吾輩は転生して産屋敷耀哉という男の双子の姉となった、経緯が特殊なだけな凡庸な人間である。名前はあるが、基本的に名乗ることは無い。今世の名と前世の名が違うため、今世のものを名乗るのはどうしても心が拒絶してしまうのだ。それは私の名前ではないのだと。
 今は亡き今世の父と母よ。申し訳ございません。けれどこればかりはどうしようもないことなのです。
 そんなだからなのか、何かを察した耀哉には双子でありながら名前で呼ばれたことはないし、何なら幼い頃には

「わたしは耀哉。ねえさんのおなまえは?」

 と、何度も尋ねられたものである。
 末恐ろしい弟だ。尤も、私は前世の名を耀哉に教えたことはないのだけれど。
 前と今とで、けじめをつけなければならない。だから、誰にも私の名前は教えない。そうすることで、私は割り切れる。割り切れたはずだ。
 前世に未練は無いか。
 そう聞かれれば、あったのかもしれないし無かったのかもしれない。と答えるしかない。
 何故ならば、前世があったことは覚えていても、当時の自分がどんな人間だったのかは覚えていないからだ。
 家族のこと、友人のこと、どんな生活を送っていたか、いつ死んでしまったのか。何もかもが分からない。ただ漠然と、今よりも成長した日本で、――と言う名で生きていた。それだけを覚えている。
 知識も不思議と残っていた。算術は人より得意であったし、文字は幼い頃から読めた。やらなければならないこと、やってはいけないことの区別も付いていた。本来知らないはずのことを知っているのは少しだけ気持ちが悪かったけれど、耀哉がいたから大丈夫だった。
 耀哉は私を否定しないし、私も耀哉を否定しない。
 耀哉は産屋敷の嫡男だから、色々な要因が重なって、己のやりたいことの多くが出来ない。対して私には大層な夢も誇りもなければ、やりたいこともなかった。
 産屋敷は古くから続く由緒ある家柄だ。しかし今から千年以上前。その産屋敷家からは鬼と呼ばれる存在が生まれてしまった。
 鬼は人を喰らう悪辣。その頂点に立つ鬼舞辻無惨こそ、我が一族唯一の汚点。鬼舞辻を討つことこそが、我が一族の悲願である。
 産屋敷は鬼を討つ集団、鬼殺隊の頂点。耀哉は鬼殺隊員たちの父となる。
 産屋敷家の男児は鬼舞辻無惨のせいでかけられた呪いのせいで、長生きすることは出来ない。体がどんどん弱くなる。私は女児だから、呪いにはかからない。

「耀哉、私、知ってるんだよ」

 耀哉が本当は前線に出て戦いたいこと。だから一度、刀を振るってみたんだよね。倒れてしまって十回も出来なかったけれど、目が覚めたときに大丈夫だって無理して笑ってた。
 ずっと近くにいたんだ。分かるんだよ。みんなが戦っているのに、自分は安全な場所にいるのが嫌なんだよね。守られるのではなく、守りたいんだ。本当は一緒に戦いたいんだよね。
 やるせなくて、納得も出来なくて。そんな感情をいつも押し殺してる。

「私も知っているよ」

 姉さんがずっと、何かを隠していることを。
 けれど、それを態々聞くつもりはない。だって知らなくても私たちの関係は成り立つ。
 私ではなく、自分にこの呪いがかかっていればと思っていることも知っている。でも、それだけは絶対に違うんだ。私は姉さんに呪いがなくて良かったと心から思っている。
 姉さんは私の片割れだ。産屋敷家の嫡男として強がる私を傍で支えてくれている。全てを知った上で何も言わずに手を貸してくれる。
 そんな大切な存在が私と同じ思いをするだなんて、絶対に嫌だよ。

「私は姉さんに長生きしてほしい。けれど、姉さんの気持ちも伝わっているんだ」
「それは私も同じだよ」

 私は耀哉のやりたかったことを代わりに叶えたい。本当はそれだけじゃないけれど、そうすればきっと――。
 けれど耀哉には耀哉の思うところがあるから。

「だから、こうしよう」

 それは藤の花が咲く季節。産屋敷耀哉が当主となる年のことであった。
 双子はお互いの全てを知った上で、一歩、また一歩と歩みだした。





 悲鳴嶼行冥は悩んでいた。
 寺が鬼に襲われ牢に入れられたあの時。産屋敷耀哉に救われ忠誠を誓ったが、剣士としての実力が停滞してしまっている。
 階級が上がり、強い敵と戦う任務が増えれば、だんだん苦戦するようになってくる。それは当たり前のことなのだが、行冥の場合は戦いづらくなってきたのだ。
 日輪刀の色を見ても、岩の呼吸は自分に合っているはず。
 では、何がいけないのだろう。
 頭を抱えていたある日のこと。その日は珍しく合同任務に当たることとなった。何でも相手の階級は甲。柱のすぐ下の階級であるとか。
 合流場所は任務地に程近い町の藤の花の家紋の家。任務内容については甲の隊士から聞くようにとの伝達だ。
 藤の花の家紋の家に着くと、甲の隊士は既に到着していたらしい。悲鳴嶼は隊士のいる部屋へと案内された。
 案内をしてくれた家主は気を利かせて、隊士へ声をかけると部屋へ入ることも無く立ち去る。
 悲鳴嶼にとって甲の隊士は上司に当たるため、遅れてしまったことの謝罪をし、襖を開ける許可を頂こうとするが、それよりも先に襖の開く音がする。

「初めまして。階級甲の者です。先の任務、お疲れ様でした。日が暮れる前に此処を発ちますので、中で此度の任についてざっと説明致します」

 悲鳴嶼はすぐにこの隊士を信用に値する人物であると知った。
 理由はいくつかある。
 一つ。目が見えないことを鴉から聞いていたのだろう。音を立てながらも、自分を驚かせないようにゆっくりと襖を開けていた。
 二つ。鬼殺隊の隊士は階級が上であればあるほど、気配を隠すことが上手い。特に、鬼に居場所を悟られないように足音を消していることが多いのだが、この甲の隊士は態と音を立てていた。足音が一定なのだ。これも行冥を気遣ってのことだろう。
 そして三つ目。先に部屋へと戻り、お茶を入れるからと急須を傾ける。湯呑みの中へ移るちゃぷちゃぷとした音で、机はこちらだと教えてくれているのだろう。また、忘れていたとばかりに座布団を置かれる。
 その気遣いに感謝し礼を述べると、返事は無いが小さく微笑まれたような気がした。

「任務の内容についてですが――」

 任務は滞りなく進む。
 街の外れにある小さな洋館で人が行方不明になっており、隊士が向かったものの帰って来た者はいない。そのため、先に向かった彼らよりも階級が上である悲鳴嶼たちに声がかかった、とのこと。
 そのお館様の采配に間違いは無かった。
 館は鬼の血鬼術によって迷路のような造りになっていたが、目の見えない悲鳴嶼の研ぎ澄まされ感覚は鬼の居場所も、先に任務に来ていた隊士をも見つけ出した。
 鬼はとても意地が悪く、飲まず食わずで更に眠ることも出来なくなった人間を甚振ることを好んでいたらしい。そしてその鬼の目には――下弦の参と刻まれていた。
 悲鳴嶼は気配で、今まで出会ったどの鬼よりも強いのだとすぐに理解した。
 甲の隊士と離れ離れにされていた悲鳴嶼は一人で応戦したものの、酷い怪我を負わされる。
 傷は増え、血が流れ、骨が折れる。対して鬼はどんなに傷を負わせても、人間では有り得ない速度で治っていく。
 刀を握る手が震えるが、撤退なんてしない。戦いづらい?そんなものは言い訳にしかならない。
 気力だけでひたすらに刃を振るったが、遂に刀がポキリと折れてしまった。
 それでも諦めるわけにはいかない。刀が無いのなら素手で応戦するのみ。
 流石に鬼も殴られるとは思っていなかったらしい。隣の部屋まで吹っ飛ばされると、怒りに怒った。そして鬼の腕が悲鳴嶼の腹へと伸び、貫通しようとしたその瞬間。
 音も無く、鬼の首が落ちた。
 悲鳴嶼は空気が一瞬にして変わったことに気付く。

「よく、頑張ったね」

 ふわりと漂う藤の香り。その香りはとある人物と同じであった。
 口端から流れた血を拭われる。
 嗚呼、何ということだ。何故気付かなかったのだろう。
 思えば、このお方は初めから名乗らなかった。名乗れない理由があったのだ。
 そして、何よりその雰囲気。そのお声。
 落ち着いたそれらはあのお方にそっくりではないか。
 悲鳴嶼の意識は甲の隊士にのみ向けられた。

「貴方、は」

 小さく笑い、人差し指を立て、口元へ。
 微かな音と気配で分かる。仕草も似ておられた。

「きっと、刀が合っていないのだろうね。身体が大きい分、別の武器の方が扱い易いのかもしれない」

 刀鍛冶の里へ行って、自分の担当に相談してみると良い。
 そう言いながら、てきぱきと応急処置を行ってくださる。口の中が切れていないかを確認すると、ころりと小さくて甘い菓子を入れられた。
 本人曰く、疲れたときには甘い物、らしい。
 恐れ多いながらも、不思議と好意に甘えてしまっていた。
 鴉の鳴き声と共に、ドタバタと騒がしい足音が聞こえてくる。隠がやって来たのだろう。

「行冥、一つだけ頼みがあるのだけれど」
「何なりと」

 ありがとう。優しい子だね。
 頭を撫でられる。

「みんなのためにお経を唱えてはくれないかな?」

 本当に優しい人間は貴方様やお館様のことを言うのです。
 悲鳴嶼は涙ながらに応と答えた。

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