残響ユートピア45






 『あーおォ!今、切島と鉄哲の進出結果が!』

 ステージの中央に、コンクリートが迫り上がった四角形の台がある。その決して大きくはない四角の中で、白熱の戦いが繰り広げられている。腕相撲だ。

「んんんんんんんんん――――ガァ!!」

 切島の、溜め込んだ力を一気に解き放つような声と共に、鉄哲の鈍色に光る腕が台の上に着いた。ガン、ととても腕相撲に似つかわしくない音が響いて、奏は思わず眉を顰める。

「うわ痛そう……」
「凄い音がしたな!」
「二人とも身体硬化の個性か……なるほどダダ被りだ」

 B組の鉄哲は、どうやら体を鉄のように硬くすることができるらしい。切島と似たような個性だ。二人はその似た個性同士で真正面からの殴り合いをして、同時にダウンした。引き分けの結果、こうして腕相撲で二回戦進出者を決めることになっている。そしてまさに今、その結果が出た。

『引き分けの末、切符を勝ち取ったのは切島!』

 切島は大きく腕を突き上げ勝利の雄叫びを上げ、鉄哲は膝を着いて己の敗北を嘆いた。切島が手を差し伸べると、鉄哲はその手を掴み立ち上がり、二人は強く手を握り合う。

「なんか友情芽生えてるね」
「昨日の敵は今日の友……」

 奏の言葉を拾ったのは飯田と一つ席を空けて隣り合う常闇だった。
 いやでもいいことだよ。僕ら彼に嫌われてたし、切島くんと友情芽生えればその流れでA組に対する見方が変わるかもしれないし。
 うんうんと一人奏が頷いていると、マイクが会場を盛り上げようと大きく息を吸い込むのがわかった。

『これで二回戦目進出者が揃った!つーわけで……そろそろ始めようかぁ!』

 マイクの口上に乗せられて、観客席がワッと熱を持って沸く。これで一回戦はすべて終わった。二回戦の第一試合は緑谷対轟。
 始まる試合を前に、奏の気分は暗くなる。重たくなる胸の奥、逃げられない不安に胸の底が冷えていく。

「二人まだ始まっとらん?」

 不意に聞こえた声に、奏はハッとして顔を上げた。

「麗日さ……」
「見ねば」
「目を潰されたのか!!早くリカバリーガールの元へ!!」

 声の主は麗日だった。しかし最後に顔を合わせて話をしたときとは随分と容相が違う。クルンと毛先が内を向くショートカットも、左頬にガーゼが当てられているが、赤らんだ頬も変わりはない。けれどいつもならぱっちりと大きく開いた目が、今は半分ほどしか開いていないように見える。それほどに彼女の瞼は赤く腫れぼったい。

「いやさすがに勝己も目潰しはしないから……多分……!」

 いやどうだろう。相手によってはやっぱりやるかも。
 真正面から心配をする飯田に、奏は言葉を濁しつつ、なんと続けるべきか迷った。
 多分彼女の腫れた瞼は泣いた跡だ。しかし本人を前に、怪我とかじゃなくて泣いたから瞼が腫れているんだよ、と飯田に訂正をするのは憚られた。
 しかし奏の心配をよそに、麗日は少し恥ずかしそうに目元を手で拭いながら飯田と常闇の間に腰を下ろす。

「行ったよ。コレはアレ。違う」
「違うのか!それはそうと悔しかったな……」

 麗日と飯田のやり取りに、奏は素直に感心する。
 飯田くん、違うって言われたら追及しないで頷いて済ませられるんだな……!凄い……!

「今は悔恨よりもこの戦いを己の糧とすべきだ」
「タシカニ」
「うん、あの氷結デクくんどうするんだ……?」

 常闇が腕を組んでそう言うと、飯田も麗日も素直にその意見を呑み込んだ。奏は飯田の陰から顔を出して、言葉を選んで労った。

「お疲れ様、麗日さん」

 いい試合だったよ、と続けようとして、やめた。彼女は泣くほど悔しい思いをした。全力を出して、それでも負けた。その試合をいい試合だったと言うのは簡単だし、実際彼女の策は良いものだったと思う。けどそれを讃えたとして、彼女に貼られた敗者の記号は消えはしない。

「……怪我は大丈夫?」
「うん!体力削らんよう程々の回復だから擦り傷とかは残ってるけど、全然大丈夫!」
 
 麗日はいつものように笑いながら、大丈夫だと示すようにグッと拳を作って見せた。
 大丈夫、と笑う彼女に、奏はやはりかける言葉が見つからない。自分たちの前で泣かずに、笑うのが彼女の強さで、笑う姿を見せることが誇りなら、奏はその意思を尊重するべきだと思った。だから奏も薄く笑った。

「……そっか。よかったよ」
「うん!ありがとうね!」

 二人が温度の違う笑みを交わすと、客席が沸いた。ステージに目を下ろせば、緑谷と轟が入場しているところだった。
 二人が向かい合う姿に、奏の胸がわずかにひりつく。焦げ付くような痛みが広がっていく。不意に飯田が奏を見た。

「音波くんはどう思う、二人の対戦」

 自分以外の戦いを考えながら見る。オールマイトが最初の訓練で言ってたな。飯田くんは轟くんと出久を挑む相手として見据え、常闇くんの言う通りこの戦いを糧にしようとしているのだろう。意見の交換も視野を広げるのには大事だ。
 奏は考える素振りも見せずに、淡々と言った。

「ん……まあ轟くんかな」
「バッサリ言うねえ!?」

 麗日が目を剥きながら声を荒らげる。飯田と常闇も驚いたように目を大きくしている。視線を受けつつも、奏はステージから視線を上げることをしなかった。

「意外だな……音波くんは緑谷くんを評価すると思ったが」

 飯田の言葉に、麗日が何度も大きく頷く。評価はしている。ここまで好成績を納めている緑谷、対して自分は彼に負けて繰り上がった身だ。けれど忖度も慢心もなく、緑谷と自分が戦えば、自分が勝つと言い切れる。

「出久はよくやってるよ。個性の調整も碌にできないのに、頭を使って可能性の幅を広げてここまで勝ち上がってる」

 障害物競走、騎馬戦、一回戦を経て、緑谷はよくやっている。本当にそう思う。それでもこの戦いに於いて、緑谷の勝利を信じられない。
 奏がステージ上の緑谷に向ける目は、どこか冷えていた。
 
「自分のできることを活かす方法を考えて、それを実行できている。でも、そもそもできることがそんなに多くない」

 きっとまだ個性の調節はできていない、あるいは安定していない。轟を相手に余程の策がなければ勝利などない。個性を使わないのならば。

「轟くんの半冷半然……あれだけの強固性、出久に策があったとしても、力押しで彼が勝てる」

 昼の、爆豪と立ち聞きをした轟の話を思い出す。あの言葉がブラフではないのなら、轟は右の力しか使わないのだろう。実際、ここまで氷結のみで勝ち上がっている。氷の生成速度も常人ならば反応できない。
 個性の使いこなせていない人間に勝ち目はない、これまでの情報がそれを証明している。けれど。

「けど……出久は……」

 自然と眉間にしわを寄せていた。たとえ轟が半分の力しか使わなかったとしても、彼ならば勝てるだろう。個性を使いこなせない相手など、敵にもならないだろう。けれど。
 その個性を使いこなせない相手が、緑谷出久だというただ一点だけで、これらの証明が覆る可能性がある。奏はそれを危惧している。緑谷がこの状況で勝つのなら、勝ちを獲りに行くのなら、相応の無茶と犠牲を払わなければいけないから。

『今回の体育祭!利用者トップクラスの成績!まさしく両雄並び立ち今!』

 湧き上がる声、呼ばれる名前、演出の炎、色んなものがこの戦いを彩っていく。それなのに奏の心は冷めていく。色彩が薄れていく。

『緑谷!対!轟!!』

 スタート、の声と同時に、ステージ上に氷塊が現れた。幾重にも重なったそれが一直線に緑谷に向かう。それを目で見た理解したときに、氷は突風を伴って壊れていった。轟の氷結により冷えたステージ上の空気が、観客席まで届く。
 ひやりとした肌を刺すような風にさらされながら、ほとんど無意識に奏は舌を打った。

「やっぱりそうするよなお前は……」

 口の中に広がる苦みを、どうにか薄めたくて言葉を使う。パキン、パキン、と氷の屑が壊れる音が微かに聴こえた。

『おオオオ!破ったあああ!』

 マイクの言葉に触発されて、観客席が熱を増す。
 迫り来る氷結を、緑谷は正面から破った。恐らくは個性把握テストのボール投げのときと同じ要領で。

「指にのみ個性を発動させて氷結を打ち消した……!」
「凄い!」
「凄いもんか、あんなの馬鹿の一つ覚えだよ」

 奏の言葉に、麗日が笑顔で固まる。視界の端で彼女の動きが鈍くなったことに気付いた奏は、ハッとして口元を手で覆った。飯田と常闇も驚いたように奏に目を向けている。

「ごめんつい……言葉が強くなって……」
「へ!?いいよいいよ!」

 申し訳なくなくなって眉を下げる奏に、麗日は顔の前で両手を横に振る。なにもよくない。感情的になってしまった。反省。
 項垂れる奏を横目で見た常闇は、静かな声で話し出す。

「轟がどの程度の規模で攻撃をしてくるかわからない故に、緑谷は捨て身での策に出たか……」
「ん……初手で轟くんが氷結を仕掛けてくるのは読めてたしね」

 そしてあの生成速度に反応していた。つまりだ、あの馬鹿やっぱり最初から、指捨てる気でいたな……!?
 
「音波くん歯を食いしばってどうした!?」
「震えてるよ!寒い!?」
「怒りで震えてるだけだよ……」

 奏が低くそう返すと、飯田と麗日がそれぞれ両手の指先で口を覆った。ごめんね返答に困らせて。
 そうしている間に轟が間を開けず再度氷結を緑谷に向かわせる。先ほどを再現するかのように、緑谷は指を打ってそれを破った。グシャ、と奏しか聴こえない音がして、顔が歪む。冷風がまた頬を刺す。
 緑谷の、痛みに耐える、声にならない声が聴こえる。奏は自分の口から余計なものを出してしまわないように、前屈みになった上体を膝に置いた肘で支えて、手で口を覆った。胃の奥が焼けているような錯覚に唇を噛む。
 轟くんの戦いはいつもすぐに終わる。そのせいで情報が少ない。現状、弱点が見つからない。出久が氷結を打ち破ると同時に自身の背面にも氷を張った。あれは出久の攻撃に吹っ飛ばされないようにするための対策……だとしたら、個性を指に集中させる出久の判断は間違いじゃない。すでに右手の指を二本駄目にしているけど……あと六回は、氷結を破れる。
 奏は意識的に、細く長く息を吐き出す。冷静でいようと努める。
 
「ゲッ、始まってんじゃん!」

 不意に意識に入り込んできた声に、奏はつられて顔を上げた。通路に切島が立っている。

「お!切島二回戦進出やったな!」

 上鳴が大きく手を振りながら、切島の勝利を祝う。切島は尖った歯を見せて笑った。そうして爆豪を見つけて声をかける。

「そうよ、次おめーとだ爆豪!」
「ぶっ殺す」
「ハッハッハ、やってみな!」

 ぶっ殺すじやないだろ……よろしくとかもっと返すに適した言葉が他にあるだろ……!くそ、どいつもこいつも……
 奏に睨まれていることに気付かない爆豪は、切島との会話を進める。

「とか言っておめーも轟も、強烈な範囲攻撃ポンポン出してくるからなー……」

 切島が複雑な表情で言う言葉に同意したのは瀬呂だった。顔を顰めて「な」と頷いている。初戦で轟に負けたダメージかまだ残っているのだろう。

「ポンポンじゃねえよナメんな」
「ん?」

 意外にも落ち着いた声で、爆豪が返した。返事はしているものの、橙色の目はステージ上に向けられたままだ。

「筋肉酷使すりゃ筋繊維が切れるし、走り続けりゃ息切れる。個性だって身体機能だ。やつにもなんらかの限度はあるはずだろ」

 個性の限度。爆豪の言葉に、奏は静かに目を伏せる。麗日さんなら許容量を超えれば激しく酔うし、勝己は多分威力限度がある。麗日さんとの戦いで見せたのが恐らくは最大威力だ。ん?でもコスチュームの籠手使った威力はもっとあったから……あれ許容超過のための仕様か?絶対に殺すという意思ありすぎだろ。
 奏は眉を顰めて横目で爆豪を見た。彼はステージに目を向けたままで奏の視線には依然気付かないまま。横から盗み見る爆豪の夕焼け色の瞳は穏やかに見えた。
 勝己は、轟くんが言ってたことどう思ったかな。
 昼に二人で意図せず盗み聞きする形になってしまった轟から緑谷への告白。
 奏にはあれが、途方もない憎しみに聴こえた。同時に底のない母親への愛情のようにも。そしてふと思う。轟のあの行為は誰のためなんだろう。己への制約は父親への意趣返しなのか、母親のためなのか。それとも。

「考えりゃそりゃそっか……じゃあ緑谷は瞬殺マンの轟に……」

 切島の声に、奏はハッとする。ステージを見ているようで見ていなかった。
 ステージ上ではまた迫る氷結に向けて緑谷が指を弾く。衝撃波で氷結が粉砕されるが、緑谷の弾いた指も同じように壊れていく。
 試合開始からあれで五回目!あいつもう右手全滅だろ……!左手は心操くんのときにぶっ壊してまだ全快じゃないはず……!
 奏の胸にじくりとした痛みが湧く。轟の情報を得るために、緑谷は持久戦に持ち込むしかない。そこから勝機を見出すしかない。わかっているのに。

『轟!緑谷のパワーに怯むことなく近接へ!』

 緑谷が壊した氷結の残骸の上を駆けながら、新たな氷結を緑谷に向ける。緑谷が左手の指で氷結を破るが、壊れた氷塊に乗って衝撃波を躱した轟は、そのまま頭上から緑谷に殴りかかる。間一髪でそれを躱した緑谷に、隙を与える間もなく氷結を繰り出す。攻撃を躱したときにバランスを崩した緑谷の反応が遅れる。
 次の瞬間に、今までとは桁の違う衝撃波が奏たちのいる観客席まで届いた。大きな音を立てて氷が崩れていく。氷屑がステージを覆い、太陽の光をキラキラと反射させる。その幻想的な世界の中で、左腕を犠牲にした緑谷が痛みに耐える顔で立っている。轟はまだ傷一つ負っていない。
 息が詰まる。心臓の鼓動が身体中に響く。駄目だ冷静に、と頭の中で自分に言い聞かせる。
 右手の五本の指が折れ、左腕も壊した。攻撃に使える手段が削られていく。勝ち目などない。頭の中でいくつもの思考がぐちゃぐちゃになっていく。
 なんでそこまで。また怪我を。治せるのかあれは。勝つには手段がそれしかない。わかってる。僕なら。わかってるけど。早く、頼むから。早く。
 その思考が頭にフッと浮かんだとき、奏は一瞬呼吸を忘れた。

 ――早く、負けてくれ。

 頭の中に浮かんだその言葉を自覚したとき、奏は口を覆っていた手に力を入れる。僕は今、なにを願った?
 ドクドクと、先ほどまでとは違う心音が頭に響く。血が冷えたように、口を覆う指先が微かに震えた。
 心操くんのときも、思ったよ、無傷で負けられるならその方がいいって。でも今僕が思ったのは。
 奏は混乱した。自分の中にあった思考に。自分は緑谷出久の、大事な幼馴染みの敗北を願ったのだ。
 自分の中に生まれたものから目を逸らしたくなって、奏は意識的に、自分の思考と身体を剥離させようとした。思考を"今"から外して、ぼんやりと膜をかけていく。輪郭をふやけさせていく。遠くなっていく音と熱気。外の世界は遠くなる。けれど自分の脈打つ鼓動が収まらない。上手く剥離できない。頭のまだ冷静な部分が回転している。僕は、出久に。

「――どこ見てるんだ……!」

 聴こえた声に、意識を引き戻される。焦点がステージに定まった瞬間に、目の前で氷が砕ける音と、冷気、そして骨の潰れるような音が耳に入った。轟がステージの端にいる。背面に氷を張っているということは、緑谷の攻撃があったのだ。
 普通なら拾えない声を、その個性のせいか、聴き慣れた声だからか、あるいは罪悪感からか、奏は自分に向けられたわけではない言葉を、確かに拾った。まるで自分に言われたような気がして。
 反射的に、奏はステージ上に耳を澄ませる。

「なんでそこまで……」
「震えてるよ、轟くん」

 緑谷の言葉には鬼気迫るような迫力があって、奏の中でぐちゃぐちゃになっていたものがひとつ、またひとつと消えていく。余計な思考が削ぎ落とされていくと、白い息を吐く轟の右半身に霜が降りているのがわかった。緑谷の先ほどの攻撃は壊れた指で氷結を相殺したのだということも。唇がわななく。

「個性だって身体機能の一つだ。君自身、冷気に耐えられる限度があるんだろう……!?」

 緑谷がボロボロになった、赤黒く繁殖した右手をゆっくりと、震えながら持ち上げる。もう握れもしないその手に、奏はわななく唇を噛んだ。

「で、それって、左側の熱を使えば解決できるもんなんじゃないのか……?」

 緑谷の言葉に目を剥く。左と右。体温の限界。よくできた身体だと、余裕のできた頭の隅に新たな思考が浮かんだ。
 右の個性のデメリットを左が補う。轟の脈拍の揺らぎから、緑谷の推理は正しい。ということはきっと、左の個性にも同じことが言えるのだろう。下がりすぎた体温は左で補い、上がりすぎた体温は右が補う。半冷半燃。どちらが欠けてもいけない個性。
 なにも言わない轟を、自分が投げた疑問の是としたのか、緑谷は声を荒らげた。

「……っ!みんな……本気でやってる。勝って……目標に近づくために……っ、一番になるために!半分の力で勝つ!?まだ僕は君に、傷一つつけられちゃいないぞ!」

 荒らげた声は、ステージ上でよく響いた。個性なしでもよく聞こえるその声、その気迫に、飯田や麗日も表情を変える。ステージ上で相対する轟も。
 グチャ、となにかが潰れるような、硬いもの同士が擦り合わされるような音はきっと、緑谷本人と奏にしか聴こえなかった。その音は、緑谷が壊れた右手を動かす度に彼の内から聴こえてくる。
 緑谷が、握れないはずの右手を握るのが見えた。轟に向けて叫ぶ。

「全力でかかって来い!!」

 声は雄々しく猛々しく。その声は少しだけ、奏の知らないもののように聞こえた。




45:その願いは誰が為


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