始まりの呼吸の戦士達。
 それは今から数百年前。鬼舞辻無惨を窮地に追い込んだ剣士のこと。その者たちの体には鬼とよく似た痣が発現していたという。

「……聞いてない」
「言ってなかったからね」

 私の館に来て早々、しれっとそんな話をする耀哉。
 私は過去の剣士や痣、彼等の使う呼吸についての話を今の今まで一度も聞いたことがなかった。それを何故突然話し出したのか。
 少しだけムッとしてしまう。
 この場には甥っ子である輝利哉も来ていて、私の手をにぎにぎして遊んでいた。それは楽しいのだろうか。きゅっと手を握ってあげると、口元がふわりと緩む。
 今日も私の甥っ子がかわいい。

「そんなに拗ねないでよ、姉さん」
「ご機嫌取りに自分の息子を使うのをやめてから言って」
「ふふ、気付かれちゃったか」

 隠し事をされていたことも気に食わないが、甥っ子がいれば機嫌を直すと思われていることにも腹が立つ。事実、輝利哉に癒されてしまっている私にも。
 輝利哉には何の罪もないので、ぎゅっと抱きしめてしまうが。
 私たちの話をちゃんと聞いていた輝利哉は大事な話の最中だが、私に甘えても良いと判断したらしい。自ら私の膝の上へ乗ってきていた。全く持ってその通りである。
 産屋敷家の風習で女の子の格好をしている輝利哉は、そんじょそこらの女子よりも愛らしい。あまねにそっくりなその瞳も、耀哉によく似た雰囲気も全てが魅力的だ。
 袋から金平糖を出し、膝の上にちょこんと座り直した輝利哉の口に入れる。

「それで、どうして急にその話を?」

 寄りかかって顔を覗いてくる輝利哉にまた一つ、金平糖をあげる。手を差し出してきた耀哉にもころり。
 何かを懐かしむように金平糖を見ながら、耀哉は返事をする。

「始まりの呼吸の戦士の子孫を見つけたんだ。今度、あまねが会いにいく」

 ぱくり。
 呪いの進行した輝哉の顔は徐々に爛れていっている。
 産屋敷の男子は短命だ。様々な方法で呪いの進行を抑えても、三十までは生きられない。
 後に爛れは全身へと広がり、目は見えなくなり、吐血を繰り返す。その頃にはもう、体は動かなくなっている。
 そうなると分かっていながら、耀哉は己の人生を鬼との熾烈な戦いに捧げると決めたのだ。ならば私も戦うしかない。
 耀哉を一人で戦わせたりなんか、絶対にしてやらない。

「それでね、彼らに刀を持つ覚悟が決まったら、姉さんに指導を頼みたいんだ」
「私に?」

 誰かを指導したこともないのに?
 確かに誰しも最初は初心者だが、そんな大事な人材を私に預けてしまっても良いものか。

「姉さんだから、頼めるんだよ」

 耀哉が意味の無いことをしないことは分かっている。きっとそうすることで、物事が良い方向へ進んでいくのだろう。ならば、断る理由がない。
 呪いの進行から焦りを感じ始めた耀哉の頭を撫でる。すると耀哉は私の背後に座り直し、ゆっくりと体重をかけてきた。
 そんな私たちを輝利哉はじっと見つめていた。
 ――そんな話をして早一年。
 私は始まりの呼吸の戦士の子孫、時透無一郎を産屋敷邸へ迎えに来ていた。
 耀哉が"彼ら"と言っていたのにも関わらず一人であり、重症を負って療養中であったということは大体の予想がつく。
 布団の上で上半身だけを起き上がらせた無一郎を前に、被衣を肩にかけて自己紹介をした。但し決して、私が産屋敷の人間だとは誰にも言わないようにと注意をして。
 生返事をする無一郎は終始ぼうっとしていた。精神的な苦痛によるものだとは聞いていたが、これから先が心配になってしまう。
 隠の子達に私の屋敷まで運んでもらうとき以外は、彼の手を繋ぐようにした。彼が少しでも人の温もりを感じられるように。
 無一郎のために用意した部屋へ着くと、すぐに女中が晩御飯を運んで来てくれた。今日は特別にこの部屋で食べることとする。
 ちなみに私の館で働いてくれている女中は元隠であり、結婚して子どもを育て終わった人たちが集まっている。勿論、私が耀哉の姉だとも知っているので、屋敷内では気を抜くことが出来る。

「ねえ」

 なかなか喋ることの無かった無一郎に声をかけられた。彼は座ったまま動かない。
 私は箸を置き、無一郎に向き直す。

「ねえ、ではなく、これからは師範と呼ぶように」
「……師範。でも俺、すぐに忘れるよ」
「何度でも言う。体に、頭に染み付くまで、私が何もかもを教える」

 きょとんとした無一郎の頭を撫でる。
 やっと少しだけだけど、表情が変わってくれた。
 もし耀哉に頼まれていなかったとしても、こんな危うい子を放っておくことなんて出来ない。
 まずは彼の痩せ細ってしまった体型を元に戻すため、ひたすらに食事を勧めた。
 ここだけの話だが、ふろふき大根を食べる時だけ無一郎は口いっぱいに頬張って食べる。どうやら好物だったらしい。





 無一郎はあれから大分調子を取り戻した。
 ぼうっとしている時間は長く、物事をすぐに忘れてしまうが、本当に大事なことは忘れない。
 その日あったことを晩御飯中に話させるようにしているのだが、同じ話を繰り返すようなことも無かった。
 本人曰く、話している間にその内容を忘れることはないが、話し終わると何を話していたかを忘れてしまうらしい。ただ、今日話したかったことは話したという漠然とした感覚が残っているため、話を繰り返すことはないと。
 他にも色々と聞き出していると、不思議なことに気が付いた。無一郎は両親のことは何となく覚えているようだが、双子の兄については覚えていないようだ。普通なら、片割れとの記憶は深く残っていると思うのだけれど。忘れたくても忘れられない。意識したくなくても意識してしまう。そういう存在ではないか。
 喧嘩別れでもしたか、或いは一番大切だったが故に、存在自体を忘れることで本能が自衛しているのか。
 刀の扱いについてはとても筋が良い。未だ木刀を使わせて多少矯正はするものの、たった三日で血鬼術が使えない鬼程度ならば倒せるようになった。更に三日経てば、最終戦別へ向かわせても申し分無い程の実力を手にした。
 これは異常だ。才能に満ち溢れている。同じ剣士としては嫉妬してしまうほどに。

「師範」

 忘れる。なんて本人は言っていたが、無一郎は私のことを忘れることはなかった。それどころか、別室で寝ていたはずなのに夜中にこそこそやって来て、毎日同じ布団で眠る始末。実は甘えたがりらしい。
 気付いてはいるが、寝たふりをして誤魔化した。私が目覚める前にいそいそと部屋へ戻っているので、隠しておきたいのだろう。
 素振りを千回終わらせ、汗をかいた無一郎の顔を手ぬぐいで優しく拭う。初めは何の反応も無かった無一郎だが、今ではもう自分から手ぬぐいを差し出してくるようになった。
 事情を知らない人間は無一郎のことを避けてしまうだろう。話を聞いているのか分からない人間に好んで話しかける人は少ない。
 だからこそ、今のうちに私は無一郎の味方なのだと擦り込んでおかなければならない。彼を守るためにも。
 師範。もう一度呼ばれる。

「師範は、柱に匹敵する実力を持ってるって……」
「……誰に聞いたの?」
「お館様」

 産屋敷邸を出てから、無一郎と耀哉は一度も会っていない。耀哉の鴉が飛んで来ることもない辺り、彼が療養中に話したのだろう。
 怪我人に何を話しているんだと怒りたい気持ち半分、何故その記憶は残っていたのかと不思議に思う気持ち半分。
 湯呑みいっぱいに入った温いお茶を渡し、縁側に座る。
 本人は無意識なのだろうが、無一郎は基本的に私に対して距離感が近い。今だって、肩と肩が触れ合っている。
 それだけ心を許してくれているのだと思うと、心が温まった。

「確かに柱の子たちと並んでも、遜色無いくらいには強いと思うよ」
「じゃあ、なんで柱にならないの?」
「耀哉はね、普段の鬼殺隊の様子が知りたいの」
「……それがどうして理由になるの?」

 分からない、と呟いた。
 ぼうっとしていた無一郎が、自分で何かを考えようとしている。とても大事で、大きな成長だ。
 柱は恐れられているところがあるからと言えば、無一郎も納得がいったらしい。
 柱が同じ任地へ赴いてくれれば安心感がある。けれどそのあまりの強さに恐ろしさを覚え、距離を置こうとする人も少なくはない。特に隠はそれが顕著だ。
 そんな反応をされたら、耀哉に何と報告すれば良いのか、分からなくなってしまう。
 無一郎がグッとお茶を飲み干したのを確認して、私は座り直す。無一郎にも正面に向かい直すように指示をし、これから大事な話をすると前置きをした。

「流石に早いと思い、最終選別へは来年に向かわせようと思っていました。けれど、予定を変更することにしました。今月の末に行われる選別へ行って来なさい」
「でも……まだ真剣を持ったことがありません」
「勿論、それも視野に入れた上での話です」

 指導をするときだけはお互いに敬意を払い、敬語で話すと決めている。二人の約束事だ。
 無一郎は想像を絶する速さで成長している。ただでさえ行冥に腕で敵わなくなってしまったのに、無一郎にも勝てなくなるのも時間の問題だろう。それを確信させる程の剣の才能を持っている。
 だからこそ、こんなところでずっと基礎を学ばせているだなんて勿体ない。早く実践を積んで、場数を踏むべきなのだ。
 それを口にして伝えてみたが、無一郎からの返事は無い。どうやら嫌がっているらしい。
 意外と分かりやすい子なのである。

「無一郎」
「……はい」

 不服そうに返事をする。
 名前を呼んだら必ず返事をするようにと口煩く言っていたのをちゃんと覚えていたらしい。

「悪鬼を屠るのが我々鬼殺隊の使命。しかし鬼の中には、悪鬼になりなくてなったわけではない、鬼舞辻の被害者もいる。死に間際、人の心を取り戻す鬼が大勢います。彼らの多くは後悔と反省に苛まれている。だから、死に間際くらいは安らかに逝かせてあげてください」
「それは、鬼に……同情しているんですか?」

 同情。そうなのかもしれない。けれど、慈悲の心も必要なのだと思う。
 自分の家族や友を傷付けた鬼にまで優しくしろとは言わない。でも、それでも、多くの鬼が人を傷付けたくて傷付けていたわけではないことを知っている。だから、悪いのは鬼舞辻無惨なのだ。鬼舞辻以上の悪はいない。
 拳銃を突きつけられた人間がいたとする。突きつけた人間に「アイツを殺さなければ死ぬのはお前だ」。そう脅されてしまい、銃を突きつけられた人間が人を殺したら。確かに殺した人間も悪ではあるが、脅されていたこともあって罪は軽くなるだろう。
 同情する人間もいる中、彼を批難する人間も大勢いて、特に被害者の遺族はどんな理由があろうと許すことは出来ないだろう。後悔をしながら、一生を生きるしかなくなる。
 そんな中、脅した人間は間違いなくただの悪だ。殺意もあれば、それに他人を巻き込むような最低な人。
 この拳銃を突きつけられた人間を鬼、突きつけた人間を鬼舞辻無惨と見れば、大分身近に感じる。
 自ら鬼になったり、人であった頃から犯罪を犯していた鬼もいることだろう。しかし、そうではない鬼も確かに存在する。
 私を指導してくれた師匠たちは奇跡的にみんな存命で、私は残された側に立ったことがない。だからこの例えが一番分かりやすく、未だ私には残された側の気持ちが完璧には理解出来ていない。
 それにどちらかと言えば、私は残してきてしまった側だから。

「無一郎。今は分からなくてもいい。けれど、抵抗したけれど敵わず鬼になり、人を喰らってしまったら。自分がそうなってしまったらと考えてみてほしいのです」
「……完全に鬼になる前に自分の首を切ります。それに、負けないくらい、強くなる」
「そうだけど、そうじゃないの」

 首を傾げる無一郎。
 そんな彼に苦笑して、これから知っていってねと頭を撫でる。立ち上がり、部屋に置いてあった二振りの刀を取って、手渡した。
 一振りは短刀。もう一振は打刀。短刀には無一郎にも見覚えがあったらしい。目を大きく見開いた。
 そう、この短刀は普段私が持ち歩いているものだ。それこそ、自分が鬼になってしまったときの自害用であったり、普段使っている刀が折れてしまったときの代わりである。
 つまりこの短刀は私にとって最期の砦であり、生命線なのだ。
 それを知っているからこそ、無一郎は驚いた。

「明日からはその日輪刀を使って稽古をします。私が鬼殺隊に入る前に使っていたものです。夜には刀の手入れの仕方も教えますから、今日はゆっくり休むように」
「短刀、は……」

 お互いをじっと見つめ合い、私は小さく微笑む。

「最終選別。生きて帰って、私に返してください」

 無一郎は刀を大事に抱き締め、うん、と小さく、けれど力強く返事をした。
 ――そして月末。
 無一郎は最終選別へ、私は新たな任務へと向かう。
 久しぶりに隊服と被衣を纏い、無一郎にも新調した着物と袴を着せる。特注品なので、大分動きやすいだろう。

「いってらっしゃいませ!ご武運を」

 屋敷で働くお手伝いさんたちに小さく微笑み返し、外へと出た。屋敷の門の前で無一郎を被衣の中に閉じ込める。
 ぎゅっと抱き締め、腕の中から解放した。
 背中を叩いてあげると、無一郎は駆け出した。たった数日しか共にしなかったが、随分と背中が大きくなったと思う。
 私も無一郎に背を向け、任地へと歩き出した。

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