壱
「只今帰り……どちら様?」
行冥との訓練後、明らかに気落ちしてしまったのを隠して自らの屋敷へ帰ると、居間にお客が通されていた。
会ったことの無い人だ。
傷だらけの身体が見ていて痛ましい男性。目付きは鋭いが、恐ろしくは感じない。
お手伝いさんがお茶とお萩を出し、話しながら待って頂いていたようだ。お手伝いさんは誰が相手でもお喋りなので、大分肝が据わっている。
私が帰ってきたことを確認すると、お手伝いさんは席を外した。
「……風柱、不死川実弥と申します」
深々と頭を下げて名乗られる。
風柱。特殊な稀血の子か。己の血すらも利用して、鬼を討つ男だと聞いている。
成程。それでやけに傷が多いのか。
「お待たせしてしまってごめんね。耀哉に何か頼まれた?」
跪いた実弥に頭を上げさせ、こちらも座布団の上に座る。
反応の薄い彼に明後日の正午、産屋敷邸へ向かうように告げられた。それに返事をし、首を傾げる。
彼はもっと荒々しい人だと思っていたのだけれど、違ったのかな?
それとも彼の身に何かが起こって、それで元気がないのだろうか。
自分より明らかに様子が可笑しい人がいると、そちらに意識が向いてしまう。もしかしたら、それすらも耀哉は狙っていたのかもしれない。
湯呑みが空になっていることを確認し、立ち上がる。
「裏山へ行こう。実弥もおいで」
声を掛けても動かない実弥に耐えきれず、腕を引いて裏山へと向かった。
自分の屋敷を建てるに当たり、私は一つだけ我儘を言った。それは茶室が欲しいというもの。普段から他称無欲な私の我儘に誰よりも耀哉が喜び、ならば裏山ごと産屋敷家の物から私一人の物へと譲渡しようと考えてくれたのである。屋敷内に茶室を造ろうとしていた私は驚いた。まさか茶室だけの建物を造ろうとするだなんて。そんなこともあり、耀哉は定期的にお茶を贈ってくれている。
裏山自体整備が整っており、ちゃんとした道が出来ている。普段から呼吸を続けている者同士のため、ものの数分で茶室に到着した。
近くには池があり、杜若が咲き誇っている。
鍵を開け、実弥を茶室の中へ招き入れる。
「作法は気にしなくて大丈夫だから、肩の力を抜いてね」
本来、武器を茶室に持ち込むのは無粋である。しかし私たちが相手にしているのは人ではなく鬼だ。鬼に常識など通用しない。だからこそ、この場だけは日輪刀の持ち込みを許可している。
カコン。外の獅子脅しが鳴る。
お茶を点て、実弥の元へ。
「……美味い」
思わず漏れた声。大きな目が更に見開かれる。
嬉しくて小さく笑うと、罰が悪そうに顔を逸らされてしまった。
先に出していたお茶菓子は落雁。そのため、普段であればお茶は甘さを控えめにするのだが、実弥は甘い物が好きそうだったため、苦味の少ないものを選んだつもりだ。口にあったようで何より。
自分の分も点て、無理に話さずにのんびりとした時間を過ごす。
徐々に実弥の肩の力も抜けてきた。
「言伝、伝えてくれてありがとう」
「いえ」
短くとも必ず返事をしてくれるのは彼の性根が真面目だからであろう。
黙っていても居心地が悪くない。それどころか良い気分だ。波長が合うのかもしれない。
だからこそ、つい本音を漏らしてしまった。
「耀哉は大事な弟。だから、耀哉の元には鬼を絶対に来させないと決めたの」
「分かります」
即答だった。彼にも弟か妹がいるのだろう。若しくは双方か。
守るために戦う。守るためには戦うしかない。悲しいことだ。
夕暮れ。日が沈む。そろそろ実弥は任務へと向かわなくてはならない。片付けをしよう。
屋敷で茶器は洗うため、風呂敷に包み、ポツリと思いを漏らす。
「耀哉のために、生きて、戦い続ける」
その私の庇護すべき対象が、自らを犠牲にしてまで鬼舞辻無惨を討とうとする日が訪れてしまうかもしれない。それが私は恐ろしい。
でも、きっとそれは産屋敷に生まれた私たちの宿命だから。
産屋敷の御先祖様は鬼舞辻無惨のせいで早死しているようなものだ。だからこれは仇討ち。全ては家族のために。
盲目過ぎて可笑しいと叫び出してしまいたくなるけれど、言える立場でないのも辛いものだ。
◇
「あなた、どこの子?」
数日後。耀哉と改めてこれからについて話直そうと邸宅へ来た矢先、真っ白な蛇が床を這い、ご機嫌そうに近付いてきた。
爬虫類が苦手ではない私はしゃがんで蛇をジッと見つめる。
シューっと鳴き、体を持ち上げる蛇を支えようとして手を差し出すと、そのまま腕に巻き付かれてしまった。ちろちろと舐めてくるのが可愛らしい。
明らかに人馴れしているので、野生の毒蛇ではないだろう。仮に毒があったとして、呼吸法で毒の巡りを遅くすれば何とかなるため、特に気にはしない。……どんどん超人への道を歩いているな。
「鏑丸!」
少し遠くから呼び声が聞こえてくる。その声に反応して、蛇は鳴きながら体を揺らした。
「……鏑丸?」
「シュー!」
この蛇、賢すぎやしないだろうか。
そういうことならばと、耀哉の元へ向かう前に鏑丸の飼い主の元へ向かうことにする。それに気付いたのか、しゅるしゅると移動して首に巻きついてきた。
ひんやりしていて、ぶるりと体を震わす。
咄嗟に離れようとした鏑丸に生理現象だから、気にしなくて良いんだよ。そう言って歩き出す。
先程聞こえた声の主はよく柱合会議が行われる庭にいた。
黒い髪に左右で違う瞳と色。口元を覆う包帯。
気落ちして頭が回らなくなっていたようで、察しが悪かった。本来ならば鏑丸と出会った時点で彼の飼い主には気付けていただろうに。
顬を軽く叩く。シャキッとしろ、私。
靴は玄関にあるため、履かないまま庭へと降りる。
「蛇柱、伊黒小芭内」
「……!鏑丸!」
名残惜しそうにしながらも小芭内の首へと移動した鏑丸は私の顔色を窺っている。
「鏑丸を保護してくれたことは感謝する」
「構わないよ、暇だったから」
「暇だと?」
小芭内の目付きが変わる。
「お館様の元で?暇?」
「今日は私が待たされている側だから」
小芭内は何かを言おうとして口を閉じた。じぃっと此方を見つめたまま、何かを考えているようだ。何となく逸らしたら負けな気がしてしまい、私も彼を見つめ返してしまう。
沈黙。
それに耐えられなかったのは私でも小芭内でもなく、鏑丸だった。
私たちの間に鏑丸が顔を覗かせたので、恐る恐る頭を撫でてあげる。蛇を撫でるのは初めてなので嫌がられないか、触り方は間違っていないかと不安だったが、杞憂だったらしい。鏑丸は擦り寄ってくる。
小芭内は少し戸惑った様子だ。
「……キノエ殿?」
「どうして知って……また杏寿郎?」
「……!煉獄家には暫く、お世話になっていた時期がございまして」
突然態度が堅苦しくなり疑問に思う。けれどきっと、細かい事情があるのだろう。余計なことかもしれないため、本人には聞かないでおく。
杏寿郎が広め、蜜璃やしのぶ、それに小芭内まで私をキノエと呼ぶ。元々は階級の甲であるため、最近では合同任務で甲の階級の者と呼ばれただけで、過剰に反応してしまうようになった。
正直もう、杏寿郎たちに名前を隠す必要は無い。
でも。でもである。
産屋敷の娘である私の名前は自分の名前だとはどうしても思えないのだ。と言うのも、薄れていく前世の記憶の中で、私が今の名前で呼ばれていたとは一切感じることがない。
つまり、今世と前世で名前が違う。そのくせ、前世の己の名前は覚えていない。
面倒なことになっているのである。
今ではキノエを渾名と認識し、呼ばれ慣れてしまった始末。どうしてこうなった。
「どうかなさいましたか?」
「……ううん、なんでもないよ」
いけない、また考え込んでしまった。
「霞柱、いるよね?あの子、私の弟子なんだ。変わっているけれど悪い子ではないから、よろしくね」
少しだけ師匠らしいことを言い残し、小芭内の手に金平糖を握らせてから別れる。鏑丸はきっと食べられないけれど、これくらいしかあげられるものを持っていないから許してほしい。
行儀は良くないが、汚れてしまった足袋を脱いで縁側へ上がった。
これは鏑丸だけが見ていたのだが、金平糖を口に含んだ小芭内は仄かに微笑んでいたのだとか。
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