私は現在二つの任務を預かっており、その内片方を終わらせて、藤の花の家紋の家で休ませて頂くところだ。
 この町には何度か訪れているため、家の場所はヤシロの案内が無くても分かる。そのため、ヤシロには急いで書き上げた報告書を提出させに行かせていた。
 あと四日で帰らなければ、無一郎の帰りに間に合わない。
 ――後にヤシロは語る。あの時の主は珍しく鬼気迫る勢いで、ずっとソワソワしていたと。未来、記憶を取り戻した無一郎もこれにはにっこり。
 日はゆっくりと昇り始めている。
 鴉の案内に従って歩いていると、曲がり角から見覚えのある金と赤の髪が覗く。

「……杏寿郎?」

 呟くと、髪の持ち主はくるりと振り返り、向日葵が咲いたかのような笑みを見せた。

「キノエ殿!今日こそ名を、」
「いや」
「よもや!」

 何度言ったら分かるのやら。いや、むしろ私に断られることすらも楽しんでいたりするのだろうか。
 どちらとも無く共に歩き出す。連れていた杏寿郎の鴉は空気を読んで先に飛び立った。

「キノエ殿もこの町でお泊まりに?」
「うん」
「私もです!でしたら是非、共に食事を!」

 流石にそれは顔を見られてしまうため、断りたいところだ。
 炎柱を襲名した杏寿郎は既に耀哉と顔を合わせている。
 私と耀哉は双子なだけあって、瓜二つとまでは言わないが顔が似ているのだ。前世で言う二卵生双生児というやつなのだろう。あまね曰く、独特な雰囲気が特に似ていて、それが相まっているらしい。
 顔を見られれば、ただ似ているのではなく、親族であることに気付かれてしまうだろう。
 それなのに隠しているにも関わらず、杏寿郎と月に三回は必ず会っているのは、耀哉の手引きがあってのことなのだと思う。証拠がどこにもないので、耀哉本人に攻めても、のらりくらりと躱されてしまうだろうが。
 仮に耀哉が引き合わせているとして、何が目的なのだか。
 考えていても仕方が無いので、とりあえず断ることにする。

「それはちょっと、」
「お館様からも、キノエ殿と交流を深めてほしいとの文が届いておりまして!」
「是非」

 いや、是非ではないだろう私。
 耀哉の名前が出た瞬間に反射的に了承してしまった自分に呆れる。
 やはり耀哉が関わっていたか、と小さく溜息をついた。まさかここで証人が出てくるとは。耀哉からの文だと証拠まで見せられてしまった。
 今まで同じ隊士と何度も会うことなんて、一度もなかった。それは私が耀哉の姉であることを隠すためで、どうしても必要にならない限りは同じ人と二度任務を行うことはない。
 ましてや、藤の花の家紋の家へ泊まるときに他の隊士がいたことなんて、今まで一度たりともなかったのだ。
 何度も杏寿郎と会わされてきたが、宿まで同じとはどういうことなのだろうか。今まではある程度融通を利かせてくれていたはずなのに、一体どういう風の吹き回しだ。
 渋々と藤の花の家紋の家へ入ると、鴉から話を聞いていたのだろう。既に食事の準備は整っており、一室へ案内された。
 洗濯を済ませておくと言う家主に甘え、杏寿郎は羽織を預ける。家主の視線がこちらへ移り、少しだけ動揺してしまった。
 私も預けるべきなのだろう。けれど、ここには杏寿郎がいて、被衣を脱げば顔を見られてしまう。
 どうするべきかという一瞬の気の迷いを杏寿郎は察したのだろう。

「申し訳ないのだが、性別も違うことだし念の為、別室で食事を取りたいのだが……。良いだろうか?」

 杏寿郎はあっけからんと笑っていた。
 私に気を使ってくれたのだ。
 正直、助かった。どうしようも無く恐ろしかったから。
 耀哉を知っていれば、必然的に私は耀哉と比べられる。私はそれが、それだけは大嫌いなのだ。
 私は耀哉程立派な人間ではないから、みんなの期待には応えられないし、お館様の姉はこの程度なのかと見くびられてしまうのが恐い。耀哉の名に傷を付けるのも、冷たい目で見られる可能性があることも、恐くて恐くて仕方が無いのだ。
 そんな酷い人間が多くはいないことは知っている。杏寿郎がそんな風に人を見下す人間ではないというのも分かってる。
 けれど、恐いものは恐いのだ。
 でも、ずっと逃げているのは格好悪い。それに隠し事は何れ知られてしまうものだから。
 ふっと息を吐き、覚悟を決めた。
 被衣を脱ぎ、適当に纏めて家主へ手渡す。いつものように微笑み、話しかけた。

「いえ、変えなくて結構です。杏寿郎は不逞を犯すような人ではありませんし、間違いは起こらないでしょう。これはよろしくお願いしますね」

 声を上ずらせながら立ち去る家主を横目に、杏寿郎の背を押して部屋へと入った。
 私の声は震えていなかっただろうか。
 杏寿郎は予想に反して、耀哉に似たこの顔に驚いてはいなかった。それどころか、何故かムッと不機嫌そうな表情を浮かべていて、私は首を傾げる。
 何か気分を害すようなことをしてしまっただろうか。
 ああ、いけない。過剰に反応をし過ぎている。
 彼の名前を呼ぶと、ハッとしたのか苦笑を浮かべた。
 お互い席に着き、杏寿郎は急須からお茶を注ぐ。

「もう少し、気を抜いてください」
「うん?」
「肩の力を抜いて、無理に話そうとしないでください。私は敵ではありません。だから、決して貴女を傷付けたりはしない。」

 ごくり。息を呑む。

「どういう意味」

 差し出されたお茶を受け取る余裕はなかった。
 どうして、突然そんなことを言うの。貴方は一体、私の何を見抜いたの。
 杏寿郎のその声はやけに頭に響き、心を揺らがす。
 素の私はそんなに喋る人間ではない。自分で話すよりかは人の話を聞く方が得意だ。家族の前ではいつも聞き手に回っている。
 言葉が足りないわけではないが、話を広げるのが下手くそで、だからこそ産屋敷の人間として前に立つときはひたすら考えを巡らせている。耀哉の姉として遜色無いように。そういう教育を受けてきた。
 産屋敷の人間であることを隠すにしても、勘づかれてしまったときのために自分からよく話しかけてきたつもりだ。
 けれど、あれ、私は杏寿郎の前で、

「俺の前ではいつも通りの貴女でいてほしい!」

 話し手側に回ったことがあったっけ?





 煉獄杏寿郎にとって、キノエは己よりも強い存在であった。
 杏寿郎が柱となる前のとある任務にて。多くの隊士の命を奪い、剣士としての才のある杏寿郎すらも苦戦させた悪鬼をキノエは容易く打ち倒した。
 人間とはあそこまで強く、気高くなれるものなのか。
 己の父とはまた違った大きな背中。凛々しいその立ち居振る舞いに杏寿郎の心は震えた。
 けれど、何故だろうか。杏寿郎には彼女がまるで、泣くのを我慢した幼子のようにも見えたのだ。
 それに気付けたのはきっと、自分自身も弟のために泣くことを堪えてきたからだろう。杏寿郎は弟のためにいつだって笑っていた。不安を突っ撥ねるかのように。
 ――己よりも強いあの人をお守りしたい。
 それは初めて湧き上がる感情で、あの人から目を逸らすことなど出来なくて。
 どうして泣いているのかは分からない。けれど、苦しいのなら、悲しいのなら。どうか自分の腕の中ですべてを吐き出して欲しいと思った。きっと全てを受け止めてみせるから。
 それは恋と呼ぶには重すぎて、愛と呼ぶにはまだ早い。芽生えたての想いだった。

 杏寿郎は任務後、怪我の確認をする彼女に名前を尋ねたが、のらりくらりと躱され、有耶無耶にされた。仕方が無いので彼女の階級であるキノエと呼ぶことにしたが、納得はいっていない。
 後日。どうも鴉がお節介を働いたらしい。
 お館様に、以前の任務で助けられたためにどうしても本人にお礼が言いたいという名分で、彼女の居場所を教えてもらったと言う。
 その日杏寿郎は自分の鎹鴉に迷惑をかけるなと注意しつつ、高級な肉を与えた。

「キノエ殿!偶然ですね!」
「……!?」

 本当は偶然でも何でもないのだが。
 次の任地へ向かう途中のキノエ殿に話しかけ、色々な話をした。
 家族のことやこの間任務を共にした者、対峙した鬼の話。何処のお店のご飯が美味しかったか。そんな話の中に自分の好みや家族についての話も混ぜ、己を知ってもらった。そうすることで、彼女の家族についても聞き出すことに成功している。後々の為にも、彼女のご家族については知っておくべきだろう。
 ――この男、かなりの策士である。
 キノエ殿は何を話してもちゃんと聞いてくれる。相槌を打つのがとても上手で、気付けばいつも長話してしまっていた。
 そしてお互いの任務のために別れなければならない時。必ず悲しい気持ちになる。
 離れるのは寂しいし、次また生きて会えるかどうかは分からない。
 そんな俺の頭をキノエ殿は撫で、そのまま先に行ってしまった。近くで彼女の顔が見え、小さく、微笑んでいて。
 なんと、なんと愛らしい。今のは完全に幼子をあやすための微笑み方だったが、それでも、あんなにも。
 ぼおっとしてしまった俺を鴉が啄き、ハッとして任務へ向かう。
 そして任務が終わった頃に鴉がお館様の元へ行き、キノエ殿の居場所とそこから程近い任地を伝え。それの繰り返しだ。
 何故お館様がこんなにも簡単に彼女の居場所を明かしてくれるのかは分からないが、きっと何か考えがあってのことだろう。
 お館様も俺と同じく、彼女を危ういと感じている、とか。

「杏寿郎は不逞を犯すような人ではありませんし、間違いは起こらないでしょう。これはよろしくお願いしますね」

 何時も纏っている被衣を脱いだキノエ殿は美しく微笑まれた。
 そして何より、その笑い方には見覚えがあった。そう、あれは柱合会議でお館様が見せた笑みに――。

 今日は珍しく、鴉が手紙を足に巻いて杏寿郎の元へ戻ってきた。
 それを読んでみれば、手紙の主はお館様ではないか。杏寿郎は驚き、手紙を二度見どころか五度見した。
 手紙の内容はキノエ殿と藤の花の家紋の家で食事を取ると良い、とのこと。そして、同じ宿に泊まることにはなるが、合意が無いのなら決して手を出すなと遠回しに伝えるものだった。
 確かにキノエ殿に懸想はしているが、無理矢理に事には及ばない、と思う。多分。
 杏寿郎もまだ歳若いとはいえ、男である。据え膳食わぬは男の恥……いやいや、キノエ殿はそういう意図を持っての行動はしないはずだ。それはそれで全く意識をされていないことになるので、杏寿郎は一人勝手に傷付いた。いや待て。合意さえあればお館様公認の仲になれるのか?それはあまりにも大きな後ろ盾だ。もし彼女とそういう仲になれたのなら、誰も彼女に手を出そうとしないだろう。魅力的である。
 そんなこんなで藤の花の家紋の家に向かう途中でキノエ殿と合流し、辿り着いてからは家主が汚れた服を今預かれるものは先に洗濯しておくと申し出てくれる。
 キノエ殿は顔を見られたくないのか、少しだけ渋っておられたので、助け舟を出した。好いた女性に無理をさせたくはない。いつかその顔を見せてくれればそれで良い。いや、見せてくれれば嬉しいのだが、見せてくれなくともこの想いは変わらないので、どちらでも良い。
 しかしキノエ殿は腹を括ったのか、被衣を脱いだ。
 明るい中、初めてその顔を見た。
 意中の相手であるからというのもあるのだろうが、とても愛らしい顔をしていると思う。真っ黒な髪も瞳も、どれもが杏寿郎の好みだ。何となくだが、母の面影を感じる。
 そして何より。お館様に似ておられた。何処がと聞かれれば悩むが、全体的に似ている。血縁者なのだろうか。
 そんなことは兎も角として、想像以上に彼女の表情がしっかりと見えることに胸が踊った。
 しかし、だ。今のその表情はいけない。取って付けたような仮面は全然幸せそうではない。喋り方だって、何時もは口数が少ない方なのに。
 確かに、作られたその雰囲気はさるやんごとなきお方を前にしているような気さえするし、何も知らない人からすれば心地良さすら感じさせるのだろう。
 だが少なからず、杏寿郎は彼女を理解しているつもりだ。
 普段から気を張っていて、人々の手本となれるような存在になろうと努力されている。困っている人がいると助けずにはいられないが、お礼を言われると少しだけ苦しそうだ。その理由は今はまだ分からない。
 家族のことが大好きで、家族の話を振った時だけはよく喋る。家族自慢をする彼女に同意すると、上機嫌になるのだ。誇らしい家族だが、どうやら弟に劣等感を抱いているらしい。決してそれを口には出さないが、それも弟を傷付けないためなのだろう。杏寿郎にも弟がいるため、想像に容易い。
 甘いものが好きで、金平糖を持ち歩いているらしい。甥っ子や姪っ子にあげるためだとか、任務中に子どもに会った時に少しでも落ち着いてもらうためだとか言い訳をしているが、突然口数が増えるので逆に分かりやすい。
 そう、よく見ていればとても分かりやすい人なのだ。
 口数が増えるのは何かを誤魔化そうとする時。
 だからまたあんな仮面を被って距離を置かれてしまったのが悲しくて、そんなことをさせてしまった自分が情けなくて、申し訳なくて。なんて不甲斐ない。
 けれどそう思ってしまったことが彼女に知られれば、そんなつもりはなかったのだと思い詰めてしまう。
 彼女はとびきり優しい人間だ。本当は人の痛みや苦しみだけじゃない。喜びすらも自分のことのように思ってくれる人なのだ。
 なのに、何かが彼女を縛り付けている。どうしたら彼女は息がしやすくなるのだろう。
 結論。

「俺の前ではいつも通りの貴女でいてほしい!」

 考えても答えは出なさそうだったので、思っていたことを直球で伝えてみた。
 ああ、それと先程彼女に惚れたであろう家主とは少しばかり話をしなければならないな!

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