▼ 過去に告ぐ夢物語


 なんか知らないけど幼児化トリップしてた。
 何言ってんだこいつ?阿呆じゃないの?頭おかしい…。そうブラウザバックをしようとしているお姉さま方はお待ちください。本当の話なんです。信じてください。証拠を見せろって言われても無理だけど!でも事実なんです。少なくともトリップ前の私は義務教育を終えていた。てことはつまり?はい、その通り。今の私はまだ義務教育の真っ最中。中学生なんですね。
 自分はトリップしてきたんだ!とは分かっているものの、当時の自分の年なんかは覚えていないのだ。都合が悪いからって消されたとしか思えない。笑えないわ。なに、ご都合主義なの?
 気付いたら小学生やってて?天涯孤独とかいう夢小説に有りがちな展開で?その後私を養子として迎えてくれたおばあさんは大企業の社長で?子どものいないおばあさんはどんな形でも良いから会社を残したくて?ただし社員たちが路頭に迷うようなことにはならないことを希望していて?とりあえず私には家庭教師をつけて勉強をさせつつも、沢山の愛情を与えてくれて?おばあちゃんの勧めで入学した中学は私立椚ヶ丘中学校で?あれ、どこかで聞いたような…?

 一年目。入学して、この学校の仕組みを理解した年。エンドのE組やら、学年主席で理事長の一人息子のアサノガクシュウくんやら、暴力沙汰で有名なアカバネカルマくんなんかは学校名と同じでどこかで聞いたことがあるような気がしていたけれど、思い出さない方がいい気がして考えることをやめた。
 二年目。学校で話題のイケメン男子、磯貝悠馬くんと同じクラスになり、友達になった。彼の人となりを知るに連れて、嫌でも思い出した。ここ、暗殺教室の世界じゃないか…。ガチもんの夢小説かよ……。机に突っ伏した私を心配して声をかけてくれた磯貝くんは相変わらずイケメンだ。いつもは別々の友人(磯貝くんはもちろん前原くん)と帰るのに、その日に限っては家まで送ってくれた。イケメンだ。しかも申し訳ないと断ろうとした私に「俺が一緒に帰りたいんだよ。…ダメかな?」と眉を下げたのだ。なにそれ、なにそれ…!そんなの断れるわけないでしょ!?どこまでイケメンなんだ。
 そして私は心に決めた。とりあえずA組とE組の生徒にはならない程度に頑張っていこうと。E組は言わずもがな。運動神経皆無の私には暗殺なんてとても出来ない。A組は最後のテストで病むじゃん?理事長の手腕で追い詰められるじゃん?知っててやられるのは絶対に嫌だわ。
 ――そう思っていたはずなのに。現実はそう上手くはいかない。えー、わたくしことミョウジナマエは中学三年生となり、無事にA組の生徒となることが決定しました。イエーイ!…解せぬ。
 学校行きたくねぇ〜と心の中で呟きながらも、私を育ててくれているおばあちゃんに心配を掛けたくはないので、一度も学校を休んだことはない。皆勤賞だぜ!体さん一回くらい風邪引いてもいいんだよ!軽度で!おばあちゃん心配症だから、咳だけで休ませてくれるよ!こういうこと考えてるから、余計に病気にかからないんだよな。知ってた。

 そしてやっと(というのもおかしいけれど)月が爆破し、E組にその犯人がクラス担任となってから初めての全校集会が行われた。たまたま日直の当番が回ってきていて、浅野くんの代わりにみんなを引率する。いやあ、それにしても突然の突風にはオドロイタナ。手書きのプリントが一瞬にしてE組に配られたのに、なんでみんなそこまで気にしないんだよ…。あのときの私は遠い目をしていたと思う。
 男子の中で一番仲が良いと言っても過言ではない磯貝くん。しかし何故か連絡先の交換をしておらず、校舎も違うことから疎遠になってしまっていた。そんな彼と自販機に向かう途中(渚くんが買いに行くところとは別の場所)、偶然会合した。居心地の悪そうに視線を逸らす磯貝くんを庇うかのように前原くんが前に出る。あ、うん。ですよね、そうなりますよね。だって私A組で二人ともE組だもんね。だがしかし、私はそんなもの気にしない。前と同じように話しかけ、連絡先を交換することとなった。ほっとして微笑む磯貝くんの背中を叩く前原くんを見て、荒んだ心が癒されていく。授業に遅れてしまうからと手を振って別れ、親友と言っても過言ではない磯貝くんと話せたことで気分が高揚していた私。それなのに今は別の意味で心臓がバクバクである。なぜって?決まっている。

「あ、浅野くん…?」
「……」

 無表情の浅野くんに壁ドンされているからである。敢えてもう一度言おう。あの浅野学秀くんに壁ドンされているからである。どうしてこうなった。
 放課後。私はただ日直として、日誌を書いていただけだ。他のクラスメイトたちは既にみんな教室を出ている。ちゃっちゃっと終わらせて帰ろうと手を進めていたとき、教室に浅野くんがやって来たのだ。別に可笑しなことではない。彼もクラスメイトなのだから。無理にでも感想を言うのなら、五英傑を連れていないのは珍しいな〜程度。目が合ってしまったので、適当なことを話しかけた。「忘れ物?」「まあ…そんなところかな」「そっか」「ミョウジは…日直の仕事か。お疲れ」「ありがとう」短い会話。すぐに日誌へと目を移し、続きを書き込んだ。
 最後まで記入を終え、日誌を職員室まで届けに行こうと立ち上がる。職員室と昇降口は逆方向なので、スクールバッグは置いていくことにした。浅野くんが教室を出た気配がなかったので、一応声を掛けておこうと振り向いたときだ。すぐ近くに浅野くんがいて、そのまま腕を掴まれ、壁へと押し付けられた。バサッと日誌が床へと落ちる。壁と背中の間に右腕を差し込まれたので、痛くはない。右腕を抜き、肩を押して壁とくっつけさせられた。し、紳士…なのか?いやこれどういう状況だよ!私の席は窓側の真ん中。少しだけ出っ張っている壁の近く。そこへ押し付けられたので、窓の外から誰かに見られる心配はないがそういう問題ではない。動揺しつつも彼の名前を呼んでみたが返事がない。してよ。してくれなきゃ困るよ!気に入らないところでもあった!?それなりにA組でも上手くやれてると思うんだけど私!

「…えっと」
「磯貝とは」
「えっ、は、はい…」
「仲、良いんだね」
「う、うん…?まあ、ね」

 言葉を遮り、彼は話を切り出した。無表情からいつもの少し微笑んだ表情へと変わったが、目が笑っていないのでめちゃくちゃ恐い。あれか。E組なんかと関わって何やってんだゴラァってことなのかな?いやでも磯貝くんただの良い人だし!イケメンだし!避けたりは絶対にしたくない。そう思いながら軽く頷いて答えると、掴まれたままの左腕を強く握られる。痛い痛い痛い痛い!締まってる!思わずひっと悲鳴を上げると、ハッとしたのか力が弱まる。浅野くんは小さくごめんと呟き、右手を私の頭へと伸ばした。頭を潰されるのかとぎゅっと目を閉じるが、一向に衝撃が襲ってこない。それどころか、まるで壊れ物を扱うかのように優しく撫でられている。…撫でられている!?

「そんなに怯えないで、ミョウジ」

 困った顔を浮かべた浅野くんは私の両頬を包み込んだ。そしてそのまま、私の目尻を撫でる。それが少しだけ擽ったくて、その様子が口角に表れてしまう。それを満足気に見詰めた浅野くんは優しく、それは優しく微笑んだ。こんな風に笑う人だったっけ?元々綺麗な顔をしている彼の笑みを間近に見てしまい、顔が真っ赤に染まっていくのが分かる。より一層笑みを深めた浅野くん。理由はよく分からないが、何となく身の危険を感じて頬へ添えられた手を離そうとする。だがそれより早く浅野くんが動き、私の腕を抑え込んだ。そしてそのまま、私の首へ唇を落とす。耳元へと浅野くんの顔が寄せられたかと思えば、ふっと息を吹きかけられた。ひゃっ、なんて自分に似合わない声が漏れる。

「好きだよ、ナマエ」
「……え」

 呆然。今、なんと?思わず固まってしまっていると、いつの間にか浅野くんは床に落ちた日誌を拾い上げていた。最後に私の頭を一撫でし、「生徒会の仕事で送れないんだ。代わりと言っては何だけど日誌は提出しておくよ」と去ろうとする。咄嗟にお礼を伝えたが、違う。そうじゃない。私も浅野くんもそうじゃないだろう。
 好きって言った?誰が?浅野くんが。誰のことを?私に向かって。いや、ない。ありえない。これはきっと夢だ。そうだ、夢に違いない。きっと幼児化してしまったところから全て夢なんだ。そうだとしても私の煩悩が…という話になるけど、夢じゃなきゃこんなことありえない。なんかもう、全部分からない。
 あ、そうそう。と教室のドアを開けた浅野くんがこちらを振り向いた。

「キスする場所に寄って意味が異なるというのは今じゃわりと有名な話だけど、一々覚えてる人は少ないよね。 ナマエも覚えてはいないようだから、調べてみるといいよ。
…本当は唇にしたかったんだけど」

 それだけ言い残して教室から去っていった浅野くんを見届けると、足から力が抜けてしまった。はあ、と息を吐いて両手で顔を覆った。絶対に林檎みたいになってる。
 浅野くんとの会話なんて、業務連絡くらいしかしたことなかったはずなのに。もしかしてからかわれてる?もう本当に、浅野くんもイケメンなんだから、そういうことやめてほしい。
 やっと落ち着いてから家に帰り、キスの場所についてパソコンで検索し、意味を知ったことでまた顔を真っ赤にさせることや、次の日から浅野くんに猛アタックされるようになるなんて、今の私は知る由もなかった。しかもそれが全て夢ではないのだから、世の中よく分からない。
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