残響ユートピア53






 無機質な通路を進みながら、自分の状態を考える。力はまだ入りきらないが、手は握るくらいはできるようになった。足も踏ん張れるかは怪しいが立つくらいならできるだろう。聴覚もほとんど元通り。車椅子の世話になるのもあと少しで済みそうだ、と奏は一人頷く。
 ふと、足音に気付いて顔を上げる。早足で大股な、焦りを滲ませた音だ。走るのを我慢しているようにも聴こえた。
 目を細めると、正面から見覚えのあるシルエットが見えた。

「……飯田くん?」

 奏が名前を呼ぶと、飯田も気付いたのか、ハッとした様子で足を速めた。

「音波くん」
「飯田くん、どうしたの?試合始まるよ?」

 互いに寄り合い、向き合うと飯田の表情がよく見えた。その表情の硬さに、奏は少し嫌な予感がした。なによりも彼の放つ音が普段とはまるで違う。
 キリキリとした、ガラスを引っ掻くような音がする。

「すまない。俺はこれで早退する」
「早退……?」
「兄が敵にやられた」

 奏の言葉に被せるように、飯田は言った。奏は呼吸を止める。同時に胸の奥がざわついた。見えない影が胸の中を這い回る。それを言葉にしないように一度隙間なく唇を閉じた。
 飯田くんの、お兄さん。インゲニウム。
 瞬間、奏の脳裏にはいつか、飯田が初めて笑ったときを思い出す。

『規律を重んじ人を導く愛すべきヒーロー!俺はそんな兄に憧れてヒーローを志した』

 飯田くんの憧れ。飯田くんのヒーロー。敵にやられたってどいつに?無事?怪我の程度は?君は大丈夫?
 いくつもの言葉が頭に浮かんで、その度に胸の内側をざらざらとした影が撫でるようだった。わかっている。どれを言葉にしたって飯田を困らせるだけだと。

「……そう。わかった。気をつけてね」
「ああ、ありがとう」

 飯田は少し口角を上げた。それは反射なのかわからなかった。蛍光灯の光を眼鏡のレンズが跳ね返して、いつも凛々しく前を向く飯田の表情がわからなくなる。かける言葉はこれでいいか?もっとなにか言うことがあるんじゃないか?
 急かされるような気持ちになって、絞るような気持ちで言う。

「……一人で大丈夫?」

 飯田が短く息を吸うのがわかった。音に動揺が溢れ出す。返ってくる言葉なんてわかっていたし、なんの意味もないとも知っていた。でも言いたかった。
 そして飯田は奏の予想通り、笑った。少しだけ困ったように眉尻を下げて。

「ああ。大丈夫だ。ありがとう」

 そう言って、片手を軽く上げてから通り過ぎていく飯田に、奏はもうかける言葉を持っていなかった。それでも、遠くなるその背中が、寒そうな廊下を一人歩く背中が、見えなくなるまでそこにいた。



▽▲▽



 祈りは、どこまで届くのだろう。
 通路を抜けると、眩しくて目を細めた。歓声が鳴り止まない。体育祭も大詰めで、熱気はおそらく最高潮だ。まだ万全ではない体調に、あちこちから聞こえる声援は重たかった。一瞬だけ眩暈がして、すぐに治る。

「あ!音波くん!」

 呼ばれて顔を上げると、A組の観覧席に降りる階段の前で麗日と障子が立っていた。車椅子でゆっくりと近付く。

「二人ともどうしたの?」
「音波くん車椅子じゃ降りれないと思って、待ってた!」

 麗らかにパッと笑う麗日に、奏は一度瞬きをした。その間に、麗日が奏と車椅子に触れる。瞬間、体が浮くように軽くなる。すると今度は障子が逞しい腕で車椅子ごと、奏を持ち上げた。

「決勝戦!爆豪くん出るし、近くで見た方がいいと思って!」
「……ありがとう。上で観てるしかないと思って諦めてた」
「へへ、なんのなんの」

 下まで降りると、気付いた緑谷が顔を上げて笑う。障子が降ろすと麗日が個性を解除して、重力が体に戻ってくる。障子にも改めてお礼を言うと、気にしなくていいと言って自分の席に戻って行った。

「かなちゃん、飯田くんなんだけど……」
「来る途中に会ったよ。お兄さんのこと……聞いてる」

 奏が下に降りるなり、身を寄せてきた緑谷は声を落として話す。奏もそれに目を伏せて答えた。
 飯田にとって、兄は憧れの存在だったはずだ。会ったこともない、テレビ越しでしか見たことのないヒーローの、友人の兄の無事を強く祈る。
 祈りに意味はあるのだろうか。この祈りはどこに向かうのだろうか。祈りよりも、行動の方が意味があると奏は思う。思うけれど祈らずにはいられなかった。身近に憧れがいる幸福を知っている。憧れを失う絶望も同じだけ知っていたから。

『さァいよいよラスト!雄英一年の頂点がここで決まる!』

 今までにないほどの歓声と熱気が、一気に沸き上がる。プレゼント・マイクの口上につられて視線を落とすと、ステージにはすでに爆豪と轟が立っていた。
 「どっちか勝つんかなあ」と麗日が呟いたのが聞こえた。
 向かい合う二人を見て、奏は自然と苦い笑みをこぼす。あそこに立つのが己じゃないことに、胸の奥が空風に吹かれるように疼いた。

『決勝戦!轟対爆豪!今!スタート!』

 マイクの開始の合図と同時に、ステージに巨大な氷壁が生成された。轟の氷結だ。ステージの半分以上を覆うほどの大氷壁。

『いきなりかましたあ!爆豪との接戦を嫌がったか!早速優勝者決定か!?』

 マイクの実況に、今度は渇いた笑みをこぼした。表面が渇いているのは、内で燃えるなにかで熱されているからだ。
 そんなわけがない。と皮肉って笑う。轟の出力はよく計算されていた。瀬呂戦のときのように、客席に届くほどの規模の威力ではない。
 あんな大雑把な攻撃で即負けるようなやつなら、僕は勝己にこれだけ手を焼いていない。けどまあ、轟くんの考えもわかる。ワンチャン倒せるならこれで倒したい、みたいな。惰性ではない。だから規模が小さい。

「一撃を狙いつつ……!」
「次を考えてるね」

 奏の確信を裏付けるように、鈍い振動音が聞こえた。こもった、大きな音を何重もの膜で包んだような音が、何度も。
 段々と近づいてくるそれに、轟も警戒している。そして轟の正面、氷壁が内側から砕かれた。砕かれた氷片とともに中から現れたのは爆豪だ。

「爆発で氷壁を防いでモグラみてえに掘り進めたのか!」
「んなケッタイな!」

 観覧席がざわめく。氷壁の中から現れた爆豪に、奏は静かに笑う。体育祭の中で、爆豪の与える印象がコロコロ変わる。女の子をいたぶるヒールかと思えば、相手の弱点を突くクレバーさを見せる。上がって下がって跳ね上がる爆豪への期待値。みんなが爆豪に注目している。楽しい、嬉しい。体温が上がる。
 ふと緩む口元に、ハタと我にかえる。いや駄目だこれ。キャパ超えた反動だ。感情の波が大きい。
 奏は意識してゆっくり深く息を吸い、同じように息を吐く。まだ痺れが微かに残る手のひらを、力が入らないなりに握り込み、開く。それを繰り返す。
 自分の脈の音に集中した。上下に揺れる糸を、ゆっくりと引っ張って、直線に伸ばしていくようなイメージ。無音を意識する。余計な音を聴かない。余計な音を発さない。心音が一定になっていく。無感動で、心を揺らさない心音。それでいい。

「てめェ虚仮にすんのも大概にしろよ!」
「!」

 爆破音と叫び声。ぼやかせていた視界の焦点が一気に絞られる。ステージはいつの間にか二人の戦った跡が積み上げられている。ステージを囲むような氷壁は、ところどころ不自然に削られたりヒビが入っている。爆豪の爆破によるものだろう。
 ステージの中央で、爆豪が叫んでいる。

「ブッ殺すぞ!俺が取んのは完膚なきまでの一位なんだよ!」

 どうやら爆豪は、轟が左側の個性を使ってこないことに憤っているようだった。
 まあそうだろうな。勝己は。全力じゃない相手に勝ったって喜ぶようなやつじゃない。むしろプライドを傷つけられるだけだろう。

「舐めプのクソカスに勝っても取れねんだよ!デクより、奏より上に行かねえと意味ねえんだよ!」

 自分の名前が出たことに、奏は目を丸めた。
 ……いや口悪ぃ〜!舐めプのクソカスなんてどっから出てくるんだあいつは……!プロの前でそんな言葉使うなただでさえ印象悪いんだから!
 丸めた目を眇めて、奏は頭を抱えた。けれど爆豪の次の言葉に、奏の中にあった呆れが吹き飛んだ。

「勝つつもりもねえなら俺の前に立つな!なんでここに立っとんだクソが!!」

 両腕を振り上げ、上半身を大きく逸らしながら爆豪が叫んだ。その声は怒りで溢れていて、その目は求める勝利だけを見ていて、すべての動作が次に向かっている。

「……ははっ」

 自然とこぼれた笑い声は、今日の天気のようにカラリとした乾きを含んでいた。
 
「はは、あはは」
「かなちゃん!?」
「どこで笑っとんの!?」

 思わず目元を片手で覆い、手で遮られた視界の向こうで青く広がる空を仰ぐ。そのまま、やっぱり駄目だと思った。感情が揺れる。手を下ろすと、空が眩しくて目を細めた。横で緑谷と麗日が心配そうに奏を見ていた。

「いや〜、はは、勝己にしては珍しく、真っ当な理由で怒ってるなと思って」

 理不尽さのない、真っ当で気高い理由で、轟に怒っている。それは緑谷が轟に向けたものよりも純粋な怒りに思えた。ただただ、自分の怒りだった。心配も哀れみも一切ない。自分勝手な怒りだった。
 奏はずっと、爆豪のそういうところが好きだった。きっと誰にも理解されないけど、幼い頃からずっと。
 両手を振り下ろすタイミングで爆破を起こし、爆豪が高く飛ぶ。爆破の光が空によく映えて眩しかった。
 顔の前で腕を交差させ、交互に爆破を起こす。その力で爆豪自身が回転して轟に迫っていく。腕の位置を調整しながら、段々と爆破の間隔を狭めていく。
 迫る爆豪を前に、轟が動く気配はなかった。
 そうだろうな。僕のときだって結局使いはしなかった。まだ迷ってるんだね。でも君の前にいる相手はそんなに甘くないよ。少なくとも、迷っている状態で勝てるような相手じゃない。
 このまま轟が終わるのは少し、残念に思えた。けれど奏にはどうするすべもなく、ただ黙って試合を見守る。
 
「負けるな頑張れ!!」
「――!」

 すぐ隣から声が上がった。奏は目を見開いて、声の主を見る。緑谷だ。緑谷が叫んだ。きっと轟へ向けて。
 緑谷は奏の視線に気付かない。一心にフィールドを見ている。
 視界の端で、炎が揺らめくのに気付いた。慌てて視線をフィールドに戻す。緑谷の声に呼応するように、轟の左半身から炎が上がっている。回転する爆豪は轟の目前まで迫っていた。自身が爆弾にでもなったような勢いで、爆豪は轟に突っ込んでいく。着弾する、その直前に炎が消えるのを見て、あ、と思う。

「榴弾砲着弾!」

 爆豪の声が、大きな光の中から聞こえた。強い光に硝煙がフィールドを覆う。一瞬の無音を錯覚した。
 爆豪自身が着弾した衝撃は、フィールドに残っていた氷塊を根こそぎ砕いていく。

『麗日戦で見せた特大火力に勢いと回転を加えまさに人間榴弾!』

 土煙と硝煙が晴れるまでの間をマイクが繋ぐ。ガラガラと崩れていく氷塊を見ながら、奏は試合の決着を悟った。

『轟は緑谷戦での超爆風を撃たなかったようだが果たして……』

 会場がざわめき出す。「どっちが勝った?」「爆豪じゃねえか?」「轟さんは途中で炎を消したように見えましたが……」クラスメイトたちが交わす言葉が妙に奏を冷静にさせた。

「ああ〜……まずいなあ、これ」

 奏は頭を掻きながら、晴れていくフィールドを見る。最初に捉えたのは、フィールドの中央でうつ伏せに倒れた爆豪だった。頭が動いて、意識があると悟る。
 爆豪の視線の先には、砕けた氷塊の上に倒れ込む轟がいた。フィールドの範囲を示す白線を、大きく超えた場所にいる。
 爆豪が立ち上がった。多少のふらつきはあるがしっかりとした足取りで轟に近寄っていく。あ、まずい。
 
「オイっ……ふっ、ふざけんなよ!!」

 聴こえてきた声は、可哀想になるくらいだった。轟の胸ぐらを掴み上げるが、意識がないようでされるがままだ。
 勝己のあの技……着地ができてなかった。恐らくは未完成の技で、勝己自身も勝負に出てた。ちゃんとあいつは全力だった。それで、きっと轟くんが左の個性を使うのを途中でやめたことにも気づいてる。勝己が一番許せないパターンだ。

「こんなの!こんっ……」

 不意に、二人に近付く人影。そしてカクンと力が抜けたように爆豪の体が崩れた。ミッドナイトの個性だ。爆豪が意識を手放したことを確認した上で、左手を振り上げて改めて宣告する。

「轟くん場外!よって――……爆豪くんの勝ち!」

 瞬間に、割れんばかりの大歓声と拍手が沸き上がった。思わず目を細めて、その音の質量に目を閉じる。

『以上ですべての競技が終了!今年度、雄英体育祭一年優勝は――……』

 マイクがその名前を会場中に知らしめる。もう何度も聞いて、呼んできた名前なのに、今この場で聞く名前が、やっぱり嬉しくて奏は目を閉じたまま、薄く笑った。



▽▲▽



 カタ、と小さな物音が意識に入り込んできた。そう気付いたときには意識がゆっくりと今の現状に焦点を合わせていく。薄く開いた瞼の隙間から、人工的な光を感じた。

「……あ?」

 漏れた声になりきれない音を拾ったのか、「あ、起きた」と知っている声が意識をさらに掻き集めていく。
 視界はまだぼやけていて、その輪郭をはっきりとさせない。けれどすぐそばにいるのが、この声が誰なのかはすぐにわかった。

「おはよう」

 視界に入り込んだ、見覚えのある髪色に少しだけ頭を横に動かす。ぼやけた輪郭がはっきりして、奏が自分を見下ろしていることがわかった。
 どこだここ……
 眉間にしわを寄せて目を細める。見覚えのない天井。だけど五感が自分の意識として戻ってくると、薬品の匂いがしてすぐにわかった。医務室だ。ベッド脇に奏が立っている。

「んでてめえが……」
「まあ一応ね。自分で言うのもなんだけど、僕の役目だろうと思って」

 奏の言っている言葉の意味がわからなくて顔を顰める。奏はいつもと同じ、温度のない笑みを浮かべていた。

「それとおめでとう。体育祭優勝。有言実行したね」
「あ?……あ!?」

 奏の言葉に一気にすべてを理解して、爆豪はガバリと上体を起こした。かけられていた布団が捲れて落ちそうになるのを奏が咄嗟に引き上げる。すぐに周りを見渡すが、ベッドカーテンが閉められていて、奏以外の人間の姿は見られない。

「おい半分野郎はどこだ!!」
「うわ〜……言うと思った。轟くんならお前より先に目を覚ましてもう戻ってるよ」
「あのクソ舐めプ野郎……!ぶっ殺す!」

 ギリ、と軋むほどに歯を食い縛り、目をつり上げる。怒りと不快感でどうにかなりそうだった。
 外に出てんならちょうどいいわ。今度こそ左も使わせて白黒つけてやる。
 ベッドから降りて鼻息の荒いままベッドカーテンに手をかけた爆豪の腕を、奏が慌てて掴む。

「待て馬鹿」
「ああ!?」
「お前の気持ちはわかるけど……聞いてただろ。轟くんにだって思うことがあるんだよ」
「知ったこっちゃねーわ!つーか放せや!」
「あ」

 バッと勢いよく手を振り払った拍子に、奏の肩に手が当たった。その勢いで奏がバランスを崩す。
 瞬間、脳裏を駆け巡ったのはこいつそういえば車椅子に乗ってたんじゃねえのか?ということだった。普段の奏なら少しぶつかったくらいでよろけない。心なしか腕を掴む力も弱かった気がする。
 爆豪はほとんど無意識に、振り払った奏の腕を掴んだ。そのまま少し自分の方に引っ張ると、引っ張られた勢いで奏の体が爆豪の方に倒れ込んでくる。爆豪の肩口に奏の頭が乗って、傾いていた重心が整うと、奏はすぐに姿勢を正した。

「……おお、ありが」
「てめえまともに立ってらんねえならふらふらしてんじゃねえよ死んどけ!」
「……まだ本調子じゃないなら無理するなって言ってくれてると解釈しておくよ」

 奏が呆れたようにため息混じりでそんなことを言うので、爆豪はますます目をつり上げる。心配なんてしていない。勘違いするなと言おうとするが、爆豪よりも先に奏が口を開いた。

「ほら、行くよ。表彰式、お前が起きるの待ってたんだから」
「ざっっけんな舐められたままで表彰なんて誰がされっかよ!」
「はあ〜……」

 奏は大きくため息をついて、首の裏を掻いた。それから眉尻を下げたまま、困ったように爆豪をその目に映す。

「やれやれ……結局こうなるのか」
「あ?」
「言っただろ。僕の役目だと思うって」
「は?」

 パチン、と小気味のよい音が聞こえた。乾いた音。奏が指を鳴らしたのだと気付いたときには視界がぐにゃりと歪んでいて、瞼が下がっていくのに耐えられない。
 
「てめっ……!」
「悪いとは思ってるよ。けど相澤先生とも話し合った結果だから」
「覚え……とけ、よ……」

 足に力を入れて踏ん張るが、姿勢を維持できない。崩れそうになる体を奏が支えた。霞む視界の最後まで残っていたのは、やはり奏の薄い笑みだった。



▽▲▽



 晴れた空は色を濃くして、それを背景に鮮やかな祝砲が爆ぜる。

「それではこれより!表彰式に移ります!」

 グラウンドには表彰台が準備され、三位までの入賞者がそこに立つ。グラウンドの後方にはマスコミ用のスペースも設けられて、いくつものシャッター音が聞こえていた。
 体育祭を締める表彰式。雄英高校に於けるそれは特に大きな意味を持つ。ヒーロー養成学校の中でも雄英は名門中の名門。一年生とは言え、その中でトップ3に入る実績を持つ者を世間的に報じる場だ。つまりは将来有望なヒーロー候補生として顔と名前を知られることになる。
 だと言うのに。奏は苦い顔でため息をこぼした。

「なにアレ……」
「起きてからずっと暴れてんだと。しっかしまあ……」

 生徒たち、またマスコミからも同様のざわめきが聴こえてきた。奏は三位入賞者の台の上に立ちながら、その元凶を見上げる。

「締まんねえ一位だな」

 声にならない怒号と、ガチャガチャと金属の擦れ合う音。奏は抑えきれずにまたため息をこぼした。
 一位の表彰台の上。そこには拘束された爆豪が立っている。セメントスの個性で表彰台にコンクリートの壁を作り、そこにベルトで腰を固定。両腕は個性が使えないように物々しい拘束具を取り付けられ鎖で繋がれている。おまけに口は罵詈雑言を封じるために、やはり物々しい口枷で喋れないようにされている。そこまで拘束されてなお、爆豪はどうにか動かせる上半身を振って、隣、二位の表彰台に立つ轟に向かってなにかを叫んでいる。

「もはや悪鬼羅刹」
「ああ……全国に恥を晒して……はあ」
「ん゛ーー!!」

 奏の隣に立つ常闇が、腕を組みながら爆豪の様子に引いている。奏は額を押さえる。轟だけは爆豪のことなど気にならないのか、神妙な顔で目線を下に向けていた。
 起きたらブチギレて轟くんに掴みかかるだろうから、その対策としていざとなったら僕が宥めるか寝かせて表彰台に立たせるって方向で相澤先生とは話をつけておいたけど……思ったよりエグい拘束の仕方されてるな……
 軽い催眠音波だったのですぐに目を覚ますとは思っていたが、覚ましたら手のつけようがないほど怒り狂いだしたので見兼ねた教師陣が拘束を施した。これ優勝者にすることか?とは思わなくもない。今どき敵でもこんな風に拘束されないぞ。
 三度目のため息を吐きそうになったところで、同じ表彰台に立つ常闇が奏を見た。

「車椅子はもういいのか」
「うん。もう大丈夫そう。それに表彰式で車椅子じゃかっこつかないしね」
『オトナミ、ゲンキ?』
「あはは、元気だよ」

 ぬるりと常闇の背中からダークシャドウが顔を出した。心配されているのだと思うと少し心が弾んで、可愛いなあとダークシャドウの頭を撫でる。
 ガンッ!と金属同士の当たる音が耳障りだった。反対を見ると爆豪が奏の方に向かって頭を振っている。

「ん゛ん゛!!」
「悪かったって……でもお前も悪いよ。先生方に反抗しようとするんだもん。その口枷予定になかったはずだぞ」
「ん゛っん゛ん!!」

 爆豪の目がかつてないほどにつり上がって、奏はごくりと唾を飲む。爆豪の表情に恐れをなしたのか、ダークシャドウは常闇の中に戻っていった。こいつ顔がやばすぎる。これガン無視できる轟くん凄いな。

「……なんと言っているかわかるのか?」
「大体。個性使えばなんとなくわかるし、こいつ顔で訴えて来てるから」
「ん゛ん゛ん゛!ん゛っん゛んんん!」

 奏と常闇が小声で会話をしている間に、ミッドナイトが表彰式を進行していく。なるべく早く終わらせて欲しいな。全国に勝己の痴態が広まる前に。

「メダル授与よ!今年メダルを贈呈するのはもちろんこの人!」

 ミッドナイトの言葉と同時に、視界でなにかがキラリと光る。表彰台の正面、ドームの屋根で、なにかが太陽を背負い、その光を反射させた。太陽の中に浮かぶシルエット。磨き上げられた肉体に、光を照り返す二本の触覚。そのシルエットが大きく飛び上がった。

「私が!」
「我らがヒーロー!オールマイトォ!」
「――メダルを持ってきた!」

 空中で二転三転、回転まできめて、勇ましく登場したオールマイトは、ミッドナイトと段取りをしていなかったのか二人の言葉が重なり、描いていた登場ができなかったことに少し悲しそうな顔でミッドナイトを見ていた。
 オールマイトの登場に、マスコミ席から聴こえるシャッター音が増える。オールマイトが教鞭を執っているという事実は、いまだに世間を彩るニュースのひとつなのだ。
 ミッドナイトがメダルを乗せたトレーを持って、そこから銅色に輝くメダルを取ったオールマイトが常闇の前に立った。頭を下げる常闇の首にメダルがかかる。

「常闇少年おめでとう!強いな君は!」
「もったいないお言葉」

 オールマイトは笑いながら常闇に声をかけ、その肩を正面から抱き寄せた。そして労うように、あるいは称えるように、背中を大きな手で二度三度叩く。

「ただ!相性差を覆すには個性に頼りっきりじゃ駄目だ。もっと地力を鍛えれば取れる択が増すだろう」

 抱擁から解放されて、常闇は首にかけられたメダルを見詰めながら「御意」と短く頷いた。
 奏はその様子を、これ僕もハグされるのか?と考えながら隣で見ていた。ミッドナイトの持つトレーから、もう一つの銅メダルを手に取り、オールマイトが奏の正面に立つ。

「音波少年!おめでとう!」
「ありがとうございます」

 掲げられたメダルを一度見て、背を屈める。首にかけられたメダルは思っていたよりも重たかった。メダルに触れる前に、オールマイトが逞しい腕を伸ばして、常闇と同様に奏を包むように抱きしめた。筋肉の厚みと体温の高さに慣れずに、一瞬呼吸が止まる。

「自分の個性を活かす戦い方、見事だった!普段見れない君の一面を知れて嬉しいよ」
「どうも……」
「棄権は残念だったが、その判断ができるのもまた君の強みさ!個性の許容範囲を広げることができれば君の個性や戦術はもっと輝くだろう!」

 耳元で囁かれる激励は、こそばゆく、先を照らすような輝きを纏っていた。背中を軽く叩く手は、大きくて熱くて、予想以上に優しかった。
 体温が離れて、首からかかった銅メダルに触れる。ひやりと冷たくて、すぐに体温に馴染んだ。常闇を見る。

「お揃いだね」
「む……」

 顔の高さまでメダルを上げて笑えば、常闇はパチリと瞬きをした後に同じように顔の高さまで上げてこくりと頷いた。常闇の背後から顔を覗かせたダークシャドウが、嬉しそうに目を細める。
 そうしている間に、オールマイトが轟の前に立った。彼の首に、銀に輝くメダルがかかる。

「準決勝、決勝で左側を収めてしまったのには、ワケがあるのかな」

 オールマイトの言葉に、奏は自然と轟の方に目を向けた。奏の視線に気付かないまま、轟は静かに口を開く。

「緑谷戦でキッカケをもらって……わからなくなってしまいました」

 声は相変わらず平坦で、けれど昨日までとは違う声の揺らぎがあった。奏からは轟の左半身しか見えない。風に揺れる赤い髪、火傷の痕、澄んだ空色の瞳。色素の薄い瞳が、正面ではなく少し下を見ていた。自分の立っている場所を確かめるように。

「あなたがやつを気にかけるのも、少しわかった気がします。俺もあなたのようなヒーローになりたかった。ただ……俺だけが吹っ切れてそれで終わりじゃ」
 
 轟が拳を握る。小さく息を吸って、そして紡がれた言葉は今日聞いた彼の声の中で一番の強さがあった。

「駄目だと思った。清算しなきゃならないモノがまだある」

 足元を見ながら、辿々しく歩く。それでも進むことをやめないような声だった。探していたものを見つけて、もうなくさないようにとしまい込むような音の乗った声。
 自分だけでは駄目だと言う。きっと彼には、明るいところにいて欲しい人がいるのだ。そんな風に言われてしまえば、そんな決意を固められてしまえば、準決勝で炎を使わなかったことにもうなにも言えなくなってしまう。奏はそれを受け止めて、口角を緩める。
 オールマイトが両手を広げて、その腕に轟を抱く。

「顔が以前と全然違う。深くは聞くまいよ。今の君ならきっと清算できる」

 オールマイトの言葉を聞いて、奏も自然とそうかもしれないと思った。今の轟なら、己の過去や父親との確執に向き合えるような気がした。
 いや、そうなってもらわなきゃ困る。僕らに炎使わずに戦ってこの結果なんだから。それくらいやってくれなきゃな。そうじゃなきゃ、アイツの行動に意味がなくなる。
 表彰台の上から、緑谷を見る。緑谷の行為を奏は許せない。けれどそれが緑谷出久だとも思う自分がいる。
 春の陽だまりに、小さな影が落ちたような気分だった。

「さて爆豪少年!っとこりゃあんまりだ……」

 オールマイトが拘束されたままの爆豪の前に立つ。大きな手が爆豪の口枷を掴んだ。

「あ、気をつけて。噛みつくかもしれません」
「エッ」
「ん゛んんーー!!」

 思わず声をかけると、オールマイトがビクッと肩を跳ねさせた。半分冗談で半分本気だ。まあさすがにオールマイトには噛みつかないか。
 奏の忠告に、オールマイトはわずかに心音を早めながら、太い指には似つかわしくない、恐々とした様子で枷を外した。
 発言の自由を得た爆豪の目がかつてないほどにつり上がる。

「オールマイトォ、こんな一番……なんの価値もねぇんだよ……!世間が認めても俺が認めてなきゃゴミなんだよ!」

 怒りから顔中にしわが刻まれ、その気迫と表情に、オールマイトが喉を鳴らすのが聴こえた。顔ヤバすぎるこいつ。拘束されてる人間の態度じゃなさすぎるし、これ全国に放送されてるの事故すぎるだろ……

「うむ!相対評価に晒され続けるこの世界で、不変の絶対評価を持ち続けられる人間はそう多くない」

 オールマイトはその手にメダルを持つ。金色に光るそれは、たった一人の首にしかかけられない。

「受け取っとけよ!"傷"として!忘れぬよう!」
「いらねっつってんだろが!!」

 その金色の輝きを前にしても姿勢を崩さない爆豪に、オールマイトは「まあまあ」と強引に首にかけようとする。それを拒否しようと爆豪は天を仰ぐようにして首にメダルがかかることに抗う。
 首輪をつけられるのを嫌がる犬じゃないんだぞ。これ以上晒すなよ恥を……!
 奏が胃を痛めながら見守っていると、最後にはオールマイトが「セイ!」と爆豪の口にメダルのストラップ部分を引っ掛けた。咥える形になったが、あるべき人間の元に渡った金メダルは、キラリと一際強く光る。

「さぁ!今回は彼らだった!しかしみなさん!」

 観客、メディア、そして生徒たち自身に聞かせるようにオールマイトが振り向き、腕を広げた。続けて声を張る。

「この場に立つ誰にも、ここに立つ可能性はあった!ご覧いただいた通りだ!競い!高め合い!さらに先へと登っていくその姿!次代のヒーローは確実にその芽を伸ばしている!」

 次代、次を継ぐ者。今回の体育祭で、僕らは世間にそれを示せただろうか。雄英の体育祭での活躍は全国に中継されている。例年通りならば、体育祭での活躍を見たプロヒーローから指名を受けての「職場体験」があるはずだ。
 指名……簡単に言えば、将来的にサイドキックとして雇いたい生徒に声をかける。奏はちらりと横を見た。
 順当に行けば優勝した勝己に指名が集まるはずだけどコレだからな……ど、どうだろう。ていうか次代の顔見せ的な意味も兼ねてるだろう体育祭優勝者がこれかあ……
 視線の先には依然として目をつり上げたままの幼馴染みがいる。拘束された姿では、口に咥えた金メダルの輝きも霞むかもしれない。
 奏がため息を吐きそうになった頃、オールマイトが拳を強く握り、空にかかげた。

「てな感じで最後に一言!みなさんご唱和ください!せーの!」

 あ、もう締めに入るのか。
 オールマイトが続ける言葉を想像する。まあ普通に考えたらひとつしかない。ここは雄英高校だ。奏は空気を壊さないように、小さく拳を握った。他の生徒や、プロヒーロー、教師陣たちも息を吸って備える。
 そうしてみんなが同じ言葉を口にして、フィナーレ。

「おつかれさまでした!!!」
「プルス……え?」
「プルスウルト……えっ」
「あれ?」

 ――はずだった。
 率先して誰よりも太く、低く、大きな声を発したオールマイトの想像していなかった言葉に、奏は思わず目を向ける。掲げるはずだった拳は中途半端な高さで止まり、オールマイトを除いた全員の気持ちがひとつになるのを感じた。
 お疲れ様って言ったか?プルスウルトラじゃなくて?え、校訓で締める流れじゃなかったか?
 オールマイトは笑顔で固まったまま、額に汗を浮かべている。

「そこはプルスウルトラでしょオールマイト!」
「ああいや……疲れただろうなと思って……」

 ミッドナイトに叱り飛ばされ、オールマイトは身を縮める。ある意味凄い締めだと、奏は一周回って感心した。ブーイングと混乱を巻き起こしながらも、体育祭は幕を閉じた。


▽▲▽



「お疲れっつうことで、明日明後日は休校だ」

 相澤の言葉に、幾人かが視線を上げた。
 制服に着替えて教室に戻り、帰りのHRはいつも通りで、急速に現実に戻されるような感覚だった。先ほどまでの熱気も高揚も、日差しの強ささえ遠のいていく。

「プロからの指名などをこっちでまとめて休み明けに発表する。ドキドキしながらしっかり休んでおけ」

 指名か……トーナメントまで残った生徒には差はあれど指名が入るだろう。奏はちらりと視界の端に幼馴染みを入れる。ボロボロでブレザーに腕を通すこともできない方を。
 あいつを指名するプロっているのか……?個性の強力さはアピールできたかもしれない。けれどそれを使いこなすに至っていない。普通に考えたら避ける人材。
 体育祭が終わって一段落、なんてことはない。このヒーロー科に於いては、ここからまた新しいスタートになる。積み重ねていく。それぞれが望む姿のヒーローになるために。それは当然、奏にも言えることだった。
 伝播した熱が、確かに奏の中で灯った。これを燃やし続けていけるだろうか。今は小さな種火でも、いつか己の道を照らす炎になるだろうか。目を伏せて、一度閉じる。
 今日のことを、明日に繋いでいく。それだけだ。目を開ける。いつもと同じ教室の景色。けれどきっとここにいる全員が、昨日までとは違うのだろう。そう思うと、身が引き締まる思いだった。
 果たせなかった約束と、淡く光る銅色のメダルを抱えて、奏は体育祭を過去にしていく。



52:三分の一の終わり
 



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