残響ユートピア39







「というわけで、音波と鉄哲が繰り上がって十六名!組はこうなりました!」

 ミッドナイトが腕を開きモニターに視線を誘導する。そこにはオーソドックスなトーナメント表が映し出されていた。
二つのブロックに分けられ、各ブロックで勝ち抜いた者同士で決勝が行われる。
 奏はモニターを見上げて視線を走らせた。

「ゲェッ!最初音波とじゃん!?」
「だね、上鳴くん。よろしく」

 声の聞こえた方を向くと、上鳴が大袈裟に身体を強張らせながら同じようにモニターを見上げていた。よろしくと言えばヒクリと頬を引き攣らせる。ちょっと悲しい。でもまあほぼA組だから当たるとは思ってたけど、いざ真正面からサシでクラスメイトやり合うとなるとなかなか気まずいものがあるよね。
 トーナメント表を改めて見上げた。第一試合は緑谷対心操。例の尾白くんが辞退することになった原因とも言える相手とか、大丈夫かな出久。勝己は……
 視線を横に滑らせる。爆豪の隣に並んだ名前に、奏は思わず顔を顰めた。勝己の初戦、麗日さん?なんというか……いやいや、え〜……草食動物対肉食動物って感じだな……不安だ。出久とは別の意味で。
 爆豪と奏は別ブロックだ。もし当たるなら、決勝しかない。それに気付いて、奏はゆっくりと場所を移動し、爆豪の隣に立つ。爆豪は気配で奏が隣に立ったことに気付いただろう。けれど反応はしない。ただ二人、黙って同じ方を見る。ざわめく周囲の音が遠くなって、代わりに爆豪からあふれる音がよく聴こえた。春の風に、夏の匂いが混じっている。

「お前と当たるなら、決勝だね」

 そう声をかけると、爆豪はピクリと肩を跳ねさせて、トーナメント表を見上げたまま低い声で返してきた。

「……俺が取るのは完膚なきまでの一位だ。中途半端な結果はいらねえ」

 ザリ、と靴裏が地面を擦る音がした。爆豪が奏の方を見る。応えるように奏も爆豪を見た。目は鋭く、怒りにも決意にも見えた。

「来いや、今度こそ。決勝でぶっ殺してやる」
「それ宣戦布告?それとも殺人予告?」

 呆れて脱力する奏に、茶化されたと感じたのか爆豪の目がつり上がる。爆豪が声を荒らげる前に、奏が口を開いた。一度目を伏せ、またそれを爆豪に向ける。

「お前が僕になにを求めてんのか……わかんないけど、こんな形でトーナメントに参戦することになったんだ。やれることはやる」
「……!」
「受けるよ、お前の宣戦布告……決勝で会おう」

 そう告げると、爆豪の眉間からしわが消えた。丸めた橙の瞳が奏を映す。いつもより幼い表情。
 理解ができないから、その理由ばかりが知りたかった。それは自分にはない欲求だから余計に。知ることが、理解することが向き合うことだと思った。けどあんな顔をさせてしまった。敗退した自分に、宣戦布告を正面から受け止められなかった自分に向けたあの子供のような顔。あの顔が頭から離れない。だから今度は応えたかった。
 決勝で会おうと言った奏の言葉に、爆豪は一瞬表情を無くし、そして笑った。目をつり上げ、歯茎を見せながら。交わしている言葉はそれなりに十代の若さ特有の青さを含んだもののはずなのに、その笑顔と言うには加虐性が強すぎる笑みは、けれど確かに奏の求めたものだった。

「ハッ……!ったりめえだ!決勝でぶっ殺してやる!」
「だから殺すはやめろ」

 もっと他にいくらでも言い方はあるはずだろ、と呆れながら目を細める。そしてため息にも近い息を吐いた。

「ま……お互いに決勝まで進めるかだよ。まずは初戦だね」
「あ、おい」
「ん?」

 奏の言葉に、爆豪がハッとしたように動きを止めた。目を向けると、淡々とした表情でこちらを見ている。そして衝撃の一言を口にした。

「麗日ってどいつだ」
「…………お、お前……!」

 奏はよろりと一歩下がり、大袈裟に驚いてみせる。いや実際に驚いてはいた。こいつ……こいつ……!

「お前!いい加減クラスメイトの名前と個性くらい覚えろ!」
「あ!?モブどものことなんざ知るかあっ!」

 奏が声を張ると、爆豪も負けじと声を張り上げる。奏はわざとらしく顔を片手で覆いながら、深くため息を吐いた。指の隙間から、クラスメイトたちを見る。彼女はチアガール姿で爆豪の方を見ながら眉間にしわを寄せて青ざめていた。

「麗日さんだよ、ショートカットの……目が大きくて……」
「……ああ、丸顔か」
「まっ……お前、間違っても本人にそういうこと言うなよ……!?」
「デクとつるんでる浮かすやつだろ」
「それはあってるけどそうじゃないんだよ……!」

 デリカシーってものがないのか、と呆れて言葉も失うと、『よーし!』とアナウンスが会場に入った。中継席の方を見上げると、マイクが大きく拳を突き上げている。

『それじゃあトーナメントはひとまず置いといて、イッツ束の間!楽しく遊ぶぞレクリエーション!』

 マイクの言葉に合わせて、朝にも上がったカラフルな煙花火が上がる。パンパンパンッ、と続けて煙が上がると会場の空気もつられるように弾けていく。

「出る?レクリエーション」
「出るわけねーだろ」

 ケッ、とつまらなそうに両手をズボンのポケットに突っ込み、爆豪は顎を出す。猫背の丸まった背中がめんどくさいと物語っていた。離れていくその背中を見送った奏も、先ほどまでは一つくらいなにかに出ておこうかと思っていたが、トーナメントに進む以上そんな気にもなれない。体力温存が一番だ。
 フィールドに小型の雄英ロボが入ってくると、フィールドに沿った白線を引き始めた。白線が引かれると普通の体育祭の姿に近付いた気がする。

「邪魔ダ、出テイケ」
「おっと、これは失礼」

 ぼんやりとロボたちの様子を眺めていると、シッシッと妙に人間臭い動きでフィールドの端に追いやられてしまった。なるほど、競技に参加しない生徒は白線の外で応援なんかに興じてもいいらしい。少なくともA組女子のチアガールたちは、その姿のまま競技に参加するクラスメイトたちの応援をするようだ。
 奏はクラスメイトの方を見渡すが、目当ての人物がいないことに首を傾げた。
 控え室の方に戻ったのかな、と奏も通路に向けて歩き出そうと出した足を、少し考えて戻した。話がしたいけれど、もう少しあとの方がいいような気もしていた。気持ちに整理をつける時間が互いに必要かもしれないと思ったから。
 トイレに行っておこう、と理由をつけてスタジアムの中に入る。薄暗い通路は体育祭の熱気を薄く隔てていた。自分の足音よりも、歓声やざわめきの方がずっと大きく聞こえた。
 トイレに行って、どうしようかと考える。競技に参加するつもりはないが、このままフィールドに戻るか、どこかで精神統一でもするか。変わらず緊張はしていない。どうしたもんかなと思いつつも、足は取り敢えず来た道を戻っている。ぽてぽてと歩いていると、前方から複数の足音が聴こえてきた。なんだ?
 顔を上げると、曲がり角からいくつもの鮮やかな黄色が現れた。揃いの衣装を着た彼女たちは、奏を見つけると「あっ」と目を丸めた。

「いたーー!!」
「え」

 先頭を歩いていた芦戸が声を響かせて、ビシッと奏を指差す。奏が戸惑い、たじろいでいる間に、チアガール姿の女子たちは黄色いスカートの裾をはためかせ、あっという間に奏を囲い込んだ。

「確保ー!」
「イケメン捕まえた!」
「ちょっとツラ貸しなよ」
「ええ……?なに?なんかあった?」
 
 芦戸に腕を掴まれ、姿は見えない葉隠がぴょこぴょこと飛び跳ねてスカートを揺らし、耳郎がクイっと顎をしゃくる。なにが起きているのかまったくわからず、奏はただ眉を下げるしかない。
 麗日の方を見ると、麗日は小さくポンポンを揺らしながら苦笑いをしている。蛙吹はいつも通りだし、八百万はどこか気恥ずかしそうに視線を斜め下に落としていた。

「音波さー!これ着てよ!」
「これ?」

 ニコニコと楽しそうに笑う芦戸に渡されたのは綺麗に畳まれた学ランと白い手袋、それに赤いハチマキと同じ色の襷。ますますわけがわからずに、奏は深く首を傾げる。

「……なにこれ?」
「ヤオモモ製!応援団の服だよー!」
「音波!応援団長やってよ!」
「…………なんて?」

 葉隠がブンブンとポンポンを振り回し、芦戸がビッと再度奏を指差した。奏はわけがわからず女子たちの顔を見渡すと耳郎が腕を組む。

「ほら、ウチらこんな格好させられてるじゃん?」
「ああ……峰田くんと上鳴くんだっけ」
「そー!でね!女子だけ恥かくのはずるくない!?ってなって!」
「男子にも応援団の格好してもらおーってなったんだよ!」
「はあ……」

 女子の勢いに気圧されつつも、奏は曖昧に頷いた。なんだかんだ楽しんでいるように見えたが、それなりに思うところはあったらしい。

「じゃあ峰田くんと上鳴くんに着てもらいなよ」
「いや、別にあいつらの応援団姿見ても得しないし」

 スパ、と切れ味のいい言葉で拒否をしたのは耳郎で、彼女が「ね」と葉隠や芦戸の方を向くと二人は大きく頷いた。酷い言われようだ。

「どうせならイケメンの応援団姿見たいなーってなったところで!」
「音波に出くわしたってわけ!」

 芦戸にいい笑顔でポンと肩に手を置かれる。つまりなんだ、完全にとばっちりってことだ。わざわざ服まで用意するとは、なんというか……凄い。

「ええ……じゃあ僕関係ないんじゃ……」
「まあまあそこは置いといて!」
「そこの部屋で着替えてきなよー!」
「ええ……」

 葉隠にグイグイと背中を押され、トーナメント出場者用の控え室に押し込まれる。これは多分着るまで解放されないぞ……
 奏は抵抗するのも面倒に思えて、大人しく控え室の中で着替えた。八百万製と言っていたが、縫い目も裏地もしっかりした学ランで、それらしく上着の裾は長い。襷はきちんとした結び方がわからなかったけど多分あってるだろうと思いながら締めて、悩んだがアイマスクを外してハチマキを巻き、白い手袋をはめる。
 部屋から出ると、扉の音に反応した女子たちが一斉に振り返った。奏の姿を目視すると、それぞれが目を輝かせる。

「着たけど……」
「おおーー!」
「さすが音波!期待通り!」
「音波くん着こなしとるね!」
「お似合いですわ!」
「素敵よ音波ちゃん」
「ありがとう……?」

 次々に女子からお褒めの言葉をいただきつつも、なんだろうこの状況は、と奏は上手くついていけない。けどまあ満足してもらえたならよかった。
 安堵していると、芦戸がポンポンを持った手を突き上げ、「応援行こー!」とよく通る声を響かせたので、奏は従って後ろを歩く。

「ねえねえ!音波くんあとで一緒に写真撮ろ!」
「写真?」

 葉隠が奏の隣に立ってそう言うと、ぐるりと芦戸が体ごとこちらに向けて、器用に後ろ歩きで会話に混ざる。

「音波!アタシとも撮ろ!?」
「あ、ウチも欲しい」
「で、ではよければ私も……」
「ケロ、みんなで撮りましょ」

 移動中にも会話は盛り上がっていく一方で、奏はどことなく居心地の悪い気持ちになる。なんかこう……女子って凄い。あとこの格好ちょっと暑い。襟のフックは最初から留めていないのをいいことに、風を送るようにパタパタと引っ張りながら、そうだ、と奏は八百万の方を見た。

「そういえば、この服は八百万さんが用意したって……みんなのやつもそう?」
「ええ、すべて私の創造で準備しました」

 八百万百――"個性"、創造。自らの身体から生物以外のあらゆるものを創り出す。生成には対象の分子構造まで理解している必要がある、とのこと。
 へえ、と奏は感心して頷く。改めて万能な個性だし、それを使いこなす八百万さんってやっぱり凄いんだな。さすが推薦入学者。けど奏は、この衣装を用意したのが八百万というのを聞いてから引っ掛かっていることがあった。

「創り出すって……ゼロからはなにも産まれないよね?大丈夫?これ創ったことで本戦に影響しない?」

 奏が尋ねると、八百万は少し驚いたように目を丸め、不思議そうに奏を見た。その様子に首を傾げると、八百万はハッとして笑顔を見せる。

「ええ、私の個性は蓄えた脂質を変換して創られています。衣装数人分なら大きな影響はありませんわ」
「脂質を……」
「はい、なので昼食はカロリーや脂質を考えて選びました」
「そう……でもじゃあ、コレ」

 奏はポケットから手のひらに収まるほどの個包装のそれを渡した。奏のハマっている茎わかめである。

「これは……?」
「茎わかめ、嫌い?」
「わかめですの?この小さな袋に包装されているのが?」

 八百万は差し出した茎わかめを不思議そうに見つめて、奏の言葉を聞くと目をキラキラさせて口を手で塞いだ。もしかして食べたことないのかな……?まあ八百万さん、育ちが良さそうだもんな。

「大した足しにはならないと思うけど……よかったら」
「……!ありがとうございます。いただきますわ!」

 どこか高揚した様子で奏を見る八百万に、茎わかめ一つでこんなに喜んでくれるとは、と少し罪悪感のようなものが芽生える。ポケットに入れてたやつだし、なんか申し訳ないな。

「カリカリ梅もあげる」
「まあ!いいんですの!?初めて食べますわ!」
 
 この間スーパーで買った大袋の安いやつだけどめちゃくちゃ喜んでくれる。たまに食べたくなるけど一人で一袋はちょっとしんどくなるんだよなカリカリ梅。

「麗日さんもあげる」
「え!ありがとう!」

 八百万の隣を歩いていた麗日にも一つ渡す。

「梅って見るだけでなんかもう口の中酸っぱくなるよね」
「わかる!」

 他愛もない話をしているうちにフィールドまで戻ってきた。途端に異質なざわめきが波及するのがわかる。その原因が自分だと言うのもわかる。

『ヒューー!どーしたA組!?チアに続いて応援団かよー!ウケる!』

 ウケるな。ちらりと実況席の方を見上げれば、笑っているマイクと、呆れたような冷たい目を向ける、ミイラ男ならぬ相澤がいた。
 他科の生徒たちが集まっている方からはキャイキャイと高い声が聞こえていて居た堪れない。やっぱり断るべきだったかなと思っていると、ズンズンとこちらに向かってくる人物に気付いた。

「音波ィ!テメ、音波ィ!」
「この裏切り者がぁ……!」
「上鳴くん、峰田くん、顔が怖いよ」

 上鳴は眉を寄せて、峰田は下唇を噛み、表情に影を背負いながら凄む。なんだ一体。

「なんだその格好!一人でモテようとしてんじゃねーぞ!」
「ええ?別にモテてないし……」
「いーやモテてる!みろ!他科の女子がみんなお前見て黄色い声上げてんじゃねーか!さっきまでなかったぞこんなん!」
「ええ〜……じゃあ代わってよ。ていうかこの格好君たちのせいなんだけど……」

 奏が学ランを脱ごうとすると、芦戸が「えー!」と不満げな声を上げた。A組女子からブーイングが起こる。

「まだ写真撮ってなーい!」
「上鳴たちはいいよ」
「あ!ねえ上鳴くん写真撮ってー!」
「味方が一人もいねえ!」
「クソ……ちょっと顔がいいからって女子どもを味方につけやがって……!」

 しまいには峰田が血涙を流し、上鳴は葉隠のスマホを押し付けられていた。
 奏は葉隠に腕を引かれて、スマホのカメラに向けてピースをとる女子たちに囲まれる。羨ましそうにこちらを睨む上鳴がスマホを操作するとパシャリと小気味のいい音が聞こえて、スマホを受け取った葉隠から「あとで送るね!」と声がかかる。
 
「次の競技なに?」
「大玉送りだってよ……ケッ!」
「うちは誰か出るの?」
「障子と口田が出るっつったかな?」

 ああ、確かに二人は体格いいもんな。ペア競技だろうし、いい結果が出そうだ。さっきまではパン食い競走が行われていて、砂糖が出場していたらしい。手にあんぱんを持った砂糖が戻ってくるなり「どうした音波、その格好」と問われた。そりゃそうか。

「ちょっと色々あってね……」
「お、おお……お前も大変だな。あんぱん半分やろうか?」
「大丈夫、ありがとう」

 そのあとも切島に「イカすぜ音波!」と拳を握って褒められたり、瀬呂に「そういうのノってくれんのね」と笑われたりした。応援団らしい応援もせずに、いくつかの競技を観戦していると、ポンポンを揺らしながら麗日が近付いてきた。

「音波くん、一緒に写真撮らん?デクくんも飯田くんもいないからあとで見せたげようと思って!」
「そういえば二人とも見ないな……」

 どこかでトーナメントに向けての準備をしているのかもしれない。探し出してまで声をかけるのは野暮だと思ったのだろう。女子に囲まれた写真を二人に見せるはちょっとあれだし、麗日と撮り直すのは悪くないかもしれない。

「デクくんたちともあとで一緒に撮りたいねえ」
「ああ、いいね」

 そのときはさすがにこの格好じゃなくていいかな、と心の中で思いながら、奏は自分のスマホを出す。麗日のガラケーよりもこっちの方が撮りやすいと思ったのだ。

「僕自撮りってできないんだよな……誰かに頼むか……あ、瀬呂くん、写真撮ってくれない?」
「お、瀬呂くんに任せなさいよ」

 近くにいた瀬呂に声をかけると、瀬呂は笑って快く引き受けてくれた。麗日と並ぶと、麗日は右手に持ったポンポンをカメラの方に突き出して笑うので、奏は左手で拳を作りカメラの方に突き出して同じポーズをとる。シャッターが切れる音がして、瀬呂が「ほい」とスマホを返してくる。麗日と写真を確認すると、縦長に全身が入るようにして、ポーズをとる二人が写っていた。

「おおー!」
「上手いね瀬呂くん」
「へっへっへ、どんなもんよ」

 麗日と感嘆の声を上げると、瀬呂は満更でもなさそうに鼻の下を擦った。写真一枚でもセンスが出るもんだな、ともう一度写真を見る。麗日の弾けるような笑顔はいつも通りで、けれどどこか硬いような気もした。

「写真送るよ」
「お!ありがとう!」

 トークアプリを開いて、麗日個人に写真を飛ばす。「思い出増えるねえ」と笑う彼女の言葉に、奏も微笑んで「そうだね」と返した。そういえば、あんまりないな、クラスメイトと写真撮った記憶。勿論、中学の学校行事でも写真を撮ることはあった。けれどそれは大抵緑谷と、時々捕まえた爆豪と写るくらいだった。思い出が増える。そうか、そうだよな。結果を残すことばかりに囚われていたけど、ちゃんと記憶に残る学校行事なんだよな、今日だって。
 空は抜けるような青。聞こえてくる音は賑やかで、競い合う場がこんなにも華やかなことに今更気付いた。

「麗日さんは……」
「ん?」
「こういう競い合う場で……実際、あんなふうに意気込んでたのに楽しむことも忘れないんだね。凄いな……」
「へ!?ど、どしたん急に!」

 下手に湿った声で話し出したせいか、麗日は携帯から顔を上げて驚いたような顔で奏を見た。しまった、そんな重い話じゃないのに。喋り方が悪かった。
 目を泳がせながら言い淀む奏に、麗日はなにを思ったのか、ぎゅ、と携帯を握り締めて小さく笑った。

「そんなんじゃないよ。本当……楽しみもしたいけど、どっちかっていうとこれは緊張を紛らわせようとしてて、結構必死やし……」

 そう言われて、ああ、と奏は納得した。どこか硬い表情は、きっと自分の緊張を解きほぐそうとするためのものだったのだ。ぎこちない笑顔も、楽しもうとする姿勢も、きっと心を乱れないようにするため。おまけに麗日さんの初戦の相手って勝己だもんな……そりゃ落ち着かないか。
 麗日はパッと顔を上げて奏の方を見た。

「それを言ったら音波くんは凄いよね!いつも通り!通常運転!冷静沈着!」
「ああ……僕あんまり緊張とかしないタイプで……」
「そうなん!?いいなあ!」

 でも奏からしたら、ちゃんとひとつの物事に向き合って感情を左右する麗日の方が羨ましかった。
 余計なことを思い出しそうになったとき、アナウンスが入った。マイクが会場全体に告げる。

『さあー!レクリエーションも残すところあと二つ!トーナメント出場者はぼちぼち準備しろよなぁ!?aer you ready!?』

 自然と奏と麗日の視線は吸い寄せられるように実況席に向いた。麗日の顔に緊張が走る。奏はクラスメイトたちの方を見る。いまだに目当ての人物は戻っていない。トーナメントが始まる前に話がしたかった。着替えるついでに探してみようか。

「麗日さんたちは着替えないの?」
「あ、そうやね、そろそろ着替えんと……おーい!」

 麗日はポンポンを振る女子たちの方へ駆け出していく。奏も通路の方へ向かった。
 騒がしい場所は苦手だから、中に入るとドッと気が抜ける。音が遠くなるだけで随分と楽だ。ため息にも似た、細い息を長く吐き出すと、前方から足音が二つ。反射的に顔を上げた先には、探していた人物がこちらに向かって来ているところだった。

「いた、尾白くん!」
「あ、音波……え?」
「かなちゃ……んん!?」

 前から歩いて来たのは尾白と緑谷で、奏は軽く手を挙げると、二人も奏を目に留め、その目を丸く見開いた。

「どうしたのその格好!」
「応援団……?」

 ワッ、と緑谷がなぜか興奮気味に叫び、尾白が困惑した様子で呟いた。ああそうだ、この二人にはまだ見せてなかった。

「いや、まあ色々あってね……」
「写真撮っていい!?」
「あ、俺撮ろうか?」
「いいの!?ありがとう!アッ、待ってでも僕は逆に邪魔だから……かなちゃんのピン写真があればいいので……」

 緑谷が口元に手を当て、どこか遠くを見つめるような目でブツブツ言い出したところで、奏は尾白の方を見た。

「尾白くん、あの……」
「ん?」

 奏は口を開いて、そこまでして、なにを言えばいいのかわからなくなった。言いたいことが上手く言葉にならない。開いた口を閉じることもできないまま、眉を寄せて頬を引き攣らせる。

「音波?どうかしたの?」
「いや……えっと、ごめん。尾白くんと話をしたかったんだけど……」
「俺と?」
「うん……君の辞退があったから、繰り上げで僕がトーナメントに出ることになったんだし……」

 そこまで言うと、視界の端で緑谷が顔を上げてこちらを見るのがわかった。奏は言葉の続きを探す。
 尾白の辞退が、奏のトーナメント出場になった。だからなんだ。ごめんは絶対に違う。ありがとうはもっと違う。なにを言っても自己満足だ。なにを伝えても間違えている。けどなにも言わないのだって違う。
 言葉に迷う奏を見てか、尾白はしばらく黙って、それからふっと穏やかに笑った。

「音波って……律儀というか、生真面目というか……責任感が強いよね」
「え……いや、それを言ったら尾白くんもでしょ。辞退だなんて」
「あはは、そうかも」

 尾白は奏が思っていたよりもずっと明るく穏やかな空気を纏っていた。そんな尾白に伝えたい想いを伝える術がなくて、奏は口を開いてはまた閉じる。そんな奏に、尾白は目を合わせて微笑んだ。

「大丈夫だよ。ちゃんと伝わってる」
「え……」
「さっき、緑谷にも言ったんだけどさ」

 尾白は一度緑谷の方を見て、その視線を右手で作った拳に向け、奏に視線と、拳を向けた。

「勝手だけど、俺の分まで頑張ってくれな」

 その向けられた言葉と、込められた熱意に、奏は静かに目を見開き言葉を失う。目の前で向けられた拳と視線を、素早く交互に見て、それからきつく唇を結んだ。
 結局、言いたいことはひとつも言葉にならなくて、けどそれでも受け止めたい想いがある。だから奏は、静かに右手を握り締めて、その拳を、尾白のものと合わせた。

「――うん」

 たった二文字と頷きだけで、尾白は嬉しそうに笑う。
 昂りも、緊張もない。揺れない感情。けれど確かに、奏の胸の熱は上がった。



39:上昇温度

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