どれだけ強靭なハートを持っていたら、よかったの?
突然、まったく知らない世界に迷い込むなんて、わたしの人生の予定にはなかった。順風満帆に暮らしていたわたしにとって、知らない世界で、今までと同じように生きていくのは、難しい。
普段、同じ学年のみんなと笑ってバカをしていても、そうじゃない時だってある。ふと、我に返れば、どうして?と考えても出てこない答えをずっと自身に問いかけてしまうし、オンボロ寮の自室の枕をひっそり濡らすことだって、普通の女の子にとっては、当たり前だった。
楽しくないわけじゃない、誰かにつらくあたられるわけでもない。だけど、自分の世界は、ひどくひどく、恋しい。家族も、友達も。すべてがゼロになってしまったわたしに、この世界での未来の希望なんて、ほんとうはないのだ。学園長が、元の世界に戻してくれることに、一縷の希望を抱き待つしかない。

泣きつかれて眠り、朝を迎えれば、また昨日と変わらないこの世界がやってくる。朝になってしまうと、昨日の不安はどこか遠くにいってしまうようで、すっきりとした気持ちで朝の授業も迎えられた。
今日の最悪は、トレイン先生の授業を完全に居眠りしたグリムのせいで、わたしが準備室へ片づけをしなくてはいけなくなったこと。連帯責任だったはずなのに、グリムはとっくに逃げ出してしまった。おかげで、わたしの昼休みは、なくなりそうで、おなかがすいた、と言う暇だってない。
昼休みを半分終えそうなところで、わたしのお昼ご飯抜きは決定したようなものだった。ギイ、と準備室の扉が開く音がしたのは、この膨大な量に嫌気がさした頃。やっとグリムが戻ってきたんだ、そう心を弾ませて、もう!絶対許さないんだからね!と振り向けば、そこにいたのは、まったく違うひと。

「なまえクン、俺に何を許してくんないって?」

シシシ、そう笑うのは、サバンナクロー寮のラギー先輩だった。普段はこの時間、絶対にレオナ先輩のお世話をしているであろう彼が、どうしてこんなところに?と思ったわたしの心を読んだかのように、アンタ、俺が常にレオナさんのパシリだとでも思ってんでしょ、と呆れた顔をする。

「すみません、まさかラギー先輩だとは思わなくって...。」
「ま、いいッスけどね。何か騒がしいなと思ってきてみれば、なまえクンがいたってだけ。まったく〜、まーたトレインの授業で居眠りッスか?」
「そう、グリムが。」
「あ〜アンタも損な役回りッスね...。」

レオナ先輩のお世話係をするラギー先輩と、グリムの相棒兼お世話係のわたしとは、案外話が合う。こうやって、グリムに押し付けられた後処理を彼が手伝ってくれるのは、何回目だろう。正直、もう数えきれないくらいな気はする。あとから金銭を要求されるんじゃないかと最初は思ったけれど、純粋に後輩を想ってくれてのことらしくて、頼れるお兄ちゃんみたいな彼が助けてくれると言うと、思わず甘えてしまう。
今日も今日とて、ぎりぎりまで終わりそうになかった処理を、てきぱきと手伝ってくれた。魔法が使えるってのは、それだけで時間が短縮されるもので。こういうとき、魔法が使えないことはホントに不便だと思い知らされる。
ありがとうございました、そうお礼を伝えたのに対して、いえいえ、と人のよさそうな笑顔が返ってきたと思えば、さっきよりもこちらに近づいてきたラギー先輩の瞳が、わたしを捉える。

「ねえ、なまえクン。もしかして、昨日の夜、泣いてた?」

気付かれるとは思わなかった。今までがそうじゃなかったように。だから、まさか、と返して一歩後ろへ下がろうとしたのは、反射反応だ。けれど、残念なことに、背中にあるのは壁で、彼から距離をとることが出来ない。
異性を感じさせるその指先は、やんわりとわたしの頬骨あたりを緩くなでる。

「あんまり無理すんなよ。アンタ、あぶなっかしいから。」
「そんなこと、」
「ある。ったく、たまには頼れ、って言ってんの。」

いつもと違う雰囲気のラギー先輩に、言葉が詰まる。普段なら、もっと明るくって子供っぽくって、だけど頼りがいのあるお兄ちゃんで、って。でも、そんなの、今はひとつも感じられない。
こくり、と首を縦に振ることだけが精いっぱいなほど、彼の雰囲気にのみこまれそうで、これ以上距離を詰められたら、心臓がおかしくなってしまうのではないかと思うくらいに、どくどくと心臓は高鳴った。

「まあ、あんまり頼りがいないって言われちゃ、おしまいッスけどね?」

なんて、さっきとは一変した雰囲気で、調子のいいことを口にした彼は、シシシ、といつもの独特な笑い方をした。さっきまでの胸の高鳴りは、わたしのきっと気のせいだと思いたくて、だけど、少し赤くなった頬もまだ速いままの心拍数も、簡単に戻りそうにない。
困った顔をしたわたしに、ほーら、昼休みが残ってる内に、飯でも行って来たらどーっすか?と、先輩は背中を押してくれる。その姿は、いつもと何にも変わりがなくって、逆にわたしの心をざわつかせるのだった。

これが彼の策略だなんて、この時のわたしは知る由もないの。



Haste makes waste.
(獲物は、ゆっくり、確実に。狩りの基本ッスよね?)









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