三半規管が弱いことを、ここまで恨む日がくるとは思わなかった。


「大丈夫か?」

カリム先輩の真っ赤な瞳が、わたしの顔を覗き込む。その表情は、幼い男の子が落ち込んでいるようにも見えて、なんだか申し訳ない気持ちになった。
彼も、わたしも、さっきまでの楽しい気分が、こんなにも一変するなんて思わなくて。互いに申し訳ない顔をするのを、やめられそうにない。
今日は、大好きなカリム先輩に誘われ、魔法の絨毯で空を飛び回る予定だった。その予定が、うまくいかなくなったのは、ついさきほどのこと。出発してすぐに、具合を悪くしたわたしのせいで、空のデートはキャンセルだ。空を降りて連れてこられたのは、彼の自室のベッドの上だった。
持ち前の三半規管の弱さに加え、睡眠不足と、女性特有の周期が重なったのが悪かったんだろうか。好きな人との大切な時間を邪魔するなんて、絶対に許してやらないんだからね、わたしの体め...!
この日のためにと、新調したワンピースも、ヴィル先輩に教えてもらったメイクも、何から何まで無駄足。自分の体調のことなのに、管理もできないだなんて、とてもくやしい。カリム先輩は、そんなこと言わないし思わないのは分かっていても、わたし自身は心底そう思った。

「ごめんなさい。」

横になったベッドで、カリム先輩を見上げれば、なんでお前が謝るんだ、と眉を下げた笑い方をする。褐色の指先が、わたしの頭に頭をゆっくりいったりきたり、なんだかそれがとても落ち着いた。
彼のいつも寝ているベッドで、彼のにおいにつつまれて。少し落ち着いてくれば、これはこれで、ラッキーなのかもしれない。お空のデートが、お部屋のデートになったなんて言ったら、きっとわたしの気持ちを知っているみんなに笑われちゃうだろうな。すっごく気合入れてたのを、知っているから。あんなに毎日指折り数えて楽しみにしてたのに。

「眠いか?」
「ちょっとだけ、です。」

まどろむような時間が幸せに感じる。
カリム先輩はすごい。本当は、一緒に空を飛び回りたかったっていうのに、隣にいるだけで、こんなにも幸せな気持ちにしてくれる。
いつもそう、少し落ち込んでいたとしても、先輩の底なしの明るさに救われて、何も知らない世界で、恋にまで落ちることができた。早く帰りたくってたまらなかったのに、今じゃ、そうじゃなくて、毎日がすごく楽しい。恋を多く知らなかったわたしにとって、彼に恋したことは、人生を変えるくらい大きなものだったの。
ぼんやりとした頭で、彼の手に自分の手を重ねる。

「せんぱい。」
「ん?どうした?」
「また、絨毯に乗せてくれますか?」

そんなわたしの問いに、彼がイエスを返すのは分かりきっていた。それでも、彼と”約束”をしたかった。当たり前だろ、と笑った彼の指が、わたしの指先を取る。ゆびきりをするように、小指と小指が重なって、この世界でもおなじなんだな、と思った。
安心すると同時に襲ってくる眠気には、もう勝てそうになく、ゆっくり目が閉じていく。

「おやすみ。」

そう、おでこに落とされた、小さなリップ音は、落ちていく意識の中でも、耳に残った。
ああ、神様。これがもし夢だとしてもいいから、わたしの記憶からなくさないで。



Twinkle Twinkle Little Star.
(夢だとしても、俺はお前を手放す気なんて、ないけどな?)







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