椅子に座り、じっと机の上を眺める。そこには複数の大学の資料が広がっていた。
家からなるべく近く、真一郎くんのお店へバイトで通うのに無理のない距離の学校を考えていたけれど、それはもう止めた。
たった一つ用意していた隣県の大学資料。それを手に取り読み込んで、気合を入れた。
「頑張ろう!」
パチン!頬を叩く。
まずは両親に志望校を変えたことを説明しなければ。
◇
翌朝。リビングへ行くと既に朝食が出来ており、イザナの話し声が聞こえてきた。内容からして、母に連絡を入れているらしい。
私が起きたことを伝えて電話を切ると、いそいそとこちらへイザナが近付いてくる。
「おはよう」
「うん、おはよう」
ちょっとだけ気まずそうに挨拶をされ、思わずイザナの頭を撫でてしまった。
パンの上にベーコンと目玉焼きを乗せ、他にも麦茶とヨーグルトがテーブルに置かれている。
朝食を作ってくれたのはお詫びの気持ちなのだろう。むしろ頼ってくれてありがとう!とこちらがおもてなししたいくらいなのに。
お互い席につき、いただきますと言ってから食事を取り始める。
「イザナ」
「なに?」
テレビから流れるニュースの音を無視し、私は話を続ける。
「志望校、変えようと思ってるんだよね」
「ふぅん」
「それで、真一郎くんのところのバイトも止めようかなって」
それには流石に手が止まってしまったようだ。
焦ったかのようにどうしてかと聞くイザナを落ち着かせるため、麦茶の入ったコップを手渡した。
「横浜の方の大学へ行こうと思っているの。だから真一郎くんのところでバイトを続けるのは厳しくて」
「……休みの日とかは?」
「新生活で疲れちゃうと思うからさ。それにね、家を出ようとも思ってて」
隣県の学校なのだから、十分家から通える距離なのは百も承知だ。それでも実家から通うのを止めたいのにはちゃんと理由がある。
「ねえ、イザナ。もし良かったら、一緒に暮らさない?」
「……は?」
今の真一郎くんとイザナは近くにいても良いことはない。少しの間距離を取って、イザナの心の整理がつく時間を作ることが必要だ。
イザナは既に黒龍を止めており、現在では黒龍は別の総長が率いている。あまり良い噂は聞かないが、イザナも真一郎くんから今は離れたいとずっと思っていたのだろう。だから黒龍を止めた。東京から離れても問題は無い。
そして何より、今のイザナを一時だって一人にはしたくない。ただの私のエゴである。
孤児院としても扱いに困る相手だったイザナは勝手に院を出ていって適当なところで生活を送っている様子なので、この方が私も周りも安心するだろう。
一緒に暮らせば家族の気分を味わえる。あくまで味わえるだけだが、血が繋がらずとも家族のような密接な関係になれると知ってもらいたいのだ。
「お金もアルバイトで貯めてたしさ、そこら辺は気にしなくても大丈夫だよ。まずは親を説得しなきゃいけないけど、イザナが良ければどうかな?」
流石にこんなことに誘うのには緊張してしまって早口になってしまったが、どうだろうか。
恐る恐る目を合わせれば、イザナは口をパクパクとさせ、何度も何度も頷いていた。
カラン、とイザナのピアスが揺れている。
◇
両親に事情を説明すると、いつの間にやら信頼を勝ち得ていたイザナの名前を出した瞬間にすんなりと許可が降りた。
イザナもイザナで何故か私に教育学部へ進学するようにゴリ押しして来て、あまりの熱意に根負けしてしまう。元々学部にはそんなに拘りがなかったことや、教育学部は元々視野に入れていたこともあり、流されてしまった部分がある。
諸々の事情を真一郎くんに一から話すと、少し寂しいけれど応援していると、快く受け入れてくれた。
私の周りには優しい人が多すぎる。感謝してもし足りない。
翌年。私は無事に志望校合格が決まり、佐野家の人たちからもお祝いを受け、三月末に引越しを行った。
それなりにセキュリティが整ったアパートの二階。角部屋。
沢山のお金があるわけではないので、必要最低限だけ揃えられた小さな部屋にはまだまだ違和感が漂っている。
それでも何より、イザナが幸せそうにしているのが印象的だった。
余裕で私の身長を越す程大きくなった鶴蝶くんは引っ越しの手伝いに来てくれ、何故か三枚ずつある食器に首を傾げていたが、鶴蝶くんの分だと言えば彼もまた喜んでくれた。
「イザナと鶴蝶くんも家族みたいなものだもんね」
そんな私の言葉に珍しくイザナは否定をしなかったし、鶴蝶くんはぼぼっと頬を赤らめた。
これは余談なのだが、引っ越しの直前。イザナは真一郎くんに会いに行ったらしい。私には何も教えてくれなかったのだが、引っ越しの挨拶を終えて三人で晩御飯を食べている最中、突然イザナが爆弾を投下したのだ。
「兄貴のところでしばらく働かせてもらうことになった」
私と鶴蝶くんは持っていた箸を落とし、イザナはズズズッと蕎麦をすする。
とりあえず出てきたのはやっぱり大物だわこの子、という感想のみ。
「高卒資格取ってオレも大学行く。まだちゃんと調べてねぇけど、お金貯めて養護施設を作りたい」
「イザナ……!」
「名前は天竺にしてぇなって」
未来を語るイザナの表情は今までで一番眩しかった。
鶴蝶くんはイザナの夢に何か覚えがあるのか、目を大きく見開いている。
「その前に今の腐った黒龍をどうにかしてぇからチームを作る。鶴蝶、付いて来い」
「おう!」
「ちょっと!?」
その後、イザナは少年院で出会った仲間を集めて天竺という名前のチームを結成。新生活で忙しいことや、万次郎くんが自分のチームを結成して黒龍とやり合うからと大人しくしていたのだが、昔の血が騒いでしまったのか、天竺は横浜を統一してしまう。
訪れる二千五年二月二十二日。万次郎くんの東京卍會とイザナの天竺が全面戦争。どういうわけだかイザナと鶴蝶くんは銃で撃たれて重症。意味が分からない。
私はこの日初めて、イザナと口すらきかない大喧嘩をするのだが、それは少し先の未来の話である。