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7月13日。それは、自分が想う相手の誕生日だった。
わたしにとっては、2度目の彼の特別な日。去年は、ともだちちゃんがお祝いをするっていうのに、なぜだかついていったっけ。あの時は、まさか自分が、彼に惹かれるだなんて、予想もしていなかったかも。でも、今ではそれにすら、意味があったのかもしれないとすら思う。
ねえ、わたしは少しでも、変われた?臆病で、言い訳ばかりで、否定ばかりを繰り返していたあの頃から。彼を好きになって、毎日が不安ばかりだった。今までにないことばかりが目の前に壁のように立ちふさがって、それを見ないふりすらしたこともある。
どれだけ素直になれなかっただろう。はたから見れば、無駄なくらいに遠回りばかりしてきた。その遠回りすら、わたしにとっては、必要だったのだと思う。だって、わたしは、よく評価をして、普通の立ち位置で、自信なんてなかったから。
けれど、そんなわたしでも、今なら、これだけは素直に言える。わたしは、彼のことが好きだって。彼を想うことをおこがましいと思うのは、もうやめた。ただ、自分の気持ちを、素直に受け入れる。これが、わたしに一番必要だったこと。

寿さんの誕生日に時間を作ってくれたのは、ともだちちゃんの計らいだった。事務所のバースデーパーティー後に時間をもらうだなんて、少し前までのわたしだったら、素直に頷けなかったかもしれない。素直になるのは難しい、もちろん、いまだって。少なからず、迷惑じゃないかなって思うのよ。でも、それ以上に、彼の誕生日をお祝いしたいって気持ちが勝ったことは事実。


「せっかくの誕生日だから、ね?」


林檎ちゃんと、ともだちちゃんに提案され、なすがままにドレスアップをされたのは、今日の夕方のこと。
綺麗になったでしょう?そう林檎ちゃんは、鏡越しにわたしへ笑いかけた。綺麗に、なったのかな。綺麗だとは、お世辞にも口に出せそうにないけれど、いつもとは違う自分に、少しだけ自信を持てる気がした。
彼はよく、綺麗になりたいなら相応の努力は必要、と口にする人で。今日は、その言葉が痛いほど身に染みた。それを素直に受け入れてきたともだちちゃんが、わたしと全く違うように見える理由も、今なら分かる気がする。


「このアタシが、アナタに魔法をかけたんだから、安心して?」


その言葉が、いつにもまして、嬉しかったのは、気のせいなんかじゃない。



先に到着した彼等を追いかける形で、わたし達はお店へ向かう。ドレスアップや、プライベートバーってものに慣れたともだちちゃんと自分は、正反対。緊張も相まってか、先を進む彼女の腕を思わず引き留めた。


「あの、えっとね、」


自分より年下の彼女に、戸惑いを隠せないなんて、おかしな話よね。それでも、このまま進むことがこわくて。しどろもどろになったわたしに、彼女はそうですよね、と手を握り返す。


「先に進むのって、こわくて。初めてのことって、わたしもいつもヤダ。だって、傷つくことばっかりだもの。」


ちょっと誤魔化すように彼女は、小さく笑った。いつも、明るくて、前に進むことに恐怖なんて感じなさそうで、欲しいものを掴もうとする強さを持つ彼女の、珍しい本音。
少し驚いたわたしに、でもね、と彼女は続ける。


「気付くことは、傷つくこと、なんだって。」


なまえさん、ここまでたくさんのことがあったでしょう?感情が動かされることがいっぱい。それを消化することって、簡単じゃなかったと思う。
だけど、その痛みが、未来を変えた。過去の自分では手に入らなかったものが、手に入るのは、自分が変わったからだって、わたしは教わったの。
変わろうと思えば、痛みが必ず出る。そんなのヤダよね、どきどきするし、痛いことも、たくさんある。でも、それがこれからもアナタを必ず変えるから。


「怖くても、大丈夫。怖いことは、悪いことじゃないもの。」


不思議と、その言葉が、受け止められる。昔のわたしだったら、首を横に振ったかもしれない。後ろに戻りたくなったかもしれない。こんなの、聞きたい言葉じゃないって耳をふさいだかもしれない。
だけど、今は、そうじゃない。
いつも、もどかしい思いをさせたわよね。自分と同じように進まないわたしの背中を押してくれたアナタ達がいて、やっと、ここまでこれた。
まるでプリンスのように、わたしの手を引く彼女に、自分が本当に魔法をかけられた気分になる。わたし達の足元のヒールは、歩くたびに、こつり、と音を立てた。


「おめでと〜〜〜!」


勢いよく向かう彼女は、さっきとは違って、いつも通り。わたしの緊張を解きほぐすかのように空気を一変させ、そしてプレゼントを乱雑に渡したと思えば、林檎ちゃんの隣に座ってしまう。気を使ってくれたのだろうけれど、彼女のスピードはいつも速すぎた。
少し出遅れたわたしの口から出るのは、夜のあいさつで、こんな時にも堅苦しい自分が少しだけ恨めしくも感じる。でも、今日は彼の誕生日で、伝えたいことが他にもあって。
どうぞ、と高いカウンターチェアを寿さんが引いてくれたところへ腰かけ、気付かれないように小さな深呼吸をした。たった一言を言うのに、ドキドキしてしまうのね。だけど、それくらい大切な言葉だったから。


「寿さん、お誕生日おめでとうございます。」


特別な人の、バースデー。好きを伝えるわけでもないのに、こんんなことは初めてで、ともだちちゃんの言うよう、ドキドキがついてまわる。ありがとう、と彼が返してくれる笑顔が、また自分の心臓をどくりとさせた。

何気ない会話をして、ゆっくりと時間は過ぎていく。終わりが来ることが、いやになるほどに。まだ、一緒にいたいなんて、わたしだけの我儘でしょう?それでも、それを願わずにいられない。
ちょっとだけ、夜景でも見ない?と誘われ、窓際に設置されたカウンターへ移動すれば、目の前には東京の夜景が広がった。綺麗な夜景はもちろん、隣に彼がいることが嬉しくて、それを誤魔化すかのように、きれいですね、を口にする。お酒に酔ってしまえれば楽だろうに、今日に限ってお酒に酔う感覚はやってこない。


「なまえちゃん。」


不意に、自分の名前を呼ばれた。外の景色から、彼の方へ視線を向ければ、少しだけ戸惑ったような顔をする。珍しいこともあるものだと思った。いつも余裕のある人だったから。わたしと話す前に、わざわざひとつ呼吸をすることも、普段にはないことで。どうかしたのか、を尋ねる前に、彼の唇が開く。


「キミが、好きなんだ。」


一瞬、聞き間違いなのかと、思った。
だって、相手は誰もが知るアイドルの彼で。わたしとは遠くかけ離れた人で。わたしが彼を想うことは許されても、彼が自分を好きだなんて、ありえなかった。だから、そんなこと、ないって思わず否定してしまう。
自分の頭で理解できる器量はすでにこえていたけれど、ただ、目の前の彼が普段とは違う表情をしているのだけはわかった。
本当、ですか?と、彼を疑うような言葉を投げかけたいわけじゃないのに、それしか出てこない。泣きそうなわたしに、優しい本当だよ、が返ってきて、それに続くように、嘘だと言ってしまえば、嘘じゃない、と、真剣な表情が返ってくる。
彼は、いつも明るくて、優しくて、ムードメーカーで。真剣な表情なんて、わたしに見せること、なかった。


「僕は大した男じゃないけれど、それでも、キミを幸せにしたい。キミを守れるような、男でいたいんだ。」


そんなことを言われれば、今まで我慢していた涙は、思わず頬を零れ落ちる。
ごめん、を彼に言わせたいわけじゃない。しきりに首を横に振ることしかできなくて、ちがう、と子供のように口にした。彼は何も悪くない。これは、わたし自身の、問題。
起こりえないと思っていたことが起きて、受け止められない気持ちもある。でも、それ以上に、これを受け入れたいと思った。
前に進むのは、怖いの。いつだって。だけど、それを今なら、わたしにも受け止められる。ぎゅ、と自分の胸元で、両手を握りしめた。どんな未来でも後悔しない、まるでそう誓うように。


「わたしも、寿さんが、好きなんです、」


どれだけ勇気のいる言葉だっただろう。初めて、自分の気持ちを口にした。他の誰でもなく、アナタに初めて。
うそ、だなんて言わないで。この気持ちは、本当なの。今まで、どれだけ自分で否定しても、否定できなかった。諦めようと何度も思った、でも、それが出来なかった。
涙でゆがんだ視界の中で、彼も少し涙を浮かべたように見える。


「寿さん?」
「ごめん・・・つい、嬉しくって。」


そう笑った彼に、また心臓がどくりとした。わたしの胸元にあった手がほどかれたと思えば、彼の左手に重ねられる。わたしよりも、大きな手は、確かに大人の男性のものだった。


「改めて、僕とお付き合いしてくれませんか?」
「わたしでよければ、」
「なまえちゃんがいいんだ。」
「ありがとう、ございます。」


何一つ予想なんてしていなかった、わたしと、彼の”未来”。

誰かが言った言葉が記憶に新しい。
傷ついたからこそ、前に進むことが出来る。その度に、新しい自分になれる。
わたしは、アナタに恋したことで、今までにない自分になった。昔なら、望むこともしなかったことを、望むようになった。それは、わたしにとって、受け入れることが出来ないくらいの変化だっただけれど、今だからこそ、過去の自分にもありがとうを言える。
超えることなんて出来ないと思っていたのに、いつのまにか、彼の手を取れるようになれた。欲しいものを手に入れるなんて、夢のまた夢だったわたしは、もういない。これからも、きっと沢山のことがあるけれど、大丈夫。
怖いことは、おかしなことじゃないわ。まだ見ぬ未来には、恐れもつきもの。でも、それすら彼と一緒に、乗り越えていける気がする。




Love makes me XXX.
(わたしは、特別なんかじゃない。ただ普通のひとだけれど、アナタの隣にいたいと、アナタの特別になりたいと、そう思った。)







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