残響ユートピア12
奏が靴を履き替えていると、ちょうど緑谷も昇降口にやってきた。
「指、大丈夫だった?」
「うん、治してもらった」
奏に向けて右手をグッパと握って開いて見せる緑谷に、要は薄く笑って「よかった」と返す。指には包帯が巻かれていたが、痛みはほとんどないらしいと聞いてほっとした。
「リカバリーガールの治癒力の超活性化……凄い個性だったな。指の怪我もあっという間に治ったし……活性化させるだけで治癒には体力がいるから大きな怪我が続くと逆に死ぬって脅されたけど……」
「逆に死ぬ」
「らしいよ。治してもらえて助かったけどドッと疲れた……」
「ああ、体力使うって、なるほどそゆこと」
ブツブツと個性の分析を始めた緑谷に口を挟むと、疲れた笑みで頷かれた。なるほど、治すだけの体力がなかったら逆に死ぬのか。なるほど難しいな。
緑谷の個性の話を切り出そうとして、開いた口を一度閉じた。周りには下校する生徒がたくさんいるし、元無個性だなんて話は不用意に広めることじゃない。悩んでいると、背後から声がかかった。
「指は治ったのかい?」
「わ!飯田くん……うん、リカバリーガールのおかげで……」
「飯田くんも駅まで?」
「ああ、一緒にいいかい?」
「もちろん」
飯田に声をかけられて、三人で並んで歩き出す。「テスト疲れたねえ」と奏が言えば、飯田は真面目な顔で頷いた。
「しかし相澤先生にはやられたよ。俺はこれが最高峰!とか思ってしまった!」
「ふはっ」
「教師が嘘で鼓舞するとは……」
飯田のこれが最高峰!が地味に奏のツボに入った。本人は至って真面目に話しているので笑ってしまっては申し訳ないが、飯田との会話はなかなか楽しい。入試のときはもう少しキツそうなイメージだったけど、話してみたらただ真面目ないい人だな。
隣を歩く緑谷を見れば、段々と萎縮も解けてきたようで、初対面はああだったものの仲良くなれそうだと安心した。
「おーい!」
柔らかな高い声に、奏は足を止めて振り返る。緑谷と飯田も気付いたようで振り返った。後ろから駆けてくるのはショートカットの女子だった。
「三人とも駅まで?待ってー!」
「君は♾女子」
「ブハッ!♾女子……!」
ボール投げの記録から取ったのであろう呼び名は、またしても奏のツボに刺さった。口を手で覆いながら肩を震わせる奏に、緑谷は感心の目を飯田に向ける。
「凄い飯田くん……!この短時間で二回もかなちゃんのツボに刺すなんて……!」
「なにかおかしなことを言ったか?」
そうしている間に、女子生徒は三人のすぐ近くまで来ていて、彼女ははにかみながら名乗る。茶色の毛先が、動きに合わせてふわりと揺れた。
「麗日お茶子です!えっと……飯田天哉くんに、音波奏くんと緑谷……デクくん!だよね!」
「デク!?」
「あ?」
麗日と名乗った女子から出た言葉に、奏は止まらなかった笑いが引っ込んで、代わりに低い声が出た。隣で緑谷も驚いたように声を上げて引き攣る。なんだこの子、初対面で。
「え?だってテストのとき爆豪って人が」
「あいつか……」
麗日の説明に、奏は俯いて右手で額を押さえる。ボール投げのときに思い切り叫んでいたのが影響しているらしい。勝己のせいか。女の子相手に凄んでしまって申し訳なかった。反省。
「あの……本名は出久で……デクはかっちゃんが馬鹿にして……」
「蔑称か」
「えー!そうなんだ!ごめん!」
緑谷が麗日と目を合わせないまま身振りを用いて説明する。飯田も顎に手を当てながら短く言葉を紡いだ。麗日は頭に手を当ててすぐに謝り、それからグッと両手で拳を作って、麗らかな笑顔を見せる。
「でも"デク"って……"頑張れ!"って感じで……なんか好きだ私!」
「デクです」
「緑谷くん!!」
「出久お前……」
麗らかな笑顔を前に、顔を真っ赤に染めながら緑谷は即答した。お前出久コラ。いくら女の子相手だからってそれはちょっとひいたぞ。
奏は眉を顰めて目を細めた。冷ややかな視線を緑谷に向けるが、緑谷は赤く染まった顔を隠すように両手で顔を覆っている。
「浅いぞ!蔑称なんだろ!?」
「もっと言ってやって飯田くん」
「コペルニクス的転回……」
「コペ?」
自然と四人で並んで歩き出す。風に散る桜の花びらがひらひらと舞う帰り道は、一年前より鮮やかに見えた。奏は右隣に並んだ麗日に視線を落とした。茶髪のショートカットに、赤らんだ頬。くるりと丸く大きな目が奏を見上げていた。
「ええと、麗日……お茶子さん?」
「うん!」
「よろしく、お茶子って名前可愛いね」
「ほあ」
ゆるキャラとかにいそうで可愛いなと、奏は思ったことをそのまま伝えた。麗日は頬をさらに赤らめて途端に表情がぎこちなくなる。奏の左隣にいた緑谷が「かなちゃん……!」とこちらも顔を赤くしたまま小さく震えている。
「あはは……ありがとう……!えっと、デクくんと音波くんは入学前からの友達?」
ワサワサと髪を掻きながら、麗日が振った話題に、飯田が「爆豪くんとも親しげだったが」と反応を示した。奏は緑谷と一度目を合わせてから緑谷は照れ笑い、奏も目を細めて微笑んだ。
「うん、幼馴染なんだ」
「家が近所で……」
「へえ〜!爆豪くんも?」
「うん。あ、でも、僕は小学校からだけど、出久と勝己はもっと長いよね」
「うん……」
奏が話を振ると、緑谷はリュックの肩紐をギュッと握って目を逸らした。まあ仲良くない幼馴染の話を振られても困るだけだよな。
「幼馴染三人で雄英って凄いよね!」
麗日の言葉に、奏は返す言葉に悩む。
僕は嬉しい。本当に。出久と、勝己と、雄英のヒーロー科で、しかも同じクラスになれたことが本当に嬉しい。けど出久と勝己はどうだろう。二人の仲は最悪なのに、一緒に同じ教室で過ごすことが苦痛にはならないだろうか。中学のときの関係の変化がどう表れるかわからない。
「……そう、だね……」
濁すように笑って答える。麗日は奏の答えになにも思わなかったようで、そのまま明るく話を続けた。
駅までの道は賑やかで、歩きにくかった。なんでだろうと首を傾げると、左隣の緑谷が「どうかした?」と奏を見上げ、そのさらに左から飯田が「具合でも?」とピッと指先を五本揃えて奏に向けてくる。右隣からは「大丈夫?」と麗日から声がかかる。
ああ、そうかそういえば。奏の隣を歩くのはいつだって緑谷か爆豪だ。三人で並ぶことはほとんどなかった。それが今日はどうだ。いつものように緑谷がいて、飯田と麗日もいる。
桜が風に散って、花びらが流れていく。空は青かった。暖かな日差しが眩しかった。知っている春が、いつもとは少し違う。
そりゃ歩きにくいか。慣れないもんなあ、この距離で、この人数で歩くの。
「んーん、なんでもなかった。大丈夫」
「そう……?」
「無理はしないようにな!」
「明日からの授業なにするんだろうねえ」
緩く首を横に振る。返ってくる声がひとつじゃない。舞う桜の花びらが太陽の光に当たって、ちらちらと光る。春の風は暖かかった。
△▼△
四人で同じ電車に乗って、緑谷が飯田と麗日の個性について尋ねた。二人が詳細を教えてくれると、緑谷はリュックからノートを取り出してメモを始める。目を剥く二人に、奏は「癖みたいなものだから気にしないで」と代わりに声をかけた。
飯田天哉――"個性"、エンジン。ふくらはぎに備わっている器官で体力テストのときに見せたような速度移動が可能らしい。原動力に100%のオレンジジュースが必要だと語っていた。速度に耐えられるように鍛え上げられたのだろう身体は、飯田の真面目さと努力が窺えた。
麗日お茶子――"個性"、無重力。両手の指に肉球がついていて、五本の指にある肉球で触れたものの重力をなくす。キャパを超えると激しく酔うと笑いながら話してくれて、緑谷は独り言を言いながらメモを取っていく。その間に奏は二人に話を振って、麗日は一人暮らしをしていると知った。実家は三重県らしく、雄英に通うため家を出たらしい。きっとクラスメイトの中には麗日と同じように親元を離れている者もいるのだろう。
「凄いねえ、麗日さん」
「立派だ!」
「いやいやそんなことないんよ、まだ全然なんもできんし……」
照れながら顔の前で手を横に振る麗日に、奏は凄いなとしみじみ思う。それだけ強く、ヒーローになりたいってことだ。それを実行に移せる行動力も、一人暮らしで不安もあるはずなのに明るく笑う姿も、飯田の言うように立派だと思った。
「あ、そうだ!連絡先聞いていいかな!」
「ああ、そうだね。交換しようか」
「飯田くんとデクくんも!」
「ああ!同じクラスで連絡を取り合う機会もあるだろうからな!是非!」
「ぼぼぼぼ僕も……!?いいの……!?」
携帯を取り出しながら、すっかりデク呼びが定着したなと思う。爆豪だけが呼んでいた緑谷の蔑称を、麗日はきっと親しみを込めて、あだ名として使っている。わかってはいるけど、奏としては複雑だ。
麗日さんはガラケーなんだなと思いながら飯田と麗日の連絡先を追加する。緑谷も小刻みに震えながら二人の連絡先を入れていて、登録された連絡先を見て感激したように頬を蒸気させた。
そのあともカリキュラムの話や、互いの話をしたりして、まず麗日が電車を降りて、その数駅先で飯田も降りた。
奏と緑谷も家の最寄駅で降りる。改札を通って見慣れた駅前の景色に、とても遠いところまで行っていたような気がした。
「なんか……これからずっと同じ電車を使うのに、慣れる気がしないなあ」
「ん、なんか凄い遠くに行ってた気分だよ」
「うん、僕も」
緑谷とそう言って笑い合い、慣れた道を並んで歩く。二人並ぶのが当たり前だったのに、さっきまで賑やかだったからか少しだけ寂しく感じた。
「出久の個性のことだけど」
人通りの少なくなった道で、奏は切り出した。
「びっくりした。あそこまでとは思わなかったよ」
「はは……ごめん……」
奏が目を向けると、緑谷は斜め下を見てバツが悪そうにぎこちない笑みを浮かべている。空はまだ青いが、二人の影をつくる陽の光が、昼間のものから夕方の、どこか寂しい色に変わっていく。
「調整ができないとは聞いてたけど……現状どこまで扱えるの?」
「えっと……発動はできるよ。ただ、出力調整が0か100かしかできなくて」
「ふむ……発動に条件は?任意?」
「任意だよ。使おうと思えば使える」
「つまりスイッチの切り替えができる状態ってことか……まあ、常時発動タイプじゃなくて、切り替えできるならよかったよ」
「え?」
顎に手を当てて考える奏の言葉に、緑谷が顔を上げる。奏は緑谷と目を合わせると、手を顎から離して続けた。
「切り替えできずに個性垂れ流し状態で、出力調整もできないなら何かの拍子に発動してずっと怪我しっぱなしになるだろ」
「確かに……」
「発動範囲は?」
「使ったことあるのは腕と足と……今日、指だけ」
「範囲も任意か。う〜ん……今日のが100%の力で、指がぶっ壊れるって相当な力だよ。使いこなすには出力調整か、100%に耐えられる身体づくりが必要だね」
「うん、身体づくりは当然筋トレで続けていくけど、まずは調整ができないと……あんなの人に向けたら殺しちゃうし……」
「だね」
あんまり気負うなよ、とは言ったものの、今日緑谷の力を目の当たりにして、奏にも焦りが出る。あまりにも諸刃の剣すぎる。明日からはヒーロー基礎学も始まる。訓練は過酷になっていく。毎回緑谷にあんな怪我をさせるわけにはいかない。
「出力を抑えるイメージはずっと反芻してるんだけど、中々……」
「まあ、個性使いこなすなんて一朝一夕にはいかないからね」
取り敢えず、発動を自分でコントロールできているならよかった。一番怖いのは使いこなせない状態で、発動すらコントロールできないことだ。意思に反して生まれる力は、不意に他人を傷つける。出久はきっと、それに耐えられない。
「でも、凄いパワーだね。使いこなせればいろんなことができる。頑張ろう」
「うん……!」
奏が笑うと、緑谷もぎゅっと両手で拳を握って笑った。
「あ、それと……元無個性だってことは、周りに知られない方がいい?よね?」
「あ!う、うん……!そうしてもらえると助かるよ……!」
奏が尋ねると、緑谷はブンと大きく頷いた。元無個性なんて知られて好奇の目に晒されても嫌だ。相手を選んで話すという選択肢もあるが、リスクを負ってまで話す必要性は感じない。
「じゃあ口裏合わせようか。う〜ん、今日で個性使いこなせないのがみんなにバレてるだろうから、発現が遅かった、くらいは揃えるか」
「うんうん」
「心配なのは勝己だけど……出久、話したの?」
「うっ、実はまだ……」
「だよね。勝己の反応見たらわかるよ。まあ……あいつもむやみやたらにお前が無個性なんて言ったりは……いや、言ってたな……」
めちゃくちゃ言ってたな。体力テスト中に。う〜ん、大丈夫か?早めに事情を説明した方がいいかもしれないけど、これは出久に任せるって決めたしなあ。まあ、なにかあったらフォローすればいいか。
奏は腕を組みながら、一人頭の中で納得する。気が付けば緑谷と別れる道まで来ていた。
「じゃあまた明日」
「うん、またね」
カーブミラーの前で別れて、奏は一人歩き出す。空は薄青と薄黄色で緩やかなグラデーションを作ろうとしていた。もうすぐ夕暮れだ。光が橙色を薄らと含んで、あたりを染め出す。一日の終わりの時間が始まると知らせる空気は、いつもどこか寂しい。
公園にはまだ遊んでいる子供がいた。高い笑い声が響いている。
今日のことを振り返る。青い空に放たれた白球が何度も脳裏に浮かんで、何度も、痛みに涙を堪えながら笑う緑谷の姿を思い出す。そして同時に、怒りと恐怖の目を向ける爆豪のあの表情が蘇る。
やっぱり、出久に個性が出たことを、勝己は喜ばないかな。喜ばない……よな。別に喜ばなくてもいいけど、いいんだけど。
二人の関係はこれ以上どうにもならないだろうか。これは奏の我儘だ。自分でわかっている。けれど夢見てしまう。
西日が強くなってきて、目を細めた。誰かが家の前に立っている。逆光で見えにくいが、すぐにわかった。
「勝己」
名前を呼ぶと、ブロック塀に寄りかかっていたシルエットがゆっくりと塀から背を離して奏の方に体を向ける。そうするとちょうど西日を遮る形になって、奏を見る爆豪の姿がはっきりと映った。
12:誰そ彼と問わずとも
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