残響ユートピア08
職員室は暖かくていいなと、奏は窓の外の冬晴れを横目で見ながらぼんやりと思った。晴れていても外は酷く寒い。目の前では奏のクラスの担任をしている若い男性教師がにこにこと笑っている。
「雄英合格おめでとう!」
「ありがとうございます」
祝いの言葉に、奏は素直に頭を下げた。担任は嬉しそうに笑ったまま話を続ける。
「いやあ、自分が受け持ったクラスの子がヒーロー科のある学校に行くことは今まで何度もあったけど、雄英は初めてだよ」
担任は嬉々とした様子で、奏の雄英ヒーロー科合格を喜んでくれた。笑う姿が陽だまりのような人だなと思った。卒業目前にして、こんな風に笑う人なのだと知れてよかった。自分のことで喜んでくれる人がいるというのは、素直に嬉しい。折寺中から雄英のヒーロー科に合格した生徒は今までに一人もいなかかったため、喜びもひとしおなのだろう。
「しかしまあー、まさか雄英のヒーロー科に三人も合格するなんてなあ。優秀な代だったんだなあ」
「……そうですね」
「音波は二人と仲がいいんだろう?凄いなあ、ドラマみたいだ」
そのドラマはどんなものだろう。少なくとも、この人が思っているような爽やかな青春を煮詰めたようなものではない。もっと泥臭くて、生臭いような、なんなら少し硝煙の匂いが漂っているかもしれない。考えると少しおかしくて、自然と笑みがこぼれた。
「卒業までもう何日もないけど、最後までしっかりな」
「はい。失礼します」
担任に頭を下げてから、奏は職員室を出た。廊下は薄暗く、それでいて寒い。職員室が暖かかったせいか余計にそう感じた。
卒業までもう何日もないけど、という担任の言葉を思い返しながら、寒い廊下を進む。受験も無事に終わって、学校に通う日もそうない。
振り返ってみれば三年間などあっという間だったな。別に中学校が楽しくなかったわけでも、思い出がないわけでもないが、今は春になったら通う新たな場所の方が楽しみだった。
日に日に桜の蕾は膨らんでいく。きっと薄紅色の花が開く頃にはもう次の場所にいるのだろう。僕らは。
爆豪が雄英に受かったと言うのを聞いたのは、緑谷が奏の家に直撃してきたその日のうちだった。爆豪ならば受かっているだろうなと、確信めいたものを持っていて、奏からメールした。結果どうだった?と聞いても無視されることはわかっていたので「言いづらかったいいんだけど結果どうだった?」と聞いた。即座に「受かったわクソが」と返信が来たので、奏も春からもよろしくと返した。メールでのやり取りはそれで終わり。顔は合わせていない。今日どこかで直接祝えたらいいなと思いながら教室に戻る階段を登ろうとしたところで、窓の外に馴染みのある姿を見た。
爆豪と緑谷が校舎裏の方へ向かって歩いている。隣り合わず、緑谷が爆豪の数歩後ろをついていく形で。明らかに穏やかな雰囲気ではなく、奏は廊下に誰もいないのをいいことに駆け出した。
△▼△
姿が見えないうちから声は聞こえていた。校舎裏の隅。校内で最も人目につきにくい場所に二人はいるのだろう。ちゃんと場所を考えて緑谷に詰め寄っているあたり、爆豪のみみっちさが窺えて奏は走りながら呆れていた。
「どんな汚え手使やあテメェが受かるんだ?あ!?」
怒気の滲んだ声。緑谷の声は聞こえないからいつもの一方的な言いがかりだ。奏は眉を顰める。
「史上初!唯一の雄英進学者!俺の将来設計が早速ズタボロだよ!」
なんつーみみっちさ。ここまでくると感心するぞ勝己……
聞こえてくる言い分に、器量の狭さが垣間見える。音からして暴力は振るっていないようで、それだけが救いだった。
角を曲がると、冷たい日陰に二つの影。緑谷と爆豪だとすぐにわかる。爆豪は緑谷の胸ぐらを掴んで校舎の外壁に押し付けている。緑谷に抵抗の意思はない。状況を確認して、奏は二人に駆け寄る。まだどちらも奏の存在に気付いてないようだった。
「ほか行けっつったろーが!!」
爆豪が鬼の形相で叫ぶ。奏がやめさせようと口を開いた。けれど声を放つよりも先に動いたのは緑谷だった。胸ぐらを掴む爆豪の手首を掴み、腕を掴む。か細く、弱々しい、緑谷が初めて見せる抵抗に、奏は目を疑う。
「いっ…っ言ってもらったんだ」
震えた声が、日陰に小さく響いた。
奏の知る緑谷出久は、誰かのために体を張れど、自分に向けられた悪意敵意に、抵抗しない。怒りもしない。ただ眉を下げ、最後にはまるで誤魔化すように笑って見せる。自分が真剣に取り合わなければ相手の言葉も戯言になると信じているように。そうやって自尊心を自ら手折り傷つけるような人間だった。
けれど今、彼は足を震わせながら爆豪に言葉を返す。
「"君はヒーローになれる"って……!かっちゃん……!"勝ち取った"んだって……!」
声は切実で、切迫していた。目に涙を滲ませながら、みっともなく、それでも爆豪に真っ正面から見返し、言い返す。
薄暗い日陰の下で、緑谷の目がその色を濃くする。足も手も震えたまま、声も振るわせたまま。
「だ……だから……僕は行くんだ……!」
それでも彼は言ってみせた。
気付けば奏の足は止まっていて、日陰の中にありもしない陽射しを見た気がした。奏にとって光に見えたそれは、爆豪にとってはまた違って映ったのだろう。彼は緑谷の反抗に言葉を失いながらも、すぐに目をギラリと鈍く光らせた。胸ぐらを掴む手に力が入る。
「て、めえはよおぉ……!」
「っぐ」
「やめろ勝己!」
奏が声を張ると、二人の視線が奏に向いた。爛々と昏く光る爆豪の目に危うさを感じながら、奏は早足で二人に近寄る。奏の存在に気付くと、緑谷はほっとしたように表情から力を抜いた。爆豪は緑谷の胸ぐらを掴む手の力を緩めて、そのまま緑谷を壁に押しつけて腕を振り払う。ゲホ、と緑谷が咳き込んで、奏は慌ててその体を支えた。
「勝己!」
奏が鋭く名前を呼ぶと、爆豪はポケットに両手を突っ込みながら舌を打つ。反省の色の見えない態度に、奏は目を細めた。
「卒業前に問題起こすなよ!」
「はっ、無個性が雄英に合格する方が問題だろ。裏があるに決まってる。それともテメー信じてんのかよ?」
奏と緑谷を見る爆豪の目は怒りに冷え切っていて、橙の瞳が日陰の下でその色を深くする。嫌な色だと奏は思った。腐りかけの果実のような、そういう暗さを含んだ色だ。
「出久はちゃんと試験を受けて合格した。裏なんてない。わかるだろ」
「はあ!?無個性でどうやって受かるんだよ!?ヒーロー科だぞ!つーかテメェもだ奏!ほか行けって言っただろーが!」
「なんで僕らがお前に合わせなきゃいけないんだよ」
奏がピシャリと言い返せば、爆豪は一瞬言葉に詰まる。しかしすぐに目を眇めた。奏は言葉を連ねる。
「勝己……一緒の高校に行くんだから、もう少し態度を」
「うるせーんだよっ!」
奏の言葉を遮り、爆豪が吠えるように叫ぶ。聞く耳を持ってないようで、壁に反射する声が痛々しく響いた。子供の癇癪のようにも見えるそれに、奏は眉を寄せる。
「っ……はっ……上等だわ。テメェも、デクも、雄英でぶっ潰す」
目をつり上げ、眉を寄せ、それでも口角は上がっている。爆豪はそのまま舌を強く打つと奏たちに背を向けて離れて行った。姿が見えなくなると、校舎裏はこんなに静かだったんだなと、奏は頭の隅で考えながら緑谷の背を撫でる。
「出久、大丈夫?」
「げほ……うん、ありがとう……」
緑谷はまだ微かに体を震わせていた。それもそうかと、奏は緑谷の手を握ってその場に蹲み込んだ。不思議そうに自分を見る緑谷を見上げて薄く笑う。
「少し休んでいこう」
奏が言うと、緑谷は薄らと目に膜を張ったまま、なにかを堪えるようにぐっと唇を噛んだ。そのままゆっくり蹲み込み、壁に背を預ける。
校舎裏は静かで、冷たかった。壁に生した苔が、普段からここは日が当たらないことを示して、湿った匂いを放つ。
緑谷は膝を抱えるようにした腕に顔を埋めている。その姿を見て、爆豪に抵抗した緑谷を思い出す。
初めて見た。出久が勝己に、自分のことでちゃんと言い返すところ。その変化はきっと喜ぶことだ。緑谷は奏の知らないところで強さを身につけ始めている。
「……出久、勝己に言ったの?あのこと」
尋ねると、緑谷は小さく首を横に振った。まだ伝えていないらしい。奏は背中を壁に預けて空を見上げる。日陰から見る空は眩いくらいに青かった。奏は目を閉じて、数日前のことを思い返す。緑谷が受験結果を知らせに家まで来た日のことを。
▲▽▲
「"個性"ってどんな?おばさんみたいに物を引き寄せるとか?おじさんは火を吐くよね」
びしょ濡れになった床を雑巾で拭きながら、奏は楽しそうに尋ねた。"個性"発現の話を受けて、珍しく気持ちが昂っていた。緑谷は床を拭く手を止めて顔を曇らせ、言い淀む。
「あ……うん、ええと……その、実は全然違うものなんだ」
その申告に、奏も手を止めて緑谷を見た。彼は床に視線を落としたまま、自信なさげに言葉を紡ぐ。
「その……発動タイプの増強型で……超パワーって取り敢えず呼んでるんだけど、全然使いこなせなくて、負荷が大きいんだ」
「それさっきも言ってたけど……そういえばいつ発現したの?」
「実技試験当日……」
「当日!?」
思わず声が大きくなった奏は、なぜか照れ笑う緑谷の頭のてっぺんから爪先までゆっくりと目を滑らせた。
受験対策に合わせて始めた筋トレの効果か、一年前には想像できないほど逞しくなった身体。そこに宿った"個性"。
「じゃあ試験は"個性"アリで……?」
「うん……というかそこで初めて使ったというか気付いたと言うか……」
「まじか」
奏は自然と手で口元を覆う。情報が多すぎて処理に戸惑ったが、それでも緑谷に"個性"が発現したとこは間違いなく喜ばしいことだ。ただ負荷が大きいと言う言葉が引っ掛かる。
「しかしまあこの歳になって発現するとは……試験日当日にって言うのもなんだか運命的だね」
「はは……」
緑谷は頭を掻きながら苦く笑った。運命的な、と言えば聞こえがいいが、実際は試験日に個性譲渡が間に合うように体力作りの調整をしていたなんてとても言えない。
緑谷は四歳のとき、病院で診断を受けている。無個性だと診断されたのはそのときで、決め手は足の指の関節の数。それから十一年間、個性が発現する兆しなどなかった。それは奏だって当然知っている。ボロが出ないように気をつけなければと静かに唾を飲んだ。
「"個性"の発現期間は四歳まで……両親どちらかの"個性"を受け継ぐか複合的なものを発現させるのが基本だって言われてるけど……」
「う、うん、僕もそう言われたんだけど!でも」
「つまりミューテーション。突然変異だね」
「へあ!?」
奏の言葉に、緑谷は目を剥く。まさに今自分が言おうとしていた言い訳を、奏が先に言ったからだ。奏は口を覆っていた手を顎へと滑らせ少しばかり首を傾ける。
「まあまったくない話じゃないかもね。身体の成長速度なんてそれぞれで、"個性"に至っては解明されてないことの方が多い」
「っ……うん!ウンウンウン!そうらしいんだよ!」
緑谷は首を縦に振る。それはもう激しく。首が取れるんじゃないかと言うほどに。
そして心底ホッとした。緑谷の持っていきたい方向へ、奏自ら舵を切ってくれたから。なにせ奏の身内には"個性"研究をしている科学者がいる。ゆえに奏に自分に急に個性が宿ったことが怪しまれるんじゃないかと思ったが、助かった。緑谷はバレないように深く息を吐く。
「まあなんにせよ、嬉しいよ。おばさんには言ったの?」
「うん。お母さんも喜んでくれた」
君と同じくらいに、とは言わず、代わりに笑って見せた。奏も笑みを返してくれて、二人は笑顔を交えて床掃除を終わりにする。
「でもじゃあ、慣れるまでは大変だね。自分の身体に宿ったものとは言え、使いこなすまではそれなりの期間がいるし……年齢分、周りよりハンデがある」
「うん……!だから僕は人の何倍も頑張らなきゃ……!」
両手を見つめ、強く握る。個性を扱う感覚という、他の人なら当然染み付いているものを、自分は知らない。おまけに自分が受け継いだものは何代にも培われてきたもの。簡単に扱えるとは思えない。けどあの日、オールマイトに出会ったあの日から、もう諦めるなんて考えは浮かばない。
不意にポンと頭に軽く触れられる感覚があった。顔を上げると正面で奏が薄く笑っている。
「あんまり気負いすぎるなよ」
言って、くしゃりと頭を撫でられた。自分を映す紺色の瞳は母が自分に向けるものと同じ温度をしているような気がして、緑谷は眉を下げて笑う。奏は緑谷の頭から手を離しながら、「そう言えば」と思い出したように続けた。
「勝己は知ってるの?"個性"のこと」
「……!」
奏の問いに、緑谷は体を強張らせた。その反応を見て察したのか、奏は問い方を変える。
「勝己も雄英に受かったなら、いやそうじゃなくても、いずれ知るときはくると思うよ」
「うん……話した方がいいとは、思ってるんだけど……」
「僕から言う?」
心配そうに言う奏に、緑谷は小さく首を横に振った。こればかりは自分で話さなければいけないと思った。奏は「そう」と頷いて、まだ心配そうな顔をしていたが、それでも奏は薄く笑う。
「そうだね。伝えるなら出久からの方がいいかもね」
奏がそう言うと、ノアもそうだそうだと言うように「ミャオ」と鳴いた。
▲▽▲
目を開ける。空の青さがやはり眩しくて、奏は咄嗟に目を細めた。
緑谷の個性の発現を知ったとき、奏は本当に嬉しかった。緑谷が周囲から馬鹿にされてきた大部分は、彼が無個性だから。緑谷本人の力ではどうにもできないところを引き合いに出して蔑まれるのが本当に嫌だった。無個性を引き換えにしても、緑谷自身の良いところを奏はいくつも知っていた。だからたった一つ、周囲と違うところがあるだけで、緑谷のすべてを否定するような物言いをする人は正直好きになれなかったし、多分これから先も変わらない。たとえ緑谷の個性発現を知り、態度を変えてきたとしても、今までの言動が消えるわけではない。むしろそういう相手がいれば、奏の向ける目はより冷ややかになるだろう。
けれど爆豪は。
出久に"個性"が発現したって知ったら、勝己はどう思うかな。もしかして、いやないとわかってるけど、でもほんの少しでも、出久に対する当たりが柔らかくなったりしないかな。二人の距離が、ほんの少しでいいから近づかないかな。
爆豪が緑谷をあそこまで嫌う理由を、奏は知らない。二人に出会ったとき、すでに爆豪は緑谷を嫌っていたし、緑谷もそれを受け入れていた。ただなんとなく、長い付き合いで察するところもある。
無個性はきっと、些細なものに過ぎなくて、ほんとはもっと別のところに、二人が今の関係になるトリガーがあったんだろうな。わかってるけど、わかってるけどさ。
緑谷に対する爆豪の物言いは目に余るし、道徳的な意味でもよくないと思う。ああいう粗野で粗暴な面が、奏は好きじゃない。好きじゃないけど、奏にとって爆豪も大事な幼馴染だ。
緑谷の個性の発現に伴って態度を変えてくるような人は好ましくない。けれど爆豪にはそうなって欲しいとも思う。矛盾しているなと、奏は呆れたようにほろ苦く笑う。
眩い空に、鳥が飛んでいるのが見えた。どこに向かっていくのだろう。暖かい方に向かうのだろうか。
自分たちが向かう先はどうだろう。どうか今よりも暖かい場所がいいなと、奏は祈るようにしばらく空を見上げていた。
08:矛盾を抱えて
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