「ああ、おかえりなさい、槇寿郎さん」
「……は?」

 杏寿郎たちが私と槇寿郎さんが釘合わせないように手を回していたことには気付いていた。粗相が無いようにだとか、私に向かって酷いことを言わないようにだとか、色々心配していたのだろう。その気持ちを汲んで、私自身何も気付いていないふりをしていた。
 でも、私が帰ろうとしていたところにたまたま槇寿郎さんが帰ってきてしまったのなら、これは仕方の無いことだよね。
 玄関先で昔のように軽く話しかけると、カッと目を見開かれた。
 対して杏寿郎は私が槇寿郎さんの名前を呼んだことに驚き、千寿郎は釘合わせてしまったことに体を固まらせていた。

「な、何故、ここに……!」
「ち、父上!これには深い事情が……!」

 慌てる千寿郎の前に腕を出し、口出しは無用だと合図。そうして、私自身は槇寿郎さんに向き合った。

「大怪我を負ってしまったので、鈍った身体を鍛え直してもらっていて」
「だからと言って、何故家に……!」
「杏寿郎と私が友達だから」

 フフンと自慢する。どう?今の私は槇寿郎さんより杏寿郎と仲が良いんだ。羨ましいでしょう?
 口をパクパクさせ、眉間に皺を寄せたかと思うと、グッと押し黙って家へと上がっていく槇寿郎。言いたいことは沢山あったようだが、お互いの立場を考えて諦めたようだ。
 こうしてちゃんと冷静になれるのに。

「いつまでもそのままで良いの?」

 槇寿郎はピタリと足を止めた。

「……関係ないだろう!」

 振り返らずに叫ぶ。そのまま買ってきた酒を持ち、奥へと消えて行った。
 きつい物言いだったけれど、誰かがそう言ってあげなければ槇寿郎さんは吹っ切れない。既に自責の念に押し潰されてしまいそうなのだろうが、杏寿郎と千寿郎の父親で、私の師匠の一人だ。きっと立ち直れる。
 それが何時になるのかは分からないけれど、酒に逃げる日々はいつか終わるだろう。
 この場に蜜璃がいたのなら、私も空気を読んで物申してやることは出来なかったが、今日は任務で蜜璃が来ていなかった。だからこそ伝えられた。
 今日で杏寿郎の元でお世話になるのは最後。蜜璃に会えないのは寂しいけれど、ある意味運が良かったのかもしれない。
 黙りこくったままの杏寿郎の肩を正面から掴み、そのまま両頬へ手を伸ばした。

「大丈夫」

 様々な思いや感情が杏寿郎の内を巡っている。ほら、眉間に皺を寄せた顔が槇寿郎さんにそっくりだ。
 でも、大丈夫だからね。何があっても杏寿郎なら大丈夫。私も貴方を助けるから。
 自分で自分に言う大丈夫と、人から言われる大丈夫は重みが違う。だから、杏寿郎に悪い印象を与えないように自分でも吃驚するほど優しく伝えた。
 次に不安そうな千寿郎の頭を撫で、安心させるように微笑む。

「今日までお世話になりました」
「……ああ」

 杏寿郎から絞り出された声。別れを惜しんでいるのだろうか。
 俯いたままの杏寿郎の頭も撫でてあげた。最後に深々と頭を下げ、帰路に就く。
 複雑な家庭環境なのは杏寿郎たちも一緒か。これ以上は変に口出ししないようにして、槇寿郎さんとの関係について、杏寿郎たちには手紙で伝えることにしよう。
 腰に差した刀の鞘を一撫でし、歩く速度を上げた。





 正午。私は今、滝行を行っている。
 正直に言おう。どうしてこうなったのかも分からなければ、とても寒くて今にも逃げ出したい。
 けれど、それは私の矜持が許さないから。
 心頭滅却。これも人々を守るための力の礎となる。故に耐えろ、私。
 隣で経を唱えている行冥は余裕そうである。この状態でよく口を開けるなぁ。
 耀哉から指定された日時にとある山へ向かい、そこで行冥と二三言交わすと着替えを渡され、そのまま滝行である。あまりにも言葉が足りないが、これはもう察してあげるしかないのだろう。
 目を閉じて集中し、そのまま暫くすると行冥に抱き上げられた。近くの岩の上に座らせられ、手拭いと水を差し出される。行冥の口がパクパクと動いているのが見えた。
 ああ、なるほど。
 受け取り、水をゆっくりと飲む。

「聞こえますか……?」
「うん、聞こえるよ」

 どうやら意識を飛ばす寸前だったらしい。徐々に麻痺した体が元に戻り、耳もしっかりと聞こえるようになってきた。それと同時に酷い寒さに襲われる。
 行冥が羽織を貸してくれたので、そのまま体に巻きつけた。温い。私と行冥では体格差があるので、全身を羽織で包むことが出来た。
 やり過ぎてしまったと反省しているのか、いつもはピンと伸びた行冥の背筋が丸まってしまっている。気にしなくても良いと言っても、行冥は気にしてしまうのだろう。
 立ち上がり、わしゃわしゃと頭を撫でた。

「随分と大きくなったね」

 こういう時は話を逸らすに限るのだ。私がよくやる手口である。
 身長がまた少し伸び、何より筋肉がよく付いた。こんな男の人が助けに来てくれたのなら、鬼に襲われた誰も彼もが安心しきってしまう。
 初めて会った時は身長の割に痩せていると思っていたのに、随分と大きくなったものだ。感慨深い。
 撫で続けていると、恥ずかしさからか頬を染め、涙を流す行冥。それを先程貰った手拭いで拭いてあげると、涙の量が増えてしまった。

「こら、行冥はまだ何も飲んでいないんだから、脱水症状を起こしてしまうよ」
「南無……」
「南無じゃない」

 言ってる場合か。
 私が口をつけたもので悪いけれど、と先程貰った竹の水筒を手渡すと、首を横に振られて差し出した手を押される。嫌だったかと尋ねると、そういう問題ではないと焦ったかのように叱られた。
 岩陰に置いておいた水筒を取り、行冥も水を飲む。
 岩を境にお互い隊服に袖を通した。二人で手分けをして火を起こし、掴み取りした魚を焼く。火を囲み、座り込んでゆっくりと話をする。

「そろそろ任務に復帰されると聞きましたが……」
「うん。刀が届いたらの話だけど」

 上弦の弍との応戦後に刀が折れてしまったので、担当の鍛冶師にお詫びの手紙と品物を隠に届けてもらった。何故か私は担当の鍛冶師に会わせてもらえないらしく、隠が持ってきてくれるのを待つようにと耀哉に言われている。
 たまたま他の隊士に刀を届けに来ていた別の鍛冶師に尋ねてみたが、私の鍛冶師に対して癇癪持ちやら中身が子どもやら、なかなか辛辣な言葉を発していた。一体どんな人なのだろうか。鍛冶師としての腕に間違いはないとも聞いたので、そこは彼の刀の使い手としても信用している。
 パチパチと音を鳴らす炎。行冥との会話は言葉数が少ないこともあって、心地良い。

「お館様から言付けがございます」

 耀哉から?一体何を。
 人に頼むだなんて、らしくない。それはつまり、自分の口からは言い難いことだということ。
 自然と背筋が伸びる。

「上弦の鬼との交戦時、痣を発現させていたそうです」
「……痣?」

 それはあの、始まりの呼吸の戦士たちの物と同じ痣なのだろうか。
 仮にそうだとして、それは良いことではないか。鬼舞辻無惨を滅するために痣の発現は必要なことだと、耀哉と話したあの時に結論づけた。
 早鐘のように打たれた心臓が痛い。ああ、嫌な予感しかしない。
 しかし行冥の様子を見るに、彼は痣について何も知らないのだろう。まだ知らない、というのが正しいか。
 平然を装い、伝えてくれたことについてのお礼を述べる。
 誰かと一緒に食べるご飯は美味しい。しかも今回は修行の後だ。特別幸福感を味わえるはずだったのに、食べた魚からは何の味もしなかった。

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