※梵天軸。
小学生の頃。引っ越してきたばかりの六本木の町で母とはぐれ、不安になって大泣きしたことがある。
その時たまたま近くにいた歳の近い男の子二人に泣きついたのだが、片方の子にはとても面倒くさそうな顔をされたことを覚えている。
対してもう一人はとても世話を焼いてくれて、子どもの私はすぐに彼のことが大好きになった。
二人は兄弟で、優しくしてくれたのは弟の方。彼は末っ子に訪れることのある、お兄ちゃん振りたい時期だったらしい。
寂しい時に優しくしてくれた人に子どもが懐かないわけがない。
二人は灰谷蘭、竜胆と名乗った。
竜胆くんのお陰で無事に母と再会出来た後も、私は二人によく遊んでもらった。
学区が違うため放課後や休みの日にしか会うことが出来なかったけれど、それでもとても楽しかった記憶がある。
最初は竜胆くんに仕方なく付いてきていたような態度だった蘭くんも、会い続けていれば愛着が湧いてきたようで、うんと暖かい眼差しを向けてくれるようになった。
竜胆くんはずっと変わらない。ふらりと姿を消しそうだと手を繋いで逸れないようにしてくれるし、嬉しいことがあれば一緒に笑ってくれる。悲しいことがあれば抱きしめてくれるし、元気が出るように沢山励ましてくれる。
二人もお兄ちゃんが出来たみたいで私は幸せだった。
四年生頃になると異性との触れ合いが少しばかり恥ずかしくなってしまい、よく触れてくる竜胆くんに止めるようにやんわり伝えてみたが、首を傾げるばかりだった。
それではまるで交際している男女のようだ。
少女漫画曰く、男性との距離が近い女の人をビッチと呼ぶらしい。悪口であることは明確であり、仲の良い学校の友達にも竜胆くんとの距離感は「変」だと言われた。
そう説明しても竜胆くんは納得してくれない。
「……ナマエはさ、オレ以外の男にもこんな風にぎゅうってさせたりするの?」
「それは……しないけど」
「オレだけでしょ?兄貴とだってしてない。ならビッチじゃねぇよ」
「でも、」
「他人の意見に流されんの?オレはナマエにくっ付きたくてくっ付いてンの。ナマエはイヤ?」
「いやじゃ、ない。あの、他人じゃなくて友達……」
「ああ、トモダチね。ハイハイ。んで、嫌じゃねぇなら気にすんなよ。これはオレらの問題だろ?」
竜胆くんたちの家。明らかにお高そうな高層マンションの中、柔らかなソファに座った竜胆くんの足の間に座り、背中を預けて抱きしめられながら話をした。
確かに人の意見に流されるのはカッコ悪いのかもしれないと、ビッチではないのならとりあえずは良いやと私は竜胆くんに従った。
「にしても悲しいなァ。こ〜んなに可愛がってるナマエに拒否られるなんて」
私の頭に顎を乗せ、両足を絡ませてくる。
竜胆くんにこんなことをされては逃げることは叶わない。痛くはないのにとても強い拘束なのだ。
クツクツ笑う竜胆くんに素直に謝れば、耳朶を擽られた。それに身を捩ると、今度は隣に座っている蘭くんが愉快そうに笑う。
「可哀想になァ」
蘭くんはいつも竜胆くんの味方だ。
◇
二人が中学校に上がって暫く経つと、何と事件を起こして少年院へと入ることになってしまった。
蘭くんは妖しげな雰囲気があったため、将来女の人を唆していそうだなと心の中で密かに思っていたとはいえ、これには流石に動揺が走る。
蘭くんも竜胆くんも一見近寄り難いが、本当はとても暖かい人たちだから。しかも人を殺しただなんて、何かの間違いではないのだろうか。
二人と連絡を取る方法がないため話を聞くことすら出来ず、両親からはもう関わらないようにと言いつけられてしまった。
真実であれば仕方の無いことだが、私には俄に信じ難い。
なんて、本当は自分に言い聞かせているだけ。ずっと前から気が付いていた。
二人の住む家から匂う知らない香水の香り、ゴミ袋に入った赤く濡れた服、夏場でも長袖を着ることのあった竜胆くんに怪我を隠そうともしない蘭くん。日によってはドタキャンされることもあったし、三人で街中にいれば知らない女性にも男性にも話しかけられたことがある。その時はどちらかが一度抜け、後から合流していたのだが。
そんなことが何度もあれば鈍感な人間でも気が付いてしまうだろう。
それでも知らないふりをしていたのは竜胆くんが隠そうとしていたから。竜胆くんの思いに応えただけの話だ。
◇
二人と関わるなと言われた私が良い反応を示さなかったからだろう。隣県へ引っ越すことになってしまった。
あれから数年。ひっそりと学校にレターセットを持ち込み、学校帰りに二人宛に手紙を書き続けている。
今まで返事が来ることはなく、一方的に送り続けているだけだった。六本木の街に灰谷兄弟が帰ってきたとの噂を聞いてから行っていたそれに返信がないのは、正直心が折れそうで、いつの日か手紙を書くことを止めてしまった。
飽き性で面白い事が好きな二人だ。私はきっと飽きられてしまったのだろう。
仕方がないのだと自分に言い聞かせた。
◇
社会人となり、私は東京で一人暮らしを始めた。
何の因果か六本木での勤務となってしまったが、敢えて住む場所は六本木から電車で三十分程の場所を選んだ。
仕事終わり。取引先で出会った彼氏とのデートの予定があり、身なりを整えて待ち合わせ場所へ向かった。
六月。徐々に暑さが増し、多少汗をかいてしまうような季節。
私に芸術的センスがないからなのか、よく分からない形をしたオブジェの前に来て時間を確認すると、待ち合わせ時間より十五分程早かった。
日が長くなり、外はまだ明るい。
鞄から水筒を取り出し、麦茶を飲んだ。
「おねーさん、一人?」
キュッと水筒の蓋を閉めていると、声を掛けられる。
ナンパだろうか。
面倒だからと気付かない振りをして無言を貫こうとしたが、耳朶を擽られてゾワリと身の毛がよだつと同時に懐かしさを覚えた。
驚いて顔を上げると、耳朶を弄っていた手は頬へと移り、反対の腕は肩へと回された。
「竜胆くん……?」
「そ。久しぶりじゃん、ナマエ。よくオレだって分かったな?」
「竜胆くんこそ……」
どうして分かったの?どうして今更話しかけてきたの?
聞きたいことはあったはずなのに舌が上手く回らない。
竜胆くんは髪型も、色も変えていて、しっかりとした体付きの男性へと成長していた。眼鏡も今は掛けておらず、スーツ姿で首に花札のような刺青を入れている。
「オレのことは良いんだよ。そンじゃまあ、行くか」
「行く?行くってどこに?ていうか、あのね、私待ち合わせしてて」
「彼氏なら来ねぇよ」
「え?」
腰を抱かれ、押されるままに歩くことしか出来ない。
何を言っても離してくれることはなく、無理矢理手を外そうとしても痣が出来そうな程に力が込められ、痛い思いをするだけだった。
近くの駐車場まで連れて来られると、竜胆くんはポケットから車のキーを取り出して鍵を開けた。
そのままするりとスマホや財布の入った鞄を取られ、助手席に座ることを余儀なくされる。
大人しく竜胆くんが望むようにすると、運転席に座った彼に慣れた動作で頭を撫でられた。
「あの、竜胆くん」
「なに?」
「彼氏のこと、何で知ってるの……?」
シートベルトを留められ、そのまま発進する車。免許を持っていない私でも一目見ただけで分かるくらいの高級車だった。
尋ねた私に竜胆くんは答える。
「ナマエのことなら何でも知ってる」
私が通っていた学校の名前。今いる会社、住んでいる場所と神奈川の実家の住所、贔屓にしているカフェ、友人の名前。
教えたことのないはずの事柄をつらつらと呟く。それらは全て当たっていた。
背筋が凍る。ひゅっと変な息を吸い、大丈夫かと片手でまた耳朶を擽られた。
「逃がしてやろうと思ってたんだけどさ、彼氏が出来たって聞いたら腸が煮えくり返りそうになって」
――迎えに来た。
機嫌が良さそうに鼻歌を歌う竜胆くん。
そんなのもう遅いよ、と。もっと若ければ、それこそ高校時代であれば天にも昇る気持ちを味わえていただろう。
けれど私も既に大人で、竜胆くんたちが異常であることを知っている。逸らしていた目は今は曇っていない。
「ナマエももう大人だもんな。ピアス穴開けようぜ」
空は暗く、星々は雲に覆われた。
大好きだったはずの竜胆くんが今は恐ろしい。
余談ですが、この後身構えていた分優しくされ過ぎて、一年以内に絆されます。
BACK/TOP