残響ユートピア27
「音波ぃ!先生運んだぞ!」
「ありがとう!今行く!」
峰田の声に顔を向けると、奏が頼んだ通りに麗日が浮かせた相澤を、蛙吹の舌を巻きつけて移動してくれている。13号の止血を誰かに代わってもらおうと視線を巡らせる。落ち着いた様子の障子に声をかけようとすると、隣から「行って」と声をかけられた。芦戸が涙を滲ませた目で強く奏を見る。
「私が代わるから、音波は相澤先生の方に行って」
鼻を啜りながらそう言う芦戸に、奏は目を大きく開く。すぐにポーチの中から新しいガーゼを取り出して、芦戸に渡した。
「止血に使って。なるべく声をかけ続けて、意識がなくならないように」
「うんっ」
頼むね、と最後に言えば、芦戸は力強く頷いた。奏はケープを脱ぎながら相澤の元へ急ぐ。
障子にも手伝ってもらいながら相澤の頭が畳んだケープの上にくるように下ろした。
横たわる相澤に触れて、個性を発動する。相澤の体内の状態がわかると、心臓が縮こまった気がした。
肘が砕けているのは見てわかる。頭部に傷があるのも。両腕が折れているのも。ドク、ドク、と心臓が一拍一拍を強く鳴らす。心音に呼応するように視界が揺れている。超音波で診た症状を、嘘だと思いたかった。
眼球を支える骨が、粉々になっている。それを理解して、全身からドッと汗が噴き出る。
嫌だ、と思った。心の底から。思考がぐちゃぐちゃに乱れそうになるのを自分に落ち着けと言い聞かせて踏みとどまる。
落ち着け!僕が冷静でいなきゃ……落ち着け、大丈夫、心臓は動いてる!呼吸もある!大丈夫だから落ち着け!
「両腕の患部を固定したい。誰か……」
「木の枝とかでいいんだよな!?任せろ!」
「ありがとう!気を付けて!」
顔を上げると、最初に目が合った砂糖がすぐに駆け出した。幸い階段を降りてすぐのところには植え込みがあって、背の高い木々や低木が植えられている。
砂糖が副木を用意している間に止血をしなければとガーゼを取り出す。頭部、両腕、ともに傷は深いが、腕の出血はすでに止まっているようだった。奏は新しいガーゼを頭部に当てる。
多分手持ちのガーゼじゃ足りない……!ガーゼを当ててケープで押さえるか……!?
自分のものじゃない血で、手が汚れる。心臓がうるさい。相澤に触れれば触れるほど、怪我の大きさを知る。自分たちを守るために飛び出した。教師としてプロとして、そんな彼を、ここで死なせていいわけがない。
なにより大事な兄貴分を、こんなところで死なせてたまるか!
奏は歯を食い縛る。不安になっている場合じゃない、恐れている場合じゃない。動け!救けるために!
「音波!持ってきたぞ!」
「ありがとう!瀬呂くん!手伝って!」
「よしきた!」
砂糖が持ってきた枝を副木にして、両腕の患部を固定する。ガーゼ、包帯、それから瀬呂にテープを貰って固定していく。
まったく、まだ救助訓練も受けてないのに実戦なんて……本当にどうかしてる。
相澤に意識が戻る様子はない。戻ったとしてこの痛みを耐えるのは相当辛いはず。それを考えればこのままの方がいい気もした。
意識のない相澤に、奏は心の中で強く語りかける。
相澤先生、とも、消太くん、とも繰り返し呼ぶ。声にはせずに何度も。
視てくれる人がいなきゃ困るよ消太くん……!
余裕がなかった。だから緑谷や爆豪、オールマイトたちがどうなっているのか気にすることもできない。ただ風は感じていたので、風圧を起こすほどの攻防は繰り広げられているのだと予想がつく。
瀬呂に手伝ってもらって、両腕の応急処置が終える。13号の方を見れば芦戸が声かけを続けてくれている。
「よし……!みんな動けるか!?動ける人は飛ばされたみんなの応援に……」
応急処置は大方済んだ。外への連絡は飯田が行ってくれている。次に自分たちがやるのは飛ばされたクラスメイトたちの救出だ。そう思い顔を上げたとき、轟音が響いた。
ドガァン、と、無理やり言葉にするならそんなような音。低く、厚みがある音の中にガラスが砕ける細かい音も混じっている。
バッと振り返り、セントラル広場の方を見る。広場には土埃が立ち込めて、辛うじて緑谷や爆豪、轟たちの姿が見えた。
音のした方に目を向ければ半球状の天井に穴が空いている。土埃の切れ間から、金髪が見えた。オールマイトだ。段々と晴れていく土埃から、白髪の敵とワープゲートが姿を見せた。あの大柄の敵がいない。
オールマイト……!あの脳みそ丸出し敵をぶっ飛ばしたのか……!?
敵連合の切り札であろう敵を、オールマイトが倒した。平和の象徴を殺す算段を、オールマイトが潰した。その事実にほっとして自然と口が薄く開く。
緑谷たちの方に視線をずらせば、切島を筆頭にその場を離れようとしているのがわかった。進行方向からして各エリアに飛ばされたクラスメイトたちの救出に向かうつもりなのだろう。自分たちも動かなければと思うのに、目が離せなかった。緑谷だけが、オールマイトの方を見たまま動かないから。
奏は訝しむように眉を顰めた。なんで動かない。なにしてるんだ出久。
白髪の敵と、ワープゲートが同時にオールマイトに向かうのが見えた。どうやらあの二人はまだ戦う気でいるらしい。それならなおさら、あの場にとどまるのは危険だ。巻き込まれる可能性もあれば、人質にされる可能性もある。
嫌な予感がして、汗が額を流れた。緑谷から目が離せない。
次の瞬間に、緑谷は奏の視界から消えた。正確には消えたわけじゃない。目で追いつけないほどのスピードで、オールマイトを庇うようにワープゲートへと飛び出したのだ。
その事実に数秒遅れで気付き、喉が閉まる。奏は思わず立ち上がり、緑谷の名前を叫んだ。その声が緑谷まで届いたのかはわからない。けれど緑谷はワープゲートから目を離すことなく、拳を構える。それと同時に、白髪の男がワープゲートのモヤの中に手を突っ込んだのが見えた。その手はゲートを介して緑谷の顔の前に現れる。あの男の個性がどんなものか知らないが、言動からして敵連合のリーダー格。あれだけの人数を率い、従えている男。推測でしかないが、きっとちゃんと強い。
馬鹿野郎、という言葉が声になる前に、銃声が響いた。銃弾が白髪の男の、緑谷に向けられた手に当たる。
奏は銃声がすぐ後ろから鳴ったことに気付いて振り返った。
「ごめんよみんな。遅くなったね」
いつかの合格通知の中で聞いた声。振り返った先に立ち並ぶ、雄英教師陣――プロヒーローたちの姿に、奏は体の力が抜けるのがわかった。
「一年A組クラス委員長!飯田天哉!ただいま戻りました!!」
教師陣とともに並ぶ飯田が切迫した表情で、そしてあの食堂でのときのように、みんなを安心させるために、状況を知らせるために叫ぶ。汗の浮かぶ姿に、どれだけ全力で駆けてくれたのかがわかった。
「飯田くん……!」
やってくれた。やってくれるとわかっていた。その思いが確かに叶って、叶えてもらって、あふれそうになるなにかを堪える。
雄英教師の一人、スナイプが前に出て動きを止めた敵たちに射撃を繰り返す。先ほどの銃声も彼の攻撃だったようだ。
銃弾の雨に、白髪の男はワープゲートの個性で逃走する気になったらしく、黒いモヤの中に体を沈めていく。
「この距離で捕獲可能な個性は……」
「僕だ……!」
いつの間にか13号が、階段のギリギリまで移動して、床に這いながらも個性でやつらを吸い込もうとする。ブラックホールに引っ張られながらも、白髪の男はワープゲートから顔だけを出して、オールマイトの方を見ていた。その目は狂気と殺意に満ちて爛々と光っている。
「今回は失敗だったけど……今度は殺すぞ。平和の象徴、オールマイト」
その声は奏にも聴こえて、ゆっくりとモヤが小さくなっていく。そうして完全にモヤが消滅すると、セントラル広場にいるのはオールマイトと、地面に伏した緑谷だけとなった。
逃げられた、と思うより先に、緑谷の安否が気になった。スナイプのおかげで敵からの攻撃は恐らく受けていないが、あれだけの速度で移動したということは個性の制御ができずに足を壊している可能性がある。
「なんてこった……」
「これだけ派手に侵入されて逃げられちゃうなんて……」
「完全に虚をつかれたね……それより今は生徒らの安否さ」
教師陣がそんな会話をしているのを聞きながら、奏は相澤の傍に膝をつく。すぐにプレゼント・マイクが駆け寄ってきた。
『イレイザー!』
「ひざしくん……!」
つい名前で呼ぶと、マイクは相澤を挟んで奏の向かいに膝を着く。サングラス越しの目が、労るように相澤を見ていた。
「簡単な応急処置はしてあるけど……!骨折がひどい。両腕粉砕骨折、顔面も多分折れてる……!あと、目の周りの骨がぼろぼろで……!13号先生は背中からの裂傷で出血がひどくて」
もっとちゃんと、簡潔に伝えたいのに上手く言葉が出てこない。それがもどかしくて、それを埋めようと言葉をいくつも連ねる。不甲斐なさに顔を歪めると、ポン、と優しく頭に手を乗せられた。
『オーケィ、そんだけわかってりゃ十分だ。よくやった。あとは俺たちに任せな』
コスチュームのスピーカー越しに聞く、少しノイズ混じりの声があまりにも優しいものだから、奏は唇を噛んで頷くことしかできなかった。
担架で運ばれる相澤を見送ってから、すぐにセントラル広場の方に顔を向ける。階段の下にはこちらに向かってくる爆豪、切島、轟の姿が見えた。
「勝己!」
名前を呼ぶと、爆豪が奏を見上げて目が合った。階段を駆け降りて、爆豪の前に立つ。向かい合うと、爆豪はどこか不貞腐れたような顔で「ンだよ」と眉を寄せた。大きな怪我はなく、その姿に心から安心して、深く息を吐く。
「無事でよかった……!」
爆豪が五体満足で自分の目の前にいて、いつもと変わらず口が悪いまま、そこにいる。その事実が酷く奏の心を和らげた。不安からくる緊迫感に、胸の奥に押し寄せていた暗い染みのようなものが引いていく。やっと息ができるような心地だった。
「切島くんと轟くんも無事でよかっ――」
「おい」
切島と轟にかける言葉を遮って、爆豪が奏の胸ぐらを掴んだ。体が引っ張られて、爆豪の顔が近付く。切島と轟が目を丸くするのがわかった。けど当の奏は、驚きはしたものの焦りなどはなかった。態度は乱暴だが、声音と胸ぐらを掴んだ手に怒りや苛立ちは含まれていない。
「ちょ、爆豪!なにしてんだ!?」
「なんだこの血」
「え?血?」
爆豪の視線はどうやら自分の左頬に向けられているらしく、奏も左下の方に目を動かすが当然自分の左頬は見えなかった。どこかで切ったかな、と左手を頬に伸ばそうとすると、自分の手に血がついているのを思い出した。
「音波!?どうしたんだその怪我!?」
「敵か?」
「え、あ、違う違う」
切島に続き、轟にも問われて、奏は慌てて首を横に振る。両手とも血がべったりとついていて、切島が眉を下げて心配そうに見ていた。爆豪はジッと奏を見てくる。勝己って目をつり上げてるより表情ないときの方が謎の圧があって怖いんだよな……
「僕のじゃないから、大丈夫」
「音波のじゃないって……」
切島はそこまで言って、ハッとしたように目を見開いてから、悔しそうに唇を結んで視線を足下に落とす。奏も苦く笑った。
奏に付着している血は、相澤か13号どちらかのあるいは両方の血だ。頬についたのも恐らくそうだろう。
奏のではない、という言葉の意味を理解したのか、爆豪は「紛らわしいんだよ!」とキレながら手を離した。一応心配してくれたんだろうな。わかりづらいけど。それに嬉しくなりながらも、もう一人の幼馴染みが頭をよぎった。
「そうだ、出久は……!」
奏が言うと、爆豪はピクリと眉を動かして露骨に不愉快そうな顔をした。
「クソナードなんざ知るか」
「なんでだよ。一緒にいたんだろ?」
「怪我人は先生たちが対応するって言うから、緑谷なら大丈夫だぜ!」
切島が奏の心配を払うように、拳を見せながら笑って見せる。その言葉にほっとしたが、切島が「足は折れてるっぽかったけどな!」と溌剌に続けたのでガクリと肩を落とした。
「俺たちは入り口前に集まれってさ!行こうぜ!」
階段の上を指差す切島に頷いて、階段を上がる。
雄英勤務のプロヒーローたちがこれだけ集まったってことは、学校全体に仕掛けられた奇襲じゃなかったんだな。つまり被害者は僕らだけ、よかった。
階段を上がった先で飯田と合流すると、飯田は奏に付着した血を見て、心配に声を張り上げた。奏が出血していると盛大な勘違いをしたらしく、担架に乗せて運ぼうとするので丁重にお断りしてちゃんと説明をした。ごめんよ紛らわしくて。
27:終幕
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