質問してた人だ。同じクラスだったんだ。
 実技試験の際に、仮想敵について質問をして、ついでに緑谷に注意をした人物だと思い出した奏は、チラリと横目で緑谷を見る。素行の悪い幼馴染と、注意された記憶からか、二人の姿に緑谷は体を震わせている。
 
「ボ……俺は私立聡明中学出身、飯田天哉だ」

 飯田と名乗った彼は礼儀正しく、注意する相手にもきちんと姿勢を正して自己紹介をしている。真面目そうな人だ。多分いい人だけど勝己と相性が悪そうだ。対して爆豪は悪役染みた笑みを浮かべて、椅子から腰を浮かす。

「聡明〜〜!?くそエリートじゃねえかぶっ殺し甲斐がありそうだな」
「ブッコロシガイ!?君酷いな!本当にヒーロー志望か!?」

 奏はため息を吐きながら頭を抱えた。他のクラスメイトになる人たちもいる前で、なんて醜態を晒しているんだあいつは。
 奏は教室に足を踏み入れ、他の人に挨拶をする余裕もなく、爆豪に近付くと背後から頭頂部に手刀を入れた。

「コラ」
「ってえ!」
「初日からなにやってるんだお前は……」
「な、にしやがる奏ぇ!」
「声がデカいんだよ」

 奏が手刀を入れると、爆豪はグリンと顔を向けて目をつり上げた。先ほどまで憎らしく上がっていた口角も下がっている。爆豪を挟んで、飯田と目が合った。

「君は……」
「飯田くん?でいいかな?音波奏です。こいつは爆豪勝己。ごめんね、こいつが迷惑をかけたみたいで。気性が荒いんだ」
「人を野生動物みたいに言うんじゃねえ!」
「野生動物の方がまだ大人しいだろ」
「ああ!?」

 キレ上がる爆豪を尻目に、奏は微笑んで飯田と挨拶を交わす。飯田は両手の指先を奏の方に向けながら、改めて自己紹介をしてくれた。背が高く、体格もいい。細いフレームの四角い眼鏡は、飯田の雰囲気ともよく合っていた。手の動きも独特で面白い。凛々しい表情のまま、飯田がハッとしたように視線をずらした。まだ扉の前に立っている緑谷に気付いたらしく、奏に一言詫びてからスススッと肘を九十度に曲げて指先を突き出したまま移動していく。ロボみたいだな、彼。
 入試のことがあったから、心配して様子を窺っていたが、どうやらただ挨拶に向かっただけらしくホッとした。

「デク……」
「睨まない」

 爆豪も緑谷の存在に気付いたらしく、その目を細めて椅子に座り直した。足乗せるのやめろよと言うと、舌打ちをしながら机に乗せようとしていた足を引っ込めた。よしよし、偉いじゃん。
 どうやら席は名前の順になっているらしい。奏の出席番号は七、出入り口から二列目、前から二つ目が奏の席らしい。
 席に向かうと、入り口の前で緑谷が知らない女子と喋っていた。女子に耐性のない緑谷が顔を真っ赤にしながら話しているのを見て、助け舟を出した方がいいのか悩む。とりあえず荷物はおろそうと、机に鞄を置く。
 前の席には逞しい尻尾の生えた短髪の男子がいて、尻尾があると椅子に座るの大変そうだなと考える。後ろの席には金髪の男子が座っている。パチリと、金髪の男子と目が合った。

「あっ」

 彼は目を見開いて、短く言葉を漏らす。よろしく、と言おうとしたところで低い声が低い位置から聞こえた。

「お友達ごっこしたいなら他所へ行け」

 覇気のない声だ。教室内の注意がみんな声のした方へ向かう。扉の向こう、つまり廊下に黄色い寝袋が横たわっている。

「ここはヒーロー科だぞ」

 そう言いながら一口でゼリー飲料を飲み干したのは寝袋に入ったままの男性だった。なにごとか、何者かと教室内のクラスメイトたちが次々に立ち上がる。対して寝袋ごと立ち上がり、のそりと寝袋から出てきたのは全身黒ずくめのくたびれた印象の強い男性だった。伸ばしたままのような、手入れなどされていないだろう癖のある黒髪に、無精髭、目はどことなく濁っている気がする。真っ黒なつなぎの服に、首から肩周りにかけて元は白かったのか、薄汚れた布のようなものを何重にも巻いている。

「ハイ静かになるまで八秒かかりました。時間は有限、君たちは合理性に欠くね」

 随分なご挨拶だなと、奏はわずかに目を眇めた。こちらの困惑も気にせずに、淡々と一方的な自己紹介を始める。

「担任の相澤消太だ。よろしくね」
「てことは……この人もプロのヒーロー……?」
「見たことないぞあんなくたびれた人……」

 よろしくする気があるのか怪しい態度に、思わず苦い笑みがこぼれる。相変わらずそうでなによりだと、クラスメイトたちがざわめく中で奏は一人笑う。
 相澤と名乗った担任は、寝袋の中に手をやり、ゴソゴソと何かを取り出した。ジャージだ。

「早速だが、体操服着てグラウンドに出ろ」

 唐突な展開に、クラスメイトたちのざわめきはより一層大きくなる。飯田が説明を求めるが、相澤はグラウンドに出たらまとめて説明するから早くしろとだけ言って教室を出て行った。なんともまあ自分勝手だ。
 相澤が教室を出る際に、目が合ったので軽い会釈をしたが無視された。



 生徒手帳に記された校内の見取り図を頼りに、更衣室へ向かって制服から体操着に着替える。
 
「なあなあ」

 体操服に袖を通していると、隣から声をかけられた。後ろの席の金髪の男子だ。

「入試んとき同じ会場だったよな?あのとき救けてくれてマジでサンキューな!」
「……えっと……?」
「あ、名前か!上鳴電気!よろしくな〜!」

 上鳴、と名乗った金髪は、溌剌とした笑顔を向けた。今どきな男子らしい上鳴を失礼にならない程度によく見る。同じ会場だった……っけ?奏の記憶にはない。

「ごめん同じ会場だったっけ……?」
「まじ?覚えてない?」
「……ごめん……」
「まじかあ〜」

 わかりやすく肩を落として嘆く上鳴に、申し訳ない気持ちが湧いてくる。上鳴は少し考えた後、ハッとして、真顔のままサムズアップしてから妙に真剣な声で言った。うぇい。
 うぇい?ウェイ……?眉を寄せて奏は首を傾げる。それから稲妻が脳裏を駆け巡るように点と点が繋がった。

「あっ、君あのときの……!」
「おっ、思い出してくれた?」
「二十二ポイントか……!」
「えっ?なに?怖いんだけどなんの数字?」

 いやごめん、なんでもないよ。随分印象が違うからわからなかったと謝り、改めて上鳴を見た。セットされた金髪に、稲妻模様のようなメッシュ。つり目に短い眉で、人当たりの良さそうな雰囲気だ。試験のときはもっと間の抜けた顔をしていたので結び付かなかったが、確かに同じ会場だった。

「同じクラスとはね」
「な〜!すげえ偶然!でも嬉しいぜ知ってる顔がいて!」
「うん。音波奏です、よろしく」

 奏も遅れて自己紹介をすれば、上鳴はニッと気の良さそうな笑顔で改めてよろしくと言ってくれた。「アイマスク?デザインウケるな」と奏愛用のそれを指差して言ってくれたので多分いい人だ。裏表がなく、素直そうで。

「入学式ってグラウンドでやるんかな」
「いや……だとしたら体操服に着替える必要がないよ」
「あ、そか。じゃあなにすんだろ」
「さあ……でもあんまり、いい予感はしないね」

 上鳴と話しながら着替えを進める。いい予感はしない。むしろ嫌な予感がする。そして多分それは当たってしまうと、奏は経験上知っている。勘は良い方だ。
 さて入学初日でなにが待ち構えているのかと、奏は上着のファスナーを締めながら静かに息を吐いた。



09:張り裂けろ入学

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