残響ユートピア46






 嫌な予感が的中して、不安が現実になっていく。
 緑谷の鼓舞にも聞こえる挑発の言葉に、轟の放つ音が変わった。左右で色の異なる目が鋭くなり、そこに苛立ちが宿っている。
 「苛つくな」とこぼしながら緑谷への接近を試みる。その動きに、奏は目を眇めた。
 動きが鈍い……!右半身に霜が降り始めてからか……!?出久の読み通り、やっぱり左の個性のみを使い続けた影響が出てるんだ。瀬呂くんのときの大氷塊が規模が恐らくは最大限。
 奏の視線の先で、緑谷は冷静に轟の接近を見極め、轟の左足が上がり、地面から離れた瞬間に、自ら距離を詰めて懐に潜り込んだ。

「イメージ……電子レンジの……爆発……しない……爆発……しない……!しない!」

 酷く小さな掠れた声で、緑谷が呟くのが聴こえた。繰り返し、まるで自分に言い聞かせるように。次いで、またグシャ、と耳に残る不快な音を拾う。緑谷が壊れた右手で拳を作る。その拳を、轟の鳩尾に撃ち込んだ。
 轟くんの左足が上がった瞬間に距離を詰めた。氷結しないタイミングをよく見て狙って動けている……!でもあんな腕で攻撃したら自分にだって相当のダメージがあるはずだ。
 案の定、緑谷が痛みに呻く声が聴こえた。胸の奥がぞわぞわして落ち着かない。

『モロだあー!生々しいの入ったぁ!』
「轟に……一発入れやがった!どう見ても緑谷の方がボロボロなのに……」
「ここで攻勢に出るなんて……!」

 轟が鳩尾を押さえながら立ち上がる。彼の口から漏れる呼吸は凝結して白くなり、宙に霧散した。パキキ、と氷同士が擦れる音がして、轟の右足から緑谷に向かってる地面伝いに氷結が襲う。しかし緑谷はタイミングを見計らいそれを躱した。

「氷の勢いも弱まってる」

 瀬呂のときや、この試合の序盤に比べて明らからに氷結の生成速度は落ちていた。轟の肌を覆う霜がまた少し広がる。
 出久のやり方は、現時点では間違いではないと、頭ではわかっている。少なくとも、勝つための手段としては。課題だった個性の制御ができ始めている。自棄になって無茶苦茶にやっているわけじゃない。間違いどころか、勝つためには最善手。
 どんどん心臓が冷えていくようだった。鼓動はうるさいのに、そこから熱が消えていく。これはなんだ。
 轟が再度足から氷結を放つ。緑谷はそれを今度は手や指ではなく、親指を口に引っ掛けて衝撃波を放った。またドン、と心音が硬く強くなる。
 
「なんでそこまで……」

 氷結で飛ばされないようにしながらも、轟が口にした疑問が聴こえた。奏の中にもある疑問だった。
 なんでそこまで。なにがお前をそうさせるんだ。そこまでの怪我をしてもなお、なんで。
 体勢を崩した轟を見逃さず、緑谷が距離を詰める。それでも轟の言葉に答えようとしていた。

「期待に応えたいんだ……!」

 駆け出しながらそう紡いだ声は、痛みと疲労のせいか掠れていた。それでも芯を持った言葉が、緑谷の血の滲んだ口から紡がれていく。

「笑って、応えられるような……カッコいい人に……なりたいんだ!」

 そう言って轟を見据える緑谷の顔に、笑顔なんてものはなかった。汗を流して、涙を流して、血を流して、痛みに顔を歪ませて、それでも瞳だけは灼けるような光を灯したまま。
 その顔を見て、奏は自分が今どんな顔をしているのかわからなかった。どんな顔で、どんな感情で緑谷出久というかけがえのない幼馴染みを見ているのか、自分でも。
 
「だから全力で!やってんだ、みんな!」

 もう拳を握ることもできないのか、緑谷は駆けた勢いのまま轟の胸に頭突きを喰らわせた。轟も緑谷もよろけて、また距離ができる。体勢を整えながら、緑谷が続けた。

「君の境遇も、君の決心も、僕なんかに計り知れるもんじゃない……でも……」

 掠れた声が、さらに熱を帯びる。怒りにも聴こえたその声は、真っ直ぐに轟へと向かう。

「全力も出さないで一番になって、完全否定なんてふざけるなって今は思ってる!」

 緑谷の言葉に、轟の表情が強張るのがこの距離からでもわかった。「うるせえ」と轟が返した言葉は震えていた。轟を覆う霜がさらに広がる。震えているのがわかる。緑谷が飛び出して、轟の正面から突っ込んでいく。

「だから……僕が勝つ!君を超えてっ!」

 言葉と共に、血塗れの拳で緑谷が轟を殴りつけた。轟が吹っ飛ばされて、地面に尻をついた。震えは止まっていない。霜が轟を覆っていく。彼から熱を奪っていく。

「親父を――……」
「君の!」

 立ち上がりながらも寒さか、あるいは怒りから震える声でこぼした轟の言葉を拾い上げた緑谷が、それを遮るように声を張る。

「力じゃないか!!」

 訴えかけるような、悲痛に満ちたような声だった。必死に、銀世界の中で見つけた火を消さないように薪を焚べるような声だった。
 その声を聞いて、言葉を聴いて、奏はああ、そういうことかと思った。
 出久お前は、お前は轟くんを。
 そのときだった。ユラ、と轟の足元のコンクリートに、赤い光の揺らぎが見えた。それは段々と大きく強くなっていく。
 そして瞬く間に、赤が広がり、橙を揺らして、黄色がちらちらと光る炎がステージに広がった。

『これは――……!?』

 炎は勢いを増していく。それはまるで涙の止め方を知らない、子供の泣き声のように。
 炎の熱が風になって観客席まで届く。髪を揺らし、思わず目を細めるほどの熱波。轟焦凍の熱が、あふれていく。

「熱キタ」
「左……!使った……!」

 麗日と飯田がそれぞれにこぼす。風に吹かれて広がる炎が、緩やかに落ち着いていく。轟の左半身から燃える炎が、左半身からは凍てつく氷が見えた。炎の燃える音、凍りつく音、それぞれ相反する音の中から、奏は小さな声を拾い上げる。

「勝ちてえくせに……ちくしょう……敵に塩送るなんて、どっちがふざけてるって話だ……」

 声はかすかに震えて、わずかに湿っていた。
 炎の中から「俺だって」と呟くのが聴こえた。まるで確かめるように。

「俺だって、ヒーローに……!」

 炎と氷を従える中で、轟が口の端を歪に持ち上げるのが見えた。向かい合う緑谷が笑う姿も、奏にはよく見えた。
 反響している、と思った。緑谷の熱意が、轟に。緑谷の憧れが、轟に、反響している。まるで緑谷の熱に当てられたように、轟は左側の個性を使った。
 緑谷の轟にかける言葉に、緑谷の思惑が透けて見える気がした。それに気付いて、急に力が抜けた。多分、よくない抜け方だと奏自身もわかっている。

「焦凍ォオオオ!!」

 不意に低く太い声が観客席の方から響いた。観客や生徒たちの視線が声の方に集まる。そこにいたのは今ステージで燃えている炎と同じものを纏ったプロヒーローだった。
 彼は炎を纏いながら、観客席の通路階段を降りていく。

「やっと己を受け入れたか!そうだ!いいぞ!」

 多くの視線を連れて、彼、エンデヴァーはステージ上に立つ息子へと語りかける。
 あれがNo.2ヒーロー……エンデヴァー、轟くんの父親か。
 奏も視線を向けた。彼は笑っていた。けれどその笑みはどこか苛虐的でもあった。周囲からの視線など一切気にせず、彼はただ息子に叫ぶ。

「ここからがお前の始まり!俺の血を持って俺を超えて行き……俺の野望をお前が果たせ!」

 でも、轟は父親の方を見なかった。まるで自分の名前を呼ぶ父親の声など聞こえていないかのように、ただ目の前の緑谷だけを見て、笑っていた。
 左半身から燃える炎が、右半身覆っていた霜を溶かす。不意に彼の頬を水滴が流れていくのが見えた。炎の光を反射させて光る雫。それが溶けた霜なのか、それとも別のなにかなのか、奏にはわからなかった。

『エンデヴァーさん、急に激励……か?親バカなのね。付き合いねーから意外だぜ』

 困惑をその声に乗せたプレゼント・マイクの言葉が、エンデヴァーの放つ奇異な空気を観客席に馴染ませていく。エンデヴァーに向けられた視線がひとつ、またひとつとステージの二人に戻る。
 奏も戻した視線の先で、緑谷が笑うのを見た。轟の猛る炎を前にして、彼は高揚していた。二人の会話が聴こえる。

「凄……」
「なに笑ってんだよ」

 轟の言葉は、極めて冷静だった。けれどその声は憑き物が落ちたようにすっきりとしていた。冬に降った雪が、春の陽射しに溶けて流れた水のように清涼だった。
 
「その怪我で……この状況でお前……」

 熱と冷気が混じり合い気流が生まれる。発生源は轟だ。轟は色の違う二つの瞳に緑谷を映した。この状況でもなお笑う緑谷は、轟の目にどう映っただろうか。

「イカれてるよ。どうなっても知らねえぞ」

 緑谷に向けられた言葉は、咎めるようでも、案じるようでもあった。そしてその言葉を合図にしたように、二人が向かい合い同時に構える。轟の炎が勢いを増し、氷結が緑谷に襲い掛かる。緑谷もまた、ボロボロの体に力を入れたのがわかった。彼の動きに合わせて土煙が上がる。おそらくは個性を使用している。跳ね上がったパワーによる挙動に空気が揺れる。
 奏の視界の端で、ミッドナイトとセメントスが動くのがわかった。その間にも巨大な氷結が地面を這う。緑谷はそれを躱して轟まで一気に距離を詰める。骨の折れる音がした。氷結を躱す際の跳躍でおそらく個性に体が耐えられなかったのだろう。足が折れている。それでも緑谷は自らの血に染まった右手を握り、拳を引く。轟も炎を纏う左手を構えた。

「緑谷」

 轟の声がした。情報量の多い光景が目の前に広がっていても、奏の耳はその声を拾い上げた。短く、それでいて想いの籠った声だった。
 轟の炎が強くなる。冷えた空気と熱された空気が混ざり合う。誰もが注目するステージの中央で、弾けるようになにかが光った。

「ありがとな」

 その言葉は、あっという間に掻き消されてしまう。緑谷にすら届いたかわからない。けれど奏には確かに聴こえた。爆音に消えてしまう声を。
 それはほとんど爆発だった。二人の攻撃がぶつかり合い、大きな衝撃を生んで、気流が乱れて奏の髪を大きく揺らす。瞬間的な光に視界が眩んだ。爆発のような、地響きのような音に聴覚が狂う。咄嗟に耳を塞ぐ。強い光に思わず閉じた瞼を、どうにか無理やり持ち上げる。

「なにコレエェ!」
「爆発……!?」
「大丈夫かあいつら!」

 爆風が収まらない中で、クラスメイトたちの声が辛うじて聞こえていた。
 蒸気がステージを覆い、白く染まる。奏も、誰もがステージを見つめて固唾を飲んだ。

『なに今の……お前のクラスなんなの……』
『散々冷やされた空気が瞬間的に熱され膨張したんだ』
『それでこの爆風てどんだけの高熱だよ!ったくなにも見えねー。オイこれ勝負はどうなって……』

 マイクと相澤の応酬が繰り広げられているうちに、緩やかに蒸気が晴れていく。真っ白なステージが朧げに浮かび上がる。最初に見えたのは赤だった。赤い靴先。見覚えがある。それが幼馴染みの靴だとわかったとき、奏は息を呑んだ。目を凝らす。蒸気の向こうの幼馴染みの姿を確かめるために。
 蒸気が晴れて、緑谷の姿を捉えた。スタジアムの内壁にもたれかかるようにして、辛うじて立っていた緑谷が、今、静かに倒れ込んだ。

「緑谷くん……場外」

 ミッドナイトの声が重く響く。あの暴風に耐えきれず、内壁まで吹っ飛ばされたのだろう。当然、ステージ上を示すラインを大幅に超えている。
 この本戦の勝利条件は相手を降参させるか、行動不能、または場外にすること。
 つまり。

「轟くん――……三回戦進出!」

 体育祭本戦、二回戦第一試合。勝者、轟焦凍。
 ミッドナイトの宣誓を待ち、観客席から歓声が上がる。ステージは二人の攻撃がぶつかり合った衝撃でボロボロだった。地面は抉れ、瓦礫が散らばっている。
 ステージ上に立つ轟は、暴風に飛ばされないように自身の下半身ごとステージに氷漬けにしてその場に固定したようだった。そうでなければ彼もステージに留まることは不可能だっただろう。見方によっては、彼の勝利は一重の差なのかもしれない。
 拍手と歓声の合間に聴こえてくる声を、奏は拾う。

「緑谷のやつ、煽っといてやられちまったよ……」
「策があったわけでもなくただ挑発しただけ?」
「轟に勝ちたかったのか負けたかったのか……」
「なんにせよ恐ろしいパワーだぜありゃ……」
「気迫は買う」
「騎馬戦までは面白いやつだと思ったんだがなあ」

 緑谷は担架に乗せられて、ロボたちにより搬送されていく。その姿を、轟が黙って見送った。
 拍手と歓声は未だやまない。いくつもの拍手が選手たちに送られる。プロヒーローから、生徒たちから、メディア関係者から。パチパチと、麗日や飯田も常闇も手を叩いて賞賛を示す。
 奏は、手を叩かなかった。



46:始まりの炎

46




戻る TOP