残響ユートピア18
今日の訓練の反省会をしようと言い出したのは誰だったか、放課後になって一年A組の生徒はほとんどが教室に残り、反省会という名の交流を深めていた。初日から体力テストなど怒涛の展開に、自己紹介をする間もなく日々に追われていたのでこういう時間は必要だろうと、奏も上鳴に誘われて二つ返事で了承した。いまだ保健室から戻ってこない緑谷を待っているのにもちょうどいい、という理由もあるが。
「爆豪!お前も一緒にどうだ!?」
一人だけ鞄を肩にかけた爆豪に切島が声をかけた。他にも数名が声をかけるが、爆豪は誰とも目を合わせることも、返事をすることもなく教室を出て行ってしまう。普段なら返事をしろと注意をするところだが、奏は黙ってその背中を見送る。代わりに切島たちの方へ行って声をかけた。
「ごめんね。あいつ、悪いやつじゃないんだけど、ちょっと難しいところがあって……」
申し訳なく眉を下げると、切島はニッとギザギザの歯を見せて笑う。セットされた赤い髪は染めているのか、よく見ると根本が黒っぽい赤をしている。上に向いた毛先は彼なりの気合いの現れだろうか。
「気にしてねーよ!あいつの戦闘センス凄かったから、色々聞いてみたかったけどな!」
「ありがとう」
「あ、俺ぁ切島鋭児郎!音波?だよな?」
「うん、音波奏です。よろしくね」
カラリと笑う切島は、爆豪の態度も本当に気にしていないようで奏はほっとした。
「音波とも話してみたかったんだぜ!訓練じゃあ負けちまったけど!」
「そーそー俺も。気付いたら寝てたし起きたら負けてたし。あ、俺は瀬呂な、瀬呂範太」
「瀬呂くん、よろしく」
近くにいた瀬呂が話に加わる。背が高くて、スラリとした彼は奏を見ながら腕を組み、どこか大袈裟に首を捻る。
「あのトラップでなー、もっと足止めしたかったんだけどな」
「いや、厄介だったよ。あのテープ。核の周り囲われてるの見たときは焦ったし」
「そう?の割りにはあっさり突破された気ぃするけど。切島はあっさり罠にかかるし」
「面目ねえ!」
「ははは」
瀬呂の調子はどこか軽くて、けれど嫌な感じじゃない。声のトーンから、色々気を遣った上での軽口だとわかるから、奏も知らないフリをして笑う。
教室は賑やかだ。なんというか、ちゃんと高校生らしい空気が流れている。
出久はちゃんと怪我治してもらえてるかな……治癒には体力使うって言ってたから時間がかかってるのかな。こういうクラスの輪ができる時間って後々結構響くし、参加できればいいけど……それを言ったら勝己もか。
奏は黙って出て行った爆豪を思い出す。訓練の後から、爆豪はずっと静かだった。今の爆豪に対して、奏は自分がどうするべきかわからなかった。そっとしておくべきだとも、励ますべきだとも思う。けどそっとしておくとして、それはいつまでなのか。励ますとして、なにを励ませばいいのか。
不意に、ガラリと教室の扉が開く音がして顔を向ける。そこにはギプスをつけて腕を吊った緑谷が、ボロボロのコスチュームのままで立っていた。
「おお緑谷来た!お疲れ!」
最初に切島が声を上げた。それに反応したクラスメイトたちがわらわらと緑谷を取り囲む。奏は緑谷の姿を見て思わず眉を潜めた。腕のギプスが外れていないのはなんでだ。
「いやなに喋ってっかわかんなかったけどアツかったぜおめー!」
「へっ!?」
「よく避けたよー!」
「一戦目であんなのやられたから俺らも力入っちまったぜ!」
囲まれて困惑している緑谷に、クラスメイトたちは次々に喋りかける。奏は瀬呂に断りを入れて、緑谷の元へ向かう。同じく麗日も小走りで緑谷に寄り、眉を下げた。
「あれ!?デクくん怪我!治してもらえなかったの!?」
「あ、いや、これは僕の体力のアレで……」
麗日に返事をしながら、きょろきょろと教室内を見渡す緑谷と目が合った。なにか言いたげな空気を察して足を早める。
「出久、よかった。目が覚めて」
「かなちゃんっ、かっちゃんは……?」
緑谷の口から出た予想外の名前に、奏は一瞬驚く。パチリと瞬きをしてから答えるための口を開いた。
「勝己?勝己ならついさっき帰ったよ」
「みんなも声かけてたんだけど……」
麗日が奏に続いてそう伝えると、緑谷は薄く眉間に縦皺を入れて考えるように俯いた。さっきからなんかおかしいな。知らないとこでなんかあったか?
緑谷の様子に訝しんで、名前を呼ぼうとしたとき、緑谷が勢いよく顔を上げて奏を見た。そして真剣な声色で強く言う。
「かなちゃん!」
「ん?」
「一緒に来て!」
言って、緑谷は返事を待たずに包帯を痛々しく巻かれた、かろうじて自由のきくであろう左手で奏の右手を掴んだ。そのままグイと引っ張られ、勢いのまま教室を出る。麗日が心配そうに教室の扉から顔を出したが、大丈夫と伝わるように手を振った。
緑谷は奏の手首を掴んだまま走り出す。おいこら、廊下は走るな。というか走って大丈夫なのかお前は。
言いたいことも聞きたいこともいくつもあって、けど後ろから見るその背中が、必死になにかを追いかけるような姿に見えて、奏は黙ってあとに続いた。
△▼△
西日が強かった。夕日の橙色が校舎も木々も影も包んで、それぞれを縁取って輝かせる。春の夕暮れは薄黄色で、時間がゆっくり流れているように見えた。
昇降口を出てすぐのところで、その背中を見つけた。何度も見ているはずの後ろ姿が、知っているものよりもずっと小さく、弱々しく見えた。色素の薄い髪が、夕日に照らされ儚げに輝いている。
「かっちゃん!」
奏の手を掴んだまま緑谷がその名を叫んだ。明らかに不機嫌な目つきと声で返事が返ってくる。
「……ああ?」
嫌悪と不快を込めた瞳に、緑谷が一瞬怯むのがわかった。すぐに視線を下げて、苦しげに眉を顰めている。この横顔はなにかに迷っているときのものだと知っている。掴まれた手首が熱かった。けど振り払うつもりはなくて、奏はただ黙って行方を見届ける。
「これだけは君たちには、言わなきゃいけないと思って……!」
その言葉に、少し驚いた。どうやら自分も当事者らしい。緑谷が爆豪を追いかけているのはわかっていたし、だから黙ってついてきた。仲介役が必要なのかもしれないと思っていたけど、緑谷の中では奏と爆豪の二人に伝えたいことがあるようだった。奏は目だけではなく、顔を動かして緑谷を見た。
先ほどまでよりも強く手首を握られる。恐らくは無意識に。緑谷は奏のことも爆豪のことも見ないまま、ただ自分の長く伸びる影を見つめて、口を開いた。
「人から授かった"個性"なんだ」
掴まれたままの右手の指先が、ピクリと、ほとんど反射で動いた。
緑谷は顔を上げないまま、自分の影を見たまま、急かされるているように早口で続ける。
「誰からかは絶対言えない!言わない……でも、コミックみたいな話だけど本当で……!」
「……!?」
「出久、なにを言って……」
なんの話をされているのか、最初はわからなかった。爆豪もきっと同じで、訝しむように顔を顰めている。
頭の奥で、アラートが鳴っている。心臓が冷えていく。掴まれている右手首だけが熱を帯びて、緑谷の言葉が理解できずに流れていく。
人から授かった……?なにをだ。"個性"?誰の……出久の?出久の個性の話をしてるのか?
ぐるりぐるりと思考が渦を巻いていく。出口が見つからないまま、ぐるりぐるり。
「おまけにまだろくに扱えもしなくて……全然モノにできてない状態の借り物で……!」
なにを言っている?借り物ってなんだ。扱えないのは、発現したてだからだって……仕方のないことのはずだろ……そう、言ってただろ。
アラートがやまない。それどころかその音は段々と大きくなっていく。喉が渇いて、自分の動揺が、音でわかる。
「だから……使わず君に勝とうとした!けど結構勝てなくて、ソレに頼った!僕はまだまだで……!だから」
緑谷の声は言葉は、より強くなって、奏を置いていってしまう。爆豪は言い訳のようにも、慰めのようにも聞こえる言葉に苛立ったのか眉をつり上げた。このままいけば間違いなくキレ出すだろうなと思ったけど、それよりも先に緑谷が言い切った。
顔を上げて、まっすぐに爆豪を見て、言う。
「いつかちゃんと自分のモノにして、僕の力で君を超えるよ」
その声の響きを、きっと奏はこの先忘れないと思った。決意を込めた声の響き。その強い眼差しが、夕日に照らされ灼きついていく。
出久が勝己に向かってこんなにもはっきりと自分の意思を告げているのに。嬉しいのに。なんで。
嬉しさを遥かに上回る困惑、不安、動揺。それらが上手く言葉にならず、胃を掻き回すように腹の底で停滞している。
待ってくれと思った。一人で決めて行かないでくれと。
縫い付けられたように足は地面から離れず、薄く開いた口からはなにも出ない。唯一掴まれた右手だけが、確かに熱を感じ取れる。
奏が動けない中で、爆豪は急にフラリとおぼつかない足取りでこちらに体を向けた。
「なんだそりゃ……?借りモノ……?わけわかんねぇこと言って……これ以上コケにしてどうするつもりだ……なあ!?」
爆豪もまた、緑谷の方を見ないままに声を荒げ始める。苛立ちに満ちた声。喧嘩になるか?と奏は一瞬身構えた。
「だからなんだ!?今日……俺はてめェに負けた!!そんだけだろが!そんだけ……」
声は荒々しく、けど切羽詰まったような息苦しさがあった。
負けたと、爆豪は確かに言った。緑谷の個性もなにも関係なく、ただ自分が負けたのだと。
「氷のやつ見て!敵わねぇんじゃって思っちまった……!クソ!ポニーテールのやつの言うことに納得しちまった……奏を見て……!」
名前を呼ばれて、爆豪と目が合う。眇められた目にはこちらを射抜くような鋭さがあったが、やるせなさからか、左手で目元を隠してしまう。爆豪はその続きを言わなかった。
叫ぶ声に込められていたものは爆豪自身に向けられたものだ。自分の中にあった知らぬ弱さと愚かさに対しての叱責だ。
「クソが!クッソ!なあ!てめェもだ……!デク!」
覆っていた手を勢いよく振り下ろし、向けられた目はまっすぐに緑谷と奏を映している。橙色の瞳が滲んでいた。怒りと悲しみと悔しさをひとつにした表情で、爆豪が叫ぶ。
「こっからだ!俺は……!こっから……!いいか!?俺はここで!一番になってやる!!」
その声に、奏は目を開く。爆豪の声には先ほどの緑谷と同様に決意が乗っていた。
奏の知る爆豪は、自分が一番強いと信じている人間で、まわりに競い合う相手など求めない人間だった。その爆豪が今、緑谷に負けたことを認め、自分の至らなさを認め、自分は一番じゃないと認め、その上でここから頂点に立つと言う。
夕日に照らされて泣くその姿が、今まで見てきた爆豪の中で一番強く見えた。
「俺に勝つなんて、二度とねえからなクソが!」
くるりと背を向け、最後にいらぬ捨て台詞を吐くと爆豪はそのまま歩き出す。
勝己の導火線に火がついた。つけたのはきっと、いや間違いなく出久だ。
緑谷は言うべきことを言って気が抜けたのか、へにゃりと顔を弛ませる。声をかけようと口を開くと、遠くから「いたー!」と太い声が聞こえてきた。聞こえたと思ったらすぐ横を目にも止まらぬ速さでなにかが駆け抜けて風が起こり髪が乱れた。
「爆!豪!少年!」
駆け抜けたのはオールマイトで、彼は後ろから帰ろうとする爆豪の肩をがっしりと大きな手で掴む。どうやら爆豪を探して走り回っていたようで、ゼェゼェと乱れた呼吸もそのままに、オールマイトは諭すように語りかける。
「言っとくけど……!自尊心ってのは大事なもんだ!君は間違いなくプロになれる能力を持っている!君はまだまだこれから……」
「放してくれよオールマイト。歩けねえ」
爆豪は目元を手の甲で拭いながら、肩越しにオールマイトを振り返り、先ほどまで弱々しく見えた後ろ姿などなかったかのように低い声で言う。
「言われなくても!俺はあんたをも超えるヒーローになる!」
その言葉を聞いて、奏はほっとした。ああ、もう自分の知っている爆豪だと。
ならば問題はもう一人の幼馴染みだ。
夕日が色濃くなっていく。春の空は低く見えて、思わず手を伸ばしそうになる。
空の色が移り、風が流れ、空気が変わる。幼馴染みにも変化のときが来たのかもしれない。それが良い方向に向かうならいい。
「出久」
呼んだ声は、自分で思うよりもずっと落ち着いていたと思う。風は春の匂いがした。
「僕に話さなきゃいけないこと、あるよな?」
その言葉に、緑谷が静かに息を呑むのがわかった。
18:もうひとつのスタートライン
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