完全に傷が癒えるまで、可愛い甥っ子たちの相手をしながら、のんびりとした日々を過ごしていたのが二週間程。脇腹に傷跡が残ってしまったが、後遺症は残ることなく、まだまだ隊士として戦うことが出来そうだ。前世基準で言えば、私は完全に化け物である。治るのが早すぎる。
 少し過保護気味になってしまった耀哉の両頬を引っ張り、無理矢理笑わせた。それが面白かったのか楽しそうな顔になってくれたものの、耀哉の目は何処か寂しそうで、私には抱きしめることしか出来なかったのは心残りではある。
 心配をかけてしまったことは分かっている。これから先も耀哉を不安にさせてしまうことがあるだろう。それでも、今更私には剣士の道以外を歩むことなんて出来ないのだ。
 今日から私は機能回復訓練を受ける。
 充分一人でも生活出来るくらいには回復したため、拠点は自分の屋敷だ。訓練自体は蝶屋敷で受けることになっている。
 蝶屋敷は元々花柱である胡蝶カナエの屋敷であったが、現在では彼女の妹であり継子であった、胡蝶しのぶの物となっている。理由は言わずもがな。しのぶは蟲柱を襲名したと聞いている。
 私が鬼殺隊に誘った宇髄天元も音柱を襲名しており、耀哉は何故だか誇らしげだった。
 姉さんの見る目に間違いはなかった!とでも言いたいのだろう。
 彼を鬼殺隊に誘ったのはこれからの彼らの生活を慮っただけなので、恥ずかしいから止めてほしい。深い意味はなかったのだ。
 屋敷を後にする。蝶屋敷まではそう遠くないので、お手伝いの方に用意してもらったお土産を片手に軽く走る。蝶屋敷へ着いた頃には息切れを起こしており、自分の体力がどれだけ落ちたかを実感した。ただでさえ、目に見えて落ちてしまった筋肉に落胆していたのに。

「もし、どなたか居られますでしょうか?」

 蝶屋敷前で待ち合わせだったのだが、誰も来ることはなかった。数分待ってから開いていた戸口から中に入り、玄関からもう一度声をかけるが返事はない。訪問することは以前から鴉伝いに連絡していたため、留守ではないはずなのだが。
 暫く待ってみると、トタトタと少女がやって来た。髪にはカナエやしのぶとお揃いであろう、蝶の髪飾りが付いている。少女は無一郎より少しだけ年上だろうか。
 少女はにこにこ笑いながら私を見つめると、私の隊服の袖をぎゅっと掴んでぐいぐい引っ張る。案内をしてくれるようだ。
 靴を脱いで屋敷へ上がり、彼女に付いて行く。
 何処か無一郎に似た危うさを感じる少女だと思っていると、少女がとある部屋の扉を叩いた。中から返事が聞こえると、扉を開けてくれる。

「師範」
「カナヲ、どうかしましたか?」

 案内された部屋は診療室だったようで、検査用の様々な器具が置かれていた。
 少女の名前はカナヲと言うらしい。
 そのカナヲは私をしのぶの元まで連れてきてくれたのだが、しのぶはとても疲れた表情をしていた。
 そして私の姿を捉えると、屋敷の主は立ち上がる。

「貴女は……!そう、でしたか。貴女が、お館様の……」

 上弦の弐との戦いの末に意識を失った私に応急処置を施してくれたのは彼女だったと聞いている。多くの隊士が怪我をすればこの蝶屋敷に運ばれる手筈になっているため、私の姿がこの屋敷になかったのは違和感でしかなかっただろう。
 耀哉はしのぶに、内密に隊士として戦っている姉が怪我をしたため、機能回復訓練を行ってほしいと伝えていた。
 これで全てが彼女の中で繋がったことだろう。
 私は彼女に会ったら、どうしても伝えたいことがあった。

「ごめんなさい」

 頭を深々と下げる。
 私の到着がもう少し早ければ、カナエを救うことが出来たかもしれない。私の実力不足だ。せめてあの悪鬼を倒せれば良かったのに。
 謝ったところでカナエが帰ってくることはないし、実際のところ私が悪いわけでもないことも分かっている。
 それでも、どうしても謝りたかった。
 怒りを私にぶつけてくれて良い。向ける場所の無い怒りを鬼殺隊の人間にぶつけて、楽になっている人がいることを貴女も知っているでしょう?
 ここに来て初めて出会ったカナヲも、しのぶも無理をして笑っている。そんなのは苦しいだけだ。せめて、私の前でだけは感情を顕にしてほしい。肩の力を抜いてほしい。

「……気にしないでください。と言っても難しいんですよね、分かります。私も鬼殺隊の人間ですから」

 俯いたしのぶを見て、カナヲの感情が少しだけ揺らいだ。分かりにくい変化だけれど、彼女もしのぶのことを大事に思っているのだろう。
 案内をしてくれたお礼に内緒で金平糖を贈る。お土産を持たせると、察したしのぶが別の部屋へ置いてくるように頼んだ。
 こくりと頷き、少しだけ戸惑った足取りで少女は去る。そして改めて私たちは向き合った。

「怒りはあの鬼に向けています。だから、大丈夫です」

 違う。全然大丈夫なんかじゃない。
 腫れた目を化粧で上手く隠し、心の伴わない笑みで誤魔化している。
 ギュウっと胸が締め付けられた。

「しのぶ」

 彼女はきっと、優しさなんて求めていない。胸の奥底で燃え上がる感情を鎮められることなく、その怒りで奮い立っている。それを否定してはいけないし、するつもりもない。
 家族や友の仇をとるために鬼殺隊にいる人は少なくないのだから。
 触れられたくないのなら触れはしない。ただ実直に彼女を見つめた。

「私はしのぶより、少しだけお姉さんなんだよ」

 だからね、いつでも頼って。胸でも背中でも何でも借すから。貴女の力になると約束する。
 決して口にすることはないけれど、少しでも私の思いが彼女に伝わることを信じて。
 しのぶは一度目を瞑ると、不器用に微笑んだ。そしてこの話は終わりだとでも言うかのように、待ち合わせ時間に遅れたことへの謝罪を述べる。
 しのぶのピンと伸びた姿勢は少しだけ曲がっていた。





 機能回復訓練は恙無く進んだ。
 なほ、きよ、すみ、アオイ、カナヲ。蝶屋敷で働く五人とまずは訓練を行い、体を鍛えた。体が凝り固まっていたり、肺を凍らされた影響で呼吸術を長時間行えなくなっていたりと、時間はかかったが、それでも前のように動けるようになった。何なら基礎を習い直したことで、以前よりも身のこなしが軽くなった気さえする。
 何日か通い続け余裕が出ると、今度はしのぶに相手をしてもらうことになった。その様子をカナヲはじっと見つめている。
 しのぶには鬼の頸を撥ねる程の筋力は無いが、変わりに人よりもずっと素早かった。これは本調子であったとしても彼女に勝つのは難しそうだ。

「そろそろお昼の時間ですよ!」

 アオイの声にピタリと動きを止める。しのぶと顔を見合わせ、休憩に入ることにする。
 パタパタと手拭いを持ったカナヲがこちらへ近寄り、汗を拭ってくれた。お礼を伝えると、少しだけモジモジしてしまうところが愛らしい。そんな彼女の姿をしのぶは幸せそうに見つめていた。
 壁に寄りかかって座っていると、なほたちがお昼を持ってきてくれた。置いておいた袋から金平糖を取り出し、彼女たちに分け与える。いつも何かあるとあげているので、彼女たちからは金平糖のお姉さんと呼ばれている。
 カナヲの手を引いて去っていく彼女たちに小さく手を振った。

「明日から暫く、私は訓練のお相手が出来ないのですが……。代わりの方は決まっていますか?」
「うん、鴉に文を届けてもらってね。杏寿郎と行冥が相手をしてくれるって」

 まあ、他に連絡を取れる人がいないっていうのもあるのだけれど。
 もぐもぐと軽く食事を取りながら、二人きりで話をする。開放された扉から入る風が涼しくて癒される。
 無一郎は自分の屋敷があるはずなのに、未だ私のことが心配らしく、任務の無い日はだいたい私の屋敷で過ごしている。目の届く範囲にいてほしいのか、何処にでも着いてくるのは雛鳥のようで可愛らしい。お風呂と厠へ向かうときは待っていてくれるので、分別はついている。ただ、体が鈍ってしまったから相手をしてほしいとお願いしても、いつも断られてしまうのは何故なのだろうか。

「まあ!お相手が豪華ですね」
「そう?……ああ、みんな柱を襲名しているから」
「ええ。悲鳴嶼さんや煉獄さんとは長い付き合いなんですか?」

 首を傾げるしのぶの質問に今まで気にしたこともなかったが、改めて思い返してみると彼等と出会ったのはかなり前の話だと認識し直す。
 特に行冥は耀哉の成長期が終わった辺りに出会ったのが最初で最後。次に会うときには私も随分大人っぽくなったと驚いてくれるかもしれない。
 杏寿郎とは文通をしているが、怪我をしてからは一度も会っていないので、次に会った時には口煩く言われてしまいそうだ。そういう仕事であったとしても、彼はとても心配性だから。

「煉獄さんが口煩い……?」

 何か可笑しなところでもあったかと、今度はこちらが首を傾げる。
 何度も会っていれば、嫌いな性格でもない限り打ち解けていくもので。しのぶとも随分距離を縮めた。言いたいことは何でも言ってくるし、何より遠慮をしてこない。許しているのは私だけれど、なかなかの胆力だ。
 見た目も口調も女の子らしいのに、中身は実に男らしい。負けず嫌いで責任感もあり、人と誠実に向き合える。けれどきっと、身内には誰よりも甘い。それが胡蝶しのぶという鬼殺隊士なのだろう。
 杏寿郎からは意識不明である間にも多くの文が届いており、それは隊士としての私を讃える内容から始まっていた。誇りに思うとも。けれど、ただの私という人間に対しては無理をし過ぎだとのお叱り言葉が。
 上弦が相手でその大怪我であれば、貴女ならば敵わないとすぐに気付いたはずだ。それでも情報を引き出そうとして撤退はしなかった。何故、撤退という選択肢を選ばなかったのか。もしもの事があったらどうするつもりだったのか。重体であると聞いた俺の気持ちが分かるか?など耳の痛いことを。一通り文句を書き終えてスッキリしたのか、その後はいつも通りに任務や美味しいご飯についての話が綴られていたが。……たまに含みのある内容があったことは無視して。
 撤退。選択肢としては存在していたのだろう。けれど、きっとあの場ではカナエを連れての撤退は不可能だった。だからこそ、その考えが浮かぶ程、私は非情な人間ではなかった。ただそれだけの話だ。
 人助けをする時。助けた後に自分が周りからどう見られるかを先に想像してしまい、下心がある様でお礼の言葉を貰うのが辛かった。しかしあの瞬間。私はカナエの遺族に感謝されるために動いたのではなかった。だから、そうだ。もしかしたら私は自分で思っているよりもずっと、良いヤツなのかもしれない。
 杏寿郎からの手紙の内容を当たり障りの無い程度に話すと、しのぶはぽつりと呟く。

「文通、金平糖……」

 じぃっと見つめられる。

「黒い髪に瞳……心地良い雰囲気」

 一通り何かを考えた後、ややあって閃いたとばかりにしのぶは微笑んだ。突然の年相応の笑みにこちらが動揺してしまう。

「しのぶ?どうかしたの?」
「どうもしませんよ。……私は、ですけど」

 全く持って意味が分からないが、しのぶが楽しそうだから良いか。そう思い、私も笑い返したのだった。

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