Dear. 壱

 師である継国縁壱が鬼舞辻との戦闘後、忽然と姿を消した。
 けれど、誰も師の死を信じてはいなかった。いつものように連絡を忘れているだけで、どこかで鬼を狩っているだろうと信じていた。
 しかしその傍らで、師ですら適わなかった鬼の頭領を討てる日が本当に来るのかと囁く声があったことも事実。
 一抹の不安を押し殺し、未来へと繋げるため、今日も次世代の育成へと精を出す。
 師匠、私は師匠に会いとうございます。私はきっと、二十五の頃には亡くなってしまうから。それまでに一度でいいから。
 日の呼吸を全て継ぐことが出来ずに申し訳ございません。たった一つの型だけだなんて、情けない。けれど、それでも私は鬼と戦います。一生をかけて、鬼を討ちます。
 ――そう、決めたはずなのに。

「なぜ、何故貴方が鬼になっているのですか!理性も、記憶も保っておりながら、何故!」

 ある時から、日の呼吸の戦士ばかりが意図的に狙われて殺されるようになった。それはまるで、誰がその呼吸を使えて、何処に住んでいるのかを知っているかのように。
 内部の裏切りは覚悟していた。
 対策として、日の呼吸が一つでも使える人間は単独行動を控え、二人以上で過ごすことが決まり、明日には日の呼吸を使う戦士と合流しようとしていたその日、私は六つ目の鬼に牙を向かれる。
 その六つ目の鬼の正体こそ、継国巌勝。我が師の実兄だ。
 恐ろしい程にまで磨かれた剣技。その圧倒的な存在感から、並の剣士では腰を抜かしてしまうことだろう。
 弐の型を使うことで相手の斬撃を相殺し、更に体制を低くしていなしてから壱の型で足を切り落とす。
 もう一人、鬼が潜んでいることには気が付いている。場所も把握しているし、遠くから血鬼術を使って、巌勝さんを援護していることも。
 しかし、もう巌勝さんには敵いそうもない。
 首を少し切られた。腕も足も横っ腹も。何処かが切り落とされることは避けたが、この出血ではもう助からないだろう。
 集中することで血管を繋げることも出来るが、そちらに少しでも意識を向けてしまえば、その瞬間に命を刈り取られる。
 遭遇時、巌勝さんの姿を捉えた瞬間、私の動きは鈍ってしまった。それが敗因だ。
 だからって、ただで死んでやるつもりはない。

「お前も……鬼になると良い……」
「珍しい。巌勝さんが冗談を言うだなんて」
「冗談ではない……。そして……私の名は黒死牟だ……」

 それはまた大層なお名前で。
 おどけてみるが、内心は酷く後悔していた。
 本当は気付いていたんだ。あの人が師匠に劣等感を覚えていたことを。それを見て見ぬ振りをしたのは私だ。
 鬼になるほど追い詰められていただなんて知らなかった。それだけでは済まされない話だろう。
 責任を取って巌勝さんの首を切るのが筋なのだろうが、この実力差じゃ出来そうにないや。
 私がもっと強ければ良かったのに。
 もっと成長するのが早ければ。体が大きければ。足が丈夫であれば。――女ではなく男であれば、結果は変わっていたのだろうか。
 男尊女卑の時代。それでも男に愛される生き方をしていれば、きっと女なりの、一つの幸せを手にしていたのだろう。けれど私はその道を選ばなかった。
 私は武家の娘だった。家の名に恥じぬよう、女性としての嗜みの多くを学ばせてもらった。きっとそれはとても贅沢なことだったのだろうけど、私には世界が不透明でつまらないものだったのだ。
 何の面白味も感じなかった。ぼんやりとした世界で、何れ殿方の元に嫁ぐために、教養を身につける日々を送っていた。
 そんなある日。家族で少しばかり遠出をした時のこと。私たち一家は化け物に襲われた。その化け物の正体こそが鬼。そしてその鬼を退治したのが師匠だった。
 師匠の剣技を見た瞬間、心が震えた。私にはこれしかないと血が騒いだ。
 親には勘当されてしまったが、無理矢理に師匠へ弟子入りし、私は鬼殺の道へ進むこととなる。
 多くの人に出会った。多くの鬼を切った。多くの仲間を得た。多くの世界を学んだ。
 確かに私は幸せであった。
 ――シイィィ。
 私たちの呼吸法独自の音。バチバチと電気が走る。

「雷の呼吸壱ノ型、霹靂一閃」

 巌勝さんに接近し、首を狙えるギリギリのところで飛び上がる。
 此処は山の中。幾らでも足場はあるのだ。
 近くの木を強く蹴り、巌勝さんを飛び越える。
 狙いはもう一人の鬼だ。
 三連じゃ足りない。もっと、もっと早く。最期なのだから、体が壊れたって構わない。一人でも多くの鬼を絶て。

「神速」

 脚が熱い。痛い。今にも意識を失ってしまいそうだ。
 鬼の首に刀が当たる。
 勢いのまま、鬼ごと崖から落っこちた。
 それでいい。そのまま鬼の頭は胴体から切り離された。

「ごめんね、巌勝さん」

 貴方の苦しみに気付いていながら、何もしなかった自分を恥じた。
 意識を失う直前、最後の力を振り絞った鬼の血鬼術を食らう。

「呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる」

 執念深い鬼だ。どちらにせよ、こんなところから落ちたのだから、死んでしまうに決まっているだろうに。
 でも、あれ、この鬼の血鬼術は厄介で、だからこそ不意打ちを狙うしかなかったわけで。
 人や物の動きを一時的に止める血鬼術。それを今私に使ったところで何になる?もしかしてこの血鬼術はもっと、別の――。
 暗転。





 桑島慈悟郎は元鳴柱であり、現在は雷の呼吸を次代へ伝える、育手として不肖の弟子達を育てていた。
 現在彼の元にいるのは獪岳と我妻善逸という男二人。
 どちらも癖の強い奴だが、慈悟郎にとっては可愛い弟子達である。
 ある日のこと。今日は森の中で弟子達に稽古をつけてやろうとしていると、また善逸が逃げ出した。いつも通り捕まえてやると、珍しく腕を振り払おうとしてくる。
 あまりの様子にどうしたのかと尋ねると、善逸は顔を真っ青にして声を震わせる。

「音……誰かの心臓の音が、どんどん小さくなって……は、速く助けなきゃ、死んじゃうよ!」
「それを早く言わんか!」

 杖でバシン!と善逸を叩くと、暴力反対やら何やらキーキー文句を言ってくる。善逸を落ち着かせるために態と叩いたのだが、効果は抜群だったようだ。
 煩い善逸をもう一度叩き、音の聞こえる場所まで案内させる。獪岳に声をかけ、付いて来させた。慈悟郎は歳も取っており、更に片足が鬼との戦いで失われてしまっているため、場合によっては役に立たない。その点、弟子が二人揃っていれば大丈夫だろう。
 善逸が向かった場所は川だった。近くには最近起こった嵐の影響で木が倒れている。
 善逸の耳を頼りに捜査すると、木の下に一人の女性が意識不明のまま倒れていた。奇跡的に周りにあった岩のお陰で、倒れた木から身を守れたようだ。
 人命第一。獪岳が雷の呼吸で木を粉砕し、三人で邪魔な岩を退けた。
 女性は身体中に切傷があり、場馴れしている慈悟郎にはこれが刀傷だとすぐに分かった。両足の骨も折れており、誰がどう見ても重症だ。しかし不思議なことに、どこかをぶつけたような傷が一つもなかった。
 女性の右手には砕けた刀があり、小さく残った刀身には"悪鬼滅殺"の文字。彼女も鬼殺隊の人間なのだろうか。それにしては隊服を着ていないのは可笑しな話だ。
 テキパキと応急処置を行い、あわあわする善逸は使いものにならなくなってしまったので、冷静な獪岳が自ら彼女を背負って、三人の住む家まで運び出す。
 慈悟郎は善逸を蹴飛ばし、医者を家へ呼ぶように走らせた。
 慈悟郎は黄色に染まった刀の破片を集められるだけ集め、持っていた布に包む。剣士にとって刀は命と同等。例え折れたとしても、手元に置いておきたいものだから。





 女性は生きるか死ぬかの瀬戸際だった。
 医者に傷の手当はしてもらったが、血を流し過ぎており、両足は骨折。利き腕と思われる右腕は骨にヒビが入っているという見立て。満身創痍とはまさにこのことだ。
 しかし彼女は精神力も強かった。
 翌日には目を覚まし、ぼーっと宙を見つめ、また眠る。近くに住む親切な女性がそんな彼女の着替えや排泄の手伝いをしてくれ、徐々に具合も良くなってきた。
 善逸も彼女の心臓の音がハッキリと聞こえてくるようになったらしく、善逸自身の精神面も安定してきた。
 そんな日々が一月程続き、彼女の右腕は完治。切傷の多くが消え、足も治ってきたある日。意識を持って彼女は目覚めた。
 長い間寝たきりで声も出しづらくなっていたため、一週間ほど期間を空けて、ゆっくりと話すこととなった。

「ええと、まずは礼を。助けて頂いたこと、感謝致します」

 足が治っていないため、布団の中からではあったが、所作がとても綺麗だった。女好きの善逸は終始デレデレしており、獪岳に脇腹を抓られる。

「いや、無事で良かった。善逸……そこの金髪が見つけてくれてのう」
「そうなのですね。ありがとうございます、善逸くん。それにそこの黒髪の子も」
「……あ?」

 まさか今の流れで自分まで礼を言われると思わなかった獪岳はついつい素が出てしまう。
 善逸はビクリと肩を震わせたが、女性はくすくす笑うだけだった。

「洞察力はある方なので」

 お茶目にウインク。
 善逸は顔を赤くした。表情が忙しない奴である。
 如何にも納得がいきません、という顔をした獪岳とジッと女性を観察する慈悟郎に、彼女はゆっくりと己の考察を披露する。

「まず私ですが、筋肉があるので普通の女性よりも体が重いのです。見たところ、そちらのおじいさまは足に怪我をされておりますし、善逸くんは体を鍛え始めたばかりなのでしょう。体が出来上がっていません。となれば、体も大分出来上がってきているそこの少年が私を運んでくれたと考えるのが妥当……違いますか?」

 まあ、他にも理由はあるんですけどね!
 彼女の言っていることは全て正しかった。だからこそ、言い返す言葉もない。
 難しい顔をした慈悟郎は女性に尋ねる。

「ところで貴女はどちらの方で?」

 女性はにこりと笑った。

「申し遅れました。私は名前。手前味噌ではございますが、鬼殺隊では鳴柱を襲名しております。良いところの出であると距離を置かれることが多いのですが、勘当され死んだことになっておりますので、どうか遠慮なさらず」

 かなりの情報が詰まっていたが、これだけは馬鹿でも分かる。
 この女、やべぇやつだ。
 珍しく、兄弟子と弟弟子の意見が重なった瞬間であった。

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