残響ユートピア20






 夕暮れの向こうに、夜の気配を感じ始めた頃、緑谷を家まで送ったその足で奏は爆豪家を訪れていた。呼び鈴を押そうとするとタイミングよく玄関が開いて、中から買い物バックを持った光己が現れる。

「あれ?奏くん!」
「あ……すみませんこんな時間に……勝己帰ってます?」
「勝己なら部屋にいるよ。私これから買い物行かなきゃだから上がってって!」

 光己の言葉に甘えて、奏は爆豪家へ上がる。光己に「ついでに夕飯食べてく?今夜はカレーだよ!勝己がうるさいから辛口だけど!」と誘われたが曖昧に笑って誤魔化した。
 階段を上がって二階の突き当たりが爆豪の部屋だ。ノックをしたが、返事がなかったのでドアノブを回して部屋に入る。
 部屋には誰もいなかった。おかしいな、と首を傾げると、背後でフローリングの軋む微かな音がして振り返る。
 驚きに満ちた目が奏を映していた。トイレに行っていたのか、水の流れる音がする。
 「よお」と片手を挙げると、ギンっと目がつり上がった。

「なっにしてやがる!なんでここにいんだテメー!俺の部屋だぞ!!」
「知ってるよ。お邪魔してます。おばさんが上がっていいよって言うからさ」
「あんのババア!勝手に通してんじゃねえ!」

 大きな声を出して、止まっていた思考が回転し出したのか、爆豪は改めて奏を見据えた。橙色の目には戸惑いと、苛立ちが色濃く見える。

「……なにしに来やがった」
「特に用があったわけじゃないんだけどさ」
「ハッ……!笑いに来たんか?デクに負けたってよお!」

 爆豪は目をつり上げたまま、口角を歪に上げる。奏は首裏に当てようとした手を止めて爆豪を見た。爆豪は奏の返事を待たずに言葉を連ねる。

「笑いに来たんだろ!?デクに負けた俺を!あいつ……!あいつ最後、俺の攻撃が右からくるって読んでやがった……!読んだ上でっ!訓練に勝つ算段つけてやがった!ガチでやりあっても!俺はあいつに……!」
「うるさい」

 ドス、と鈍い音が短く鳴る。奏の手刀が正面から爆豪の頭に入った。鈍い衝撃に、爆豪の動きと口が止まる。それを見てから、奏は眉を寄せて話し出す。

「お前は本当に人の話を聞かないな……笑うわけないだろ」

 爆豪は手刀を入れられて視線を下げたまま動かない、けれど奏の声は聞こえているのだと、彼の放つ音でわかる。息遣いや、心音がそう教えてくれる。
 聞いているとわかったから、奏は言葉を続けた。

「笑わないよ」

 爆豪の笑みが痛いときがある。そんな顔で笑うくらいなら泣いてくれと思うときがある。だから一番になると宣言した彼の涙は尊く見えた。

「自分の間違いに気付けたやつの、間違いをわざわざ指摘するほど僕は暇じゃない」

 励ます言葉は、きっと不要だと思った。爆豪は自分で間違いに気付いて、立ち直った。それを奏が今更なにか言う必要なんてない。爆豪にとってどうするのがいいのか奏には決められなくて、間違いの指摘も、励ましも慰めもいらないなら、奏は自分のやりたいようにやると決めた。

「お前は自分の負けを認めないと思ってた」

 明かりのついてない部屋は、窓から差し込む夕日だけが奏と爆豪を照らして包む。もう長くは持たない一日の終わりの光が、部屋の中であふれ返る。
 負けを認めないと、認められないと思っていた。爆豪が負ける姿を奏は今日まで知らなかった。負けを知らない男が、初めての敗北を前にしてどうなるかが心配だった。けど爆豪は超えて見せた。

「……てめェは、デクが勝って嬉しいんだろ」
「は?お前たまにわけわかんないこと言うよな」
「ああ!?」

 眉間にしわを寄せて言うと、爆豪はその倍以上のしわを刻んで顔を上げた。本当によくわからんなこいつ。
 奏は眉間のしわを伸ばして、爆豪と目を合わせる。橙色の瞳が、夕日の光を映して一層深く、澄んだ色をする。

「出久に勝って欲しいとか、お前が負ければいいとかはなかったよ。ただ」

 励ます言葉を持っていない。慰める言葉はきっと嫌がる。だからただ、僕が思ったことを。

「勝っても負けても、勝己は勝己だったから、安心した」
 
 そう言うと、爆豪はわずかに睫毛を震わせて目を丸めた。虚をつかれたような顔に、奏は薄く微笑みを返す。
 爆豪が誰かに負けるという姿を知らずにきた。その姿を見て、一人で乗り越えた姿を見て思ったのはそれだけだった。僕が心配しようがしまいが、勝己は僕の知ってる勝己のまま、一番になるために進んでいく。それに勝手に安心して、勝手に嬉しくなっている。それだけのことだ。
 窓から差し込む橙の光が、ゆっくりと空気に溶けるように消えていく。窓の外を見ると、太陽の姿はもう見えず、空の下の方だけが辛うじて太陽の輝きを残していた。けどそれも今、並ぶ住宅の影に沈んでいく。薄紫色の空の上に淡い紺が広がっていた。

「あ、そうだ。コンビニでからあげさん買ってきた」
「は?晩飯前だぞ」
「お前そういうとこ真面目だよな……」

 奏は片手に持ったコンビニ袋に手を入れながら、爆豪の部屋のベッドの前に座った。ベッドに座ってものを食べると爆豪に怒られるのだ。おばさんの教育の賜物か、粗野だけど育ちはいいんだよな。

「好きでしょ、辛いの。期間限定デスソース味。これ買ってるの勝己しか見たことないけど」
「……金」
「いいよ、奢り」
「ざっけんな誰がテメーに奢られるかよ」

 奢られることに対しての嫌悪感強すぎだろ。別にいいけど。爆豪が差し出した小銭を、奏も黙って受け取る。からあげさんは二人の家から一番近いコンビニに売っている商品で、紙の器にからあげが五、六個入っている。器に描かれたニワトリがからあげさんと呼ばれるキャラクターで、どことなくワイルドな雰囲気のニワトリだ。
 赤色の紙でできた器を爆豪に渡す。爆豪は顰めっ面でからあげさんを受け取ると、奏の隣にドスンと胡座をかいて座った。奏も自分用に買ったからあげさんのチーズ味を出す。黄色い紙の器に描かれたからあげさんがニヒルに笑っていた。
 からあげはまだ温かい、ペリ、と蓋を開けて、備え付けの爪楊枝でからあげを刺す。ひとつ取って口に入れると、じゅわりと肉汁が口の中に広がって、チーズの香りが食欲を刺激した。からあげの衣は薄いやつが好きなんです。
 横目で爆豪を見ると、真っ赤な衣に包まれたからあげを黙々と食べている。こいつほんとにどんな舌してんだ?でも匂いは美味しそうなんだよな。

「……デクの」
「ん?」
「デクの……あれはなんだよ」
「あれ?……ああ、帰り際の話?そんなの僕が知りたいよ」

 爆豪は奏の方を見ないまま切り出した。奏は目だけを向けて、赤くなった目元は、泣いたときに擦ったからだろうかと、そんなことを気にしながら次のからあげに爪楊枝を突き刺す。

「てめェらグルじゃねえのか」
「だから違うって、個性が発現したとは聞いてたよ。でも、それが授かったものだとか、そんなのは初耳」

 奏は雄英合格を知らせにきた日の、緑谷の話を信じていた。無個性ではなくなったという事実に浮かれていた自覚はある。だから緑谷から漏れる嘘の音に気付けなかった。

「……信じてんのか、あんなわけのわかんねえ話」
「どうだろうね……でも」

 今日の出久から、嘘の音はしなかった。
 奏は宿した個性ゆえに、他人の嘘を見破るのが得意だ。嘘だけじゃない、言葉の裏にある本音、感情。人はときに、言葉よりも自らが発する音の方が正直に己を語ってくれる。
 心音、脈拍、息遣い、声音。それらを聴き、加えて挙動を見て奏は相手の状態を測る。
 それらを総動員して、緑谷と話をした。彼からは罪悪感と、責任感、それから誠実さと決意を煮詰めたような音がしていた。奏が繰り出したいくつかの質問に対しても、嘘を吐こうという発想すらなさそうだった。肯定か否定の二択を与えられたら、嘘を吐くのだって簡単なはずなのに。あいつは素直というか馬鹿正直というか……沈黙は肯定とほぼ同義だって、わかってんのかね。まあおかげで、聞き出せるとこは聞き出せたからいいけど。
 人から授かった"個性"だと言われたとき、借り物だと言われたとき、そんな馬鹿なと笑ってやれたらどれだけよかったか。
 ショックだった。正直なところ、あの真実は、奏にとってはダメージが大きかった。
 嘘を吐かれたことじゃない。自分の知らないところで、自分の知らない人間から、得体の知れない個性を授かっていたという事実と、それに気付けなかった自分の愚かさに。
 両親ともまったく異なる個性も発現時期も、突然変異だと思えばすべて片付けられた。
 個性を授ける個性を持つ人間がいるとして、ならあの超パワーはなんだ。超パワーの個性の元持ち主がいたとして、個性を人から人へ移動させる個性持ちがいる?そんなやつらが、無個性の中学生に個性を与えた?……犯罪臭しかしない。
 飲み込んだからあげの味もわからなくなるほどに頭の奥がもやもやしている。薄暗い部屋の中にいるから思考も暗くなるのかも。
 超パワーの元持ち主は、なんで出久に個性を譲ったんだろう。メリットがあるとは思えない。まさかあいつ、金を要求されたりしてないよな……!?
 不安は尽きない。悪い方向にばかり思考が向く。緑谷は信頼のできる相手だと言った。でも緑谷は人が良い。良すぎるくらいだ。騙されていないか心配になる。
 緑谷のあの力は他人から授かったものだと、一応の理解はした。きっとあの力を得るために、受験前に筋トレなんて始めたんだ。そこまでして、個性が欲しかったのだろうか。無個性が嫌だったのだろうか。いや、それは……これは、僕がとやかく言えることじゃないか。
 なにを思ってなにを語ろうとも、自分は個性持ちだ。本当のところで緑谷の心の内をわかってやれない。緑谷もきっと、そういう意味では奏の本心などわからない。
 けど、出久が笑って歩ける道の上にいるなら、この不安も心配もどうにかやり込める。
 
「……なんだかなあ……」
「あ?」
「んーん、お前も……出久も、まだ僕の知らないところがあったんだなあって、思っただけ」

 渇いたような、湿ったような、よくわからない笑みがこぼれた。
 何年一緒にいたって、知らないところはあるし、きっと増えてく。自分だってそうなのだろう。ただ、危ない目に遭いそうなとき、知らなかったらきっと一番後悔する。ちゃんと見とかないとなあ。
 そんなことを考えると、急に胃のあたりが重たくなって、食欲が失せた。失せたと言うよりは、食べるのが疲れた。しかしまだからあげは三つも残っている。

「勝己、チーズ味一個食べる?」

 爪楊枝に一つ刺して爆豪の方を見ると、爆豪は無言でパカリと口を開けた。食わせろ、という意味らしい。

「あ」
「はい」
「ん」

 開けられた口にからあげを持っていくと、チーズの香りがするそれに食いついたのでそっと爪楊枝を抜く。普段キレるとき大きく口を開けるとこばっか見るからあれだけど、ご飯食べるときは普通なんだよな。あれだ、中学校にいた鯉に餌をあげてたときのこと思い出す。
 
「辛さが足りねえ」
「チーズ味だからね」
「おい」
「ん?」

 腕に軽く肘を入れられる。恐らくこっちを向けという意味の乱暴なボディランゲージで、爆豪の方を見ると目が合った。

「オラ」
「むぐっ」

 なに、と尋ねるために開いた口に、なにかを押し込まれる。入れられたものを理解するより先に、香ばしい、独特の匂いがした。匂いがわかると、つられて舌の理解も早まる。柔らかな肉の塊に歯を押し当てる。薄い衣を歯が押し破り、じゅわりと肉汁と一緒に香辛料のような香りが口一杯に広がった。辛い、けど意外といける。美味しい……んん?

「っ、かっ、らっ!」
「ハッ!!舌が雑魚なんだよ!」
「げほ、お前……っの、舌が馬鹿なんだろ……げほっ」

 咀嚼を繰り返していくと耐えきれない辛さが口内を襲った。味は確かに旨味があって美味しい。けど辛すぎる。辛いというより痛い。顔と舌が熱い。飲み込むと喉が焼けるようで、じわりと視界が薄く膜を張る。辛すぎるだろ、なんだこれ。
 中指を立てて凶悪に笑う爆豪を見ながら、奏は鞄からペットボトルのお茶を取り出す。緑茶の味はわからなかったが、水分で辛さは大分誤魔化せた。舌はまだ痛い。

「はー……お前将来痔になるぞ」
「なんねーわ!んなヤワなケツしてねンだよ!」

 あんな辛いもの久し振りに食べた。あそこまで辛いとは。ちびちびと緑茶を飲んで辛さを誤魔化す。辛いものを食べたせいか、なんだか失っていた食欲が戻りつつある。
 なんとなく窓の外に目を向けると、もう夕暮れの名残は残っていなかった。このまま夜が来て、新しい朝が生まれるのだろう。
 明日も晴れたら良いなと、そんなことを願った。



20:明日天気になれ

20




戻る TOP