夏休みシーズン到来。ミンミン鳴く蝉が暑さを余計に引き立てているような気がして妙な怒りが湧くが、全くの気のせいである。蝉は免罪。
もうすぐ夏休みだとクラス中が騒がしくなる中、何があったのかは分からないが、林田くんが警察に捕まったらしい。人を刺して自首をしたと噂になっていたが、林くんや隆くんが顔を顰めていた。
特に林くんは荒れていて、林田くんの名前を出すと身の危険を感じてしまうくらいには殺気を飛ばしてくるため、噂話はいつの間にか鳴りを潜めた。
隆くんも大分辛そうな顔をしており、手芸部の子や彼に恋する女の子がザワついている。
「名前ちゃんはさ、三ツ谷のこと好きなの?」
一学期最後の登校日。校舎裏で遂にリリーちゃんから尋ねられてしまった。私はハッキリと他に好きな人がいること。一緒に暮らしている祖母と三ツ谷家の母が友人関係を築き、自然と話す機会が増えたことを伝えた。ただそれだけで、私と隆くんも友人同士なのだと。
そうなんだ、と去って行ったリリーちゃんも本当は納得していないのだろう。けれどそれが真実であることが分かっているから、私に対して何も言えなかった。
人間関係って難しい。他に好きな人がいて、それなのにリリーちゃんが恋している相手とも仲良くしている。適切な距離感が分からない。
隆くんに距離を置くように頼むのは間違っているし、私が彼を避けるのも、何も悪くない彼を傷付けることになってしまう。でもそうしなければ、また隆くんに恋する女の子が悲しんでしまって。
どうしたら良いのだろうか。祖父母の家に帰ってからも悩み、遂に青宗に電話をかけた。相談するなら兄一択。
個人の名前は出さずに事情を説明し、青宗ならどうするのかを尋ねる。
「よく分かんねぇけど、あれだな。女って面倒くさい」
「確かに……」
その通りである。だが逆に男の子にはそういうことはないのかを尋ねようとしたが、そもそも兄の周りには略奪しそうな人間ばかりなので大人しく口を閉じた。
青宗も青宗で、私が尋ねようとした内容を察したのか、自分は少年院にいたから経験がないと隠すことなく言われ、その理由でも私が気まずくなってしまう。
「結局は名前がどっちを優先するかじゃないのか?」
「優先?」
「オレから見れば、名前は悪いことをしたわけじゃねぇ。両方に気を遣うな。なるべく穏便に、全員とそれなりの距離感を保ちたいんだろ?それはムリだ」
青宗の言うことは全て正論で、グサグサと胸を刺される。
「面倒事から逃げるために、自分で話をややこしくしてる。名前の悪いクセだな」
「してるかな……?」
「してる。誰からも好かれる人間なんて存在しねぇよ。だから、あー……さっきはどっちかを優先しろっつったけど」
布団の上で枕を抱きしめながら次の言葉を待つ。
「兄ちゃんは名前に自分のことを優先してほしいよ」
――すぐに自分を捨ててヒトを優先する。それが名前にとって大切な人でも、大切な人でなくとも同じだ。名前が我慢してばかりで心配なんだよ。
兄の本音が頭から離れない。頭の中で何度も響き、悲しいわけではないのに何故か涙が溢れた。
◇
ぐるぐる考えていても仕方がない。今日は八月三日、武蔵祭り当日だ。
祖父の的屋を営む友人が屋台を開く予定だったのだが腰を痛めてしまい、代わりに祖父が店番を勤めるらしい。私もその手伝いに駆り出されている。決して合法的に、お手伝いという名のアルバイトで、お駄賃という名のお給料が貰えることに釣られたわけではない。
かき氷の屋台なのだが、これが中々しんどい。祖父と交代しながらやっているが、かき氷機が手動であるため、無心で力を込めて回し続けた。運動不足の身には腕がキツい。更に衛生面も考慮し、ビニール手袋をしているのが地味に暑さを増している。
それでも仕事なので笑顔を絶やさずにいると、ポツリ、ポツリと雨が降り始める。雨の予報はなかったはずだ。
一瞬で土砂降りになってしまい、祖父の友人から連絡も来たので屋台を閉じることとなった。
「屋台の片付けはちょっと危ないから大人に任せて、名前は待っていなさい。もう暗いからね」
「一人でも平気だよ。それにほら、逆に今なら人の流れが多いし」
指差した先。
突然の雨に急いで帰宅する人が多く、前が詰まって動けなくなってしまうくらいだ。それだけ人が多ければ、不審者に襲われることもないだろう。
「いや、だが……」
「平気だよ!いざとなったらこれがあるし!」
「それは……?」
「青宗たちから貰ったスタンガン!」
「この雨の中で!?」
ビニール手袋を外し、イスの上に置いていたトートバッグから取り出してアピールをする。この雨の中ではスタンガンは恐らく使用することが不可能なため、ガラクタと変わらないのは内緒だ。
正直なところ、何も暇潰しの道具を持ってきていないという理由だけで待つのが嫌なのである。
祖父が押しに弱いことを知っているため無理矢理オーケーサインをもぎ取り、トートバッグに入るものは先に持って帰ってしまおうと色々と詰め込んだ。そのまま傘を差して帰路に立った。
その際、わざと途中で人通りが少ない道を選んだが、そこだって人がいないわけではないので許してほしい。人混みは苦手なのだ。
「……ん?」
気のせいだろうか。雨とはまた違った何かがアスファルトを濡らしているように見える。
その何かは住宅街の道なりに真っ直ぐ続いており、不思議に思った私は街灯の近くによってそれを確認した。
雨水で流れて行きそうだが、それは間違いなく赤い液体。
まさか血液?
すぐにその発想に至ったのは怪我をして帰ってくる青宗の手当をよくしていたからだろうか。
突然、近くで人の叫び声が聞こえてくる。複数人いるのか、それなりに騒がしい。道行く人が叫び声から耳を背け、元来た道を戻る中、私は走り出した。
これだけの出血だ。ただでは済まない。仮にこれが血ではない何かであったら、それはそれで構わない。むしろ良かったと、胸を撫で下ろすだろう。
私は、これが血液であるという可能性が浮かんでしまった時点で、放っておくことは出来なかった。
人の死に関しては人一倍敏感だから。救けられるのであれば救けたい。
――あの日からずっと、身体中に包帯が巻かれて尚美しい姉の姿が目に焼き付いて離れないから。
コンクリート壁からひっそりと顔を覗かせ、騒がしいその場を確認する。
雨で足場の悪い中走ったためか、息切れを起こして少しだけ息苦しい。
暗い中目を凝らすと、私服の男の子たちが特攻服を来た男の子たちにほぼ一方的に暴力を振られている。その少し離れたところではボロボロになった男の子が二人。一人はしんどそうに、けれど踏ん張り続けている。もう一人は座り込み、自身のお腹を押さえながら今にも目を閉じてしまいそうだ。――血を流しているのは彼だ。
「大丈夫ですか!?」
気付けば駆け寄り、彼の横に膝をついていた。
危ないから離れていろという心配する声を無視し、傘を置いてトートバッグの中身を探った。
雨に濡れて身体が冷えている。暖めなくてはいけないか?けれど身体を暖めると逆に出血量が増えるような。怪我をしたとき、お風呂だと血が止まらなくなった記憶がある。医学を学んでいるわけではないので、色々な考えが浮かんでは消える。何が正解なのかは殆ど分からない。けれど、出血時には圧迫すれば止血出来ることは知っていたから。
トートバッグから汗ふき用として入れた未使用の予備のタオルを取り出し、男の子のお腹に充てて力を込めて押す。人の血に触れてはいけないと何処かで聞いたことがあったため、屋台での仕事用に用意した使い捨てのビニール手袋を着けてから行った。
隣にいた金髪の男の子が私が置いた傘を拾って私たちに差してくれたのが有難い。いや、この子も手から出血してるな!?
「タケミチ君、救急車来たよ!」
「警察も!」
浴衣を着た女の子が二人、走ってこちらへとやって来る。
段々と近寄ってくる救急車とパトカーのサイレン。特攻服の男の子たちは倒れた仲間を見捨てて逃げ去った。
状況がいまいち分からないが、手に込めた力は抜かない。
「アイツらがちゃんと見ててくれたから」
一難去ったこの場で、ムダなことなんて無かったと語る男の子を見て、漫画の主人公みたいなことを言うんだなと場違いなことを思う。……漫画の主人公?
「あ"ー……止血ありがとな」
「あ、いえ」
「ドラケン君!早く救急車に!!」
男の子が二人がかりでドラケンくんと呼ばれた子を担ぎ、救急車まで運んで行く。手を離したタオルには血が滲んでいたが、様子を見る限り、出血量は減ったようだ。
金髪の男の子から傘を受け取り救急車まで送り届けると、救急隊員の方が血で濡れたタオルとビニール手袋は回収してくれた。彼がどうなってしまうのか心配だが、知り合いでも何でもないため、私は家へ帰ろうとすると花飾りを着けた女の子に腕を掴まれて立ち止まる。
「あの、あの……っ!止血!ありがとうございました……!」
「いえ、私はそれくらいしか出来なかったから……」
「うっ、うわあああ」
泣き出してしまった女の子は恐くて仕方のなかった気持ちをずっと我慢していたらしく、遂に涙腺が決壊してしまったようだ。もう一人の子が彼女の背中を撫でてあげている。
こんな中、帰れるわけがない。
二人に向かって傘を差し、救急隊員にどこの病院へ向かうのかは聞いていたため、とりあえずそこまで一緒に向かうことにする。途中コンビニに寄り、ビニール傘を残った男の子四人も含めた人数分買い、一人一人に手渡す。屋台のお手伝い分のお駄賃、これでチャラになりそうだな。
無事病院の前まで送り届け帰ろうとするが、泣いてしまった女の子が腕を離してくれず、私も居残ることになってしまった。
手術室の前まで到着すると、既に手当を終えたタケミチくんと呼ばれた子が一人立っており、例の男の子が搬送中に心肺停止状態になったと語る。
やっと止まりかけた涙がまた溢れ、花飾りを着けた女の子は顔を手で覆った。
疎外感も酷ければ、場違い感も半端ではない。私はこの場にいる誰の知り合いでもなければ、名前すら知らない。
心配する気持ちは本物だが、それにしたって私はここに居ても良いのだろうか。
「タケミっち、ドラケンは!?ドラケンは無事……か……!?名前!?」
「え、隆くんと林くん!?」
走りながらやって来た二人に目を見開く。
二人が来たということは東卍関係で何かが起こったのだろう。……あれ?
漫画の主人公のような発言をしたタケミチくんに、身体の大きな男の子。ドラケンのドラってもしかしてドラゴン?
もしかしてこれ、漫画でも描かれた大切な場面に遭遇してしまったのでは。
刹那に泣いた