▼ 宿屋の娘と後の炎柱


※ネームレス





 目が覚めたら、甚兵衛を着た幼子になって、明治時代を生きていた。

 訳が分からない?それはこちらの台詞である。
 気が付いたら、知らないお兄さんに抱っこされていた私の気持ちが分かるか?分からないだろうな!これでお兄さんの顔が良く無ければ、あまりの気持ち悪さに叫んでいるところだった。いや、泣き叫びはしたんだけどね。
 まあ、そのお兄さんっていうのは自分の父親だったわけですが。雰囲気イケメンの父。推定二十歳。若い。つまりは十代の頃には結婚をしていたわけで……?ウッ、心が痛い。その年の私は恋人すらいなかったぞ……?この時代では普通なんだろうけどさ。
 いつでもにこにこ笑いながら、私のお世話をし、宿のお仕事をする父に絆されるのは時間の問題だった。だって、どんなにやさぐれていたって愛想を尽かさないでいてくれたんだもの。
 突然幼女になった私は、態度が頗る悪かった。突然変化した生活で溜まったフラストレーションを解消するかのように部屋を散らかし、我儘を言い、子どもの姿を最大限に利用して暴君と化した。けれど父は叱ることはあっても決して怒らず、ただひたすらに愛情を注いでくれる。そんなん…そんなん……惚れてまうやろ!
 自分の時間は私の時間だとでも言うかのように、時間があれば構ってくれる父。どうやら母は既に亡くなってしまっていたようで、男手ひとつで育ててくれる父の一生懸命な姿を見てしまえば、私の良心に酷く響いた。はっきり言って土下座したい。父さん、私、手のかからない子どもになるよ……!それで将来はパパのお嫁さんになる!とちょっと気持ちの悪い冗談を心の中で呟きつつ、人前で大人しくしたり、子どもがしても違和感のないような手伝いをしていたら、とても感動されたと共に少しだけ寂しそうな顔をされた。

「もうそんなに大きくなったんだなぁ」

 もしかして、手のかかる子ほど可愛いってやつだった?
 そんなこんなで時代は明治から大正へ。私も既に父の仕事を手伝える歳に。時間が過ぎるのが早すぎる?大して面白くもない、何の変哲もない話を聞きたいだなんて変わってるね?あ、興味無いっすか。そうっすか。
 今はたまにお見合い話が来るのをさらっと躱しながら、本格的に宿の仕事を手伝っている。そして何と、うちは藤の花の家紋の家というやつらしい。
 初めて聞いた時は、なるほどどこの鬼滅のお話ですか?と鼻で笑ったものだが、ガチなやつだった。笑えねぇ。
 だってお客さん、刀を持ち歩いていることがあるものね!この時代に刀持ち歩いてたらやべぇよな!気付けよ私……。
 父が藤の花の家紋の家としても宿屋を開いているのは、どうやら私の母が鬼になってしまった際に助けてもらったのが理由らしい。元々宿屋の家の息子だった父は、そのお礼に鬼殺隊の方がいつでも此処に泊まれるように、私たちの住んでいる離れの空き部屋を改装した。本館は今まで通り、一般のお客様用だ。
 大きくもなければ小さくもないこの宿は、それなりのお客様がやって来る。新規のお客様よりかはリピーターが多いので、結構気楽だ。
 今日も今日とて仕事を終え、日が落ちて来たので戸締りをするために外へ出ると、たまたま離れにある裏口で鬼殺隊の隊士と鉢合わせる。
 炎のような柄の羽織を纏い、毛先だけが赤い金髪の少年。
 私の"知っている"彼は既に青年であったけれど、"今"の彼はまだ少しだけ幼い。そんな彼とはそれなりに長い付き合いだ。

「こんばんは。ご無事で何よりです」
「ああ!今日は此方に泊まって行きたいのだが、部屋は空いているか?」
「もちろんです。煉獄様」

 煉獄杏寿郎。それが彼の名だ。
 未来の鬼殺隊の炎柱。強く気高く、そして、

「わっしょいわっしょい!」

 美味しそうに私の手料理を食べてくれる、所謂前世の推しである。尊い。拝ませて。





 煉獄杏寿郎は恋をしている。
 相手は藤の花の家紋の家の娘。年は杏寿郎より二つ下。日本人特有の黒髪黒目の、何の変哲もない少女だ。
 強いて挙げるのならば、異国の言葉を混ぜて話すことが特徴だろうか。異国の人間には会ったことすらないようなので、きっと彼女は独学で学んだのだろう。なんと勤勉で好ましい。
 杏寿郎と娘の出会いはたまたまであった。夜明け頃、杏寿郎の初任務後に宿泊した藤の家紋の家が、娘の家が営む宿屋だったのだ。
 一般客もいるため、杏寿郎は鴉に案内されて裏口から入った。そこで迎え入れてくれたのがその娘だ。
 杏寿郎は利き手とは反対の腕を鬼に切られていた。これは人を守るためには致し方なかったことで、己の実力不足が故の結果であると反省していた。
 傷のわりに出血が酷く、まだ全集中の呼吸・常中すらも使えずにいた杏寿郎は布できつく縛り止血を行ったのだが、その布も血が滲んできてしまっていた。だからだろう。杏寿郎を見た途端、娘が少し眠たげにしていた瞳をカッと大きく見開いて、一瞬固まってしまったのは。
 ぷるぷる震えていた娘は離れであろう場所に駆け込んだかと思うと、直ぐに飛び出てきてぐっと杏寿郎へ近づいてきた。

「父が!部屋に案内致しますので!少々お待ちくださいませ!私は少し出ます!!」
「あ、ああ……。感謝する……?」
「とんでもございません!」

 娘の勢いに押された杏寿郎は少し吃ってしまったが、娘はそんなことには一切気付いていないのだろう。素早くどこかへ走り去ってしまった。鬼殺隊士にも勝る足の速さ。見事なり。
 本来ならばまだ日も昇りきっておらず、こんな時間に娘一人では危険であるからと、杏寿郎は引き止めるべきだった。事実、普段の杏寿郎ならば止めるか共に向かうかしていただろう。しかし、娘の勢いはとんでもなかった。あの杏寿郎が呆然としてしまうくらいには。
 そこへ、娘の父であろう男が出てきた。男は苦笑を浮かべ、杏寿郎へ申し訳なさそうに話しかけてくる。

「娘が大変失礼を……。悪い子ではないのですが、たまにああなってしまうのです。本当に悪い子ではないので……」
「お気になさらずに!」
「有難うございます。ささ、こちらへどうぞ。鬼狩り様は離れへ案内しているのですが、離れには私と娘も暮らしておりまして、そこはご了承頂ければと」

 朝日が差し込む部屋へと案内をされ、体を拭けるようにお湯と手拭いを渡される。
 それで体を拭っていると、襖の外から先程の娘から声をかけられた。どうやら帰ってきたらしい。
 無事で良かったと安堵するが、やはり付いていくべきだったなと、己の判断が鈍っていたことを反省する。あんな時間に女子を一人で外に出すなど、絶対にしてはいけなかった。初任務で自分が思っていたよりも精神がやられていたらしい。後で娘の父親に引き止められなかったことについて、謝罪を入れよう。
 体を拭っている途中のため、戸は閉めたままでと頼み、続きを促した。

「お医者さまをお呼びしましたので、お通ししてもよろしいでしょうか?」

 先程、怒涛の勢いで出かけて行ったのは医者を呼ぶためだったようだ。
 自分のためにあんなに急いで……。有難いことだ。
 杏寿郎は礼を伝えようとしたが、三十路頃の医者を部屋へ招き入れると娘は「失礼しました」とだけ言い、さっさとどこかへ行ってしまった。

「むう……」

 礼を伝えられなかったことに対し、杏寿郎は思わず声を漏らす。
 そんな姿を見た医者にくすくすと笑われ、少しだけ恥ずかしくなってしまった。もう大人に笑われるような年では無いというのに。
 少しばかり複雑な家庭事情である杏寿郎は同い年の人達と比べて、随分としっかり者だった。
 よく分からないが、むずむずする。まるで幼い頃、初めて弟を抱っこしたときに終始ソワソワしていた自分を父と母が微笑ましく見守っていたときのような。

「食事の支度をしているのだと思いますよ。またすぐにこちらへ来ます」
「……そうですか!」
「はい。あんな勢いで私を起こしに来たのですから、鬼狩り様の具合が気になって気になって仕方がないはずです」

 あんな勢いがどんな勢いだったのかは杏寿郎には分からないが、娘が出会ったときの勢いのままでいたとしたら、この医者はとても心が広いと思う。日が昇り切る前に突然起こされたにも関わらず、ちっとも怒らずに今はむしろ微笑ましそうにしているのだから。
 それとも、あの娘が人に好かれやすい性格をしているのだろうか。それも分かる気がする。ほんの少し顔を合わせ喋っただけだが、不思議とそういう雰囲気を感じ取った。
 先程言われた通り、傷口の手当が終わる頃に娘が膳を持ってまたやって来た。医者は時を同じくして、退室する。
 医者に感謝を述べると、杏寿郎はいい匂いに釣られ、食事をじっと見つめた。
 おにぎりが二個にお味噌汁。どうしてこうも美味しそうに見えるのか。

「こんな質素なものしかご用意出来なくて……。この後はお休みになられると思いましたので、量は少なめにしておきました。目覚められましたら、お呼びくださいね。湯船をご用意致します」

 こんなに朝早くなのだから、本来なら食事の支度も、布団の準備も出来ていないはず。これだけでも十分過ぎるくらいだ。

「何から何まで有難い!」
「命を懸けて戦ってくださっているのですから、このくらいのことはさせてください」

 ――きゅぅん。
 固い言葉に反し、とても嬉しそうな表情をした娘を見て、杏寿郎の胸はそんな音を立てた。
 うん?と内心首を傾げつつ、胸の辺りに手をやった。
 すると、「胸にも傷が……!?」と大慌てでまた医者を呼びに行こうとするので、今度こそ急いで引き止める。

「そんなことよりも!俺は君の名前を知りたい!」
「わ、私の名前をですか?」
「ああ!俺は煉獄杏寿郎だ!」

 その後、片腕を怪我しているためにおにぎりを作り、味噌汁の具は小さく刻んで飲みやすくしてくれていたことに気付き、また杏寿郎の胸はきゅぅん、と音を立てた。
 このきゅぅんの正体に杏寿郎が気付いたのは、娘と出会って数年後。後の恋柱である甘露寺蜜璃との共闘で「きゅんきゅんしちゃうわ!」との言葉を聞いて、彼女に胸の高鳴りについて尋ねたから何だとか。
 その後、柱となった杏寿郎の継子として蜜璃は修行をしつつ、恋の進展について話を聞いているらしい。

 煉獄杏寿郎は恋をしている。
 だからこそ、遠くへ任務へ向かえば中継地点として。多少遠くても、行けるのであれば娘の宿に泊まっている。

「こんばんは。ご無事で何よりです」

 一番は久方ぶりに顔を見せたときの安堵した表情。
 蕩けるようなあの笑顔で「おかえりなさい」と言われれば、きっと天にも昇る気持ちになれるのだろう。
 そんな日が来ることを願いながら、煉獄杏寿郎は今日も娘を見つめるのだった。
BACK / TOP