――花柱、胡蝶カナエが上弦の弐と交戦中。至急救援に向かわれたし。
 カナエの鴉とたまたま出会ったらしいヤシロが叫ぶ。声を荒らげるなんて可愛くない!とよく言っているこの子が叫ぶということはなかなかに不味い状況だということだろう。
 任地へと向かう途中だったが進行方向を変え、ヤシロの案内の元、急いで彼女のいる町へと駆ける。
 家主には申し訳ないが、屋根の上を通ることを許してもらいたい。
 周囲を警戒していると、人通りのない道に気配を感じた。姿を確認すると、ヤシロは近くの木の幹に待機する。もしものときはヤシロには逃げ切ってもらって、情報だけでも持ち帰ってもらわなければならないからだ。
 柱合会議は産屋敷邸で別室から聞かせてもらっており、そこから柱の姿を見て覚えている。だから、あの蝶の髪飾りの女性が胡蝶カナエであることにはすぐに気が付いた。
 もう一人。あの男が上弦の鬼なのだろう。
 桑島のお師匠から教えて頂いたことを思い出しながら、グッと足に力を入れて一直線に鬼の首を狙う――振りをして、片足を切り落とした。圧で被衣が脱げてしまったが、こそっとヤシロが回収してくれるだろう。

「……無惨様?」

 片足を切られたにも関わらず、体勢を崩すことの無い鬼に追い打ちをかける。だが、彼の鉄扇で全て防がれてしまった。本来の目的はカナエとの距離を取らせることだったので、それは成功したため良しとする。
 血が騒ぐ。鬼舞辻無惨に与えられた血の量が多ければ多いほど、その鬼に遭遇すると体がカッと熱くなり、血の巡りが早くなる。産屋敷の血が暴れ出す。
 鬼舞辻無惨は産屋敷家と血の繋がりがある。私の顔と似ているのであれば、男である耀哉は瓜二つなのではないだろうか。冗談でも笑えないな。
 落ち着くために大きく深呼吸をしようとすると、血を吐いて倒れたカナエが必死に情報を伝えようとする。

「こきゅ、う……だめ……」

 即座に理解し、浅くゆっくり呼吸をすることにする。しかし既にあの鬼に接近してしまったためなのか、ごぽりと口から血を流した。
 成程。血鬼術で内臓に傷を付けるのか。なんて厄介な。
 この程度であれば問題は無い。集中し、内臓の出血を止めた。
 辺りを見回すと、鬼の血が全く散らばっていないことに気付いた。いくら強くとも、柱相手に一発も攻撃を喰らわないのは可笑しい。
 となると、血鬼術で血を見えないくらいに細かくして、呼吸の際に吸い込ませているのだろうか。もしそうだとしたら、短期決戦でしか勝ち目がないじゃないか。
 焦りも不安もかき消し、ただ真っ直ぐに敵を見つめる。日が昇るまで後もう少し。自分が生き残り、更になるべく多くの情報を奪い取ることだけを考えよう。この状況で勝ちを狙うのは馬鹿の考えだ。
 あの様子ではカナエは内臓を完全に破壊され、きっともう助からない。ならばせめて、彼女のためにも未来へ繋げなければならない。
 こちらが思考を巡らせている中、鬼は楽しそうに、無邪気に笑う。

「わあ、本当に無惨様にそっくりだね!他人の空似にしては似すぎているよ!ねえ、名前はなんて言うの?あ、まずは自分から名乗らなくちゃだね。俺は童磨だ!」
「……ご丁寧に」

 でもごめんなさい。名乗る気はないの。
 打ち合う。余裕そうな態度を崩さない辺りがとても気に食わない。
 あののんびりした雰囲気にも関わらず、意外と素早いようで体中を切られる。
 だが、私だってそれなりの実力は持ち合わせているのだ。全てかすり傷。どちらかと言えば、内臓の方が危険かもしれない。
 人間、生きるためには呼吸をしないわけにはいかない。
 血を吐き出し、その血に視線を誘われた鬼の背後に回って片腕を切り落とす。
 首を落とせる気が一切しない。カナエがまだ動けたのであれば、勝機はあったのかもしれないが、これは到着が遅れた私が悪い。
 氷で出来た蓮の花が襲い掛かるが、邪魔なだけだと薙ぎ払い、粉々にする。破片が掠り、また血を吐いた。
 押されている。やっぱり呼吸も無しに対応出来るような相手ではなかったか。
 まだ悩んでいるんだ。私が私の使いやすい呼吸を使ってもいいものかと。
 でも、そうだ。
 彼は私と戦いながら、カナエを喰べることを虎視眈々と狙っている。そんなことはさせてたまるものか。せめて遺体だけでも、家族の元に届けなければ。
 体が重い。血が足りない。視界が揺れる。手に力が入らない。
 もう少しで日が昇る。だから、最後のひと踏ん張りだ。
 歯を食いしばれ。決して刀から手を離すな。あの鬼の動きを決して見逃すな。
 一発。胴体に決めてやれ。そうすれば多少回復に時間がかかる。その間に日が昇って逃げ切れる。
 鬼も日が昇ることに気付いて、意識がそちらへ向き始めた。
 待て。焦るな、まだだ。まだ。必ず決める。
 敢えてカナエを狙えるように隙を作ると、それを怪しんだのかほんのわずかだが動きが鈍る。
 ――今だ!間合いを詰めろ!

「炎の呼吸壱ノ型、不知火」

 鈍く輝いた燃えるような刀身。炎の幻想が浮かび上がり、弾ける血飛沫。
 鬼の胴が落ち、お互い崩れ落ちる。
 身体が熱い。心拍数が上がる。
 咳をするたびに血が口から溢れた。それでも意識は鬼に向けたまま決して逸らさない。
 ピキピキと刀にヒビが入る。

「嗚呼、嗚呼!悲しい!ごめんね、救ってあげられなくて」

 御託ばかり並べて。
 鬼の体は徐々に修復していくが、治ったところで日の出が訪れる。そうなれば、鬼は逃げる他ない。

「痛いだろう?苦しいだろう?すぐに楽にしてやりたかったのに……」

 一々癪に障るのに、この男の言葉は全て本音で、こちらを煽るつもりなど一切ないのだ。本心だけど薄っぺらい。しょうもない鬼。まあ、鬼はどいつもこいつもしょうもないのだけれど。
 刀を掴む手にもう一度力を入れ、腕の力で立ち上がる。

「え……まだ立つの?」
「死なない限りは、」

 何度だって這い上がってみせるとも。
 見くびられては困る。これでも死ぬ気で努力をしてきたんだ。誰かに必要としてもらいたいだなんて、不純な動機だったけれど。
 面倒くさい私という人間を耀哉が何も言わずに受け入れてくれて。杏寿郎が全てを認めてくれて。
 だから私はもう大丈夫。世界は明るい。私の未来は定まった。
 こんなところでは死ねない。どうも鬼殺隊を馬鹿にしているようだから、見直してもらわないとね。
 私たちは柔じゃないんだって。

「へぇ、俺の元にいる信者たちみたいに、憑き物が取れたような顔をしているんだね。変な子だ。見た目は無惨様にそっくりなのに、中身は全然違うんだねぇ!」

 信者、ね。新しい情報をどうもありがとう。
 そんな皮肉が思い浮かぶのなら、まだまだ余裕はあるな。大丈夫、私は死なない。
 鬼が私に手を伸ばす。それを反射的に切り落とし、ふらつく体を無理矢理奮い立たせた。
 空が曙色に染まり始める。
 残念だと呟くと、その瞬間、琵琶の音が鳴り響く。一瞬にしてあの鬼の姿は消えてしまった。
 今のもあの鬼の血鬼術なのだろうか。いや、先程まで使われた血鬼術とは何の関連性もない。となれば、別の鬼の力。厄介な鬼がいたものだ。
 上弦の弍はきっと、人で在った頃の記憶を覚えていながらあの性格なのだろう。短い時間だったとはいえ、あんなにぺちゃくちゃと一方的に話されていれば、どんな奴なのかはだいたい理解出来る。
 本当は首を落としてやりたかった。彼女や、彼女の他に殺された人たちの仇を取ってやりたかった。
 怒りも後悔も今は隠す。
 カナエの側へ寄り、口元から垂れた血を隊服の袖で拭ってあげる。女の子なのだから、最期は綺麗なままでいたいはずだ。

「よく、頑張ったね。カナエのおかげで、沢山の命が救われたよ。……ありがとう。もう、ゆっくりとおやすみ」

 頬を撫でると、カナエは涙を流した。

「姉さん!」

 カナエと同じ蝶の髪飾りをつけた少女が駆け寄る。以前話に聞いていた、彼女の妹だろう。二人きりで話したいことがきっとあるはずだ。
 また立ち上がり、ふらふらの体を隠して近くの空き家の壁に背を預けた。そのままズルズルとしゃがみ込む。もう、意識が保てない。
 ヤシロが被衣を咥えて飛んでくる。
 声すらもう出なくなり、頼んだとだけ口で形を作った。
 耀哉に全ての情報を伝えて。貴方にしか頼めない。
 また飛び立ったヤシロを見届け、私は今度こそ意識を飛ばした。
 無一郎、お出迎えが出来なくなってしまってごめんね。
 遂に刀は砕け、刀身は二つに分かれた。

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