00-05.



大人しくしていろ、と言われたのはもう数時間も前のこと。少なくても、そこから3時間は経過しているだろう。流石にそろそろ、大人しくすることができなくなって来た。ベッドで2度寝をしたところで長続きはしないし、スマホに慣れた現代人にとって、スマホ以外で時間をつぶすなんてのは苦痛以外の何物でもない。
保健室に入る光の色が変わってくる頃には、流石に、おかしいと口にしてしまった。いや、もう夕方でしょ。忘れられてるんじゃない?って。そう思うのも当然。ここまで来ると、クロウリーのことを胡散臭いと感じたのを、気のせいだとは言い切れなかった。わたしの第六感が告げている、アイツは怪しい。全てが嘘だとは言わないけれど、信用しすぎてはいけない、と。

「はあ。」

おもわずため息がこぼれる。
それでも、残念なことに、わたしがこの世界に来て出会ったのは、クロウリーと担任になるクルーウェルの2人だけ。右も左も分からないわたしにとって、この世界を分かっている人間は、正直、かなり心強いし、全ての意見を聞いて、よりどころにしてしまいたくもなる。
自分の第六感を信じたい気持ちと、不安で誰かにすがりたい気持ち。究極の選択よね、過去に類似の経験をしてきたことを考えると、本来であれば前者が正しい。それでも、きっと。人間は、目の前の不安にはひどく、ひどく、心を乱される。わかっていながら後者を選びそうになるわたしは、滑稽な人間だわ。

時間を持て余した分、よくよく現状を考えることは出来た。それがイコール、理解ができて納得もできたかといわれれば、全くもって違うのだけれど。現状分かっていることといえば、闇の鏡なるものに選ばれ、この学園に入学すること。しかも、それはイレギュラーで、そして、何より一番重要なのは、これは夢ではなくて、現実だということ。
あんなに幸せの真っ只中にいたのに、何も無いところへつき落とされるとは、正直、夢だと思い込みたいくらい、酷い話だ。わたしは、あの生活が気に入っていて、手放したいと願ったことがあるわけじゃない。むしろ、手放したくないとすら思っていたのに。

「神様がいるなら、ひどいわね。」

もうすっかり冷めてしまった紅茶に口付ける。ティーバッグで作られたそれは、ずっと浸かりっぱなしだったせいもあって、顔をしかめる程、苦かった。いまのわたしと感情とおなじ。
まあ、起きてしまったことは起きてしまったことだし、人と比べれば起きたことに対して、仕方ないと諦めることは得意だった。考える時間がなければないできっと勝手に消化しただろうけど、この時間がある意味、今回においては、必要だったのかもしれない。そして、ここからは、起きた後のことを考える方が建設的だということも、分かっている。とはいえ、どうにも出来ないから、こうやってくだらないことを考えている気もするけれど。まったく、いっそのこと、この部屋から出てしまおうかしらね。
そう思い立ってからのわたしの行動は早かった。ベッドを飛び起き、パンプスを履いて、少し重量感のある内開きの扉まで一直線に歩き、それを思いっきり内側へ引き込んだ。案外、外へ抜け出すなんて簡単だったけれど、今までそうしなかったのは、真面目なわたしが、クルーウェルの言いつけをきちんと守っていたからだ。ほんと、真面目よね?誰もそう言ってくれないけど、案外そうなのよ。
ドキドキしながら扉を開いたものの、左右を見渡した先には、人っ子一人いない静かな景色が広がっているだけだった。なんだ、拍子抜けね。そう、保健室から外へと踏み出す。廊下は歩く度に、わたしのヒールの音が小さく響いた。また戻ってくればいいだけだから、とそのまま長い廊下を、好奇心の赴くまま進んで。こんなことなら、もっと早く出てしまえばよかったわ。


「なあ、何してるんだ?」

中庭の見える窓からこっそり様子を伺っていたわたしに、誰かが声をかけた。まさか誰かに見つかるとは思っていなくって、そもそも、声をかけられるとは予想外で。脅かされたときのように、どきどきと心臓が音を立てている。振り返れば、そこにいたのは、褐色肌に、真っ白な髪。大きなヘアバンドが印象的な男の子。

「わ、わるい、驚かせたか?」

罰が悪そうな顔をした彼は、胸の前で両手を使ってジェスチャーをしながら、謝罪を口にした。それは、まるで、小さな子供にも見えて、なんだかこちらが申し訳ない気持ちにさせられる。大丈夫、驚いてごめんね、と返せば、その表情は一気に明るくなった。母性本能を擽られるような、かわいい、とおもわず感じてしまうような子で。
そんな彼と打解けるのには、時間はかからなかった。




(一歩踏み出す新しい世界に、少なからず心は踊る気がする。それと同じくらい、不安もあるけれど。信じるしか、解決方法はないのかもしれない。)







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