▼ 執着
※ネームレス。支部にも投稿。
ふるり。身体を震わせる。
突然冷たい何かが自身に乗りかかり、その場に座り込んだ。すると今度は全身がその何かに包まれてしまう。
大丈夫。今日もこのままじっとしていれば、すぐに治るはずだ。
ここ最近ずっと続くこの症状に私は悩まされていた。
夜も最中、バイト終わりの帰宅中。近道である裏路地で小さく丸くなった。
◇
始まりは何時だっただろうか。最初は視線を感じるだけだった。
四六時中誰かに監視をされている気がして、出掛けるのが億劫になっていた。しかし家は片親で裕福ではない。ちゃんとした生活は送れるものの、少しでも親の負担を減らしたくて高校に入ってすぐにアルバイトを始めた。それは今でもずっと続いている。
親は自分のためにお金を使いなさいと言うが、私がしたくてしていることだ。だから親が気にしない程度にシャンプーやリンスなどの一部生活必需品を自分で買うようになった。
意地でもバイトは止めたくない。その一心で夏季休暇中もバイトを続けて――何かに触れられるようになったのはその辺りからだ。
茹だるような暑さ。いつも持ち歩いている水筒を忘れ、それでも節約のために飲み物を買わずにいた日。
その時はまだ、人の多い大通りを通って帰っていた。
朝早くからバイトをし、終わりは十五時頃。それから更に四十分経った頃か。
もう我慢出来ないと公園の自動販売機でスポーツドリンクを買い、日陰にあるベンチで休んでいたその時だ。
ひんやりとした何かが左頬に触れた。
驚いて三分の一程減ったペットボトルを落としたが、襲ってくる恐怖に体を動かせない。
その何かは頬を滑り落ち、今度は露出した首に触れた。いや、首を掴まれているような感覚だ。力を込められれば、窒息してしまいそうな、そう、人の手の感覚。
その手の感覚は右頬にも現れる。
私は、誰かに両手で触れられている……?
「おねえちゃん、どうしたの?おかおがまっさお!」
ハッとして視線をずらせば、私が落としたペットボトルを両手で拾ってくれた少女がいた。向日葵の花の飾りが着いた麦わら帽子を被り、心配そうに私を見つめている。
それを受け取ろうと立ち上がろうとすれば、冷たい手は私から簡単に離れていった。
「ありがとう……!」
「?どういたしまして!」
この子のおかげで助かったと心からの感謝を伝えれば、そんなに力強くお礼を言われるとは思っていなかったのだろう。少女はちょっとだけ不思議そうにしていた。
◇
翌日。同じくバイト終わりの私がその公園の前を通ると、人集りが出来ていた。
会話を盗み聞きすると、女の子が変死体で見つかったらしい。
ゾクリと悪寒が走る。
あの麦わら帽子の少女が被害者なのでは。
そんな予感が過ったが、そんなことはないだろうと首を横に振った。
――ひやり。
また何かが私に触れる。範囲は昨日よりも広い。
体を包み込まれ、ゆるりと頭を何度も行き来する。撫でられているのだろうか。
「大丈夫ですか……?」
スーツのジャケットを腕にかけた男の人に声を掛けられ、肩を震わせる。
視線を集めないよう配慮してくれたのだろう。近くにより、小さな声で尋ねてくれた。
それに根性で大丈夫ですと答え、お礼も伝えて立ち去った。
触れていた何かはいつの間にかまた消えていた。
◇
今度は公園の近くで営業を行っていたであろう、サラリーマンの変死体が見つかったらしい。
きっとこれはもう、他人事ではない。
恐ろしくなった私は大通りを通ることを止めた。
◇
バイトを休み、学校も休みたかったのだが、親を心配させたくない。そのために逃げたくなる己を鼓舞して通い続けた。
毎日何かに触れられ、一度勇気を出してお祓いにも行ったのだが何の効果もなかった。
辛くて、苦しい。私は恐ろしい。
夜も眠れなくなり、教師や友達、親にも知られて病院へと行くことになった。睡眠薬のお陰で眠れるようにはなったが、それだけだ。恐怖心は消えず、未だに何かに触られ続ける。
暫くはお休みしようと説得され、今日が最後のバイトの日。迎えに来てくれるはずだった親は仕事で難しくなってしまい、一人で帰っているところで大胆にも触れられた。
気付いたことがある。
親も、先生も、友人も誰も殺されたことはない。ただ、男の人との距離が近いと、その男の人は大きな怪我を負った。
だからきっと、何かが私に触れている最中に邪魔が入ると気に食わずに殺してしまうのだろう。そして、私に触れる何かの性別は男である可能性が高い。
だって、やらかすタイミングが嫉妬しているみたいなのだ。
自意識過剰かもしれないけれど、最近の触れ方は少しだけ厭らしくなっていた。だからこそ、余計に恐い。
透明人間に痴漢をされているみたいだ。
「やあ、初めまして」
そう言って私の名前を呼ぶ男の人。知り合いではない。
袈裟を着たその人は額を縫い跡が横切っていた。背は男性の中でも高く、ガタイも良い。
逃げなければ。本能が叫ぶ。けれど、金縛りにあったかのようにちっとも体を動かせない。
「まあ、そんなに怯えないで。大丈夫。良い子にしていれば優しくしてくれるみたいだからさ」
歪に笑うその人は何処からか取り出した眼鏡を私に掛けさせると、もう用はないとばかりに踵を返した。
瞬間、見えたのはツギハギの手。去る男に手を振っていた逆の腕は私の肩を抱きしめていた。
「ひっ……!」
悲鳴を上げたいのに声も上手く出せない。
振っていた手を下ろし、私の顎を掴んで上を向かせた。パサリと落ちてきた水色の髪が少しだけ私に触れる。
「やっと俺を見てくれた!」
黒と水色のオッドアイに射抜かれる。
無邪気に笑うこの人はまるで生まれたての赤ん坊であるのに、酷く恐ろしくて堪らない。
私に触れていた正体は彼だ。
「ごめんね。本当はすぐに弄って俺を見えるようにしてあげたかったんだけど、ちょっとだけ弄るのって難しくってさぁ。殺すのは得意なんだけど。でももう俺を見てもらえないことに我慢が出来なくなっちゃって!夏油に頼んで用意してもらっちゃった。もうちょっとでコツを掴めそうだから、もう少しだけ待っててね!」
「や……いや……」
「大丈夫だよ、痛くないように練習してるからね。そうしたら、眼鏡無しでも俺のことが見えるようになるよ」
腕も足も使って包み込まれる。
精一杯の勇気を振り絞って抜け出そうとするが、溜め息をつかれて首を掴まれるだけだった。
その手に徐々に力が込められ、息苦しさに男の手を離そうと握った。それが嬉しかったのか、すぐに込められた力が抜けていく。
「ふふ、今回だけは許してあげる。次はないよ。次やったら……そうだな、君の大切な人達を一人ずつ殺そうか。そのために手を出さずにいたのだから」
嗤った。
私を抱き上げ、優しげに触れながらこの男は残酷なことを口にする。
「俺は真人。さあ、呼んで?」
ここで逆らえば、また私のせいで誰かが殺されてしまう。
逆らおうだなんて、思えなかった。