▼ ちょっと世界が優しすぎないか


「負けちゃった、か」
「…ごめんね、マスター」

 謝らないで、と悲しそうな顔をするライダーの頭を撫でる。王様相手に不敬だ!と思う人もいるかもしれないけれど、私にとってのアレキサンダーは王と言うよりかは家族に近い。いや、私が召喚主だし、元々失礼ではない…のか?
 甘栗色の髪を揺らしたあの子は私たちを倒した対戦相手であり、本戦が始まってからはそれなりに話す仲だった。そんな相手に消されるっていうのは結構辛いなぁ…。こちらが消す立場でも同じ思いを抱いていただろう。情が移ってしまっていたらしい。ここでは別れは必ず来るというのに。
 体が消えていく。まるで古い合皮が剥がれていくかのように。ぼろぼろ、ぼろぼろ。落ちては溶けていった。
 空を見上げる。作り物だったとしても、それは私の知る地上の美しさと同じだった。

 ライダーの宝具である"始まりの蹂躙制覇"は黒毛の屈強な馬――ブケファラスを呼び出し、蹄で敵を潰すものだ。だから、宝具を使用するわけでなくともブケファラスを呼び出すことは出来る。
 交流を深めるために!と言われて、その馬に乗せてもらい、二人で数時間もの間階層を駆け回った。お陰でとても疲れてしまったし、筋肉痛に襲われてしまったけれど、あの時間はとにかく楽しかった。出会ったばかりだと言うのに、何年も共に過ごした友といるような…。そんな心地良さを感じたのだ。

「ライダー」

 彼は言った。自分の夢はオケアノスに辿り着くことなのだと。アレキサンダーは征服王イスカンダルの幼少期の姿であり、幼い頃からずっとオケアノスを目指していたらしい。
 未来を生きる私はそれに対して、何と答えたら良いのかが分からなかった。
 オケアノス――最果ての海。地球が丸いことを知っている私には、彼の夢が…。ここから先はあまり言いたくない。だから言わないでおこう。
 キラキラとした笑顔で語るライダーの顔を決して曇らせたくはなかったのだ。だって彼は月で唯一の味方であり、相棒だから。過ごした時間が短いとか、そういうのは関係ない。私は既にライダーに好感を抱いていて、彼の隣に立つことを周りからも許されるような人間に成りたかったのだ。ライダーには人にそう思わせるようなカリスマがあった。

「ありがとう、ライダー」
「…こちらこそ」
「お別れは寂しいけど、なんか……うん、そう、この結果に満足してる」

 だって苦しくはないんだ。死に対する恐怖はあっても、この聖杯戦争中にした行いに後悔は何も無い。その証拠にこの世界がクリアに見えている。今まで見てきたものの中で一番綺麗だ。
 ふっ、と笑みが溢れる。出来ることなら、美しい世界をライダーと共にもっと見てみたかった。

「そっか…。 マスターがそう言ってくれるのなら、ボクも頑張った甲斐があったよ」

 だけど、と言葉を続けたライダーの体は殆ど消えてしまっていた。精一杯腕を伸ばし、ライダーの手に触れようとする。

「ボクは、マスターと――」

 紡がれた言葉が最後まで耳に届くことはなかったけれど、何となく伝わった。
 そうだね、私も行ってみたいよ。ライダーと一緒なら何も恐くないはずだもの。真実を知ったとき、ライダーがどんな反応をするのかは分からない。分からないけれど、何があっても隣にいるから。いくらでも話を聞くから。
 微かに触れることの出来た体温を忘れないように。

 聖杯に願う夢。それは心から信頼出来る誰かを得たいというものだった。私の心に寄り添ってくれるような誰かが欲しかったんだ。他の人の願う夢に比べたら、とても小さなものなのかもしれないけれど。
 でも、その夢はもう叶ったから。ライダー――アレキサンダーと出逢えたから。
 一人ではないはずなのに孤独を感じていた私。ここに来て、一度でも寂しいとは思ったことはなかった。だってアレキサンダーが側にいてくれたから。

「もっと、永く…一緒に……」

 欲を言うのであれば、だけど。
 こうして私の聖杯戦争、そして人生は終わったのである。最後の最後で色付いた世界は電子の海に飲み込まれようとも、忘れることはないのだろう。






 初めて出会ったとき、彼女があまりにも寂しそうな顔をしているのが気になった。
 笑うには笑うけれど、それでもどこか不安そうな顔をしていて、その表情をどうにかして晴らしてあげたかった。だからなるべく近くに寄り添っていたし、沢山話し掛けた。すると、少しずつ本当に楽しそうに笑うようになったのだ。それが嬉しくて堪らなくて、うるさいくらいに喋っていた気がする。
 お互いのことをよく知ってからはボクも真名を教えて、宝具を解禁した。そしてブケファラスを呼んで、トリガーを獲得後に駆け回ってみたり。そうしたら、マスターは声を上げて笑ってくれたんだ。そのときボクがどんな気持ちでいたかなんて、きっと彼女は分からないのだろう。
 それはもう、思わず泣きたくなるくらいに喜ばしかった。
 見た目ではボクの方が年下に見えるけれど、大人のボクの記憶もある分、精神的にはマスターの方が幼い。だから何というか、孫が僕の顔を見て初めて名前を呼んでくれたときのような気持ち…というのが合っているだろうか。
 そんなボクの感情を読み取ったブケファラスはヒヒーン!と逞しく一鳴きした。

 彼女が聖杯に願うことは何か。それを話したことはなかったから、何かは知らないけれど、今をマスターが楽しんでくれているならそれで充分だ。
 そしてボクは優しくて、真面目で、本当は誰よりも寂しがり屋な彼女に生き残ってほしいから。そのために戦った。けれど、負けてしまったのだ。
 ボクはここで死んでも座に戻るだけだ。でも、マスターは違う。本当にいなくなってしまうのだ。

「…ごめんね、マスター」
「謝らないで」

 困った顔で頭を撫でてくるマスター。年下扱いにちょっとだけ複雑な気分になる。
 自分の体も消えてきているのは分かっているけれど、マスターが消えることの方が気にかかってしまう。生きてほしかったのに。幸せになってほしかったのに。
 そんな考えも、彼女の晴れ晴れとした顔を見て消えていってしまう。
 空を見上げて、頬を緩めたマスターのその表情は今まで見てきたどの顔よりも綺麗だったのだ。
 ああ、よかった。彼女はもう、寂しくないんだ。

 ありがとう、だなんて。そんな言葉は必要ないのに。ボクはボクがしたくて、マスターにたくさんの事を施したんだ。

 ねえ、マスター。ボクの夢について前に話したよね。その夢は今も変わっていないよ。でも、その夢が叶ったとき、その隣にマスターがいたらって考えてしまうんだ。

「ボクは、マスターと――」

 ――彼方へ至りたかった。






小さいようで大きな夢が叶ったマスターと 欲張りかもしれないサーヴァントのお話
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