残響ユートピア51






「そう言えば、試合はどんな感じ?」

 電動車椅子の操作を確かめながら問うてくる奏に、緑谷は反射的に口を開く。

「かっちゃんと常闇くんの試合が始まるとこだよ!」
「勝己と……」

 奏がなにか、消化し切れないものを乗せた声で呟き、目を伏せる。そばでは麗日と峰田が「どっちが勝つかなあ」「オイラは常闇!」という会話をしていた。
 
「ステージの修復が終わり次第始まるだろうな」
「修復……?あ、僕か……」
「お前ステージぶっ壊してたぞ」

 峰田に指摘されて、奏は渇いた笑みを浮かべる。奏の超音波が主な原因で、ステージは修復作業が必要になった。セメントスの個性で修繕はすぐに終わるだろう。緑谷たちは揃って医務室を出た。

「音波くん、車椅子を押そうか?」
「電動だし、大丈夫。ありがとう」

 飯田の提案を奏はやんわりと断り前を向いた。自分より低い位置にある奏の丸い後頭部を見るのは新鮮だった。奏の動けない姿を見るのは慣れなくて胸の奥がざわついた。
 個性の反動で体が麻痺して動けなくなる……麗日さんが許容量を超えたら酔うのと同じようなことだよな。身体機能に害が生じる。

「……」

 知らなかったな。そんなこと。
 奏は個性をひけらかす人じゃなかったから、緑谷は奏の超音波の詳細を知らない。それだけじゃない。
 轟くんに……僕やかっちゃん以外に、あんな風に怒るかなちゃん、初めて見た。あれ、怒ってた……よな?二人がどんな会話をしたのか聞こえなかったけど、多分かなちゃんは怒っていた。それに、

『使えよ!!左も!!』

 あんなに声を張り上げるかなちゃんを、初めて知った。
 奏が叫んだ声は、緑谷たちのいる観覧席まで届いた。轟を見据えて、強い口調で叫ぶ奏を、緑谷は知らなかった。
 緑谷の知る奏はいつも穏やかで、スマートに物事に対処する。そういう奏しか知らなかった。あんな風に声を張り上げることも、あんな風に強い目をしていることも。
 観覧席まで出ると、すでに爆豪と常闇の試合は始まっていた。緑谷たちはなんとなく席には向かわず、出入り口付近で立ち見の姿勢に入る。

「うっぜえなぁあーーそれ!!」
「修羅め……!」

 爆豪の爆発まじりの攻撃をダークシャドウが防ぐ。そのまま連続して、フィールドの中央で何度も火花が散る。

『爆豪対常闇!爆豪のラッシュが止まんねえ!常闇はここまで無敵に近い個性で勝ち上がってきたが今回は防戦一辺倒!懐に入らせない!』

 また爆発音が響く。プレゼント・マイクの実況を挟んで、麗日が拳を握りながら小声で話す。

「爆発の光で攻撃に転じられん。相性最悪だ……」
「僕らに話してくれた弱点がかっちゃんにバレてなければ転機はあるよ」

 麗日が小声で話したのは、緑谷にしか聞かせる意図がなかったからだろう。それを察して、緑谷も小声で返す。
 騎馬戦で共に戦った常闇から、個性の特徴を聞いている。
 常闇踏影――"個性"、黒影。影のようなモンスターを身に宿す。伸縮自在の存在は、闇が深いほと攻撃力が増す一方で、光の中では弱体化する。
 爆豪の目が眩むほどの爆破の光はダークシャドウにとって天敵なのだろう。爆破を伴う攻撃が続く中では思うような攻撃ができないはずだ。
 一緒に戦ったからこそ、応援する気持ちは常闇に傾く。緑谷がフィールドに視線を落とす隣で、奏が寝言のような声音で呟いた。

「光……」
「え?」

 緑谷が聞き返すと、奏はやはり眠そうな目でフィールドを見ていた。まだ体が本調子ではないのだろう。相変わらず動作も口調もいつもより緩慢で、ゆるりと落とした瞬きがそれを裏付けている。けれどその奥の瞳はどこまでも冴え冴えとした光を孕んでいた。

「光が苦手なんだね……ダークシャドウくん。勝己相手に……可哀想に……」
「え、え、なんで……」
「見てればわかるよ」

 緑谷と麗日の会話が聴こえてしまったのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。もしかしたら個性超過の反動は奏の聴力にまで影響を及ぼしているのかもしれない。
 キィ、細い音を立てて、奏が車椅子ごと後ろに少し下がった。そのままくるりと向きを反転してしまう。室内に戻ろうとする奏に、飯田が声をかける。

「どうした音波くん」
「ちょっと行くとこがあって」
「まだ爆豪と常闇の試合終わってねえぞ」

 峰田もそう声をかけるが、奏は薄く笑うだけで、そのまま中に戻ってしまった。

「音波くんどうしたんやろ」

 麗日がそう言うのと同時に、マイクの実況が入る。観覧席の声も沸いた。緑谷たちも反射的にフィールドに目を向けた。

『裏を取ったあ!』

 見れば、爆豪が常闇の背後を取っていた。常闇が振り向くより先に、ダークシャドウが動くよりも先に、爆豪が両手の平で、空気を包むように構えた。
 瞬間に一際大きな爆発音と、これまでよりも強い閃光がフィールドに走る。
 すぐに煙幕がフィールドを包み込んで、なにも見えなくなった。硝煙の匂いが鼻を刺す。
 今の爆破……攻撃じゃなくて目眩しに使ったように見えた。もしかしてかっちゃんはもう、ダークシャドウの弱点に気付いたのかも。だとしたらかなちゃんは……
 煙幕が晴れると、フィールドの様子が浮かび上がってくる。倒れた常闇の口を左手でガシリと掴みながら、右手を高く上げて、線香花火を手のひらで持っているような爆発を起こしている。絶えず光が常闇に降り注ぐように。

「常闇くん降参!爆豪くんの勝利!」

 ミッドナイトの宣誓が響き渡る。歓声が沸いて止まらない。マイクも一層声を張り上げて宣言した。

『よって決勝は!轟対爆豪に決定だぁ!』

 元々注目度の高かった二人が決勝戦で相対することに、きっと会場中が期待している。

「常闇くん、悔しいな……」
「あの二人が……どうなるんだろ……」

 麗日と緑谷がそれぞれに呟く。二人の言葉を拾い、示すように飯田が言う。まっすぐに前だけを向いたまま。

「しっかり見てリベンジだな!」
「うん!」

 緑谷と麗日の声が重なる。二人が頷くと同時に、視界の端で飯田がヴヴヴと細かく震え出した。また二人の声が重なる。

「うわぁなんだ!?」
「電話だ」

 バイブモードにしていたのだろう。振動音を微かに響かせ、自身の声も震わせながら言う飯田に、緑谷がほっとしながら「電話か」と返す。飯田はスマホに表示された名前を確認してから、「すまない」と断りを入れて離れて行った。
 その背中を見送り、「そろそろ席に戻りましょうか」という蛙吹の提案に頷く。

「そういえば音波くん、どうしたんだろうね」
「便所か?」

 麗日と峰田がそう話すのを聞いて、緑谷はそこに割り込んだ。

「かっちゃんのところだと思うよ」
「え?」

 麗日が聞き返す。けれど顔をそちらには向けられなかった。席に向かう階段を一歩一歩降りていく。首から吊られた腕が邪魔で足元が見づらいから、目を離させないようなフリをして。

「昔から……運動会のリレーの前とか、発表会の前とか、かっちゃんの大事な場面で、かなちゃんはいつもかっちゃんに声をかけに行くから」

 爆豪の晴れ舞台を前にしたとき、奏はいつも爆豪の元に向かう。エールを送っているのか、雑談をしているのかはわからない。どんな空気で、二人がどんな会話をしているのか知らない。
 奏はきっと、爆豪の勝利を確信した。だから試合途中で中に戻った。慣れない車椅子の移動には時間がかかるから、きちんと決勝前に爆豪に声をかけられるように。
 かなちゃんはかっちゃんが勝つってわかってた。いや、信じてたんだ。疑いようもないくらいに。
 ――いいな。
 いいな、と思った。心から。昔から漠然と抱いていた感情。嫉妬と呼ぶには柔らかすぎて、憧れと呼ぶには曖昧すぎる。爆豪は奏からの信頼を勝ち得ている。
 緑谷だって信頼されていると思う。そこを疑ったことはないけれど、奏が爆豪に向ける信頼と、緑谷に向ける信頼はきっと毛色が違う。質量も温度も、きっと異なる。
 奏は緑谷の大事なときにだってそばに来て声をかけてくれる。わかっている。でもきっと、試合の途中に席を立ったりしない。最後まで見届ける。
 自分の知らない奏がいる。自分には見せない奏の一面がある。雄英に来て、それは徐々に色濃くなっていく。ルービックキューブのようだ。緑谷はまだ、奏の一面を揃えただけだ。白い面を揃えたって、まだ赤、黒、黄、青、緑が残っている。そしてそれを揃えるためには、一度揃えた白い面を壊さなければいけない。
 緑谷が望む奏からの信頼を勝ち得るためには。



▽▲▽



「あれ?」

 扉を開けた先の室内は無人で、奏は思わず言葉を漏らした。トーナメント出場選手の控え室は、あらかじめ割り振られている。爆豪はこの部屋のはずだ。
 奏は車椅子を操作して中に入る。一応ぐるりと室内を見回してみるが、やはり誰もいない。
 おかしいな。決勝戦まではまだ時間があるから控え室にいると思ったんだけど。トイレにでも行ってるのか?
 どうしようかな、と奏が視線を落としたところで、背後の扉がガン!とけたたましい音を立てた。驚いて肩が跳ねる。首だけ捻って後ろを見れば、そこには眉間にしわを寄せた爆豪が立っていた。ズボンのポケットに両手を突っ込み、片足を上げた状態で。

「あ?なんでてめえがここに……」
「お前足で開けるなよ……」

 奏は呆れてため息を吐きながら注意する。なんでわざわざ扉を蹴破って入ってくるんだ。
 爆豪は奏に言われた言葉が気に入らなかったのか、一瞬目を眇め、それからハタと、奏にゆっくりと視線を滑らせた。なにかを確かめるような目の動き。その間に奏は車椅子の向きを変えて、体ごと爆豪と向き合う。

「……足やられたんか。半分野郎に」
「半分……?待てお前それ轟くんのこと?やめろよそういうの」

 聞き慣れない単語に眉を顰めながら首を傾げるも、すぐにピンときて嗜める。麗日さんのときと言い、なんでそんな変な呼び名ばかりつけるんだ。人のこと記号的に捉えすぎだろ。
 爆豪の目がつり上がるのがわかったので、奏は質問に答える。

「轟くんじゃないよ。これは僕のせい。個性の反動」
「反動?」
「使い過ぎ。体が痺れてて上手く動けない。だから車椅子」

 車椅子のフレームを撫でながら端的に説明すれば、爆豪は奏を見下ろして、渋い顔をした。

「聞いてねえぞ」
「そうだっけ?じゃあ聞かれてないんだね」

 出久にも言われたし、二人に言ってないってことは多分聞かれてないんだろう。まあ僕は勝己と違って普段ぽんぽん個性見せてこなかったしな。
 納得がいかないような、厳しい顔をする爆豪を見上げて、奏は一度目を伏せた。

「悪かったね」
「あ?」
「決勝、行けなくて」

 その一言に、爆豪が息を止めるのがわかった。奏は伏せた目を、そのままゆっくりと一度閉じる。閉じた瞼の裏で想像する。
 今日はいい天気だった。洗い立てのシャツに、水色のペンキをぶちまけたような、手を伸ばしたくなるような晴れた空。あの空の下で、熱気と歓声に包まれた中で、爆豪と向かい合えたら。お互いの瞳に、挑戦的に笑う互いを映せたら。それはきっと、川底で光る石のようにずっと、日々の中で転がり、研ぎ澄まされながら、奏の中で光り続けたことだろう。
 でもそれは叶わなかった。光る石は川底に眠ったまま。
 
「……そう思うなら、棄権なんてしてんなよ」
「ふ、無茶言う……」

 拗ねたような声が降ってきて、思わず声が漏れる。自然と緩んだ口角と上がる視線。顔を上げた先で、爆豪の顔が目に入る。入って、緩んだ口角が力を失った。
 拗ねてる、なんて間違いだった。爆豪は目を眇め、眉を寄せて奏を見ている。その目が、表情が、拗ねているなんて子供じみたものじゃなくて、もっと、もっと悔しそうな、惜しむようなそんなものだった。比較的穏やかな表情の中に浮かぶ色が、奏の思っていたものと違って、一瞬脳の回路が動作不良を起こす。バグった回路が、いつかの記憶を脳裏に呼び起こす。
 夕焼けに浸るような室内。段々と明かりを失って、一日の終わりを告げる空気と、舌に灼きつくような辛味。
 
『お前も……出久も、まだ僕の知らないところがあったんだなあって、思っただけ』

 いつかの、爆豪の部屋で交わした会話。あのとき確かに、自分はそれをわかったつもりでいたのに。また突きつけられて動揺する。爆豪だけじゃない、緑谷もだ。
 自分に勝つ、と言った爆豪。轟からの宣戦布告を正面から受け止めて、それでも勝つと言い切った緑谷。知らない面が、あるいは知らなかった変化が、奏の胸を焦がす。

「……まあ、腕相撲ならワンチャンあったかも?とは思う」
「あ゛ぁ!?」

 奏の言葉に爆豪が声を荒らげた。一瞬にしてつり上がった目に、奏はうるさいなと顔を顰める。

「先に左手出して轟くんにも左手出させれば氷結は封じれるし。まあ炎使うって言われたら話変わるけど……開始と同時に催眠音波出せば勝てたかも」
「テッ……メェ!じゃあやれや!勝てや!」

 言うと同時に両手から火花を飛ばす爆豪に、奏はやれやれと息を吐く。

「言っただろ。ワンチャンだよ。そんな上手くはいかない。個性のコントロールが低下してる。催眠音波を上手く操れるか怪しい」

 言うと、爆豪はぴたりと閉口した。言いたいことをかなり我慢しているときの顔だ。顔面の筋肉が震えているのを見て、そんなに?と奏は眉を顰める。筋肉の強張りが解けて、また口を開く。

「……だから最後、眠らせなかったんか」
「そう。コントロールが効かなかった。下手すれば轟くんを危険に晒す」

 もし、あのまま轟を場外にさせて勝てていれば、轟に氷漬けにされていなければ、反動による麻痺もここまで重症にはならなかっただろう。

「轟くんと決着をつけるのも考えたけど……体の状態からして、勝ったとしてもお前との試合までに回復できる気はしなかった」

 満足に歩けない体で、爆豪と渡り合えるとは思えなかった。それになにより。

「そんな状態で戦うのは……あんなふうに宣言したお前に、悪い気がした」

 一位になると言った。僕に勝つと言った。中途半端な結果はいらないと言った。自分を追い込んで紡いだ言葉に宿る信念を、奏はなにより尊重したかった。自分に向けられた宣戦布告の意味を理解できなくても、今度こそ汲んでやりたかった。爆豪が望まない形だとしても。

「……てめえと半分野郎の試合観て、腹立った」
「は?なにその感想」
「うるせえ」

 爆豪は静かに低い声でそう言うと、燃える太陽のような瞳に奏を映す。ギラギラと光る目が、奏を通してもっと遠くを見ている。

「見てろ」

 言いながら、爆豪は背中を向けた。開けたままだった扉をくぐりながら、奏を肩越しに振り返る。

「相手が誰だろうと、一位になんのは俺だ」

 そう言って部屋を出ていく爆豪の背中に、慌てて「頑張れよ」と声をかけるが、爆豪はもう振り返らなかった。



51:白を壊して

 




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