▼ しずかに いつくしんで また なきじゃくる


 弟が聖杯戦争に参戦することになってしまったのは偶然だった。
 私たちには魔力が宿っていたけれど、それを知ったのは弟が英霊を呼び出した後の話。弟の手の甲には不思議な形の痣が浮かび上がっており、それをギリシャに出張中の義父に相談したのだけれど、返事が来たのは全てが始まってしまってから。
 私たちは片親で、しかも義父とは血の繋がりがない。それでも沢山の愛情を注いでもらっていた。だからこそ、お義父さんは魔術の存在を隠していたんだ。両親が亡くなったのはその魔術が原因だったから。
 魔術師の名門の出で立ちなのだと義父は言った。最後まで詳しいことは教えてくれなかったけれど、その血筋故に悪い人に狙われ、血の繋がった両親は命も、その肉体すらも奪われたらしい。残っているのは私と弟が片耳ずつ付けているピアスのみ。そのピアスに付いた宝石に膨大な魔力が注がれていたようだった。
 その魔力に反応して、英霊が召喚された。
 誘拐され、魔法陣の上に投げ出された私たちと血の繋がった両親だという欠損した死体。弟は両親が亡くなった当時赤ん坊だったため実感は湧かなかったようだけど、私はその面影をちゃんと覚えていた。覚えていたからこそ、弟を守らなければと強く思った。弟をあんな惨い姿にして堪るものか。
 召喚された英霊は人一倍正義感が強かった。状況を的確に判断して、私たちを救い出してくれた。令呪を使われる前に悪い人を殺し、死体が私たちの目に映らないように体で隠す。弟はそうして消えゆく命の恩人を見捨てることは出来なかった。救けてもらったから今度は自分が助ける番だと契約を結んだのだ。
 見守るしかなかった私は聖杯戦争についての話を英霊から聞き、先に外に出るように弟の背を押した。英霊に弟を託して。
 殺された男の持つ令呪。消えかけていたそれをどうにか私に移せないかと願った。瞬間、輝いたのは形見のピアス。光が収まると、令呪は私の手の甲に。
 男が唱えていた呪文はとある本に書いており、床に落ちて血に濡れたその本を手に持った。魔法陣を見つめ、自分の耳に心音が届いてしまうほどに五月蝿い心臓を落ち着かせるため、深呼吸を。

「――素に銀と鉄。礎に石と契約の大公」

 辿たどしく呪文を唱える。内容は全く分からないし、恐怖で頭が回らない。
 それでも今やらなくてはならないことだけは分かっていた。
 守らなくちゃ、あの子を、私が。

「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ……!」

 吹き荒れる強風。それでも決して目は逸らさない。逸らすことは許されない。
 風が収まり、そこに立っていたのは甘栗色の髪をした青年。ガタイが良く、利発そうな顔立ちをしていることから、強さと賢さを兼ね備えていることが見ただけで分かる。
 彼は男の死体を一瞥し、辺りを見回した。
 私は私で、今にも飛んでしまいそうな意識を何とか保ち、倒れそうな体を踏ん張って堪え、召喚された英霊と向き合う。

「私の名前は名前。弟が聖杯戦争に巻き込まれて、でもそれは不可抗力で」

 英霊がどんな存在だろうが関係ない。問題は唯一つ。

「言葉が纏まらなくてごめんなさい。私が聞きたいのは、貴方が私の弟を守ってくれるかってことなんです」

 大切な家族なんだ。思春期に入って少しだけ冷たくなってしまったけど、根本は変わらない。とても人思いな優しい子なの。
 だからきっと、弟は人を守るために戦いに身を委ねてしまう。そうして、誰かを庇って死んでしまうかもしれない。そんなのは耐えられない。

「私は弟の邪魔にならないように自衛の手段が欲しかった。でも、それだけじゃ足りない。私が弟を守りたい」

 ――聖杯を求めて戦いはしない。それでも貴方は私と戦ってくれますか?

「……ふむ。では私が否と答えたら?」

 優しげな双眼が私を見つめる。どこかピリピリとした空気を感じ、自分が試されているのだと全身で感じた。
 恐れてはいけない。彼は味方だ。味方になるんだ。信じろ。
 負けずに瞳を合わせる。

「その時は、令呪を使います」
「ならば、初めから使ってしまえば良かったのでは?」

 確かに言われた通りではあるが、それではいけない。

「これから私たちはパートナーになります。だから、出来ることなら私は信頼関係を築きたい。無理矢理何かをさせたくはないし、人に指示をすることだって、本当は苦手で……」

 弟に比べて私は大人しいし、学校では隅っこで本を読んでいるタイプの人間だ。友達がいないわけじゃない。ただ、人と関わるのが少しだけ苦手で。
 でも、何があっても、弟だけは守るって小さい頃に決めたんだ。だから、負けない。弱っちい私にも、弟を脅かそうとする敵にだって。ネガティブは今だけでも止めないと!
 目を逸らさず、彼の英雄を見つめた。
 途端、彼が私を安心させるかのように微笑む。

「サーヴァント、アーチャー。真名をケイローンと申します。どこか不器用で、愛ある我がマスター。貴女の願いを叶えられるよう、このケイローン、身命を賭して努めさせて頂きます」

 二足だったはずがいつの間にか四足になり、こちらへと近付いてくる。
 優しく、その大きな掌で頭を撫でられた。

「最後の時まで、よろしくお願いします」





 私のマスターは出会ったその時から誠実な方だった。彼女の原動力は彼女自身の弟であり、それ以上でもそれ以下でもない。一見素晴らしい姉弟愛だが、そこが危うかった。
 弟君はどうも聖杯戦争に現実味がなかったようで、始まった当初はお遊び気分だった。しかしマスターは義父から貸し受けた魔術書を読み漁り、出来る限りの努力をしておられた。

「何も知らないんじゃ、守れないから」

 困ったように微笑む姿を見せられてしまえば、手を貸してしまいたくなるのは当然のことで。
 マスターとサーヴァントという関係でありながら、生徒と先生の間柄となったのは不思議な話だ。
 マスターは私を先生と呼ぶようになり、私もマスターからの願いで普段は名前で呼ぶようになった。教師からマスターと呼ばれるのは違和感があったらしい。
 彼女達を彼女達の義父は本当に魔術から遠ざけていたらしい。名前は基礎すらも知らず、理解するには時間がかかった。それでも何時でも一生懸命で、ついつい可愛がってしまう。
 サーヴァントになってからまた生徒が出来るだなんて、思ってもみなかった。ついつい熱が入ってしまって、護身術としてパンクラチオンまで習わせてしまったが、こちらは理解が早く、及第点まですぐに辿り着いた。
 どこまでも弟を思うマスター。ですから、ええ。貴女はきっとそうやって亡くなってしまうと私には分かっていました。
 最優クラス、セイバーとの戦いに於いて、彼女は弟を逃がして己が戦うと決めた。弟君は姉を置いて逃げるなどと泣き喚いたが、マスターの覚悟を受け取った弟君のサーヴァントが無理矢理撤退させる。
 好戦的なセイバーは恐ろしく強い。けれど、マスターは私を信じてくれた。ならば私は宣言通り、身命を賭して戦うのみ。
 結果から述べれば勝利したけれど、引き分けに終わった。
 宝具の撃ち合いで勝利したのは私だったけれど、その隙に敵マスターが我がマスターを殺したのだ。
 何とも情けない終戦であった。
 好戦的ではあるが、人としての矜持のあるセイバーは己のマスターを軽蔑し叫んだ。マスターの弟を思う気持ちはセイバーにも伝わっていたらしい。消える間際、姉弟を引き裂く必要はなかっただろうと、マスターに止血を施すしかない私の代わりに怒ってくれた。そしてそのまま、自分の主の首を切り落としたのだ。
 マスターには案外、人誑しの天性の才があったのかもしれない。
 圧迫して止血を行う私の手をマスターが掴んだ。

「あの、ね、せんせい」

 マスターは笑っていた。

「わたし、ね、しょ……はさばけ……の」

 ――私ね、初手は捌けたの。
 マスターは口を閉じ、あの輝かしい瞳で私の目を見つめていた。ゆっくりと脳内に彼女の声が響く。
 ――少し前の私だったら、きっとあの速さは目では追えなかった。先生が指導してくれたから見えたんだよ。それにね、仮に見えていたんだとしても捌こうとはしてなかったと思う。弟さえ無事ならそれで良いって。でもね、今は違うの。変わったの。

「せんせ、と、もっと……!」

 ええ、ええ!私もです、マスター。

「貴女と、名前ともっと、楽しい時間を共に過ごしたかった」

 嗚呼、そんなに幸せそうな顔をしないでください。貴女を守れなかったことが悔しくて辛くなってしまう。
 手が血で濡れてしまったまま、ゆっくりと名前の頭を撫でる。名前の頬には粒が雨のようにポロポロと零れてきていた。
 今度は私が名前に目尻を撫でられる。

「ありがとう……ごめ、ね」

 閉じられた瞼。落ちる腕。消える令呪。
 そして、徐々に消えゆく我が身。
 謝ることなどありませんよ、名前。むしろ、私は貴女が我儘であると思ったであろうその行動に感謝します。名前の弟君なら、きっと大丈夫。彼の英霊が付いている。何より、名前の弟なのだから。
 宝具の使用後で魔力量は少ないが、まだもう暫くは現界していられるだろう。せめて、弟君のいる家へ帰してあげなければ。
 そうしたら、私も座へ帰りましょう。行先は違っても逝くのは一緒です。だから、何も恐れないでください。付いていける所までは付いていくと約束します。
 マスターに付いていくのはサーヴァントとして当たり前であり、見送りは先生として当然のこと。だから、気に病まなくても良いのです。
 温もりの残るマスターを腕に抱き、短い思い出話をしながら帰路に立つ。この涙を止める術を私は知らなかった。






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