残響ユートピア37







 通路は影が差していて、背中をつけた壁がひんやりとして気持ちがよかった。それなのに目の前の男の瞳は燃えている。

「なに負けとんだテメェゴラァ!!俺が勝つつったろーが!」
「いや理不尽すぎでしょ」

 騎馬戦を終え、フィールドを出ようとした途中で背後から爆豪に腕を引かれた奏は、有無を言わさず、人気のない通路まで連れてこられ、そのまま壁に追いやられた。
 爆豪は目をつり上げ、眉間にいくつも縦皺を刻んでいる。つられて奏も眉を顰めた。

「なにに怒ってんだよ。勝っただろ。障害物競走はお前が三位で僕は四位。騎馬戦だってお前は勝ち上がって僕は敗退。つまりお前の勝ち。おめでとう」
「馬鹿にしてんのかあ!?ンなん勝ったうちに入んねーんだよ!」

 一層強く吠えたかと思うと、爆豪は奏の横に思い切り足をついた。ドン、と鈍く硬い音が壁から伝わる。苛立ちが音から、放つ空気から流れてくる。
 なにをそんなに怒っているのか、奏には理解できずに首を横に傾けた。それに爆豪はさらに苛立ったように口の端を引き攣らせる。あ、なんかちょっと怒らせたかも。

「俺は!テメーをサシで!直接ぶっ殺すつもりだったんだよ!なのに勝手に負けてんじゃねえ!!」
 
 そこまで広くない通路に反響した声が、ビリビリと奏の肌を刺激する。けれどその刺激よりも、爆豪の言い分があまりにも身勝手で、奏はポカンと口を開けて目を丸めた。
 
「お、まえ……そんな勝手なことを怒りながら言い切るなよ……」

 呆れて脱力する。随分と勝手な言い草だ。つまり、爆豪は自分と直接対決をしたかったと言うことだろうか?下手に聞き返すと余計に怒らせそうだから聞くのはやめた。爆豪は壁に押し付けた足を引っ込めて、代わりに悔しそうに下唇を噛む。その目が、沈む太陽を飲み込む水面のような色をしていた。そんな、欲しい物を買ってもらえなくていじける子供みたいな顔をするなよ。

「……障害物走でも騎馬戦でも、僕には足りないものがお前にはあったから勝ち進めたんだろ。それじゃ足りないの」
「……っ足りねえわクソが……」
「それは……悪かったね、期待に応えられなくて」

 直接ではなくても、勝ったのは爆豪で、負けたのは自分だ。奏からすればそこで話は終わる。けれど爆豪にとっては違うのだろう。そういえば、自分は宣戦布告を受けていたんだった。あんな風に改まって自分に勝つと言ってきたのだから、思うところがあったのだろう。そう考えると少し申し訳ない気持ちが沸き立つ。
 爆豪は斜め下に視線を落として、眉間にはしわを寄せたまま、いくらか落ち着きを取り戻した声で言う。

「……負けて」
「うん?」
「負けたこと、どう思ってんだ」

 パチリと瞬きをする。その質問をされることは予想外で、そんなことを聞いてくるのは意外だった。
 負けたことを、自分はどう思っているんだろう。奏はこのときになってようやく、自分は負けたという気持ちに向き合った。
 勝敗にこだわりはない。勝ったならば自分の力がそのときは相手を上回った証明に、あるいは自分の策が上手くはまったという実感を伴う。それだけ。
 負けたならば自分の力が相手よりも劣っていたという事実が残り、策が足らなかったと視野の狭さを知るだけ。それだけ。それだけだ。
 騎馬戦を思い返す。今になれば十五分という短い時間、あの空間に色々なものが詰まっていたなと思う。それは熱気であったり、勝利への執念だったり、敗北への恐怖だったり。そこにあった色と温度。感情と音。あそこにいた全員の。そんなものが詰まって、元の状態がわからなくなるくらいに混ぜられて、思い返せば息苦しい空間で、けれどその中で精一杯に呼吸をしていた気がする。
 そこで自分の力は周りに及ばなかった。善戦はしたと思う。けれど結果は負け。残るのはそれだけ。惜しかったなというのはあまりない。負けた以上、そこに残るのは敗者というレッテルだけだ。
 ただ、ただ、あのとき奏は勝ち負けよりもそれ以上に強く思うことがあった。それは緑谷に、爆豪に、飯田に、轟に、クラスメイトたちに恥じない自分でありたいと思ったのだ。自分に賭けてくれた障子や蛙吹、峰田に応えたいと思った。自分には欠落しているなにかがあって、それは幼い頃からなんとなく思うことだった。それがなんなのか、段々と明確になりつつあって、けれどまだぼやけている。体育祭に臨むクラスメイトと、幼馴染みたちと同じ場所にいるはずなのに見ているところが違う。そこに賭けるなにかが違う。
 爆豪が、ゆっくりと視線を上げて、奏で止めた。正面から見られて、その目の色にどこか期待が滲んでいるような気がした。なにを、求められている。今度はゆっくりと、奏が視線を下ろした。

「……負けて、不甲斐ないと思うよ。一緒に戦ってくれた三人に……申し訳ないと思ってる」
「……そんだけか」
「まあ……そうだね。強いて言うなら、このくらい」

 ちらりと視線を上げる。自分を映す爆豪の目は、どこかに失望と、安堵を織り交ぜているように見えた。見えたし、そういう音が聴こえていた。なんだろう、期待通りじゃなかったけど、最悪ではなかった……みたい、な。
 爆豪は一瞬、本当に一瞬、奏と目を合わせた瞬間にだけ、ほんの僅かに、口元を緩めた。注意していなければ見落としてしまうほどに、微かに口角を上げた。ほっとしたような、そんな顔だった。けれどすぐに眉を強く寄せて「てめえはやっぱりクソだな」と吐き捨てる。

「……飯」
「ん?ああ、うん。食堂行こうか。混んでるだろうな。嫌だなあ」

 ズボンのポケットに両手を突っ込んだ爆豪は、くるりと背中を向ける。そのまま歩いて行ってしまうかと思ったが、どうやら昼食に誘われたらしい。奏は爆豪の隣を歩く。
 理不尽に怒ったと思ったらいじけたような顔したり、安心したような顔を見せたり……忙しないな、こいつ。
 横から見る爆豪はもういつも通りだ。
 二人分の足音が、バラバラに鳴る。歩幅も歩調も違うのだから当然だ。けれど時々、ピタリと重なるときがある。そしてまたすぐにバラバラに鳴り出す。それが意外と心地良いと、奏は思っている。

「……ん?」

 不意に、奏の思考に声が入り込む。前方からだ。咄嗟に爆豪の前に腕を広げて進行を制した。

「あ?んだよ」
「静かに、誰かいる」
「別にいたっていいだろが」
「それはそうだけど……なんかちょっと、様子がおかしいって言うか……」
「様子?」
「話し声が聴こえるんだけど……ちょっと、切迫感がある」

 爆豪は顔を顰めて、奏も眉間にしわを寄せた。二人は顔を見合わせる。奏はパチンと指を鳴らした。念のため、自分たちの音を消す。
 奏は聴こえてくる声に耳を澄ませた。距離は遠くない。聞き覚えのある声だ。人の気配は二人。あれ、これって……

「轟くん……と、出久?」
「あ?」

 二人の名前に、爆豪は露骨に嫌そうな顔をした。そしてその二人がいるのだとわかった途端に、止めていた足を動かし出す。

「おい勝己」
「なぁんであいつらに俺が気を遣わなきゃいけねーんだよ!」
「いやだから、なんか様子がおかしいんだって」
「ああ?知るかそんなもん」

 爆豪は先ほどよりも大股に、ドスドスと足音を響かせるように歩く。しかしその足音は奏が個性で消しているため周囲には聞こえていないだろう。奏は爆豪の後に続きながら緑谷たちの方に意識を向ける。
 なんだろう、あの二人が今なにを話すんだ?多分出久だと思うけど、変な緊張感を放ってる。轟くんからは苛立ち……いや、怒りとか、恨みに近い音が聴こえている。なんにせよ穏やかな雰囲気じゃない。場合によっては割って入ることも考えよう。

「勝己、そこ右に曲がったとこにいるから」
「そーかよ」

 これは止まらないだろうな、と奏は呆れる。けれど逆に通り抜けてしまった方がいいのかもしれない。緑谷と轟の会話を中断させるには、むしろその方がいいのかもしれないなと思う。
 思っていた。この瞬間まで。

「俺の親父はエンデヴァー。知ってるだろ。万年No.2のヒーローだ」

 その声が聞こえて、爆豪はピタリと足を止めた。恐らくは、聞こえた轟の声が、あまりにも低く、とても騎馬戦を一位で通過した選手のものとは思えなかったからだろう。喜びも満足感もない声。
 轟と緑谷が奏たちに気付く気配はなく、轟は緑谷に向けて話を続ける。

「お前がNo.1ヒーローのなにかを持っているなら俺は……なおさら勝たなきゃいけねえ」

 その言葉に、奏は目を細めた。やっぱりオールマイトとのことが気に食わないのだろうか。だとしても、そこに父親の名前を出す理由がわからない。
 フレイムヒーロー、エンデヴァー。雄英高校ヒーロー科の卒業生で、高い戦闘力を持ち、敵検挙率は一位。オールマイトに次ぐヒーロー。そして轟焦凍の実の父親。つまり轟は、No.2の血を継ぐ者。
 そうらしい、みたいな噂は聞いてたけど。本当にエンデヴァーの息子だったのか、轟くん。

「親父は極めて上昇志向の強いやつだ。ヒーローとして破竹の勢いで名を馳せたが……それだけに生ける伝説、オールマイトが目障りで仕方なかったらしい」

 奏と爆豪は黙って壁に背をつける。音は個性で消しているから向こうに聞かれる心配はないはずなのに、無意識に息を潜める。

「自分だけでオールマイトを超えられねえ親父は、次の策に出た」
「なんの話だよ轟くん……僕に……なにを言いたいんだ……」

 緑谷の声には困惑と、僅かな恐怖が乗っていた。緑谷も爆豪も、きっと感じ取っている。轟が放つ、黒く塗り潰されたようななにかを。

「個性婚、知ってるよな」
「……超常が起きてから第二、第三世代間で問題になったやつ……」

 冷たい声だった。どうしようもない怒りを内に必死に抑え込むようなそれに、奏は一瞬脈が乱れる。他人の感情が乗った音に集中しすぎるのはよくない。意識を逸らすように、奏は何度か手を握っては開くを繰り返す。

「自身の"個性"をより強化して継がせるためだけに配偶者を選び……結婚を強いる。倫理観の欠落した前時代的発想」

 個性は受け継がれ、混ざり合い、変化していく。奏の超音波も、両親の個性が混ざり合って受け継いだ複合的個性だ。個性は人間のポテンシャル。ものによっては、社会的に尊重されるものもあるだろう。強い個性を持った人間の子供は、その強い個性を継ぐ。
 個性婚、今ではもうほとんど聞かなくなった言葉だ。しかし奏の祖父母の世代では確かにそういった婚姻関係があったと聞く。今の時代でそれが行われていると知れば、それなりに野次られることだろう。
 まさかな、とは思う。けれど轟自身がその言葉を使った時点できっと確定していた。嫌な汗が額に浮かぶ。

「実績と金だけはある男だ……親父は母の親族を丸め込み、母の"個性"を手に入れた」

 ドクリと、血の流れが遅くなるような感覚があった。視界が狭くなって、思わず一歩引こうとするが、背をつけた壁がそれを許さない。

「俺をオールマイト以上のヒーローに育て上げることで自身の欲求を満たそうってこった。鬱陶しい……!そんな屑の道具にはならねえ」

 言葉が重い。怒りだけじゃない。恨みと憎しみも合わさって、轟が紡ぐ父を語る言葉は負の感情を伴って地面に落ちて積み重なる。

「記憶の中の母はいつも泣いている……」

 声が少しだけ和らいだ。母を想う気持ちが、負の感情を浄化している。けれど母を想う優しやよりもずっと、父を憎む気持ちの方が強いのだ。

「お前の左側が醜いと、母は俺に煮湯を浴びせた」

 ゾッとした。全身の毛穴が開いて、肌が粟立つ。下半身から這い上がるような寒さが身体を貫いて、息ができない。
 轟の左側。炎を操る半燃の個性。父の血を継いだ確たる証拠。
 奏は思わず握っていた右手で口を塞ぐ。轟くんの、左側の火傷痕って……
 声を出しても轟たちには聞こえない。けれど声も出せない。言葉が見つからない。赤い髪、青い瞳、左目の周りを覆う痛々しい火傷の跡。
 轟の母親、右の個性の持ち主にとって望んだ結婚ではなかったのかもしれない。それどころか、轟を産むことさえ、望んでいなかったのかもしれない。父親の目的のためだけに産まれた子だとしたら、それが轟だとしたら。そんなのは、あまりにも――

「ざっと話したが俺がお前につっかかんのは見返すためだ。クソ親父の個性なんざなくたって……いや……」

 一度言葉を止めて、轟は言い直す。より強い言葉と、より強い憎しみで。

「使わず"一番になる"ことで、やつを完全否定する」

 それはきっと、復讐だ。轟から父親への。



37:どうしようもない感情の末路
 

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