参
――逃げる、逃げる、逃げる。
宇髄天元は忍であった。忍の一族に生まれ、長いこと洗脳されるかのように教育されてきた男である。
無理な訓練や任務で多くの兄弟を亡くし、何時しか今の自分は間違っているのではないかと気付いた。
十五の時に嫁いできた女を三人引き連れ、里抜けを決心したが、そんなことは到底許されることではない。追っ手が迫る。
しかしその追っ手が突如、何者かに一瞬にして殺され、喰われてしまった。
あれは人ならざるものだ。
天元も三人の嫁もすぐに理解した。
嫁の腕を掴もうとした化け物の腕を切り落としたが、何事も無かったかのように再生してしまう。こんなやつに勝てるわけがない。
だからと言って、生きることを諦めて堪るものか。
四人で幸せになると決めたのだ。いや、それが出来なくても、何がなんでも嫁達だけは生かしてやる。殺させてなんか、喰わせてなんかやらねぇ!
化け物と対峙する。
時間稼ぎぐらいなら出来る。だからどうか、お前達だけは逃げてくれ。お前たちが陽の当たる場所で笑顔でいてくれる。それだけで俺は幸せになれるから。
化け物の爪先が天元の顔に伸び、嫁達が彼の名を悲痛な面持ちで叫ぶ。
「よく、耐え抜いたね」
瞬間、化け物の腕が切り落とされた。
ふわり、と目の前に人が舞い降りる。
その人はただ静かに、殺気も放たず、瞬きの合間に化け物の首を切り落とした。しかし天元はその人に、確かに強烈な赤を見た。振り返る。
身長や線の細さからして女性であろう。しかし、被衣で月明かりから顔を守っており、夜目が効く天元でも顔立ちはあまり分からない。被衣の下は洋服で、学生服の様だった。ほんのりと花の香りが漂う。これは藤だろうか。
頬に触れられた。
「よく頑張ったね。……思ってくれる殿方と共にいられて、貴女たちは幸せ者だ」
前者は天元に、後者の言葉は嫁達にかけた。けれどそれは、ここにいる四人全員が欲しかった言葉で。
彼女の声は心地が良く、するりと心に染み込んでいく。
嫁達の泣き声が聞こえる。傍にいかなくては。
化け物が死に、安心感からか足は動かしづらくなってしまった。
天元がこちらへ来ようとしていることを察した嫁達は、天元の元へ駆け寄った。
「四人とも、行く宛ては?」
「……いいえ」
嫁達を宥めていた天元は答える。
「そう。なら、鬼殺隊に入隊するのはどうだろう?入隊試験に受かれば、お給金も貰える。ただそれは鬼を……先程の化け物を狩ることが条件ですが」
バサッ。鴉が彼女の腕に止まる。耳元で何かを囁いた。
突然何かを思い出したかのように丁寧な口調で話し始めた彼女は鬼殺隊について軽く説明をし、天元の返事を待つ。
被衣をはためかし、凪いだ瞳で見つめられた。
人を喰らうあの鬼を狩れば、俺達は罪を償うことが出来るのだろうか。
「俺達は忍で、人を殺したことがある。鬼を狩ればその罪は償えるのか」
彼女に尋ねた。その答えを彼女ならば知っているような気がしたからだ。
視線がかち合う。
「どんな罪も、そう簡単に償えるものではありません。……償えるかも、分からない。けれど鬼殺隊に入隊すれば、人を殺めたことのある貴方たちが、人の命を守る存在となる。それはきっと、何かが変わる切っ掛けとなるのではないでしょうか?」
最終的にどうするのかを決めるのは貴方たちであって、私ではない。よく考えると良い。
彼女は決して、否定も肯定もしなかった。
しかし逆にそれが、生々しく彼女の思いを伝えてきて、
「入る」
いつの間にか天元はそう呟いていたのだった。
人を殺めたことのある自分は鬼がどのような手を使って来るのか、人よりも察しが良いはずだ。
戦いに慣れているということが、鬼殺隊に入れば良い方へ見られる。
人を傷付ける以外の道を多く知らない天元達にとって、とても都合も条件も良い場所だった。そこでなら、人と人との関わり方を知ることだって出来る。そうすればきっと、天元達は普通の人間にまた一歩近付けるのだ。
日が昇り始める。
恩人の腕に乗る鴉は黒ではなく、真っ白い毛並みをしていた。
「すみません、私はもう行かなくては。これから全身に黒い服を纏った、鬼殺隊の隠という子たちがやって来ます。その子たちに手当をしてもらってくださいね」
「あ?おい!」
シュンっと目の前から姿を消す。あまりに素早い動きに目が追いつかなかった。
「手当ヲシテモラッタラ、東ノ山ヲ越エナサイ!夕方ナラ、アンタノ育手ト会エルワヨ!」
「か、鴉が喋った!?」
「何ヨ!喋ッタライケナイワケ?」
白い鴉が天元を啄く。怪我人相手でも容赦が無い。
恩人の言う通り、黒い服の人間がこちらへやって来る姿を見ながら、天元はこのたった数分を思い返した。
――あの女、派手だったな。
ド派手な登場に去り方。着ていた服は彼女の雰囲気に合っていて、簡素な柄だったが派手だった。
ただ一つ、あの人間という生き物のお手本の様な態度だけは地味だったが。
派手、良いな。地味よりもずっと良い。
陽の光を浴びながら、宇髄天元は己の未来を想像した。
◇
日が昇り、隠の子たちに顔を見られてしまうことを避けるためだったとはいえ、あの四人には無責任なことをしてしまった。
本来であれば、ちゃんと私が育手の元へ案内しつつ、鬼殺隊について詳しい説明をしなければならなかったのに。傷の手当だってしてあげられなかった。
私の担当である隠は私の正体も知っているけれど、今回は任地へ向かう途中にたまたま助けただけだったから。既に私の隠は任地で軽い情報収集を行ってくれていることだし、近くの隠をヤシロに急いで呼んできてもらったのだ。
それに、真面目な質問に大分フワフワとした回答をしてしまった。あんな質問をされても、私には答えられない。耀哉であれば、きっと……。
近くにいる育手に私からの紹介であることを伝えるようにヤシロに頼んだは良いものの、やはり申し訳ないことをしてしまった。
ところでこのヤシロ。ヤシロ自身に名前を付けてほしいと頼まれたことがあったのだが、あの時はお腹が減っていたため、白米以外に何も思いつかなかった。そのため、見かねたあまねが名付け親である。ちなみにあの子はオスだ。正真正銘の男の子である。閑話休題。
申し訳ないと思っていても、忙しい日々を過ごしていれば、いつの間にか忘れてしまうもので。
彼らについて思い出したのはそれから一年程経ってから。
宇髄天元が最終選別に受かったことを耀哉から聞き、そういえばそんな人もいたなぁ、と。
彼女という人間は実にさっぱりしている。
鬼殺隊の人間は自分の片割れの子ども。それ以上でもそれ以下でもない。
耀哉の子だから、助けられるのであれば助ける。それだけだ。
良識はある。けれど、彼女は耀哉程慈愛に満ちた人間にはなれない。
会ったことも無い隊士が亡くなり、胸を痛めることなんて一切なければ、お墓参りに毎日赴くだなんてことは考えられない。それは可笑しなことなのだろうか。
彼女と耀哉は完全にとは言えないが、同じ教育を受けて育ってきた。けれど、彼女には赤子の頃から既に自我があった。だから揺さぶられる。
自分が異常で、耀哉の成すことが常識なのではないかと疑心暗鬼になる。産屋敷というだけで関わる人間が限られていたことが、幼かった彼女の世界を狭めていた。
しかし、産屋敷耀哉は姉は何も間違っていないのだと受け入れた。
そういう人間だっているよ。
それだけで片付けてしまったのである。懐が深いと言うか何と言うか。
幼い頃の耀哉は姉にべったりで、兎に角ずっと一緒にいた。寝る時は手を繋ぎたがったし、遊ぶ時も学ぶ時もずっと隣が良かった。そしてそれを可愛いからと受け入れてしまう姉。
要は二人、お互いのことが大好きで、何をしても大概のことは許してしまうのである。
生まれた時から隣にいて、お互いの片割れだと言われて育ってきた。多少可笑しな言動をしても、疑う余地がない。
だって、片割れのすることだし。巡り巡って自分たちのためになるよね。少なくとも害はないさ。
心の何処かでそう思っているのだ。
そのせいで、双子の姉は弟に依存気味なのだが。
本人にその自覚はある。あっても、どうすることも出来ない。心の拠り所が耀哉しかないからだ。
彼女は転生者である。今より進んだ未来を生きていた過去が確かに存在する。そこでの常識とここでの常識は大きく違っていて、それが彼女を深く傷付けた。
その傷すらをも包み込んでしまったのが、双子の弟である耀哉だ。しかし、包み込んだだけでは傷は癒えない。
きっと彼女には心から語り合える友、若しくはそれとは別に、甘えることが許される特別な人間が必要なのだ。
この双子は多くを語らない。お互いがすることに間違いはないから、何をしたいのか分かっているから、そんな時間は必要のないものだと思い込んでいる。
そして何より。話し合えば話し合うほどお互いの違いに気付き、心が離れていってしまうと危惧していた。そんなことは無いと信じたいけれど、双子はお互いに関しては少しばかり臆病だ。
産屋敷耀哉は捜していた。姉は気付いていないが、姉には家族以外に共にいて、心安らげる存在が必要なのだと。耀哉にとってのあまねや息子達のような愛おしい存在が。
人間には自分のことを認めてくれる相手の他に、理解をしてくれる人だって必要なはずだから。
分かるから、信じているから。それだけではまだ足りない。姉の心の穴は塞げない。
耀哉は双子の片割れだからと言うだけで、無条件で全てを許容してしまう。だから、姉の内面を全て理解しているわけではない。
姉が誰かに甘える姿も、赤ん坊の頃以外に泣く姿も、見たことがない。声を荒らげる姿なんて知らない。
きっと弟では駄目なのだ。これから先、一生弱った姿を見ることはないのだろう。
両親を早くに亡くし、姉は耀哉に安心感を与える存在になろうと努力していた。同い年であるのに親代わりになろうとしていた。そんな相手に弱味なんて見せられるわけがない。
彼女が素直に甘えられる相手は出来るのだろうか。
――産屋敷邸にて。
一羽の鴉を飛ばした耀哉は姉のことを思っていた。
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