授業が終わり、一人廊下を歩く。同じ寮のグリムは、居残りだった。先に帰るなんて卑怯だぞ、と駄々をこねられたけれど、残念ながら、指定されたのは彼だけで、わたしが一緒に残ることすら先生には拒否されてしまった。まあ、授業中にあれだけ派手に居眠りしてちゃ、仕方ないよね...。

「あ、雨...。」

寮に戻ろうと思えば、外は雨。もちろん、手元に傘はない。朝はあんなに晴れていたのに、なんて今更思っても遅かった。だって、ないものは、ないのだ。わたしは魔法も使えないから、みんなみたいに、いでよ傘!と唱えて見たところで、傘が出てくるわけもない。
一人でそんなことをしていても馬鹿らしくなってきたし、本降りになる前に急いで帰ろう。メイクをして着飾っているわけじゃないなら、傘をさす必要なんてないもの。そう、一歩踏み出そうとして、ぐっと肩を掴まれる。

「お一人ですか?」

振り返らなくっても、それがジェイド先輩なのはわかった。丁寧な言葉なのに、ちょっとだけその手に力が入りすぎているのを考えると、何か怒っているのかな、と考えないこともない。恐る恐る振り向けば、いつものようににこやかな表情をした彼が傘を持って立っていた。

「せんぱい。」
「こんな雨の中、傘もささずにお帰りとは感心できませんね。」

オクタヴィネル寮の副寮長である彼は、わたしの恋人でもある。そして、だいぶん、過保護な人でもあった。双子のフロイド先輩と一緒にいると幾分かましにみられることも多いけれど、わたしはジェイド先輩の方がましじゃないと思っている。もちろん、脅されてお付き合いをしているわけではないから、そういうところも魅力的であったのは事実。
眉を下げるような顔をしてわたしを見下ろす彼は、いつものように、ずいぶんと高い位置にいた。

「傘を忘れまして...。」
「一言声をかけていただければよかったのに。」

傘がないくらいで、流石に先輩のお手を煩わせるわけにはいかないでしょう。口に出さずともそれを察したのか、また彼は困ったような顔をする。

「陸では、恋人にそのような遠慮をさせるものですか?」
「うーん、陸とかそういうんじゃなくて...」

さっきよりも、ぐっと距離をつめられると、威圧感が増すことを、彼は知っているのだろうか。ジェイド先輩は、いつも大人びているのだけど、たまにこういうところがある。なんだか、それは子供っぽくてかわいくもあるから、そういうところも好きなんだけど。
ああ、どんどんこのひと(実際は人魚だけど)に、毒されている気がするなあ、なんて。それはそれで、本望なのかもしれない。恋って、不思議だ。

「好きだと、遠慮しちゃうとこってあるじゃないですか。」
「それは、理由を伺っても?」
「ええっと....好きだから、やだって思われたくない、みたいな?」

あはは、と誤魔化すように笑ってみれば、胸元で合わせていた両手が、彼の大きな手に捕まった。まったく。僕がそんな心の狭い男だと思われていただなんて。と呆れたような声が聞こえるけれど、当の本人の顔はわたしからじゃどうあがいても見えない。
ジェイド先輩が悪いとかじゃなくって、これって、女心なんだと思う。それを彼が理解するかはおいておいても、好きな人だからこそ嫌われたくないし失いたくないって、みんな思うはず。少なくても、わたしはそんな普通の女の子だった。

「女心ってやつですよ?」
「アナタにそう思われたくないのも、男心ですよ。」

男女ってやつは、まったく全然ちがっていて。そのうえ、わたしたちは、人魚と人間で。同じ感性を持っていないところも沢山ある。こうやって、ひとつひとつを、解決しなければ、一緒にいることが難しくなるのかもしれない。恋が得意じゃないわたしには、何が正解かわからないけど。

「でも、ワガママにならないように気を付けます。」
「アナタのワガママならいくらでも。」

それに、男は女のワガママに弱いものなんです。と、頭の上にキスが降ってくる。

「ここ学校なのに...!」
「おや、学校でなければいいと?」

だめだと反論するわたしの目の前には、意地悪な彼の顔。
みんなが思うより、もっともっと、意地悪で、でもやさしくて、いろんな顔を見せてくれる。そういうところに、またすきが増えていくのを、彼は知らない。だけど、わたしは、彼が思う以上に、彼に恋してるのだ。



雨とわたしとあなた。
(僕の問いに、イエスを返す彼女を、とても愛おしく感じた。)







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