残響ユートピア22
『声って、その人の本質が出るよな』
今朝思い出した記憶が、また脳裏に蘇る。朝よりもずっと鮮明だ。
『こういう個性だとな、色々わかっちゃうんだよ』
そう言って頭を撫でられた手の温もりを思い出す。ポロン、ポロン、音の粒が優しく降り注ぐ。一音一音を丁寧に鳴らす指。両手を鍵盤の上で滑らせながら、器用に奏の方を見る群青色の瞳。
『声に滲む人の本質やら感情やら、誤魔化しも下心も見栄も嘘も聴き分けられる』
彼はそれを優しく語る。汚い音を聴いてきたはずなのに、それすらも愛しいというように。口元に笑みを湛えている。
『もちろん、心音とか他の音から探れることもあるけど、やっぱ声がわかりやすいな』
タラララ、と並び合う鍵盤の上を指が撫でるように移動する。華やかさが増したメロディ。それでもやはり一音は丁寧に鳴っている。彼は鍵盤じゃなくて、窓の外の雨雲を眺めながら続けた。
『その人の本質を知るにはさ』
記憶の中の声に、奏は同意する。本人から発せられる声には色んなものが滲む。感情、理性、思考。
紡がれた言葉は、その人が選んだものだ。その人が今までに出会って、もらって、受け取ってきたものだ。
言葉を紡ぐ声音は、その人そのものだ。表情や仕草、あるいは言葉そのもので取り繕っても隠しきれない本質が表れるものだ。
記憶の中の彼は言う。
『まあ、なんにせよさ。人のために声を張れるって、凄いことだぜ』
完全に鍵盤から目を離し、奏を見ながら笑って。
『そういうやつがいたら、助けてやれたらいいよな』
――ああ、僕もそう思うよ。
「ただのマスコミです!なにもパニックになることはありません!大丈ー夫!」
「飯田くん……」
顔を上げて、飯田を見る。飯田は変わらず非常口のピクトグラフのポーズのまま、声を張り上げている。表情に余裕はない。
奏は足に力を入れ、パチンと強く指を鳴らす。飯田の声が遠くまで響くように、不安になる心を刺激しないように、柔らかく聞こえるように細工をする。同時に、パニックになっている生徒たちの声を気付かれない程度に小さく、響ないように変える。
「ここは雄英!最高峰の人間に相応しい行動を取りましょう!」
大丈夫と、飯田は何度も繰り返す。余裕のない表情で、ちゃんと届いているのかもわからないような不安を押し殺した声で。
声には人の本質が出る。その人のこれまでと、天性的なもの。
飯田の低い声は、きっと腹からは出ていなくて、緊張や焦りで締まった喉から無理やり出しているものだ。パニックになっていた生徒たちに安心を与えるために紡がれた声だ。
虚勢もあった。自分の心の内にある不安を見せないように取り繕われた声だった。
けどその声が、確かに奏を救けてくれた。
飯田の活躍もあって、事態は緩やかに収束した。パニックになっていた生徒たちは飯田の言葉に落ち着きを取り戻し、迅速且つ落ち着いて避難する。人の数が減ってから奏も麗日と動き出した。まずは飯田の回収だ。
非常口のシンボルになったままの飯田は器用に壁に這わされた管を伝って、低い位置まで降りてくる。床までの距離を見計い麗日が個性を解除して、ようやく合流できた。
「助かった麗日くん。ありがとう」
「いーえ!凄かったね飯田くん!」
「お疲れ様。はい眼鏡」
「む、すまない」
「はい上履き」
「むむ!」
飯田の落とし物を奏と麗日で渡していく。飯田の角張った丁寧な動きをがおかしくて少し笑う。
「しかしまあ侵入したのがマスコミとはね……」
「ねー、びっくりしたよ」
「ああ、しかし先生方が警察を呼んで対処してくれたらしいな。窓から見えたよ」
飯田に言われて窓の外に目を向けると外にはパトカーが数台停まっていた。
「あ、ほんとだ。そのまま全員しょっぴいてブタ箱にぶち込んでくれればいいのに……」
「音波くん!?」
「君以外と過激だな!?」
二人が目を丸くして奏を見る。しまった。つい口が悪くなってしまった。でもいい歳した大人が善悪の分別もできないなんて最悪すぎるだろ。オールマイトよりも今回の自分たちの不祥事を報道しろよ。
そんな風に思いながらも、奏は気を取り直して、にこりと笑って二人に向き直る。
「でも本当にかっこよかったよ、飯田くん」
「うんうん!」
「む……窓から報道陣が見えたからな。大丈夫だとわかっているのが俺だけで、みんなが不安でパニックになっているのなら安心させるべきだと……」
飯田はブレザーのポケットから眼鏡拭きを取り出し、奏の指紋がついているであろうレンズを拭いて、眼鏡を掛け直し前を向いた。
「緑谷くんなら、兄なら、ああするだろうと思ったんだ」
そう言って薄く笑う飯田に、奏は少しだけ目を大きく開く。
兄に憧れてヒーローを志したと言う飯田は、確かにその憧れを追っている。不格好でもまっすぐに自分の言ったことを体現する飯田が、奏には眩しく見えた。
その眩しさを、自身が放つ光を知って欲しくて、奏はほとんど無意識に口を開く。
「飯田くんは……」
「うん?」
「飯田くんは、出久を評価してくれるけど、僕は君のそういうところが凄いと思うよ」
奏は目線を斜め下に向けたまま、どうにか自分の思いを少しでも正確に伝えたくて言葉を探す。当然廊下にそんなものは落ちていない。真っ白な廊下を見ながら、今日までの飯田を思い出す。
入試の説明のとき、今朝のHR、昼食での会話、そして今。
「なんていうか……飯田くんって全力で正しくあろうとするよね」
「全力……」
「ブファ!」
奏の言葉に、飯田はわけがわからなそうにわずかに眉を顰め、麗日は両手を口の前にして噴き出した。
入試のときに質問をしたことや、出久に注意したことも、入学初日に勝己に注意したことも、彼の真面目さと誠実さがあってこその行動だとわかる。相手の間違いを注意できるのに、自分の意見を客観視することもできる。
「自分と他人比べて、自分に足りないものを認めて、相手を評価するのって、簡単なことじゃないと思うし……」
他人が自分より優れていると、認めるのは難しいことだと思う。唯我独尊のバケモノのような幼馴染みを長年見てきたからか特にそう思う。同じ歳の、同じ夢を追う相手ならなおさら。
「常に公平公正でいようとするとことかもさ」
学級委員を決めるときだって、投票で決めようと言い出せてしまう。自分の意思を表示しつつ、平等で公正に決めようと動く。彼は簡単にやるが、きっと誰もができることじゃない。
今も、見て見ぬふりをすることだってできた。誰かに委ねることだってできた。けどそうはしなかった。飯田は、必ず自分で動く。正しいと信じた方向に。
「そういう、いつも誠実にあろうとするところが、委員長に相応しいと思って僕は君に票入れたわけだし…」
「……君だったのか!!!」
「あ、やべ、言っちゃった」
突如飯田が声を張り上げ、指摘されて奏はパッと手で口を押さえる。飯田はジーンと天井を仰ぎ、手を胸に当てながら震え出した。しまった口が滑ったな。でもまあいいか。飯田くんもバラしてたし。
飯田の音にはブレが少ない。いつも芯があって、一定のリズムを保っている。それが彼の本質だ。
「だからまあ……なんていうか…」
奏は人差し指で頬を掻きながら、やはりどうにも上手く出てこない言葉を引っ張り出す。
「僕からしたら、飯田くんが委員長になってたって、それは十分"正しい"ことだったと思うよ」
出会ったときからずっと、飯田の正しくあろうとする姿に、奏は心を打たれてる。
下げていた視線を上げて、飯田と目を合わせる。伝わっているだろうか、上手く。君と友達になれて嬉しいのだと。
奏は悪戯っぽく、肩を竦めて笑う。飯田はゆっくりと目を見開いた。伝わったかな。
なにも言わない飯田の顔を、麗日が覗き込む。奏は余計なことを喋りすぎたかもしれないと心配になって眉を下げた。
正しさなんて千差万別、それこそきっと人の数だけあるわけで、僕の思う正しさを語ったところでなにそれ?って話だよな。
「ごめん、変なこと言ったね」
「いや……いや!そんなことはない!」
苦笑いする奏に、飯田はハッとしたように、相変わらずよくわからない激しい手の動きを見せた。それから右手を広げて、眼鏡の両縁を親指と中指で押し上げる。飯田の手は大きくて、そうやってされてしまうと顔の下半分が隠れてしまう。だから余計に目元がよく見えた。微かに水分を増した目が、内側から光るような輝きを見せる。
飯田はパッと手を下ろして、奏と目を合わせた。
「ありがとう音波くん。俺は、君のその評価に応えていきたいと思う!」
「……飯田くんはもうそのままで十分な気がするけど……」
「いや!やはり俺はまだまだだ!君の評価はとても嬉しいが……そこに甘んじてはいけない気がする」
真剣な表情でそう言う飯田に、奏はこれ以上なにか言うのも失礼かと思い、「そっか」と笑った。飯田も笑みを返す。微笑みを交わす二人を見た麗日も楽しそうに笑った。
「そういえば、音波くん顔色よくなったね!」
麗日に言われて、そういえばと思い出す。煩わしかった音が、今はただのありふれた音だ。
「うん。飯田くんのおかげかな」
「えっ、俺はなにかしたか?」
飯田が本当にわからないという顔で奏を見た。きっと多分、君は君の知らないところで何度も人を救けてきたんじゃないだろうか。そんなことを思った。
「そういえば出久はどこまで流されたんだ……?」
「あ」
「確かに」
この後もみくちゃにされてボロボロになった緑谷と合流した奏は、そのボロボロ加減に眉を下げて、可哀想にと緑谷の頭を撫でた。
「委員長は、やっぱり飯田くんがいいと……思います!」
午後のLHR、委員会なにに入ろうかななどと考えていたら、始まってすぐに緑谷がそう言った。
「あんな風にかっこよく人をまとめられるんだ。僕は……飯田くんがやるのが"正しい"と思うよ」
緑谷は緑谷なりに思うところがあり、考えて出した答えなのだろう。飯田は委員長は緑谷が正しいと言って、その緑谷は飯田が正しいと言う。やっぱり正しさは人の数だけあるんだな。
食堂でのできごとはクラスのほとんどが知っていたらしく、緑谷の提案に反対する者は誰一人としていなかった。奏だってもちろん反対しない。
「非常口の標識みてえになってたよな」
「わかる。飯田くん将来非常口のCM出られるよ」
「非常口のCMなんてあるかな……」
上鳴の言葉に奏は深く頷く。本当に、絶対出られる。イメージモデルみたいな。非常口にそういうのがあるのかはわかんないけど。
クラスの雰囲気はもう飯田が委員長になる方向に向いている。相澤はなんでもいいから早くしろと言う。この人また食事をゼリー飲料で済ませようとしてるな。ほんとよくない。米を食べろ。たんぱく質を摂取しろ。
そんなことを考えつつも奏が飯田の方を見るとタイミングよく目が合った。飯田はなにも言わないが、その視線がなにかを問うているようで、奏は薄く笑って頷く。
飯田は目を伏せ、静かに立ち上がる。その姿は毅然としていて、思わず拍手を贈る。
「委員長の指名ならば仕方あるまい!」
「任せたぜ非常口!」
「非常口飯田!しっかりやれよー!」
八百万さんには申し訳ないけど……まあ、みんな納得してるみたいだしきっと正しい方に向かっていくだろう。
奏が拍手を贈る中、こうして一年A組の学級委員長は飯田となった。
△▼△
「ほんとにマスコミなんですか?昼間のあれ」
放課後、職員室に寄った奏が相澤に尋ねると、彼はデスクに広げられた資料からちら、と充血した目を向けた。
「なにがだ」
「ご自慢の雄英バリアーを掻い潜れるような連中ですかね、マスコミって」
奏の指摘に、相澤はパラパラと資料をめくる。聞いてはいるらしい。意識は奏の言葉に向いている。それがわかっているから奏も言葉を続けた。
「相当な人数だったみたいですね、侵入したマスコミ。数人程度ならまだわかりますけど……あの人数が全員校舎侵入って、雄英バリアーを物理で突破でもしないと無理でしょ。それかワープ系の個性でもいないと」
「……それについては現在調査中だ。お前が気にすることじゃない」
そう言われてしまえば黙るしかない。たかがマスコミにあのセキュリティを突破できるとは思えない。いくらマスコミが馬鹿でも、あれはもう不法侵入、犯罪だ。バリアーを物理で破ったなら器物破損にだってなる。リスクを冒してまで、マスコミがそこまでするだろうか。
第三者の関与……は、いくらなんでも考えすぎか。けどこのまま黙るのも悔しいので反撃しておく。
「……ちゃんとご飯食べてます?ゼリー飲料は食事に入りませんよ」
今度は相澤が黙る。これは黒だ。現行犯、お巡りさんこっちです。
合理を極めし男は食事にもそれを求める。手軽で、時間が取られず、必要な栄養素の摂れる食料。携帯食やらゼリー飲料ばっかりで済ませてるなこの人。チクってやる。
奏は制服のポケットに手を入れて、相澤のデスクに銀紙に包まれたサイコロ状のそれを二つ置いた。
「……なんだこれは」
「キャラメル。あげます。糖分も摂ったほうがいいですよ」
「……」
「あ、茎わかめもある。あげます」
大袋で買ったものの余り。一度食べたら止まらなくなる、奏の最近のお気に入りのおやつだ。キャラメルの横に並べて置く。
相澤はデスクに並べられたそれらを見て、わずかに目元を和らげた、気がする。
「貰っておく」
「はい」
貰ってくれたことに満足して、教室に緑谷たちを待たせているしそろそろ出るか、と思ったところでひとつ思い出した。
「そういえば、ちゃんと先生やってるんですね」
「……どういう意味だ」
「いえ、今朝のHR、勝己と出久にかけた言葉が先生っぽかったので」
朝のHRで、相澤は昨日の戦闘訓練のビデオを見たと言っていた。そしてまず爆豪を呼んだ。能力があるんだから子供じみたまねはもうやめろと。
次に緑谷を見た。また腕を壊して解決かと。コントロールができるようになれば幅が広がる。だから焦れと。
幼馴染み二人にかけた言葉を聞いて、奏は一人、目を丸めた。相澤の人柄はわかっているつもりだ。誤解されやすいタイプだというのもわかっている。けれど予想よりもずっと教師らしい姿に驚かされた。
「向いてるんじゃないですか、教師」
笑ってそう言うと、相澤は奏を見上げてどこか燻んだ色をした目をほんの少し見開く。その表情に首を傾げた。
「どうしました?」
「……いや……昔、同じようなことを言われた」
「へえ」
誰に、と聞く前に、相澤に「そろそろ帰れ」と言われてしまったので大人しく返事をした。まああんまり職員室に長居するのよくないもんな。
職員室を出て、教室を目指す。
今朝の相澤の言葉が、幼馴染み二人に向けた教師としての言葉が、奏は密かに嬉しかった。
中学じゃあんな風に二人に言う人はいなかったと思う。まあ無個性のレッテルがないというのも大きいのはわかっているけれど、それでも。ちゃんと緑谷と爆豪を見てくれているとわかる言葉が嬉しかった。思い出して今も笑えてしまうくらいには。
22:正しい方へ手を鳴らせ
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