残響ユートピア44






 嫌悪の音は、時に正義の音と聴き間違える。



 爆豪勝己は昔から敵を作りやすいタチだった。
 唯我独尊と見て取られる態度と言動。それを許されるだけの才能。彼の言葉と態度に嫌悪感を抱いて敵意を向ける者もいれば恐怖を抱く者もいた。敵として認知されやすい彼の夢はヒーローで、奏はその夢を聞いたとき納得もしたし、同時にちぐはぐな危うさを感じた。なぜならヒーローとは救けることを生業とする職業だ。性格上、彼には向いてないと思った。
 なによりもヒーローというのは、爆豪にとって生きづらい世界だと思った。





 こうなるのが嫌で言っておいたのに。
 奏はステージではなく、正面を見据えて目を眇めた。奏たちの対角にあるのはプロヒーローたちの観客席だ。

「それでもヒーロー科かよ!」
「そんだけ実力差あんなら早く場外にでも放り出せよ!」
「そーだそーだ!」
「女の子いたぶって遊んでんじゃねーよ!」
「さっさと終わらせろー!」
「手ェ抜いてんじゃねえぞ!」

 観客席から溢れるブーイング。それは今日初めて聞いたもので、すべてがステージ上にいる爆豪に向けられている。
 奏は憂いを帯びたため息を、その薄い唇から吐き出した。
 爆豪と麗日の試合は、開始直後から力の差が一目瞭然だった。麗日の策も小細工も、すべて爆豪の爆破に消し飛ばされた。けれど依然決着は着いていない。麗日は繰り返し爆豪に向かって挑み、何度目かもわからない爆破を食らっている。
 一応爆破が直撃するのは避けてるみたいだな。けどあの至近距離で立て続けに食らえば相当なダメージのはず。
 それでも麗日は向かっていく。控え室で見た、震える彼女はもういない。それどころか、時間が経つにつれて彼女の気迫は増すばかりだ。
 緑谷からの提案を、迷う素振りも見せずに断った麗日に、奏は安堵した。けど少し意外にも思った。彼女は随分と緑谷を信頼してくれているようだったから。
 ふわふわとしていて、優しく、けどどこか緊張感の欠ける印象だった。彼女には明確な夢があり、そこに向かって努力ができる人なのだと改めてわかった。他人に頼ることができて、自分の力で進むこともできる。それは間違いなく麗日の強さのひとつなのだろう。

「いつまで遊んでんだ!」
「もういいだろ!」

 ステージ上でまた爆破が起こり、砂埃が大きく舞う。それはステージを覆うほどの量だった。
 爆破が起きる度、観客席から野次が飛ぶ。そこには確かに嫌悪が乗って響いている。奏はため息を吐いた唇の隙間から今度は鋭く強い舌打ちをした。

「ヂッ!……クソ、あいつら全員眠らせてやろうか……?」
「だ、駄目だよかなちゃん!」
「音波くん目が据わっているぞ!」
「今の舌打ち音波?爆豪かと思ったわ……」

 傍目から見れば、爆豪は格下の麗日を相手に痛めつけて遊んでいるように映っているのだろう。麗日は果敢に攻めていくがそれは自棄になっているようにも見える。
 プロヒーローたちの言葉には揃って同じような音が乗っている。嫌悪、そして正義。それらは言葉にすると真逆なのに、音の性質はよく似ていた。この音を聴くたびに、奏は正義とはなんなのかと思う。
 野次る言葉の数々に、爆豪に対する嫌悪が響いている。そして麗日を、否、か弱い女の子を守らんとする、敵意ある正義の音も同じように響いている。
 こうなるのが嫌だった。爆豪が悪意の標的になるのが嫌だった。ヒーローというのはどうしたって世間から評価される立場にある。彼の気高い姿勢も、己の道を貫く自尊心も、きっと世間から見たそれは歪んで見えるのだろう。善意から生まれる敵意が、彼の誇りに傷をつけようとする。歪め、正そうとする。爆豪勝己を、自分の幼馴染みのことをなにも知らない連中に勝手に評価される。レッテルを貼られる。それが嫌で許せなくて、だから自衛して欲しかった。そんなものはエゴだとわかっていたけど、それでも。
 ブーイングはやまない。雨のように、投げられた石のように勢いは増していく。
 奏は爆豪を見た。爆豪は麗日しか見ていない。
 わかってるよ。お前は気にしないんだろうね。わかってるよ。でも僕は気にするんだ。
 
「ふざけんのも大概にしろー!」
「遊んでんなよ!相手は女の子だぞ!」

 敵意ある善意に、心が反響する。奏は眉を顰めた。彼らが爆豪に向けるものと同じ音が、奏の中で鳴り響き、それはブーイングを飛ばすプロヒーローたちへ向かう。向けたい。向けなきゃいけない。
 知らぬうちにきつく手を握り締めていた。爪が食い込むほどにきつく。
 遊んでねえよ馬鹿。どこ見てる?なに見てる?勝己の上っ面しか見えてないんだろ。なにもわかっちゃいないんだろ。勝己の真意も、麗日さんの策も。

『――今遊んでるっつったのプロか?何年目だ?』

 聞こえたのはマイク越しの、低い声だった。野次が萎み、その声の低さが、奏の中で焦げついたような熱を冷やしていく。頭が急速に冷えていく。
 
『シラフで言ってんならもう見る意味ねえから帰れ。帰って転職サイトでも見てろ』

 声の主を、奏も緑谷も飯田も、野次を飛ばすプロヒーローたちも見た。実況席でミイラ男になっている相澤だ。

「相澤先生……!?」

 消太くん、と口の中で呼んだ。遠い実況席がなぜだかクリアに見えた。
 相澤は包帯の巻かれた手でマイクを掴み、低い、けれどいつもより熱のある声で続けた。

『ここまで上がってきた相手の力を、認めてるから警戒してんだろう。本気で勝とうとしてるからこそ、手加減も油断もできねえんだろうが』

 胸がすくような心地だった。奏の叫びたかったことを全部代弁してくれた。爆豪個人を、その才能でも言動でも個性でもなく、本質を見てくれる相澤という人が自分たちの担任であることに、心から嬉しく思った。
 奏はきつく握り締めていた拳を、そのまま膝に叩きつける。

「最っ高だ!さすが相澤先生!」
「音波が興奮してる……!」
「黙って見てろ!クソどもが!」
「君以外と口が悪いな!?」
「かなちゃんってそうなんだ……実は意外と……そうなんだ」

 奏の変わりようにクラスメイトたちが驚き、緑谷だけが落ち着いた様子で「そうなんだ」となぜか照れたように苦笑いする。
 奏は得意げに腕を組みながら背もたれに大きく寄り掛かりどこか好戦的に笑った。
 
「実際クソだし馬鹿だろ。プロなら気付けよ」
「気付くって……?」
 
 緑谷と飯田の視線が奏に映った。それに気付きながらも、奏はステージ上を見ていた。麗日がよろめきながら、それでも力強く立ち上がり、強い瞳で爆豪を見据えている。その目は諦めるなんて考えはないと語っていた。
 彼女が「ありがとう」と言うのが聴こえた。聴こえたのはきっと奏と、その言葉を向けられた爆豪だけだ。
 ありがとうと言うには険しい表情で、彼女は爆豪を正面から見据え、両手の肉球を触れ合わせる。個性で浮かせた物を解除するときの動作。

「麗日さんは何度も勝己に向かっていた。繰り返し、低姿勢で。最初はジャージの変わり身のためだと思ってたけど……その策が敗れた後も低姿勢で向かった。でも普通に考えてあの姿勢で突っ込んでいくのは疲れる。一見するとメリットがない」

 奏の言葉を聞きつつも、緑谷も飯田もステージ上を気にしている。奏も爆豪と麗日から目を逸らすようなことはしなかった。

「ならあの低姿勢での突進も、麗日さんの策の一つだ。勝己に気付かせないための、形勢を変える一手のための」

 奏も最初から気付いていたわけじゃない。ただ音が足りないと気付いた。麗日が低姿勢で攻め込む度に、爆豪は爆破で迎撃した。自然と爆破の位置も低くなる。それはステージのコンクリートを穿つほどに。コンクリートが砕ける音に対して、破片が地面に落ちる音が足りない。
 奏は静かに右手の人差し指の先を空に向けた。いくつもの風を斬る音が聴こえてくる。空から降って来る無数のそれに、緑谷たちが息を呑んだ。

「客席にいるくせに気付けないなんてレベルが低すぎるだろ。お遊び気分はどっちだよ。先生の言う通り転職サイト見てる方が有意義だね」

 目の前を落ちていく無数の破片。コンクリートの塊。雨のようにステージへ向かって落ちていくそれは、爆豪の爆破により砕けたコンクリート片、それは麗日が個性で上空に蓄えた武器。それが今一斉に落ちていく。

「そんな捨て身の策を……麗日さん!」

 緑谷が身を乗り出して麗日を見た。奏はその姿を横目で一瞥する。表情はなかった。ただ幼馴染みを映す目は悲し気で、同時に怒りを携えている。
 お前が言うなよ、出久。お前の影響じゃないのか?麗日さんのこの捨て身の策は。
 無自覚な発言に、微かな怒りが立ち込めて、奏はすぐにそれを頭から消した。消して、この戦いの行先を見守る。
 落ちていく破片。これだけの量と範囲、爆豪が対処する隙を突いて麗日は仕掛けるつもりなのだろう。
 さて勝己はどうするだろうかと、奏は爆豪を見る。彼は迫り来る破片に気付くと、静かに右手を空に向かって伸ばし、左手で右手首を掴んで固定した。
 次の瞬間、視界を覆うほどの爆発が起きた。
 耳をつんざくほどの爆破音に、奏は思わず手で耳を塞ぐ。熱風が客席まで及んだ。硝煙と爆破の光が視界を遮る。ゆっくりと視界が開けていくと、爆風に飛ばされたのであろう麗日が地面に座り込む姿と、彼女を見据える爆豪が立っているのが朧げに見えた。空に向かって爆豪が起こした大爆発は、麗日の武器だった破片をすべて吹き飛ばし、塵とした。

「ぐっ……」

 奏はぐわんぐわんと耳の奥で響く音に眩暈がして、上半身を畳むように倒すことで姿勢を保つ。
 いってぇ〜……!くそ、油断した……あの大爆発、あれ勝己の最大火力か……!?そう連発できるものじゃないだろ。大丈夫かよ。
 
『会心の爆撃!麗日の秘策を堂々――正面突破!』

 目の前で起こった大規模な爆発に、一瞬観客席も静まり返る。マイクの実況が静寂を縫い、大きな歓声を呼び起こした。
 奏は衝撃に眉を顰めながらも、唇は弧を描く。たった一撃、それだけでアンチ勢力を黙らせ、ひっくり返した。
 
「ははは、最高……」

 目の前の力に、嫌悪より純粋な衝撃と感動が一瞬勝っただけ。多分アンチはアンチのままだし、爆豪の言動は今後も取り上げられては物議を醸すだろう。
 それでも、今目の前で爆豪勝己という人間がその実力で周りを黙らせる様子に、奏は笑う。どうだ見ろ、これが僕の幼馴染みだぞと。
 奏は試合の動きに意識を向ける。麗日の秘策が破られた。ここからまた試合の流れが変わる。
 麗日がその目に絶望を灯すのを、奏は見逃さなかった。時間をかけて作り上げた策を、一瞬にして破綻させた爆豪は、麗日の目にどう映っただろうか。
 そして奏は、爆豪の変化も見逃さなかった。彼は笑った。目を獣の如くぎらつかせて。

「いいぜ、こっから本番だ。麗日!」

 そう言うのがわかった。爆豪が麗日の名前を呼んだ。そしてまた麗日も、その目に宿した絶望を振り払い、強い瞳で立ち上がり爆豪に向かっていく。奏は知らず、手を握り締めていた。
 会場の誰もが、この試合の決着を見守っていた。力の差が歴然の、健気な少女の勝利を願い。あるいは悪役の如く、その力を振るう少年の勝利を確信して。
 爆豪が笑みを湛えたまま迎撃体制を取る、と同時に、麗日がカクン、と膝から崩れ落ちた。
 最初は転んだ、と思った。足がもつれたのかと。けれど地面に倒れ込んだ彼女は立ち上がらない。そのまま這いずるように小さく手足を動かすだけだ。ミッドナイトが爆豪に止まるように合図をしながら彼女の横に膝をつく。

「麗日さん……!キャパとっくに超えて……!」
「あれだけの瓦礫を浮かし続けてたわけだからね……まさに一撃必殺を狙ってたわけだ」

 ミッドナイトがそばに寄っても、麗日に動こうという意思だけがあるのは上からはよくわかった。彼女の目はまだ前を向いている。
 ミッドナイトが静かに立ち上がり、左手を挙げた。その手が爆豪を示す。

「……麗日さん、行動不能。二回戦進出爆豪くん!」

 ミッドナイトのくだした判断に、誰も意義を唱える者はいなかった。ただ会場全体の温度が少しだけ下がったような気がした。隣で緑谷が唇を噛むのがわかって、そちらを向かないまま、奏は声をかける。

「……次の試合が終われば、お前と轟くんだね。控え室行きな」
「……うん」
「残念だな、麗日くん……」
「うん……」

 緑谷の声は暗かった。本気で勝って欲しかったんだな。麗日さんに。
 麗日は担架に乗せられて運ばれていく。ステージは爆豪の爆破によって地面が抉れて、そこら中に破片が散らばっている。焼け焦げた跡も残っていて痛々しい。
 緑谷が麗日に本気で勝って欲しかったように、奏は爆豪に勝って欲しかった。口にはしないがこの結果は奏の予想通りで、望んだ結果だ。
 隣で緑谷の立つ気配があった。次、切島とB組の鉄哲の再戦が終われば緑谷と轟の番が回る。

「出久」

 顔を上げて、名前を呼んだ。緑谷が奏を見て、目が合う。

「わかってると思うけど……これは体育祭だぞ」
「え?うん」
「体育の祭りだからな」
「う、うん。知ってるよ……?」

 奏の言葉を、緑谷は首を傾げて戸惑いながら聞く。その瞳をジッと見つめる。言葉の真意を理解してくれているかは怪しかった。それでもこれが、はっきりとは言えずともこれが、今の緑谷にかけられる少ない言葉の一つだった。

「じゃあ、僕行くね」
「うん」
「ああ!見ているぞ!」

 階段を上って、遠くなっていく緑谷の背中が見えなくなるまで見送る。
 かける言葉はあれでよかっただろうか。もっと別の言葉をかけるべきだったんじゃないか。
 轟くんを相手に、出久が勝てる道筋が見つからない。相手は氷結で遠距離攻撃を仕掛けられる。対して出久は諸刃の剣の超パワー。USJで一回調節ができたとかって言ってたけど……ここまで個性を使う様子がないってことはそれはまだ安定しいないんだろう。調整して使えたとして、あの氷結に対抗できるほどの威力を出せるのかもわからない。
 嫌な予感がある。
 緑谷出久のことを知っているからこそ、想像ができてしまう。
 無意識に視線が下がっていく中で、クラスメイトたちの声が一人の人間に集まっていくのがわかった。

「おーう、なんか大変だったな悪人面!」
「組み合わせの妙とは言え、とんでもないヒールっぷりだったわ爆豪ちゃん」

 体を捻り、クラスメイトたちの視線の先を追う。そこには緑谷と入れ違いで戻ってきた爆豪の姿があった。
 爆豪はいつもと変わらぬ、不機嫌そうな面持ちで、両手をズボンのポケットに突っ込んだまま、いつものように声を荒らげる。

「うぅるっせえんだよ黙れ!」
「まぁーしかしか弱い女の子、しかもクラスメイト相手によくあんな思い切りの良い爆破できるな」

 上鳴は爆豪を指差した後、思案顔で腕を組んだ。

「俺はもーつい遠慮しちまって……」

 あ、ひどいや上鳴くん。

「完封されてたわ上鳴ちゃん」
「……あのな梅雨ちゃん……」
「フンッ!」

 上鳴の言い訳を遮るように、爆豪が鼻を鳴らして、ドカッと勢いよく空いていた席に座った。苛立ちと、不満の乗ったような表情を、奏は見る。

「どこがか弱ェんだよ」

 聞こえた言葉に、奏は小さな芽生えを見た気がした。あの勝己が、他人を認めている。
 奏は静かに立ち上がった。やらなければ、いや、やりたいことがあった。
 突然立ち上がった奏を、飯田が不思議そうに見上げる。その視線を受けつつ、クラスメイトたちの前を通っていく。通り抜けるたび、視線が増えていくようだった。

「音波?どしたん?」
「上鳴が適当言ったから怒ってんじゃない。こっち来るじゃん」
「え!いやあの音波あれは言葉の綾で……すんません完封されました!ちゃんと全力でした!」
 
 上鳴が顔の前で両手を合わせ、縮こまるのを微笑んで受け流すと、奏は爆豪の前で足を止めた。爆豪の橙色の瞳が、わずかに動揺を乗せて丸くなる。

「え、俺じゃない?セーフ?」
「麗日ボコボコにしたから怒ってんのかな……」
「いや〜……どうかね……」

 クラスメイトたちの小声で交わされる言葉の応酬に反応は示さず、爆豪を見下ろす。爆豪は丸めた目に精一杯の威嚇を乗せて奏を下から睨みつけた。

「……ンだよ」

 どことなく拗ねたような声。奏は右手を伸ばして、そっと爆豪の頭の上に置いた。ビタ、と爆豪が固まる。周りのクラスメイトたちも息を呑んだ。
 奏はそのまま、ぐしゃぐしゃと乱暴に、柔らかな手つきで爆豪の頭を撫でた。大型犬を撫でるような仕草に、クラスメイトたちは言葉を失い、目を疑う。あの爆豪を、A組の爆発物を、あんなにも大胆かつ躊躇なく頭を撫でる人間は学校中を探してもきっと奏しかいない。
 奏は満足したのか、撫で終えると手を離し、爆豪を見下ろしたまま、短く告げた。

「おつかれ」

 たった一言、その労いの言葉をかけて、奏は席に戻っていく。爆豪は固まったまま、クラスメイトたちも自分の席に戻る奏を目で追うことしかできなかった。
 奏が自分の席に着いたとき、ようやく爆豪が動いた。撫で回されて乱れた髪が、爆発を起こして元通りの髪型になり、ガタンと立ち上がって奏に向かって叫ぶ。

「ンダコラどういうつもりだ奏テメェ!!!」

 爆豪が吠える中で、奏はただ笑うだけだった。



44:麗日VS爆豪

 
 






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