残響ユートピア43






「っし……そろそろ控え室行ってくるね」

 飯田の試合を見届けて、麗日が立ち上がる。通りやすいように奏と緑谷は揃って足を引っ込めた。
 茶色い毛先が揺れる、どこか硬い背中を見送ってから、奏と緑谷は目を合わせた。

「麗日さん……飲み物全然手をつけてないみたいだけど大丈夫かな……」

 麗日の座っていた場所には経営科から買ったお茶の入ったコップが置かれいてる。なみなみと注がれたそれを奏もちらりと目に映した。

「まあ……緊張してるんだろうね。表情も暗かったし。心音もいつもより強かった。声のトーンはいつもより低めだったよ」

 この距離でいれば音を辿って相手がどういう精神状態にあるのか、奏なら手に取るようにわかる。麗日からは緊張と恐怖の音がしていた。最初は小さく、奥で鳴り響くようだったが、試合が進むにつれてそれはだんだんと大きくなっていた。
 そんなことを思い出していると、次の選手たちが出てきた。次は青山と芦戸の試合だ。

「ほら、始まるよ」
「……かなちゃんは、麗日さんとかっちゃんの試合どう思う?」

 奏がステージ上を指差したのを無視して、緑谷が問う。どう思う?とはどちらに軍配が上がると思うかという意味なのだろう。
 奏はじっと緑谷の目を見てみるが、その緑がかった黒目は真剣だ。だから奏は背もたれに深く寄りかかりながら口を開いた。

「普通にやれば勝己が勝つね」
「……!」
「まず個性の相性が悪い。身体能力も、戦闘センスも勝己の方が上だと思う。なにより麗日さんはすでに勝己にびびってる」

 恐怖は身体の動きを蝕んでいく。思考も奪う。戦っている最中に恐怖に慣れて本調子を取り戻すこともあるだろうが、そんな時間を爆豪が与えるとは思わない。
 思ったことを思ったままに伝えると、緑谷の表情がだんだんと強張ることに気付いた。それは麗日に立ちはだかる壁の厚さを改めて思い知ったような顔だった。

「でもまあ……麗日さんだってそんなのわかってるだろうし、必要なのは策だろうね。隙をつければワンチャン……」
「麗日さんがかっちゃん相手に勝機を作るには……」

 緑谷が顎に手を添えながら、お馴染みのノートのページを巡っていく。奏もその様子を横目で見ながら口を開く。二人の声はピタリと重なった。

「「速攻」」

 重なった声に、バッと緑谷が顔を奏に向ける。ステージでは青山の放つレーザーが青く輝きながら芦戸に向かっていた。

「かっちゃんの個性……動けば動くほど威力が上がる爆破に対して麗日さんに対抗する策があるとすれば」
「勝己が調子上げる前に蹴りをつける。爆破による空中移動があるけど、一度でも麗日さんが触れて浮かせてしまえば主導権を握りやすくなる」

 奏と緑谷が言葉を重ねている間に、芦戸は青山のレーザーの連射を潜り抜けて、酸で青山のベルトを破壊した。ベルトを壊された青山の動揺を見逃さず、そのまま流れるように芦戸は青山の顎に一発入れた。

「うわ、いいの入ったな」
「痛そう……」

 奏は痛みを想像して自分の顎をさする。緑谷も眉を下げて同じように顎をさすっている。青山がゆっくりと仰向けに倒れた。立ち上がる気配はなく、芦戸の勝利をミッドナイトが宣言する。

「芦戸さん……!自分の酸を活かして機動力を上げて距離を詰めた……個性の使い方はもちろんだけど本人の身体能力の高さも凄いや!」
「忙しいなお前……」

 パラパラとノートをめくり、芦戸の個性をまとめてあるページに今の試合の内容を書く緑谷に、奏は呆れ半分で息を吐く。
 ステージは溶解度の低い酸塗れにはなったが損傷はほぼなかったため、スムーズに次の試合が始まった。常闇と八百万の対戦だ。

「常闇くん……!頑張れ……!」

 騎馬戦を組んだことで仲間意識が強く芽生えたのか、緑谷が小さな声で常闇を応援する。八百万さんも常闇くんも強力な個性の持ち主だ。どんな試合になるのか楽しみだな。
 
「速攻で主導権を握る。かっちゃんからしたら触れられるのは嫌だろうから迎撃の選択をする可能性は高い」
「あ、続けるんだ?……そうだね。勝己の戦闘センスはずば抜けてるけど、癖がないわけじゃない。そこを見抜いて上手く戦えればいいけど」

 奏の言葉の終わりと同時に、常闇と八百万の試合が始まった。常闇の中からダークシャドウが現れて、八百万に向かう。八百万は腕から素早く盾を想像してダークシャドウからの攻撃を防いだ。しかしダークシャドウに猛攻を仕掛けられ、八百万はなにもできないまま押し切られて場外となった。
 やっぱり強いな常闇くんとダークシャドウくん……ダークシャドウくんなんて普段は可愛いのに。
 次の試合は切島とB組の生徒だ。常闇と八百万が退場していくのを見送っていると、隣で緑谷が立ち上がるのがわかった。

「かなちゃん、僕ちょっと麗日さんのところに行ってくる」
「は?なんで?」
「かっちゃんに対抗する策を伝えてくる」

 こればかりは奏も言葉を失った。口を半開きにしたまま、唖然とした表情で緑谷を見上げる。緑谷の表情は真剣そのもので、それがより奏を困惑させた。

「え、あ……?な、なんで?」
「僕は麗日さんにたくさん助けられたから……少しでも力になれればと思って」

 情けなくも、同じ言葉を繰り返して問えば、緑谷は淀むことなくすらすらと答えた。それだけ真剣に麗日の力になりたいと思っているのだろう。
 100%の善意だ。緑谷出久はそういう人間だ。よく知っている。けれど奏は時々思う。緑谷出久はその善性から、傍から見れば野暮な行動を起こしてはいないかと。
 出久の言っていることはわかるけど……それってどうなんだ?麗日さんだって無策で勝己に挑むわけじゃないだろうし、いやまあ出久だって心操くんの情報を事前に尾白くんから聞いてたわけだけど……でも情報と策そのものってだいぶ状況が変わってこないか……?
 奏は眉間に薄くしわを刻む。なんと言えばいいのか迷った。早い話、奏はそれは余計なお世話が過ぎるのでは?と思ったのである。
 麗日のことだから、きっと緑谷の提案に対して難色は示さないだろうと思う。けれど今、試合を直前に控えた状況で緑谷からの善意を快く受け取れるかはまた別の話だろう。
 純粋なる善意は、時としてどんな悪意よりも鋭利だ。

「……麗日さんなら自分でちゃんと策を練れる人だと思うよ。直前に余計な情報を与えて混乱させるのは控えた方がいいんじゃない?」

 遠回しにやめておけと告げると、緑谷はハッと大きな目をさらに大きく見開いた。それあらアワアワと落ち着かない様子でノートを口元に当てた。

「あ、そ、そっか……!そうだよね、迷惑かも……!?」

 緑谷のその様子に、奏はこれで考え直すだろうとホッとして口元を緩めた。しかしそれも束の間、緑谷はゴニョゴニョと早口でなにかを言い始めた。

「確かにかなちゃんの言う通りかも……!でもかっちゃんのことなら僕の方が詳しいし、策を擦り合わせていくことでなら考えも整理されてより洗練されるんじゃ……!?」
「い、出久?」
「うんうんうん、迷惑にならない程度になら……かなちゃん!僕やっぱりちょっと行ってくる!」
「えっ」

 今度は止める間もなく、緑谷は狭い通路を抜けていく。その背中に、奏は呆気に取られて固まった。しかしすぐにガシガシと後頭部を掻き毟る。アイマスクが少しズレた。

「まじかよ……ああもう」

 奏はズレたアイマスクを直しながら立ち上がり、緑谷のあとを追いかけた。



▽▲▽



「麗日さん!」

 名前を呼ぶのと同時に緑谷が控え室の扉を開き中に入っていく。奏もそれに続くと、控え室には麗日と飯田がいた。

「デクくん!音波くん!アレ?みんなの試合見なくていいの?」
「緑谷くんあのサポート科なんなんだ!?」

 麗日と飯田に同時に話しかけられて、緑谷が少し困った顔をするので、奏は飯田の方を見た。

「大変そうだったね飯田くん。お疲れ様」
「ああ、ありがとう音波くん!彼女にはしてやられたよ……!まさか広告塔に利用されるとは……!」

 飯田は悔しそうに唇を噛む。発目を恨んでいるというよりは、騙された自分に腹が立っている様子だった。奏はいつものように薄く笑いながら話を聞く。その間に緑谷は今までの試合の説明を簡単に済ませた。今は切島とB組の生徒の試合が始まるところだと告げると、麗日の顔つきが強張る。

「じゃあ……もう次……すぐ……」

 麗日の心音が強くなって乱れるのが奏には聴こえた。やはり緊張と恐怖が音に表れている。
 見かねてか、飯田がいつもの調子で口を開いた。

「しかしまぁ、さすがに爆豪くんも女性相手に全力で爆発は……」
「「するね」」

 緑谷と奏の声がピッタリと重なり、麗日は苦く脱力したように笑う。こればっかりは奏も緑谷も嘘は言えなかった。

「するよ。相手が女子だろうが男子だろうが関係ない。だって勝己だよ?」
「君たちが言うと説得力が凄いな……」

 奏が念押すように言うと、飯田も神妙になる。
 飯田くんのような紳士さを持ち合わせていたら勝己だって女子相手にやり方を考えるかもしれないけど、残念ながら勝己にそんなものは皆無だ。
 性別なんて関係なく、己が倒すべき相手を正面から倒す。それが奏の知る爆豪勝己だ。

「みんな夢のためにここで一番になろうとしてる。かっちゃんでなくとも手加減なんて考えないよ……」

 手加減と手を抜くはまた違う気がする。爆豪は恐らくどちらも選択肢の中にはないのだろう。ならば轟は。
 奏の頭に浮かんだのは彼だった。己の半身を憎み呪い、左の個性は使わないと緑谷に言い切った彼。それは手を抜くこととは違うのだろうか。それとも決意と呼ぶべきものなのか。
 奏が考えている間に、緑谷はノートを取り出す。

「僕は麗日さんにたくさん助けられた。だから少しでも助けになればと思って……麗日さんの個性でかっちゃんに対抗する策、付け焼き刃だけど……考えてきた!」

 ノートに最初に反応したのは飯田だった。彼は純粋に緑谷のそれを善意と受け取り、笑顔で麗日を振り返る。緑谷は奏の先ほどの言葉を気にしているのか、少し不安そうな顔をしていた。

「おお!麗日くんやったじゃないか!」
「迷惑だったらはっきり言っていいからね麗日さん」

 奏も言葉を添える。麗日は一度目を伏せた。

「ありがとうデクくん……」

 伏せた目を緑谷に向け、麗日は少し眉を下げて微笑む。その笑みの内に秘められたものを、聴き取る前に、麗日が言葉を続ける。

「でも、いい」

 声ははっきりとしていた。緑谷も、飯田もわずかに目を見開く。奏は安堵すらした。なんとなく麗日なら断るだろうなと、短い付き合いの中で想像ができていた。そして麗日がその想像通りの人間であることに嬉しくもあった。
 
「デクくんは凄い!どんどん凄いとこ見えてくる」

 麗日の声は明るく、いつも通りに振る舞おうとする強さが窺えた。だから奏も緑谷も飯田も、黙って彼女の話を聞く。

「騎馬戦のとき……仲良い人と組んだ方がやりやすいって思ってたけど、今思えばデクくんに頼ろうとしてたんかもしれない」

 麗日の笑顔に薄らと影が落ちた。麗日はテーブルに手をついて立ち上がりながらも話を続けていく。

「だから飯田くんが挑戦する!って言ってて……音波くんが自分でやるって言って……本当はちょっと恥ずかしくなった」

 自分の名前を出されて、奏は目を丸めた。まさか麗日がそんな風に思っていたとは思いもしなかった。奏のあれは、飯田に触発されたのが大きい。けれど確かに本心だった。

「だから、いい!」

 先ほどよりも強い言葉で麗日は言い切り、奏たちの間を抜けて扉の方に歩いていく。

「みんな将来に向けて頑張ってる!そんならみんなライバルなんだよね……だから」

 扉の前で、麗日は奏たちを振り返った。そこにはいつもの笑顔がある。けれど彼女の額には薄く汗が浮かんでいて、奏たちに向けてサムズアップした手は微かに震えていた。精一杯の強がり。

「決勝で会おうぜ!」

 そう言い残して、麗日は控え室を出た。



▽▲▽



「両者ダウン!引き分け!」

 観客席に戻ると、ミッドナイトがそう言い渡すのが聞こえた。フィールドに目を向ければ切島とB組の対戦相手が揃って仰向けに倒れている。

「へえ、引き分けは初めてだね」
「切島くんとB組の人……!個性ダダ被り対決は決着つかなかったんだ……!」

 階段を降りながら、自分たちが座っていた席に戻る。
 しかし切島くんたちボロボロで痛そうだな。シンプルに殴り合ったのか?

「引き分けの場合は回復後、簡単な勝負……腕相撲などで勝敗を決めてもらいます!」

 引き分けの場合の勝敗決定のシステムを初めて聞いて、そうやって進めるのかと奏は席に座りながら頷いた。まあ再戦なんて時間も体力ももったいないもんな。
 担架で切島たちが運ばれるのを見送ってから、クラスメイトたちが少しざわつき始めた。

「次、ある意味最も不穏な組ね」
「ウチ、なんか見たくないなー」

 蛙吹の言葉に、耳郎が腕をさすりながら顔を顰める。他の面々も同じような反応だ。気持ちはわかる。肉食と草食の戦いって感じだもんね。

『一回戦最後の組だな……』

 それぞれの入り口から、選手が入場する。ステージに上がる二人を鼓舞するように、あるいはけしかけるようにマイクが歌うように言葉を紡ぐ。

『中学からちょっとした有名人!堅気の顔じゃねえ、ヒーロー科、爆豪勝己!対……俺こっち応援したい!ヒーロー科、麗日お茶子!』

 おいなんだその私情挟みまくりのアナウンスは。
 奏は呆れて肩から力が抜けた。姿勢を直しながら、改めてステージを見つめる。相対するクラスメイトと幼馴染み。どんな結果に終わろうと、奏はこの試合を見届ける。



43:勝利の行方を願うのは


43




戻る TOP