「姉さん、おかえりなさい」
「ただいま、耀哉。みんなも」

 うー!と耀哉が抱いていた甥っ子がこちらへと手を伸ばす。それに応えるため、刀を置いて抱き上げてあげる。
 行冥との任務後、産屋敷邸へと帰ってきた私を耀哉は自分の奥さんと子どもと共に出迎えてくれた。

「なかなか帰って来られなくて、ごめんね」

 耀哉からの任務とは言え、生まれて一年も経たない子どもたちの世話をするのは大変だろう。
 これが一人だけならば、たまに私が子どもを預かり、夫婦の時間を作ってあげられれば良かったのだろうけど、実際には耀哉たちの子は五つ子。二人だけで面倒を見ることは難しい。
 だからと言って、産屋敷は鬼殺隊の中核。一般人を雇うことは出来ないし、隊士たちは鬼を狩る仕事がある。そうなれば、一番都合の良い人間は耀哉の姉である私だろう。
 隠の子たちもよく働いてはくれているが、お館様の子ともなると、恐れ多くて接しにくいらしい。
 耀哉の結納の前、私は新しく別邸を建てて、そちらで生活を送ることにした。夫婦の時間を邪魔するだなんて、野暮なことはしたくない。けれど最近は子どもの面倒を一緒に見るため、自分の家に帰ることは少なくなってしまった。
 子どもたちはみんな大人しい良い子たちなので、三年程でまた、任務の報告以外で帰ってくることはなくなるだろうけれど。
 ハイハイをしながら近寄ってくる姪っ子二人を撫でてあげると、正座をした足に擦り寄ってくる。可愛いなぁとホワホワしていると、あまねさんがお茶を入れてくれた。
 抱いていた甥っ子の輝利哉をあまねさんに預け、一口。美味しい。

「数日前、行冥から鍛治の里へ行く許可が欲しいと文を貰ったよ。姉さんについても書かれていた」
「私についても?」
「共に任務へ赴いた隊士へ、お礼を伝えておいてほしいのだそうだ」

 私が何者であるのかを聞かない辺り、行冥は本当に察しが良い。

「私は何もしてないよ」

 耀哉に行冥と会ってほしいと言われたから、あの任務を遂行しただけにすぎない。
 行冥は階級が上がるに連れ、異様に負傷する回数が増えてしまっていた。一度、今の行冥よりも下の階級の子に任せる予定であった任務を託してみたが、大怪我を負ってしまったらしい。
 少し前までの行冥であれば、傷一つ負わなかったはずだ。これは可笑しい。
 報告書を読んだ耀哉は行冥の身に何か異変が起こったのかと、治療中の行冥を注意深く観察してみたそうだが、何も分からなかった。そこで私の登場というわけだ。
 私生活に問題が見当たらないのなら、鬼狩りの最中はどうだろうか。
 鬼を狩っていく毎に、恐怖心が顕著になる者もいる。呼吸が自分に合っていないことに気付かず、使い続けてる者も。そんな人たちが戦場にいても、死んでしまうだけだ。
 呼吸は刀の色を見ればだいたい分かるが、抜刀を許可されてもお館様の前でそれをするのはとても勇気のいる行動だ。
 だから、戦場で私が判断する。現場で戦うことの出来ない耀哉の代わりに私が調べる。これも本来、耀哉が自身でやりたかったことだ。
 産屋敷の当主を支えることこそが私の使命。生きる理由である。
 幼い頃からそう教育されてきたけれど、前世の知識のある私には難しかったのかもしれない。
 人には選択の自由があることを知っていた私には。
 しかし、それは耀哉が私の双子ではなかった場合の話だ。
 双子だからなのか、思考回路が驚く程に似ている。お互いが何を考え、何をしようとしているのかが手を取るかのように分かるのだ。
 だから両親が私の子どもの振りに騙されてくれても、耀哉は騙されてくれなかった。
 けれど耀哉はそれを口に出すことは一度もなかったし、私の見た目と中身がちぐはぐでも、これから先も沈黙を保ってくれる。
 私がそういう一人の人間なのだと認めてくれているのだ。
 その上で欲しい言葉も何もかもを与えてくれる耀哉を愛さないわけがない。
 可愛い可愛い私の弟である。

「……姉さん、人がいるから」

 なら、人がいなければ頭を撫でてもいいんだね?
 お館様の耀哉もかっこよくて好きだけれど、私の弟である耀哉も大好きだよ。
 少し困った顔をした耀哉を笑った。すると、ソワソワしたあまねさんが近付いてきて、私の横にちょこんと座る。
 どうしたの?と尋ねると、口をパクパクさせてから黙り込んでしまった。
 そんなあまねさんの姿を見て、耀哉が頑張れと声をかける。どうやら、耀哉は何か知っているらしい。
 ゆっくりと待っていると、彼女にしては珍しく小さな声で呟かれた。

「私のことも撫でてはもらえませんか……?お義姉、さま」

 ああ、なんだ、そんなことなの。そんなに緊張しなくてもいいのに。

「もちろんだよ。……あまね」

 前言撤回しよう。実際に呼んでみると、思っていたよりもずっと恥ずかしかった。慣れないことをするのは誰でも恥ずかしいのね。
 喜びか緊張か、私の声も少しだけ震えてしまっていた。





 某藤の花の家紋の家にて。
 先日行われた最終選別は異例の結果となった。
 一名を除き皆生存。こんなことは今まで起きたことがない。
 当時の状況を調べてみると、どうやらその死亡した少年が鬼を退治して回ったらしい。
 惜しいことだ。もし生きていたのなら、将来は柱へと上り詰めていたことだろう。
 産屋敷家の人間ということで、特例として彼女は最終選別を受けてはいない。当時の柱や元柱から多くを学び、全員からのお墨付きをもらうことで隊士となった。
 本人としては狡をしているようで気分が悪かったが、全集中の呼吸を常時使えるようになり、更に柱に付き添って街の警備も行っていたため、並の隊士よりも彼女は経験も実力も豊富であった。何も気にすることはないのである。
 様々な人から学び、彼女自身に合った呼吸も見つかっている。だが、基本的に彼女は呼吸を使わずに鬼を滅していた。理由はただ一つ。
 産屋敷が一つの呼吸を贔屓しているように見えてしまうのでは?と危惧したからだ。
 心許ない発言をする人もいることだし。
 彼女は何よりも産屋敷を、家族のことを思っていた。彼等が自分のせいで傷付けられることだけは耐えられないのだ。
 なんて、もしもの可能性を多く考える彼女が、実は恐がりであるというだけの話なのだが。

「さ、さびと、錆兎ぉ……」

 泣き声が聞こえる。この声の主が冨岡義勇なのだろう。
 冨岡義勇は最終選別で亡くなった隊士の兄弟弟子である。先程から聞こえる名はその亡くなった隊士の名前だ。と、彼女は弟から聞いている。
 多くの人を救い、一人亡くなった少年と残された兄弟弟子。胸の痛みは想像をも超えるのだろう。
 彼にとっての錆兎は彼女にとっての輝哉のようなもので。輝哉が死んでしまうだなんてそんなこと、考えたくもない。
 ――ああ、でも輝哉はきっと、ただでは死んではやらないんだろうな。何かを残して死ぬんだ。
 今回は輝哉からのお願いで、産屋敷家の人間として赴いている。だからなのか、藤の花の家紋の家の人には、いつもより更に丁寧な対応をして頂いた。
 藤の刺繍が施された上品な着物を纏い、肩に此処まで案内してくれた鎹鴉を乗せながら考える。どんな言葉をかければ良いのだろうか。
 案内された部屋の前では真新しい隊服を着た一人の少年が立っていた。手には湯呑みやおにぎりが置かれたお盆を持ち、心配そうに中にいる冨岡義勇に話しかけている。
 家の人間に案内をしてくれたことの礼をしてから別れ、その少年に声をかける。

「初めまして。それは中にいる子の食事かな?」
「へ?あ、は、はい!」
「そう。なら、それは預かるね。そろそろ君も初任務へ向かわなければならないだろうし。大方の事情は理解しているから、大丈夫だよ」
「え、で、でも」

 カァー!と彼の鎹鴉が飛んで来て、無礼だぞ!と力強く少年を啄く。お館様の姉君だとの説明を受け、少年は萎縮した。
 なるべく私については隠すようにと鴉にも伝えてあるはずだが、どうもこの子はうっかりさんらしい。こら、ヤシロ。うんうんと頷くんじゃない。
 ヤシロは私の鎹鴉であり、先程まで肩に乗せてあげていた子だ。世にも珍しい白い鴉。
 そのままヤシロは飛び立ち、話の邪魔にならないようにどこかで待機することに決めたようだ。
 緊張をほぐしてあげてからじゃないと、この少年との会話は難しそうだな。
 急にカチンコチンに固まってしまった少年に微笑み、ゆっくりと頭を撫でてあげる。少年の鴉の顎も撫でてやると、満足そうに一鳴きした。

「髪の毛、綺麗だね。羨ましいなぁ」

 私は隊士になってから睡眠時間が足りないのか、髪の艶が少し落ちてしまったから。
 ちょっとした世間話のつもりだったが、今度は顔を真っ赤にさせて鯉のように口をハクハクとさせてしまう。失敗だっただろうか。
 仕方が無いのでひょいっとお盆を奪い、背中を押す。ご武運をと声を掛けると、ひゃい!と大慌てで走って行った。元気があってよろしい。
 襖へ向き直り、ぐすぐすと鼻を啜り、ずっと泣いている義勇へ部屋に入ることを伝えた。拒否権はない。仮に来るなと言われても入る。
 襖を開けると、可哀想な程に義勇は泣いていた。
 涙の流しすぎで顔は浮腫み、瞳も鼻も真っ赤。着物は涙や鼻水でぐちゃぐちゃだ。漏れた嗚咽が痛々しい。
 近くの机にお盆を置き、膝を抱える義勇に軽く自己紹介をしてから肩を抱いた。

「呼吸を整えて、水を飲もうか」

 このままでは過呼吸を起こし、最悪死に至ってしまう。それは君の友人も望んでいないだろう。
 そう伝えるが、余計にしゃくりあげてしまった。
 大丈夫でもないし、落ち着けないことは分かっているから。だからせめて、ゆっくりと呼吸をしてほしい。

「さび、とがぁ!おれのせ、い、おれのせいで!」
「君のせいじゃないよ。それだけは私にも、君を気にかけてくれていた少年にだって分かる」
「でも、でも!」

 でもも何も無いんだよ。泣いたって何も変わらないし、今を生きるしかないんだ。
 今世の私は友を失ったことはないけれど、前世の私は友も家族も失っている。
 親しかったはずの人々。声も顔も名前も、何も覚えていないけれど、確かに存在していた人達。漠然とした記憶しかないのに、幼い頃の私は彼等を思ってよく泣いた。会いたくて会いたくて仕方がなかったんだ。
 でも、ある日やっと気付けたんだ。泣いたところで何も変わらないし、会える日は来ないって。泣いても何も変わらないんだって。
 だから、そんなに泣いても意味が無いんだよ。なんて、こんな状態の彼には流石に言えないけれど。
 鬼殺隊に入るということは鬼の命を奪うってことなんだよ。奪う覚悟があるんだから、奪われる覚悟ぐらいしておかなきゃいけない。
 鬼は人を傷付ける、確かに悪の存在だ。でもだからって、人で在った頃もそうだとは限らない。
 私は相手が鬼だろうが、殺すことに未だ抵抗がある。鬼だって生き物なのだから。
 人も動物も無闇に殺してはいけない。本能がそう訴える。
 だから私は、殺すことが鬼たちにとって救いになると信じて首を落としてきた。
 これは戦争だ。誰かが戦わなければ大切なものを奪い尽くされる。だから戦う。
 私の場合は他にも、もっと汚い理由があるのだけれど。
 少し、感情的になってしまった。話も逸れてしまったし、まずは私が落ち着かなければ。産屋敷の人間のくせに情けない。
 大きく深呼吸をすると、義勇もそれに合わせて呼吸をする。
 たまたまのことだったが、それはとても良いことだ。
 少しだけ落ち着いた義勇から離れ、湯呑みを渡す。ゆっくりゆっくり飲み干す義勇に微笑んだ。

「後悔先に立たずという言葉がある。けれどね、義勇。後悔をしないように努力することは出来るんだ。それが出来るようになるのは、一度でも大きな苦しみや悲しみを味わった人間だけなんだよ」

 背中を撫でる。
 いいな、錆兎は。家族でもないのに、こんなにも思って泣いてくれる人がいるんだ。羨ましい。

「義勇はこれからどうするのかな?どんな人生を歩むの?よく考えた方が良い」

 私も色々と考えた上で隊士になったから。
 そう言って涙を拭ってあげ、彼の手に買ったばかりのお菓子が入った小包を乗せる。私はこれを食べると、少しだけ幸せな気持ちになれるから。
 私は家主にもう暫く義勇を預かってもらえるようにお願いしてから、家を後にした。最後に見た彼の姿には、彼の鎹鴉が静かに寄り添っていた。
 ごめんね、耀哉。耀哉のために貴方の分も戦うだなんて言ったけど、それは建前なんだ。全てが嘘という訳ではないけど、でもね、もっと別の理由があるんだ。きっとそれすらも輝哉は気付いているんだろうけれど。
 数日後。義勇が育手に手紙を綴ったと耀哉の鴉が教えてくれた。任務にも向かったらしい。
 きっと錆兎の分も生きると決めたのだろう。
 今にも死んでしまいそうだった義勇の顔を思い出し、私は胸を撫で下ろした。

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